2017年6月26日 (月)

賢いとうぬぼれてはならない

 豊田真由子議員の暴言・暴行がマスコミをにぎわしている。

 今はネットですぐに拡散するので、豊田議員も、隠し撮りをされていると知って、さぞかしショックを受けたことだろう。しかし、あまりにもひどい内容である。
 その豊田議員の学歴がすごい。
 東大法学部卒業後、ハーバード大学大学院修了。それで国会議員である。
 エリート街道まっしぐらという人のすべてではないが、中には自分のことを賢いとうぬぼれている人もいるだろう。豊田議員もその一人だったのではないか。
 私は、この世の知識など、いくらため込んでも、それで賢くなるとは思わない。
 聖書にも、こう書いてある。
 「あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです」
 思い返してみれば、私は大手出版社の社長を相手取って訴訟を起こしたことが何度かある。
 
 いずれも一流大学卒。しかも大手出版社の社長になっているエリートだ。
 が、いったん訴訟が始まると、嘘八百の準備書面を延々と出してきた。
 そんな嘘がいつまでも通用するわけがないのに、彼らは嘘に嘘を重ねて保身を図った。
 結局、最終的には私に頭を下げることになったが、とても賢いとは思えなかった。
「この世の知恵は神の前では愚かなもの」と聖書に書かれてあるとおり、いくらがり勉をして一流大学を出たところで、それだけではけっして賢いということにはならない。単に勉強がよくできたというだけの話だ。
 人間にとって本当に何が大切なのか、それが分かる人間にならなければ、いくら勉強ばかりしても、それはそれだけのことだと思う。
 今回の豊田議員のニュースを見て、ますますそう思うようになった。東大卒だろうがハーバード大学院修了だろうが、それだけでは賢いとは言いきれないのだ。
 

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2017年6月20日 (火)

あと何日生きるのか?

 たしか『人生の残り時間の思考法』というタイトルだったと思うが、そんな本を読んだことがある。

 健康なうちは、自分があたかもずっと生きていられるような感じになる。
 しかし現実は、人間、ずっと生きていられるわけではなく、いつどんな形でこの世を去るかもしれないのである。
 
 私の両親は早死にだった。
 
 私もあと何日この世に生きていられることか。
 5000日か、7000日か、9000日か。
 人生の残り時間を意識し始めると、もう、無駄なことはしたくなくなる。
 自分にとって本当に大切なことに時間も労力もお金も使いたくなる。
 逆に言えば、「本当は好きではないけど、もしかしたら将来役に立つかも」という準備みたいなことをやっているのは、まだまだずっと生きていると思っている証拠だといえる。
 若い時はそれでもいいかもしれないが、中年以降ともなれば、「将来の準備」ばかりやっていたのでは、いざとなったとき後悔しかねないと思う。
 
 そうこうしている間にも1日、1日と消えてなくなる。
 この世に生きている間に悔いが無いように生きていこう。
 

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2017年6月14日 (水)

藤井四段

 今、将棋界が大変なことになっている。

 中学生の棋士、藤井四段がプロデビューから負けなしの25連勝をし、過去最高の28連勝に迫っているからだ。

 彼の才能や努力は計り知れないだろう。だが、その才能を開花させる土壌もあったに違いない。

 思い返せば、私も中学生のころはめっぽう将棋が強かった。
 学校に将棋クラブがあり、部員は11名だったが、常に私が1番だった。
 正直、負けた記憶はない。
 しかし、母も姉も、将棋を指す男の子は嫌いだった。
 
「そんなしょうもないことをしても何の役にも立たないよ」
「男の子ならスポーツをしなさい。将棋だなんて爺さんくさい」
 こういってよく非難されたものだ。
 結局、将棋は中学でやめたが、続けていたらどうなっていただろうか。
 もっとも、プロなんてのは高嶺の花だったろうが、でも、一つ言えることは家庭環境は大きいというものだ。いくら本人がやりたがっても、家族でガンガン非難されつづければ、やる気もなくなるというものだ。子供は家族の影響をもろに受ける。
 藤井四段は家庭環境にも恵まれていたのだろう。
 これからどこまで連勝を続けるか、楽しみである。
 こういう頑張っている人を見ると、自分も自分の道で頑張らなければという気持ちが湧いてくる。

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2017年6月 7日 (水)

金持ちになれば幸せになれるか?

