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2008年9月

2008年9月30日 (火)

どうしたら幸せになれるの?

 世の中のほとんどの人(私の見る限りほぼ100%の人)は、金銭・名誉・地位などを手にしたら幸せになれると思っている。しかし、果たして、そうだろうか。

 例えば、子供から、「お父さん、幸せになるにはどうすればいいの?」と訊かれたとしよう。そのとき、あなたならどう答えるか。ほとんどの人はこう答えるのではないだろうか。

「幸せになりたいのなら、お金をたくさん稼げるような人間になりなさい。そして、一生涯、遊んで暮らせるような金の成る木を作りなさい。ある程度の歳になったら、いい奥さんを貰いなさい。独身でいたら、社会的にも変な目で見られるので、ビジネスにも悪影響する。結婚したら、早く子供を作りなさい。それで漸く一人前の社会人になれる。しかし、そのためにはお金がたくさん稼げるように、一流企業に入ることを目標としなさい。そしてそのためには、できるだけいい大学に入ったほうがいい。勉強はしなくてもいいが、ただ、いい企業に入るには、できるだけいい成績を取りなさい。一流企業に入ることができたら、少しでも早く昇進できるように、売り上げナンバー1になりなさい。あの手この手を使ってナンバーワンのセールスマンになりなさい。資格も次々と取ってたくさん資格手当をもらいなさい。そうすれば幸せになれるよ」

 すべては「お金をたくさん稼げるようになること」や「世間体を良くすること」と関連づけて話されるのである。善い人間になれ、ということは語られないのである。

 しかし、果たしてそれで本当に幸せが手に入るのか。

 このような生き方をしていれば、お金儲けに直接つながらないことをやっても意味はないことになる。例えば、大学でやる学問など、ほとんどは直接お金儲けにはつながりはしない。それでもこうした人たちが子供たちにいい大学に行かせたいのは、「いい企業に就職させたい」という外的な目的のためである。

 こういう躾けをしていれば、子供は「単位さえ取れれば、まじめに授業に出なくても、他人のノートを写して一夜漬けで勉強しておけばいい」と考えるようになるだろう。企業に就職しても、「この資格は取っても資格手当が出ないから、受けるのはやめよう」と外的な報酬が得られるか得られないかだけで物事を判断するようになるだろう。なにしろ、彼らは、直接お金儲けにつながらないことなどもともとやる意味などないと教え込まれているのだから。

 古代ギリシャの哲学者たちは、こうした生き方をしている人々を「囚人」だと言ったのである。古代ギリシャでもほとんどの人は「囚人」であったが、今の日本でも状況は変わっていないようだ。私の見る限り、ほとんどの人は、金、金、金…である。

 では、古代ギリシャの哲学者が、子供たちから「幸せになるにはどうすれいいの?」と訊かれたらどんな答え方をしただろうか。おそらくこんな感じだったのではないか。

幸せになりたければ、善い人間になるように努力しなさい。善い人間とは、分別のある人間、正しいことをする人間、勇敢な人間、節制のできる人間、他人に親切のできる人間のことだ。分別のある人間になるには、何が正しくて何が正しくないかを知る必要がある。そのためには学問に打ち込むことだ。節制のできる人間になるには、良い書物を読み、良い芸術作品に触れ、身体を鍛えることだ。このようなことを繰り返し続けていれば、良い習慣が身に付くのだ。お金が儲かるか儲からないかとか、他人がどういう評価をするかとかを第一に考えるな。それよりも、自分自身が善い人間になるかどうかを第一に考えよ。善い人間になればなるほど、幸せになれるよ」

 こういうふうに躾けられた子供は、分別のある人間になるために学問に打ち込むだろう。それは単位を取るとか、学位を取るとか、偏差値を上げるとか、そういった外的な目的のためではない。あくまで「分別のある人間」になることが第一の目的になっている。そのため、試験に落ちても何らショックは受けないのだ。「分別のある人間になる」ことが目的なのだから、試験がなくても、勉強は続けるのである。

 あるいは、こうういうふうに躾けられた子供は、節制のできる人間になるために、書道に打ち込んだり、音楽に打ち込んだりする。「書道をやっていれば就職に役立つ」といった、外的な目的のためではなく、あくまで「節制のできる人間」になることが第一の目的になっている。

 さて、もう一度、あなたに訊く。あなたは子供から「幸せになるにはどうしたらいいの?」と訊かれたとき、どう答えるだろうか。

「お金をたくさん稼げる人間が幸せである。だから、幸せになりたければ、お金がたくさん稼げる人間になりなさい」

「善い人間が幸せである。だから、幸せになりたければ、善い人間(分別のある人間、勇敢な人間、正直な人間、節制のできる人間)になりなさい」

 あなたなら、自分の子供に、どう答えるだろうか。

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2008年9月29日 (月)

ドイツ語単語1日50個

 慶應大学のほうは、すでに卒論以外はすべて終了しているし、卒論もおおかた書き終わりつつあるので、目下の最大の目標といえば、ドイツ語である。

 11月下旬にドイツ語検定2級に初挑戦するのだ。

 で、以前にも書いたとおり、私の一つの信念として、外国語は単語力で決まる、というのがある。

 実は、昨年の11月にドイツ語検定3級に挑戦したのだが、文法とか読解の勉強はほとんどしておらず、『独検4級突破単語集』『独検3級突破単語集』を中心に2ヶ月間がんばったら、それだけで通ってしまったのだ。

 しかし、今度は2級である。

 付け焼き刃的な勉強では通らないと踏んだ私は、単語力に関しては『今すぐ覚える音読ドイツ語 (東進ブックス)』『独検合格 単語+熟語1800 改訂版』の2冊で補強し、さらに読解力と単語力を同時に補強するために『ドイツ語の小説を読む〈1〉ベル:きまぐれな客たち』を使っている。

 あと、一つお勧めなのは、なんでもいいのでインターネットでドイツ語で書かれた記事を探し、プリントアウトして読むことである。自分の興味のあることであれば、楽しく読めるし、読解力と単語力が同時につく。私は哲学者の紹介の記事をドイツ語で探して読んでいる。

 もう一つ、絶対にお勧めなのは電子辞書だ。私は『SEIKO IC DICTIONARY 電子辞書 SR-V5010 英語/ドイツ語モデル 音声対応』を使っているが、ドイツ語を勉強している人はこれがあるのとないのとでは大違いである。買って損はないので、ぜひ買うべきだと思う。こんな便利なものを買わない手はない。

 私はドイツ語の文章を読んで、知らない単語にぶつかるとすぐさまこれで引いて、単語カードに書き留め、それを覚えるようにしている。

 ドイツ語検定2級まで2ヶ月を切った。もちろん、申込みは既にしている。文法が心配といえば心配だが、単語力で乗り切って合格してやろうともくろんでいるのである。

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2008年9月28日 (日)

学問と隣人愛の関係

 私は数日前に、善い人間になるには3つのことが必要だと説いた。

 その3つとは、学問、良い習慣作り、隣人愛である。

 しかし、友人から、「学問と隣人愛がどこでどうつながるのかが分からない」というメールを貰った。

 たしかに、学問はできるが自分、自分、自分…と自分のことばかり気にして生きている人も多い。一流大学を出ても、あたたかみのない人間もいれば、犯罪を犯す人すらいる。とても隣人愛を実践していると言えそうにないという人も多い。彼らは、いわゆる「論語読みの論語知らず」という人たちである。