 私は、金持ちになるための本を何冊か持っている。

 私自身、ある出版社から「金持ち本」を書いてもらえないかと持ち掛けられたことがある。
 その理由は、金持ち本は売れるから、というものだった。
 私自身、それほど金持ちというわけではないので、丁重にお断りした。
 私が、金持ち本を出すというのは、私の経済事情を知っている人からすれば笑止千万だ。
 さて、今、所有している金持ち本をパラパラとめくってみると、なるほどいいことも書かれてはある。
 しかし、残念に思うことは、金持ち本の多くは、金持ちになったところで幸せになれるとは限らない、という真実を教えてくれていないことだ。
 金がないことは惨めだ。それに異論はない。
 しかし、金がたんまりあったらそれだけで幸せになれるかといえば、けっしてそんなことなどない。仮に金持ちが幸せになれるとしたら、それは金があるからではない。そういうこと一切書かれていないのだ。
 あたかも金持ちになれば幸せになれるかごとく書かれてある。しかし、それは多くの場合、単なる幻想にすぎない。
 そんなものに騙されるなと言いたくなる。
 新約聖書にこうある。
「金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねていうが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」
「あなたがたは地上に富を積んではならない」
「富は、天に積みなさい」
 金、金、金…と金を欲しがる人は多い。あまりにも多い。そういう人は金もち本を好んで読むだろう。だからからか、金もち本は概して良く売れる。
 しかし、金持ちになったところで幸せになれるというわけではない。
 老後が不安という人も多いだろう。そういう人は金が欲しくてしかたがないだろう。しかし、そういう人には次の聖書の言葉を贈りたいと思う。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。 
 金よりも何倍も何百倍も何千倍も大切なものがある。それを知れば、金に魅力などそれほど感じなくなると思う。(もちろんこれは金に価値がないという意味ではない)。
 

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2017年5月16日 (火)

ある大富豪の告白

 昔、お付き合いのあった出版社からもらった金持ちになりたい人のために書かれた本がある。

 その中で、ある大富豪はこう述べている。
「富とは力だ。富があればできることは限りない。
最高級の家具で家を飾ることもできる。
はるか大海原に船出することもできる。
遠い異国の珍味に舌鼓を打つこともできる。
金細工師や宝石職人の作った装飾品を買うこともできる。
神々の壮大な神殿を建てることさえできる。
これらすべてが可能になり、喜びと満足を得られる数多くのことが実現できるようになる」
 あなたはこれを読んでどう思うだろうか?
 私はまったく感心しない。
 この告白を読む限り、この大富豪がお金がほしいのは、結局、自分の欲を満足させたいという、ちっぽけなちっぽけな動機でしかない。
 贅沢三昧がしたいがために大富豪になりたいとしたら、そんな夢など、私に言わせれば、ものすごく小さい夢だ。結局、考えているのは自分の事だけにすぎないからだ。
 私なら、そんなお金があるのなら、頑張っている人を応援するために使いたい。(困っている人を助けたいというのとは少し違う。私がお金を使いたいのは、頑張っている人を応援するためである)。
 大富豪になってそのお金をうまく活用して社会に貢献すれば、きっと神様も喜んでくれるだろうが、贅沢三昧をしても神様はきっと喜ばないだろう。
 さて、先の大富豪の言葉に感心しないと述べた。
 ならば私なら富についてどう言うか。
「富とは力だ。富があればできることが増える。
自分を磨くために富を使うことができる。
自分を磨いた後にその能力を生かして、世のため人のためになることをすることができる。
頑張っている人を応援するために使うこともできる」
 先の大富豪は、
「最高級の家具で家を飾ることもできる。
はるか大海原に船出することもできる。
遠い異国の珍味に舌鼓を打つこともできる。
金細工師や宝石職人の作った装飾品を買うこともできる」
などと言っているが、私は別にそんなもの欲しいとなどとは思わない。
 そんなことをやっても神様は全然喜ばないと思うし、私自身だって嬉しいとも思わないだろう。

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2017年5月15日 (月)

6月の西検に向け全力投球

 スペイン語学習に専心している。

 6月に西検を受験予定である。
 

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2017年5月14日 (日)

金を稼いで何がしたいのか?