 誤解してほしくないことは、私は、「学問をやれば、それだけで直ちに隣人愛が実践できる人になれる」とは言っていないことだ。

 ただ、逆に考えてほしい。

 隣人愛を実践できる人になろうと志したとしよう。

 しかし、学問を一切やっていない人が隣人愛を実践しようとして、はたして何ができるだろうか。もちろん、そんな人でもできることはあるだろう。しかし、学問をやっていなければ、できることといっても、非常に範囲の狭い、小さな小さなことだけになるだろう。

 もちろん、そういった「小さな小さな親切」であれ、実践したほうがいい。学問をやっても、ふんぞり返って隣人愛を何ら実践しない人よりは、遙かに人間としては立派である。

 だが、学問をやっていればいるほど(言い換えれば、高度な知識を獲得していればいるほど)それだけ広い範囲で世の中に貢献できるのだ。つまり、広い範囲で隣人愛を実践しやすくなるのだ。

 例えば、外国人が道に迷っているとしよう。どう見ても、日本語ができずに困り果てている。そんなとき、英語が話せる人であれば、声をかけてあげて、道を教えてあげることができる。

 しかし、「英語なんて話せるようになって、いったいそれが何なの? ばかばかしい」といって英語の勉強をしていない人には、道に迷っている外国人を助けてあげることはできないだろう?

 私がここで挙げた例はほんの一例にしかすぎない。だが、学問をやっている人のほうが、それだけ広い範囲で隣人愛を実践できるということはおわかりいただけたのではないかと思う。

 再度言うが、学問をやっていなくても、隣人愛は実践できるのである。しかし、学問をやっていればいるほど、それだけ広い範囲で隣人愛が実践できるし、より高度な仕事を通して世の中に貢献できるのである。

 もちろん、学問だけやってそれを隣人愛に活かさないのであれば、学問をやる意味もない。しかし、隣人愛を実践しようという気持ちがあるのなら、学問をやることは大いに意義のあることなのである。

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2008年9月27日 (土)

いつまでも色あせない幸せを手にするには

 幸せになりたければ「善そのもの」を人生の第一の目的とすることである。

  これは言い換えれば、「より善い人間になることを第一の目的にせよ」ということである。「仮象の善」は求めてならないものではないが、けっして第一の目的にはしてはならない。

 世の中のほとんどの人は「善そのもの」ではなく、「仮象の善」を第一目的として生きている。「善そのもの」が何かが分からないからだ。いや、「善そのもの」は何かを知ろうとさえしていない。しかし、それでは幸福にはなれないし、逆に、不幸になる可能性のほうが高い。

 例をあげて説明しよう。

「仮象の善」とは、言い換えれば、「目に見える目標」といっていい。合格、昇進、名誉、権力、金銭、就職、結婚…。多くの人はこうした「仮象の善」が手に入れば幸せになれると勘違いしている。だから、あれこれと画策して、こうした「仮象の善」を手に入れようとするのだ。

例えば、「仮象の善」を第一目標としている人が、子供に書道をやらせる場合、書道を通して自分を磨くという真の目的のためではない。「書道をやっていれば、履歴書に綺麗な字で書けるから、いいところに就職できるかもしれない」という「仮象の善」を求めているためである。

同じように、ある程度のレベルの大学に行ったほうがいいと考えるのも、レベルの高い大学ではそれだけ質の高い学問を通して自分が磨けるという真の目的のためではない。「いい大学のほうが、いいところに就職できる可能性が高まるからだ」という「仮象の善」を求めているからだ。

あるいは、難関試験を受けるにしても、その目的は、専門的な知識を身につけることで自分を高めようという真の目的のためではない。「合格して、その資格を武器にしよう。そうすれば資格手当も入ってくるし、昇進に役立つかもしれない」という「仮象の善」を求めているからだ。

あるいは、ブログで文章を書き続けるのも、良いブログを作り上げ、読む人のためになるブログにしようという真の目的のためではない。「ブログでアフィリエイトをやっていればお金儲けになる」という「仮象の善」を求めているのだ。

しかし、努力し続けていても、「仮象の善」が達成せきそうにないと分かることがあるだろう。例えば、努力し続けても試験に合格しそうにない。努力し続けてもお金儲けにつながらない。努力し続けても思い通りの名誉が手に入らない。

そんなとき、「仮象の善」を求め続けてきた人は、ふと思うのだ。

「こんな試験に通ったところで、いったい何になるんだ。ばかばかしい」

「書道なんてやって何になるんだ。字を書く機会なんてないじゃないか、ばかばかしい」

「ブログなんて書き続けて何になるんだ。お金儲けにならないじゃないか、ばかばかしい」

しかし、最初の最初から「善そのもの」のために頑張っている人は、「仮象の善」(昇進、金銭、名誉、権力)などに執着していないので、仮に「仮象の善」が手に入りそうにないことが分かっても落胆しないのだ。

例えば、学問を志し、社会人になってから難関の大学院を目指している人がいるとしよう。その究極目的は「合格すること」ではなく、「より善い人間になること」だったとしよう。すると合格することそのものは、それほど大切なことではなくなる。なにしろ、究極目標は「善い人間になること」なのだから、「合格するか否か」など小さな小さな目標にすぎなくなるからだ。その人にとっては少しでも善い人間になるほうが、合格するよりも遙かに大切なのだ。

逆に「合格すること」そのものにこだわって生きている人は、合格するか否かだけが関心事になる。だから不合格になれば落ち込むことになるのだ。不合格になれば、「俺っていったい何のために頑張ってきたんだ? ばかばかしい。こんなの、何の得にもならないじゃないか」ということになるのだ。

何度でもいう。

これをすればお金儲けにつながるかとか、そういう目先のことばかりにとらわれて生きるな。そういうお金とか、権力、地位、名誉、快楽といった「仮象の善」があなたを幸せにしてくれることはないのだ。一時的には幸せにしてくれるかもしれないが、あくまで一時的なものにすぎない。そんなものを手にしたところで、いずれすぐに色あせる。「これを手にすれば幸せになれると思っていた。だが、手に入った今思うことは、『なんだこのていどのことだったのか』ってことだ」と思うのだ。あなたはそんな「すぐに色あせる幸せ」を手に入れるためにアクセクしたいのか?

いつまでも色あせない幸せを手に入れようと思えば、善い人間になることでしか方法はないのだ。少しでも善い人間になることを第一の目的にすることだ。それ以外の方法で、いつまでも色あせない幸せが手に入ることはないのだ。しかも、意外なことに、そういう人ほどお金は寄ってくるものなのだ。

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2008年9月26日 (金)

「善そのもの」を見て取れ

 プラトンは、世に生きるほとんどの人は「囚人」だと言った。

 真っ暗闇の中で、何が善で何が善でないかを知らずに、ただ「善だと思われるもの(仮象の善)」をひたすら求める「囚人」だというわけである。

 これは今の日本でも同じことが言えると思う。

 言い換えれば、今の日本人もほとんどの人は「囚人」にすぎないのだ。

 実際、世の中の多くの人は、金銭、権力、名誉、贅沢品…といった「仮象の善」ばかりを求めて生きているように思える。私と関わりのあったビジネスマンも、頭の中にあることは売り上げのことばかりである。彼らは、何から何まで売り上げのことばかりしか言わないし、関心がない。考えていることのすべてが売り上げのことである。

 しかし、善だと見えても実際は善ではない「仮象の善」を求めても、けっして善は得られないし、幸せにはなれないのだ。

 では、善とは何か? 

 善そのものとは、節制、自制、誠実さ、正義、勇気といった「人間としての善さ」のことだ。

 こうした「善そのもの」を求めて行動していれば、善い人間に近づくことはできる。言い換えれば、幸せに近づくことができる。

 しかし、ほとんど人がやっていることは、「善そのもの」ではなく、「仮象の善」ばかりを求めているのである。

 例えば、ある人は、「お金がたくさん儲かること」が「善いこと」だと思っているとしよう。そして、あの手この手を使ってお金をたくさん儲けようとする。

 しかし、「仮象の善」を第一目標にすればするほど、おかしなことが起こる。

 なぜなら、「お金儲け」ばかりに目がくらんでしまえば、「善そのもの」が見えなくなるのだ。

 仕事をするとき、「お金儲け」を第一に考えていれば、「善そのもの」を犠牲にすることもでてこよう。しかし、そういう人は終局には、不幸になるのである。

 そんな愚かなことはしてはならない。お金を儲けたら幸せになれると思っていたら、大間違いだ。人間は「より善い人間になること」でしか幸せにはなれないのだから。

 だから、これだけは肝に銘じておかなければならない。

 「善そのもの」を第一の目標として生きること。お金儲けなどの「仮象の善」にけっして惑わされてはならないこと。結局、そのほうが幸せになれるし、皮肉なことに、お金も入ってくるのである。

 どうすればこのような思想が分かるか? 例えば、プラトンの『国家〈上〉 (岩波文庫)』や『国家 下  岩波文庫 青 601-8』は「善そのもの」とは何かを考える上でお勧めの本である。何度も味わうようにして読むことで、理解が深まる本である。

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2008年9月25日 (木)

お勧めのドイツ語学習書

 11月末にあるドイツ語検定2級に向けて学習中である。

 昨年秋にドイツ語検定3級に合格したが、2級は初挑戦なので、いかほどの結果が出るか楽しみである。

 私は、正直言って、今、楽しみながら勉強しているので、ドイツ語は苦痛ではない。落ちてもガッカリこないだろうし、「いったい何のために?」などという疑問も生まれてこないだろう。

 では、どんな学習方法をしているか?

 まあ、ほとんどの人と同じだと思うが、私の場合は、耳からの勉強を主体にしている。CDをかけっぱなすのだ。といっても、もちろん、テキストを眺めながらCDをかけたほうが効果的ではあるが。

 3級合格を目指しているのなら、お勧めは『独検4級突破単語集』と『独検3級突破単語集』だ。私は正直、この2冊の単語をすべて覚えてはいなかった。覚えていたのはせいぜい7割くらいだろうか。でも、それでも余裕で合格したのだ。正直なところ、文法だって読解だって大して勉強していなかった。ただ、この2冊の単語力だけでもしっかりやっていれば、読解もかなりできるし、合格できると思う。

 2級を目指しているのなら、もう少し本腰を入れてやらなければならないだろう。実は、今頃になって、3級を受ける前に買っておいた『新独検3級合格講座―初級ドイツ語グレード・アップ』を使って勉強しているのだが、CD付きなのでかなり勉強しやすい。短めの文章(1パラグラフか2パラグラフ)を読んで、それをCDで聞き直せば、頭に定着しやすい。これは3級対策というよりも、2級対策としても使えると思っている。なにしろ、私は3級を余裕で合格しているというのに、未だに持ってこの参考書の文章の中に知らない単語がたくさんあるからだ。

 2級対策として本腰を入れて単語力をつけるには、『独検合格 単語+熟語1800 改訂版』がいいと思う。これは元々2級レベルの単語・熟語も含まれているので、すでに3級に合格した人でも使うことができる。

 さらに単語力アップを目指すならば、『今すぐ覚える音読ドイツ語 (東進ブックス)』もお勧めだ。これで幅広い分野の単語が身に付く。しかもCDが2枚もついて1700円(+税)の値段は安い。

 手前みそになるが、私は高校時代、ずっと英語の成績が校内(315人)中、1~2番であった。なぜかといえば、単語力があったからだ。高校1年時で『試験にでる英単語』をすべて覚えていたので、怖いものなしだったのだ。ドイツ語も基本的には単語力ではないかと思う。単語さえすべて分かっていれば、なんとか読解できるのではないかと思う。私はドイツ語の文法は未だにさっぱり分からない。なのに2級合格を目指しているのだ。

 さあ、実際の試験ではどうなるか。結果はこのブログで公表するつもりですので、お楽しみに。

 

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2008年9月24日 (水)

善い人間になったほうがお金もよってくる

 何度でもいうが、私は人生の究極の目的は「より善い人間になること」だと思っている。これ以上の目的などない。所詮、私たちは数十年この世にいるだけで最終的にはあの世にいく身である。どれだけ「善い人間になったか」だけであの世でどこに住むかが決まるのだ。お金をいくら稼いだかなんてまったく意味がないのだ。一人でも多くの人に、それに気づいてもらいたいと思っている。

 こんなことを言えば、反論する人もいるだろう。

「あなたのようにお金に困っていない人間なら、そんな悠長なことを言っていられるでしょうよ。私だって、お金に困ってさえいなければ、あなたのように学問やったりしたいよ。でも、その前にお金なんです。お金儲けにつながらないことをやっても意味はないように思えるのです」

 しかし、皮肉なことに、お金のことを第一に考えれば考えるほどお金は逃げていくのである。逆に、善い人間になることを第一に考えている人のほうにこそ、自然とお金は寄ってくるのである。

 お金儲けのことを考えるな、と言うつもりはない。お金は大切なものだし、しっかりとした経済計画も必要だ。ないがしろにしていいわけはない。私だってお金が嫌いなわけではないし、お金儲けのことも考えてはいる。

 私が言いたいのは、お金もうけを第一に考えるのではなく、善い人間になることを第一の目標にしろ、ということだ。

 例えば、汚い手を使って、弱い立場の人間を泣かせるようなことをしてでも自分の利益を上げようと思っている人がいるとしよう。その人とて、弱い立場の人間を泣かせることは、本当は悪いとは思っている。しかし、とりあえず自分の利益を上げるほうが先だ。そんな考えで仕事をしていると、常にトラブルに巻き込まれることになるだろう。最悪、裁判沙汰になるかもしれない。そうなると、お金が稼げるどころか、お金がどんどん逃げていくのである。

「じゃあ、善い人間になる方法は何なの?」

 という質問をする人もいるだろう。

 その1つが学問である。学問は真理を見極めるための作業である。真理を知らずして、善い人間にはなれない。人間には究極の真理は知り得ないとしても、少しでも真理に近いものを見て取るよう努力すべきなのだ。

 2つめは、良い習慣作りだ。自堕落な生活を続けていると、困難な状況にぶつかるとすぐに挫けてしまう性格ができあがる。常に克己心をもって努力する習慣を身につけることである。良い習慣を身につけることで性格は改善される。