 先日参加した投資セミナーの講師はこんなことを言っていた。

「私はアメリカの大学院時代に知人の老人宅に遊びにいったことがある。3億円はくだらないだろうと思える大豪邸だった。どうしたらこんな家に住めるのですかと聞いたら、若いときから投資アドバイザーに相談にのってもらって投資を続けたからだよと答えてくれた。それで私も投資アドバイザーになろうと思った」
 私はその老人がどのような性格であり、どのような人生を歩んできたかはわからないし、どんな夢をもっているかもわからない。
 だから、正直、大豪邸に住んでいるといわれても、ただそれだけでは別にうらやましいとも思わない。
 もちろん生活するのに困るような状態よりは金持ちのほうが何倍もいいことは間違いないが、金持ちだからといって幸せかどうかは分からないというのも間違いないことだ。
 金銭的にはそこそこの資産しかもっていないけれど日々、打ち込めるものをもっており、それで社会に貢献できる人と、大豪邸に住んでいるものの、日々、打ち込めるものをもっていなくて毎日暇つぶしにテレビばかり見ている人とでは、私なら前者になりたい。
 お金はたくさんあっても邪魔になるものではないので、意図的に減らしたいとは思っていないが、かといって日々金儲けのことばかり考える人生を送りたいとも思っていない。というより、日々お金のことでアクセクしたくないから投資信託に投資しているのであるから、それで一喜一憂するのは愚かなことだ。
 
 大豪邸に住めるのなら住むのも悪くないが、別に大豪邸ではくても十分に幸せだし、むしろ大豪邸でないほうが幸せな気もする。大豪邸だと光熱費だって高いし、メンテナンスも大変だろうし。そもそもそんなにたくさん部屋があったところで、それで楽しいのかという疑問もある。
 聖書の中に「金持ちが天の国に入ることよりも、ラクダが針の穴を通る方が簡単だ」という言葉がある。それほど金持ちが天国に入るのは難しい。金に執着するからだ。
 金持ちになることよりも、金の本当の使い方を知る方が何千倍も何万倍も何億倍も大切なことだ。
 しかもこの世の中には金よりも何千倍も何万倍も何億倍も大切なことがある。
 別に大豪邸に住んでいる人を批判するつもりはないが、私ならそんなお金があるのであれば、社会に貢献するためにお金をつかう方法を考えるだろう。
 昔、「宮崎伸治奨学金」というのを作って、翻訳家の卵の中から優秀な人に奨学金を出そうという夢をもっていたこともあった。ただ、審査が大変だろうというのもあり、まだまだ実現はしてない。
 今はボキャブラリーコンテストを実施し、優勝者にちょっとした商品を出している程度だが、もし私が大金持ちにでもなったら、規模をもっと大きくし、商品ももっと大きなものにしていきたい。
 私は別に大豪邸に住みたいなどとは思っていないので、余裕資金ができたら、こういった形で社会に還元していきたいと思っている。
 聖書にもこうある。
喜んで与える人を神は愛してくださる」。
 神に愛されたければ、「喜んで与える人」になるべきだ。

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2017年5月13日 (土)

投資信託セミナー参加

 毎月分配型の投資信託のセミナーがあったので参加してみた。

 主催しているのは独立系の投資アドバイス会社だ。
 銀行系や証券会社系の会社だと「この商品がお勧めだ」「これは儲かるぞ」などと手数料ほしさに自分たちに都合のいいことしか言わないが、独立系のアドバイス会社であればアドバイスそのものが商品であるからアドバイスは中立的ではある。
 無料セミナーだから参加したわけであるが、彼らも商売であるから、最終的に狙っているのは顧問契約を結ぶことだ。
 もちろん私自身、素人であるから、アドバイスをもらったほうがよいだろう。しかも中立的なアドバイスならなおさら信頼がもてる。ただ、顧問契約料が高い。そこまでしてお金を増やしたいかといえば、今のところノーだ。
 結局のところ、どんな投資をするにせよ、リスクはつきものであり、たとえ中立的なアドバイスを受けたからといって、リスクがなくなるわけではない。もしも資産が減ったら顧問料は要らないというのなら顧問になってもらってもいいが、資産が増えようが減ろうが、顧問料は別途発生する。それなら自分の判断でやってもいいかなと思う。
 さて、セミナーの内容だが、結局のところ、長期で運用するなら分散投資がよい、ということに落ち着いた。毎月分配型の投資信託は見かけ上、かなり良さそうに思えるが、実質的にはそれほど儲かるわけではない。その辺を理解した上で投資するのであれば、それほど悪い商品ではない、ということだった。想定内の内容だった。
 私が驚いたのは、受講生の年齢の高さだった。
 見たところ、私が一番若く、周りの人たちは70代、80代ばかりという感じであった。
 30代、40代、50代であれば、まだまだ余生が長いので、お金の工面も考えなければならない年代だと思うが、80代ともなれば、不謹慎な言い方になるが、余生はそれほど長いわけではない。なのに、投資に関心があるのかなぁ、そんなにお金を増やして何がしたいのかなぁ、というのが率直な感想だった。
 私はつくづく思うが、お金よりも何千倍も何万倍も何億倍も何百億倍も大切なものがある。お金は生きていく上で必要だが、ひもじい生活を強いられないのであれば、お金よりも、もっと大切なものに目を向けて生きるほうが良いような気がするのだ。
 もちろん80代だからといって投資に関心をもったらいけないというつもりはない。何をしようが、他人に迷惑をかけないのであれば、本人の自由だ。ただ、率直に思ったのは、私が仮に80代まで生きたとしたらお金にはまったく興味などなくなっているだろうなということだった。正直、今でさえも、お金儲けにあまり興味がなくなっているのだから。
 聖書にも「富は地上に積むな。富は天の国に積め」とあるが、まさにそのとおりだと思う。たんまりお金をためたところで、あの世にお金はもっていけないのだから。
 