 3つめは、隣人愛である。いくら頭脳明晰で善良な人間であっても、自分、自分、自分…と自分のことだけやって生きていても、なんら尊敬には値しない。本当に尊敬に値するには、隣人愛を実践することである。

 細かく言えばキリがないのだが、大きな柱としては、学問、良い習慣作り、隣人愛の3つが善い人間になるためにどうしても必要なのである。

 善い人間になる努力をしていれば、不思議とお金が入ってくるようになる。逆に、善い人間になる努力をせずして、どうやったらお金が稼げるかばかり考えている人間は(仮に大金を一時的に手に入れることがあったとしても)長期的には貧乏になるのである。

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2008年9月23日 (火)

人生の究極目的は何か

 難関資格にしろ、学問にしろ、大学の通信教育にしろ、いったんは志したものの、途中で嫌気がさして止めてしまう人が多い。実に多い。

 彼らは口をそろえて言う。

「こんなことやっても、人生に何の役にも立ちはしないのではないか…」

 しかし、私から言わせれば、それは「途中で止めたくなった言い訳」にしかすぎない。

 例えば、大学の通信教育は、最後までやり通す人は10%程度である。大学によって違うが、難関と呼ばれるところであればあるほどその率は低い。

 なぜか?

 フランスの作家の名前を覚えたり、イギリスの作家の本を英語で読んだり、難しい哲学の講義を聴いたり、英語でレターを書いたり、書道をやったり、社会学を学んだり…

 こういうことの一つひとつが直接人生の役に立たないと言い訳したくなるからだ。途中で止めていく人たちは、必ずそう言い訳をする。

 たしかに、そのような知識を蓄えたからといって「直接人生の役に立たない」ことのほうが多い。

 だが、ではそういった知識を蓄える意味がまったくないのだろうか?

 では、人生に役に立つ知識とは何か?

 金が儲かることをやれば「人生に役に立つ」と言えるということか?

 そもそも、我々はいったい何をしにこの世に生まれてきたのか?

 私の回答は一つである。

 それは、私たちはより善い人間になるために生まれてきたのだ。だから少しでも善い人間になることが人生の究極目的であって、お金を多く稼ぐことが人生の究極目的などではけっしてないのだ。

 だから、より善い人間になるためであれば、スポーツであれ、音楽であれ、資格取得であれ、学問であれ、通信教育であれ、何に打ち込んでもいいのだ。何に打ち込んでも意味はあるし、役に立つのだ。

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2008年9月22日 (月)

毎月、投資信託にかける習慣

 ブログを書き始めて50日くらいになるが、私の記憶が正しければ、投資信託についてはたしか1回くらいしか書いていないはずである。1回は書いた記憶があるが、はたして2回書いたであろうか? 正直、覚えていない。

 なのに、私のブログに飛んできてくる人は、「投資信託」というキーワードをたよって飛んできている人もけっこういるのであるから驚きである。

 つまりは、それだけ多くの人が「投資信託」に関心があるということであり、「投資信託」に関して、いろいろなことを書いていれば、一気にアクセス数があがるということでもある。

 私はアクセス数をあげるためにブログを書こうなどとは思っていないが、せっかくなので久しぶりに投資信託について書こうと思う。

 実は、私は大の投資信託のファンでもあるのだ。そして、多くの人に投資信託をお勧めしたいと思っているのだ。

 私の投資信託歴はかれこれ5年になるが、投資歴が長くなるにつれ、投資信託の良さがしみじみと分かる。なにしろ、投資信託というのは、放置していていいのだ。それに株と違って、あれこれと心配することもいらない。それでいて、毎月毎月、分配金が入ってくるのである。こんなにいいことって世の中探してみても、そんなにないと思うのだ。

 私は毎月、どんなことがあっても何万円かは投資信託にかけるようにしている。

 多いとき(例えば印税が入ってきたときなど)は数十万を投資信託に入れるが、少ない月でも最低2万円は入れている。そうすることによって、ますます貰える分配金がふくらむ。ますます生活が楽になる。いいことずくめなのである。

 投資信託は1万円から投資できるものもある。電話一本で投資できるところもある。電話だと約10分で申込みが完了するのだ。

 今は多くの投資信託で基準価格が下がっているので、投資するには絶好の時期だと言える。余裕のお金があれば、投資信託に入れることをお勧めしたい。もっとも、何年も寝かせておける余裕資金であることが必要条件となるが…。

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2008年9月21日 (日)

ITを極めるには時間もお金も労力もいる

 私の友人にブログの開設のしかたを教えたところ、彼は爆発的な勢いでブログを書いている。

 おそらく、その理由の一つは、「お金儲け」ではないだろうか。

 それはそれで構わないのであるが、やはりブログをそれなりに成長させたいと思えば、それなりにITの勉強をしておいたほうが望ましいことは言うまでもないことだ

 なぜなら、ほんのちょっとしたことでも、大きな差となって現れるからだ。

 私はまだアフィリエイトで成功したといえるところまで言っていないので、偉そうなことは言えないのだが、やはりITの勉強はやっておいたほうが色々な意味でいいと思う。

 しかし、実際、ITの勉強にはお金も時間も労力もかかる。

 先日受けた「WEB検定(リテラシー)」の「資格登録通知書」が昨日届いたのであるが、有効期限が書かれてあった。つまり、一定期間(2年)をすぎれば「失効」となり、また受験しなおさなければならないわけである。

 ううむ。受験料は16800円である。これをまた2年以内に受け直さなければならないのか。たしかにWEB業界の進歩は早いので、2年おきくらいに更新しなければ、資格としての意味も薄れていくのは分かるのだが…。それにしてもお金がかかる。

 「WEB検定(リテラシー)」の再受験はどうするか分からないが、いずれ「WEB検定(Webデザイン)」のほうは受けてみたいと思っている。こういうことでもないかぎり、なかなかしっかりとWebデザインについて勉強しようと思わないからである。

 ITはとにかく時間も労力もお金もかかる。それはある程度覚悟がいるだろう。ブログで「お金儲け」だけやろうとしても、なかなか難しいところがあるかもしれない。そんなことを思う日々を送っている。

 

 

 

 

 

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2008年9月20日 (土)

プラトンの『国家』

 今日もまた慶應大学の図書館で卒論を推敲した。

 私の卒論は、プラトン、プロティノス、アリストテレス、カント、スウェーデンボルグの5人を中心とした思想家の二元論思想の比較である。

 私は、慶應大学に入学して、しばらくの間、心理学で卒論を書くつもkyりでいた。

 そんな折、『教育学』の課題図書であった『国家〈上〉 (岩波文庫)』『国家 下  岩波文庫 青 601-8』を読んで衝撃を受けた。

 もともと霊界の研究には興味をもっていた。丹波哲郎の著書はおそらく30冊以上は読んだであろう。

 そんな私にとって、プラトンの『国家』こそは衝撃中の衝撃だったのである。もっともかなり骨のある本なので、何度も読み返さないと深く理解できないだろうが…。

 プラトンを読んだ私は、急遽、卒論の分野を心理学から哲学に変え、二元論思想を研究することにしたのだった。そして今では、大学院で哲学を専攻しようとしているのだ。

 しかし、図書館にこもってプラトンを読むとはなんとも心が清々しくなる体験であろうか。実に、ぜいたくな時間だといっていい。こんな時間がもてることは、非常に幸せなことである。

 世間のほとんどの人は、金、金、金…と金もうけのことばかりに頭を費やしている。しかし、プラトンの作品に没頭すると、そのような価値観から一気に抜け出すことができる。「より善い人間になることこそが人生の本当の意義である」ということを教えてくれるからだ。

 プラトンでもいい、アリストテレスでもいい、カントでもいい。全世界を揺るがしたと言われる思想家の本をじっくり読んでみると、人生観が大きく変わると思う。そういう経験、あったほうがいいと私は思うのである。

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2008年9月19日 (金)

定期検診

 「健全な心は健全な身体に宿る」というが、身体を大切にすべきだ。

 先日、定期検診を受けたところ、異常なしであった。

 数年前まではコレストロールが少し高いとか言われていたが、今ではすべて正常である。

 私は留学から帰国してしばらくは日本食がおいしくておいしくてしかたなかったため、激太りしていた。一時期は70キロを超す日々を送っていたものだ。

 今や、61キロ前後。

 よくダイエットしたものである。

 身体は大切である。

 タバコや酒、暴飲暴食、こういうのはできるだけ止めたほうがいいだろう。

 

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2008年9月18日 (木)

ドイツ語が勉強しやすくなったものだ

 ドイツ語を勉強していて、つくづく思うのだが、昔と比べて実に勉強がしやすくなった。

 正直、これで外国語ができないなどと嘆いていてはダメだと思うくらいである。

 では、何がそんなに変わったのか。

 一番大きいのは、ドイツ語の電子辞書である。

 私が買ったのは『SEIKO IC DICTIONARY 電子辞書 SR-V5010 英語/ドイツ語モデル 音声対応』であるが、私が買ったとき(たしか今年になってからだと思う)、ドイツ語で本格的な電子辞書といえば2種類しかなかった。1つが私が買ったものであり、もう1つは、もっと高いものであった。私は迷わず安いほうを選んだわけだが、これで十分勉強がしやすくなったと思っている。

 正直、ドイツ語を勉強している人なら、ドイツ語の電子辞書は絶対に買うべきだと言える。これがあるとないとでは非常に大きな差が出る。

 実際、これがあると大助かりなのだ。というより、これがないと大変だ。いちいち、本タイプのドイツ語辞書なんて引いていたら、時間がいくらあっても足りない。いや、勉強自体、やる気が失せるだろう。

 次に大きいのは、ドイツ語検定である。

 やはり、こういう外的な目標はあったほうがモチベーションにつながる。

 今、私は一日平均50個のドイツ語単語を習得している。いつまで続くか分からないが、この調子でドイツ語検定2級受験まで突っ走ってみようと思う。どうも文法はやる気がしないので、読解力と単語力でカバーしてやろうというもくろみである。我流もいいところであるが、どこまでやれるかだ。「習うより慣れろ」で邁進中だが、それなりに楽しく勉強している。 

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2008年9月17日 (水)

苦労をする意味

 先日、私の友人にブログの開設のしかたを教えたところ、彼は爆発的な勢いでブログを書き続けている。これでもか、これでもか…という更新頻度なので驚いている。

 私はブログ開設以来、毎日一度更新しているが、彼の場合は、私の更新頻度を上回っているのだ。つまり、一日に平均一回以上更新しているのである。まさに驚くばかりだ。

 彼の場合、不動産投資について書いているのであるが、それだけ不動産投資に熱意があるということであり、また彼自身、色々と苦労してきたからこそ、あれだけの分量の文章が次々と書けるのだと思う。

 一方、私は、実のところ、彼以上に不動産投資をしているのである。利回りもいいし、家賃の滞納もない。しかし、たいした苦労をせずに手に入ったものである。

 だが、逆に言えば、たいした苦労をせずして手に入ったものだから、不動産投資について何か書けと言われても書くこと自体がない。

「ある日、マンションに帰ったら、ポストに売却したいというマンションのチラシが入っていたので、電話して、すぐに買った。家賃も毎月入っている。ああ、良かった」

 たった2行の物語である。これ以上書けといわれても、書くことがない。

 なぜか? 苦労していないからなのだ。

 ここで私が何が言いたいかおわかりだろうか。

 苦労をする意義である。

 苦労をして手に入れたものにはそれなりの価値がある、ということだ。逆に言えば、苦労をせずに何かが手に入ることもあるが、それはそれだけの価値しかない、ということだ。

 この世に生きる人は、とかく外面だけで人を評価する。いくらお金を稼いでいるかとか、どこの大学を出たかとか…。

 しかし、やはり人を見る目を養うには、外面的なことではなく、内面を見るべきだと思うのだ。つまり、単に今の姿だけで相手を判断するのではなく、その人がどれだけ努力して今に至っているかということを見るべきなのだ。

 例えば、外面的なことだけで言えば、私の友人よりも私のほうが不動産投資には成功していると言えよう。しかし、不動産投資の実力ということで言えば、苦労を重ねた上で不動産を手にした私の友人のほうが「語るべきもの」をたくさん有していると言えよう。彼のブログを読んで、そう痛感している。

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2008年9月16日 (火)

ブログセミナー参加の勧め

 無知とはまったく恐ろしいものである。

 いや、それだけでない。無知とは非常に勿体ないものでもある。

 私は、ブログセミナーに参加して、しみじみそう思ったのだった。

 実は、私はホームページを10年近く前に開設したのであるが、ブログにはまったく見向きもしなかった。

「あんなの、文章だけダラダラ書くだけのことだろ? 素人が簡単に設置できるブログは、所詮は素人のためのものだ。たいしたことはない」

 そう思って、まったく見向きもしなかった。

 が、ブログセミナーに出てみると、ブログがいかに凄いかを知った。

 何が凄いかといえば、ブログは毎回、pingが飛ぶのだ。

 つまり、書けば書くほど、検索エンジンにひっかかりやすくなり、見に来てくれる人がどんどんと増えるのだ。小難しいことは何一つ知らなくても、書き続けてさえいれば、見に来てくれる人が増えるのだ。

 思えば、私のホームページは開設して10年近くになるというのに、1日の訪問者は多くて10人程度だった。20人とか30人ということは1日たりとてなかったと思う。というのも、ホームページというのは、いくら素晴らしいものを作り上げたとしても、pingが飛ばないのだから、テレビに出ているような有名人ならともかく、そうでなければ検索エンジンにひっかかりにくいため、ひどい場合は、一生、誰も見に来てくれないということもありうるのだ。

 その点、ブログは違う。大いに違う。毎回、pingが飛ぶので、検索エンジンにひっかかりやすくなり、書けば書くほど、訪問者も増えるのである。

 私はこのブログを誠実に育てていきたいと思っているので、基本的には、テクニックに頼ってアクセス数を増やそうとは思っていない。が、それでもこうして毎日書いているせいか、毎日の訪問者は30人~40人ていどに伸びた。ホームページを10年間続けてきて達成できなかったことが、1ヶ月半で達成できてしまっているのだ。

 さて、ブログのことを詳しく知りたいという人は、ブログの本で勉強するのも一つの手だが、ブログセミナーに参加するのもいいと思う。というのも、私自身、ブログセミナーで大いに勉強させてもらったからだ。講習料が異常に高いとか、怪しい団体がやっているというのでなければ、参加してみるのも勉強になっていいと思う。なにしろ、これから何年も育てていこうとするブログだ。ちょっとしたことでも知っているのと知らないままであるのと大きな差になって現れるかもしれないのだ。