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2017年5月10日 (水)

悪夢

 悪夢を見た。よく見る悪夢だ。
 出版直前まで編集者と二人三脚で書き進めてきた本が、出版のまさに直前になってから出版が延々と遅らされ、いつまで経っても何の知らせもなく、問い合わせをしてものらりくらりの対応しかしてくれず、何年も出版が伸ばされた挙句にとうとう出版が中止になるという悪夢である。
 私は60冊近く本を出してきたが、出版社の一方的な事情で勝手に出版が中止になったことが5回くらいある。(誤解のないように言っておくが、その大半は翻訳書だ。翻訳のクオリティについては出版社から批判をうけたことはない。つまり、出版が不可能になるほどクオリティが低かったことは一度としてないということだ。なのに出版社の都合で勝手に出版が中止にされるのだ)。
 そういうとき、誠意ある対応をしてくれるところはほぼ皆無だ。 

 赤ん坊をみごもった女性が、まさに出産直前に勝手に堕胎されるくらいの衝撃を受ける。

 何か月もフルタイムで全力で書き上げたものが、勝手に中止にされる悲しみというのは、経験してみた人でなければ分かるものではないだろう。
 私はそういう悲劇を経験して分かったことがある。
 それはそういうときに誰も助けてくれないということである。
 頼れるのは自分だけだ。
 それまでいい顔をしていた編集者は手のひらを返したように嘘八百を並び立てて保身に走る。結局、かわいいのは自分自身だけなのだ。
 そういう経験を何度もして、出版そのものに興味を失っている。
 出版社は、金、金、金…で動いている。
 特に出版不況の今、一番ほしいのはよく売れる本だ。つまりは金だ。
 その金を得るために、やってはいけないことまでもやる人がいる。
 生きていて何が一番大切なのか?
 金か? 名誉か? 昇進か?
 私が思うに、人間、生きているうえで一番大切なのは「より善い人間になろうと努力すること」ではないか。
 金ではない。
 名誉でもない。
 地位でもない。
 「より善い人間になろうと努力すること」ではないのか?
 それが一番神様に愛されることではないのか?
 金のために他人に傷つけることをやっていては、金はたんまりたまるかもしれないが、神様には愛されないだろう。そんなことを一生やり続けて金をたんまりためて、あの世にでも金をもっていくつもりか? あの世では金は何の役にも立たないのに。
 今から思えば、「流産」ともいえる出版直前の出版中止を経験できたことは、私にとっては良かったことだと思う。
 というのも、人間にとって「より善い人間になろうと努力すること」のほうが金儲けの何千倍も大切だということに気付いたからだ。
 悪夢を見るたび、そんなことを思う。 
 
 

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2017年5月 6日 (土)

「論語」原典、3分の2を読破

 ゴールデンウィーク中に「論語」の中国語原典を読破すると決め、一意専心しています。

 孔子は、ソクラテス、キリスト、ブッダと並び、世界四聖人と言われた人物。

 その孔子の「論語」を中国語原典で読むというのは、昨年中国語の勉強を始めた私からすれば考えられなかったことです。
 中国語は日本語と共通する漢字が多いので学習しやすいです。学習しないほうが勿体ないくらいです。
 ゴールデンウィークもあと2日。
 その2日で最後まで読み切る予定です。
 ますます中国語に興味が湧いたので、今後は「三国志」などにも挑戦する予定です。
 中国語を勉強したおかげで楽しみが増えました。
 

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