 私は、青山一丁目で開催されたニフティ株式会社のブログセミナーに出たのだが、来月、同じニフティ株式会社のセミナーが関東圏のいくつかの場所で開催されるようだ。具体的には以下のとおり。

 八王子、2008年10月4日(土) 13:00~17:20  1日コース
 町 田、2008年10月5日(日) 13:00~17:20  1日コース
 東陽町、2008年10月11日・18日(土) 13:30~15:30  2日コース
 光が丘、2008年10月19日・26日(日) 13:00~15:00  2日コース
 千 葉、2008年10月25日(土) 13:00~17:20 1日コース
 柏、2008年10月29日(水)・30日(木) 13:00~15:00 2日コース

 私の出たセミナーでは、すでにブログを開設している人も何割か参加していたし、もちろん、そういった人たちも、知らなかったことをいろいろと仕込めたのではないかと思う。

 知識がないままブログを続けたために落とし穴に落ち込んで悲惨な目にあっている人もいるくらいであるから、特にブログ初心者にとってはいい機会になるのではないだろうか。 

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2008年9月15日 (月)

ドイツ語検定2級に向けて猛勉強

 11月に『ドイツ語検定2級』に初挑戦する。

 昨夜受けた『ビジネス数学検定』は、思わしくない成績であったが、合格・不合格がでない試験であるため、不合格の烙印は押されることはなかった。しかし、11月末に受ける『ドイツ語検定2級』は、合格・不合格が出る。ギリギリでも合格すれば嬉しいだろうし、不合格になればそれなりに落ち込むであろう。

 正直、今のところ、まったく自信はない。

 現時点での合格率は10%くらいか。

 文法はすべて勘に頼っているし、男性名詞、女性名詞、中性名詞の区別などつかない。もう「習うより慣れろ」でやっている。

 しかし、思うのだが、あまり文法につっこみすぎると、面白みが半減して、結局、やめてしまいかねないと思うのだ。

 そこで私は、とにかく「習うより慣れろ」で押し通してみようと思う。

 読解力に関しては、ドイツ語の子供向けの本を何冊か読破したが、今は慶應義塾外国語学校中級コースで使用していたテキストを読み返している。

 ただ、私の真骨頂は単語力である。

 私が高校時代、英語の成績がずっと学年で1~2番でありつつけることができたのは、高校1年の時点で『試験にでる英単語』をすべて覚えていたからだと思っている。

 要するに、外国語の読解は、単語が分かれば、あとはなんとかなるのだ。実際、昨年の秋の『ドイツ語検定3級』は、ほぼ単語の暗記のみの勉強で合格した。

 そこで私は今、『独検合格 単語+熟語1800 改訂版』を使ってドイツ語単語を必死に覚えている。旧2級レベルの単語も含まれているし、この単語集のすべてをしっかりと覚えておけば、あとはなんとかならないか、と期待しているのだ。

 試験の結果がでれば、たとえ不合格であっても、このブログで公表しようと思う。恥ずかしい成績にならないよう、がんばろうと思う。

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2008年9月14日 (日)

ビジネス数学検定初受験

 先日見つけた『ビジネス数学検定』を初受験してみた。

 思いおこせば、最近の私は初受験にめっぽう強い。

 『CIWファンデーション』、『WEB検定(リテラシー)』、『FLASHクリエイター認定試験初級』、『P検準1級』、『知的財産検定2級』、『ビジネスコンプライアンス検定初級』…。

 これらの検定には初受験で合格している。

 だからかもしれないが、『ビジネス数学検定』も、悪い結果がでる気がせず、リラックスして受けてしまった。

 だが、それが大きな失敗の元だった。

 第一に、試験直前にコーヒーを大量に飲んでいたため、試験の途中でトイレに行きたくなってしまった。だが、トイレに行っている時間がもったいないので我慢しながら受けざるをえず、集中力に欠いた。

 第二に、画面操作に慣れていなかったせいもあり、選択肢が5つあるところ、スクロールしなければ5つめの選択肢が見えない問題があったのに、私は4つの選択肢の中から回答を見つけようとして、多大な時間を損失してしまったのだ。

 結果は、本当に恥ずかしい点数になって現れてしまった。

 570点である。評価はBB。

 これは本当にショックであった。

 言い訳になるが、私は数学の教師でもなければ、日頃数字を扱う仕事もしていない(なんといっても、本業は文筆・翻訳だから数字は全く扱わないのである)。また数学が専攻だったわけでもなければ、大学で数学の科目さえ取っていなかった。だが、それでもこの点数は私には受け入れがたい点数であった。

 正直、こんな点数ではブログで発表するのも憚れた。

 しかし、私は、自分の経験を正直に読者の方々に発表することで、読者の方々に何らか役に立てればと思って書くことにしているので、恥ずかしながらも結果を発表しよう。私の経験を参考にしていただければ幸いである。 

 実は『ビジネス数学検定―カナりマナべる 公式テキスト』を一通り、ざっと目を通したところ、計算時間は別にしても、考え方は分かるという問題がほとんどだったので、これなら8割くらい取れるのではないかとタカをくくっていた。『ビジネス数学検定―新しいビジネスのかたち』のほうは、問題は解かず、後半の難しめの問題をざっと目を通しておいただけであった。

 私の経験から言えることは、数学の教師とか、数字を扱う仕事をしている人以外は、この検定試験を受ける前に、上記2冊はかなり入念にやるべきだということである。試験問題に慣れておくという点でも、この2冊は買って、実際に問題を解いておくといいだろう。何の準備もせずに受験すると、面くらってしまうと思う。なにしろ制限時間が短いのに問題が多いのだ。

 今回の結果を振り返ってみて、私はかなり謙虚な気持ちになれた。ここのところ初受験の検定試験はすべて合格だったので、少しいい気になりすぎていたた。まさに「勝ち組」の気分でいたのだ。まるで頭を金槌でガツンとやられたような気分だ。

 今の私は、謙虚な気持ちになって、再受験にチャレンジすることを決意している。次回はぜひとも700点以上取ることを目標としたい。最終的には800点を目指そうと思っている。

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2008年9月13日 (土)

ブログを長続きさせるコツ

 ブログセミナーで講師も言っていたことであるが、せっかくブログを開設してもすぐに止めてしまう人が多いらしい。「3ヶ月以内に7割の人が止める」という統計もどこかで見たように記憶している。

 いわゆる「3日坊主」の日記と違って、3ヶ月ていどは続くわけであるから、それだけまだマシといえばマシであるが、それにしても「継続するのは困難である」ことを如実に物語っているといえよう。

 では、なぜ多くの人はブログを長続きさせることができないのか、その理由を考えてみよう。おそらくこんなところではないだろうか。

 1,多くの人に見に来て貰いたいのに、いっこうにアクセス数があがらず、書くの嫌になった。

 2,ブログでお金を稼ごうと思っていたのに、いっこうに収入に結びつかずに、嫌になった。

 3,もともと書くのが嫌いだったのが、ブログだということで書き始めたが、やはり書くのが苦痛になった。

 では、対策はあるのか。

 1の場合であれば、心配はいらない。書けば書くほどアクセス数はあがる。なぜなら、書けば書くほど検索エンジンにひっかかりやすくなるからである。基本的に、どんな内容であれ、書けば書くほどアクセス数はあがるのだが、内容がしっかりしたブログであればそれだけリピーターが増えるので、さらにアクセス数はあがる。また、アクセス数を増加させるテクニックもたくさんある。例えば、人気のあるテンプレートを使うとか、デザインを変える、ブログパーツを組み込む…といったことなどである。(ここでは詳しくは説明できないので、ブログの本などで勉強することをお勧めしたい)。

 2の場合であれば、お金儲けのことは忘れ、より良いブログに成長させることを第一に考えることである。この世の中に、ちょっとやそっとの努力でお金が自動的に入ってくるといった「魔法の杖」はない。だから、「ちょっとの努力でこんなに大金が入り込んだ」というようなことを期待してはならない。広告をベタベタと貼ったり、文章と関係のない広告を貼ったりしている人も少なくないが、そういうブログはかえって敬遠されるのがオチだろう。そんな努力をするよりも、少しでもより良いブログに成長させたほうが、アクセス数も増えるわけであるから、かえってお金が儲かるようになるのではないか。

 3の場合は、ある意味、仕方がないことではある。無理して書き続けなければならないという法律などないのであるから、無理をしてまで書くこともない。ただ、ブログがいいのは、一回開設しておけば、いつ再開してもいいということだ。だから、書くことがないときは書かないようにして、書きたくなったときにまた書けばいいのである

 

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2008年9月12日 (金)

ビジネス数学検定の受検を決意

 学生時代、「数学なんて、いったい何の役に立つの?」なんて思っていた人も多いのではないかと思う。特に、私立文系の人には多いのではないだろうか。

 しかし、実社会の中で数学的思考を使う場面はいろいろとあるものだ。

 例えば、投資した場合の利回りの計算、携帯電話の料金プランの選択、株価の見方、電車の乗り継ぎの選択、過去のデータから将来の予測などなど。

 さまざまな場面で、数学的思考を身につけている人とそうでない人は大きな差が出るのだ。ほんのちょっとしたことで大きな差が出る可能性すらある。だから、数学はある程度勉強しておいたほうがいいと思う。

 ただ、社会人になると、なかなか数学にまでは手が回らないかもしれない。しかし、いいものができた。「ビジネス数学検定」だ。これは社会人が数学を勉強する良いきっかけになるのではないかと思っている。

 実は、先日「ビジネス数学検定」という検定試験があることを知り、『ビジネス数学検定―カナりマナべる 公式テキスト』『ビジネス数学検定―新しいビジネスのかたち』の2冊を買って勉強しているのだが、純粋に面白い。何がそんなに面白いかと言えば、やはり実生活に密着しているという点だろう。「なるほど、ここでこういう問題が解決できる思考力があれば、実生活でも大いに役立つだろうな」という問題ばかりなのだ。

 大半の問題は、私にとっては易しいが、その一方で、勉強しておかなければ解けない問題もある。株価チャートの見方、三角グラフの見方、単純平均と加重平均の計算方法など、意外と知らないことも多く、そういう意味では上記2冊は買って損はなかったといえる。

 この検定は自宅でもインターネットに接続して受けることができ(ただし動作環境に条件があるので受けられない人もいるだろう)、試験時間も60分と短いので、近々受けてみようと思う。第6回の受験の登録が9月29日までなので、それまでには受験しようと思っている。

 1000点満点で800点以上を出し、かつ本人が希望すれば、同検定協会のWEBサイトに名前を掲載してもらえるようだ。私としては一発で800点以上を出してみたい。が、何点が出ようが、結果はこのブログで公表しようと思う。

 問題集の問題を解いているかぎり、800点くらいは出そうな気がするが、問題は制限時間だ。60分で35問だから、相当のスピードで回答しなければならない。それができるか否かだ。

 問題集に関しては、上記2冊ともざっと目を通しておけばベターだと思うが、どんな問題が出ているかをチェックしさえすればいいという人であれば1冊でもいいかもしれない。ただ、1回で高得点を狙っている人であれば、2冊ともざっと目を通してから受験したほうが良さそうだ。

 実に、面白い検定ができたものだと思っている。そして、こうして勉強できることは私にとっては大きな喜びなのである。

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2008年9月11日 (木)

学問の楽しさ

 先日、私の友人に、ブログの開設のしかたを教えた。

 すると彼は感激し、まるで今まで休火山だったのがいきなり大爆発したかのような勢いでブログに記事を書きまくっている。

 では、なぜ彼は感激したのか。

 それは、今まで知らなかったことを知ることができたからだろう。今までできなかったことができるようになったからだろう。

 私は、学問の楽しさも同じだと思うのだ。

 今まで知らなかったことを知る喜び、今までできなかったことができるようになる喜び、これこそが学問の楽しさなのだ。

 実際、私は4つの大学で学んできて、実に多くのことを学んだ。だが、まだまだ学びたい。なぜか。それは今まで知らなかったことを知ることに大きな喜びを感じているからなのだ。ちょうど彼がブログを開設したときに感激したように、知らないことを知ることは本当に大きな喜びなのだ。

 だが、世の中の多くの人は、学問をするのをいやがる。それは、学問を学位を取るための手段、点数を取るための手段、就職するための手段にしているからだろう。だから、面白く感じないのだろう。

 実際、点数を取ろうと思って棒暗記することほどつまらないものはない。例えば、フランス文学の勉強といっても、実際は、作家の名前と作品の名前、当時のフランスの様子、こういった事実を棒暗記していく作業はそれなりに苦労する。

 しかし、点を取るという目標をしばし忘れて、学ぶことから自分を善くするためにどんなことが得られるかという視座を持ったら、それなりに面白くなるのだ。

 なんどでもいう。学問を止めてしまったら、成長がストップする。自分の身の回り5メートルの中だけで(自分の知っていることだけの中で)考えざるをえないからだ。

 たしかに学問には辛い側面もある。だが、楽しい側面もあることを忘れないでほしいのだ。

 「へ~、すごいな~」

 そういう感激も、学問を続けてさえいれば、味わうことができるのだ。

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2008年9月10日 (水)

ブログの訪問者数推移

 ブログセミナーに出たときに、講師が「3ヶ月くらいマメに更新さえしていれば、1日200~300人の人が見に来てくれるようになりますよ」と話していた。

 このブログは、開設してから今、1ヶ月10日くらい経つが、最初の1ヶ月は一日平均10人くらいであったが、徐々に訪問者数が増え、1ヶ月をこえるくらいから一日15人くらいになり、なんと今では1日30人くらいにまで増加した。

 ブログには「アクセス解析」というのがあるので、それを見れば、単なるアクセス数ではなく、実際に見に来た人の数が分かるようになっている。その数字で、1日30人程度になったのである。

 しかし、これはすごいことである。本当に3ヶ月続けたら、1日200~300人の人に見に来て貰えるようになるのかもしれない。

 訪問者が増えること自体は当然といえば当然である。なぜなら、書けば書くほど、検索エンジンにひっかかりやすくなるので、見に来て貰える可能性も高くなるからだ。だから、最初の1ヶ月はほとんど見に来なくても、2ヶ月目くらいから徐々にアクセス数が伸びるのだ。

 アクセス数を増やすためのテクニックはいろいろある。例えば、有名人のブログにトラックバックを送るというのがその一つである。

 ただ私は、テクニックを駆使してアクセス数を増やすことよりも、誠実にブログを成長させていきたいと思っている。アクセス数を増やすこと自体は二の次、三の次。真の目的は、やはり自分自身も楽しめると同時に、訪問者にも喜んでもらえるブログにしたい。

 そのためにも、ITの勉強は続けていきたいと思っている。今狙っているのは「WEB検定(Webデザイン)」である。それに合格したら「ドットコムマスター★★」に再挑戦したい。

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2008年9月 9日 (火)

書道をやるのは何のため?

 私の友人は、子供に書道を習わしている。

 先日、なぜ子供に書道を習わしているのか尋ねてみた。

 すると彼は、「きれいな字が書けるようになっていたら、就職するときに役立つからだ」と答えた。

 つまり、彼は、書道そのものによって自分を磨くという「内的な報酬」のためではなく、書道をやって字がうまくなっていたら就職のときに役立つという「外的な報酬」のために子供に書道を習わせているのである。

 ただ、思うのだが、何をやるにしても、「何かのために役立つから」という「外的な報酬」を求めて努力を重ねていたら、思い通りに事が進まなくなったとき、「俺って、いったい何のためにこんな努力しているんだ? 何にもならないんじゃないか?」と燃え尽きないだろうか?

 例えば、昇進とか、他人からの賞賛だとか、資格手当だとか、そういった「外的な報酬」を求めて、本当は好きでもない分野の勉強をして難関資格を目指すとする。こういう場合、勉強そのものが好きではないのであるから、思い通りの結果が得られないと燃え尽きてしまうのではないだろうか?

 逆に、「努力することによって内面を磨く」という「内的な報酬」を得ることを第一の目標とすれば、「外的な報酬」が得られようが得られまいが、あまり落ち込まずにすむのだ。

 今、私はいろいろなことに挑戦している。しかし、その究極目標は「より善い人間になる」ことであり、合格とかお金とか名誉といった「外的な報酬」を得ることではない。もちろん、副産物としてそういった「外的な報酬」が得られればそれに超したことはないが、それは得られようが得られまいが、私にはそれほど重要ではないのだ。だから、「外的な報酬」が得られなくても落ち込まないのだ。

 したがって、例えば、書道をするにしても、私の場合は、書道を通して自分を磨く(集中力を高める、精神力を鍛える)といったことが究極目標となり、他人に評価してもらうためという外的な報酬はそれほど重要ではないだろう。

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2008年9月 8日 (月)

ブログでアフィリエイト

 ブログでアフィリエイトをやってお金を稼ぎたいという人は多い。

 ブログはホームページと違い、素人でも簡単に開設できるので、開設したら、すぐにその勢いでアフィリエイトをやろうとする人も多い。

 だが、私は、そんな人たちに、こう提案しておきたい。

 ブログは簡単に開設できるし、アフィリエイトもできる。しかし、ただ単にブログを開設して、それだけでお金儲けに走るよりは、今後のことも考えて、ある程度のITの知識を持っていたほうがいい。例えば、「ドットコムマスター★」「WEB検定(リテラシー)」「P検準2級」「CIWファンデーション」ていどの資格は持っておいたほうがいい。もちろん、持たなくてもアフィリエイトはできる。持たなければならない義務もない。だが、私が上記資格を取得したから言うわけではないが、実感として、これくらいの知識はあって損をすることはないと思うのだ。

 ただ、ITは「素人」だという人は、上記資格も、なかなか簡単には取得できないだろう。

 ならばどうするか。少なくとも、アフィリエイトのことだけでも詳しく勉強しておいたほうがいい。なぜなら、ほんのちょっとしたコツを知っているか知らないかでも大きな差が出るからだ。(といっても、私自身がまだアフィリエイトでは成果を出していないので偉そうなことは言えないのではあるが…)。

 今、私は数冊アフィリエイトの本を買って勉強しているのだが、体験談を延々と書いた本よりも、実践的なテクニックが満載の本のほうが勉強になるのではないかという気がしている。今、『ネットで儲ける!ブログでアフィリエイト』を読みながら勉強をしているところだ。アフィリエイトに関して色々なことが分かるのでいいと思う。

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2008年9月 7日 (日)

受け身の勉強と責めの勉強

 私の友人に、ある難関試験を長年受け続けている人がいる。

 彼は、勉強というものにほとほと厭きてしまったらしい。

 しかし、それは勉強自体が受け身だからではないだろうか。

 たしかに、点数を取るためだけに、テキストや参考書に書かれてあることを暗記していく、という作業は面白みは少ない。

 私にしても、現在、慶應大学の学生であり、今まで単位取得のために、テキストに書かれてあることを暗記していくという作業を繰り返し、繰り返しやってきたのだが、それは面白いというよりも、率直に言えば、辛い側面もあった。

 だが、そういう作業をやった上で初めて「責めの勉強」ができるのである。

 では、「責めの勉強」とは何か?

 それは創造的な勉強といっていいだろう。

 例えば、自分が関心のあるテーマに沿って、とことん追求してみるというのがそれだ。そういう創造的な勉強は、純粋に面白いと言える。だが、そのレベルに達していないうちは、辛くても頑張って乗り越えていく以外にないのだ。

 私は、これから勉強は続けていくつもりだ。そして、モチベーションを維持するためにも、色々な資格試験にも挑戦していこうと思う。

 何度も言うようだが、私にとって資格試験に通ること自体が大切なのではない。その過程で自分が磨かれることのほうが大切なのだ。そして、こういう勉強のしかたをしているからこそ、厭きることがないのだと思う。

 今は大学院入試の勉強もあるので、そんなにたくさんの資格には挑戦できない。とりあえずは、ドイツ語検定2級、WEB検定(Webデザイン)、ビジネス数学検定の3つの受験を考えている。

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2008年9月 6日 (土)

真鍋かをりさんのブログ

  先日、ブログのセミナーに行ったとき、有名人のブログの一つとして眞鍋かをりさんのブログが紹介された。

 さすがは「ブログの女王」と呼ばれている眞鍋かをりさんだけあって、非常に人気のあるブログであることが分かった。

 今日、友人からブログについて教えてほしいと頼まれたので、とりあえずは、眞鍋かをりさんのブログを紹介しておいた。

 で、私はもともと眞鍋かをりさんのファンでもあったので、ときどきブログを拝見していたが、今日、初めてトラックバックを送らさせていただいたところ、驚くことに、急に私のブログのアクセス数が増えた。とても驚いている。

 それだけ眞鍋かをりさんの威力を感じた今日でした。

 これからも眞鍋かをりさんを陰から応援します。以前、M1グランプリの女性司会者をしておられましたが、いつか再登場を望みます。

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2008年9月 5日 (金)

独学の難しさ

 学問は素晴らしいという人は多い。

 それは分かっていても、なかなか一人では継続するのは難しい。

 実際、学位取得や単位取得、検定試験合格といった目標がないのに、コツコツと学問が続けられる人などほとんどいないだろう。そういった目標があっても、なかなか続けるのは困難なのに、そういった目標もなにもないのに続けられるという人などほとんどいないのではないか。

 私も大学院受験のためにドイツ語の勉強を開始したのはいいが、慶應義塾外国語学校のコースが終了してから、どうしても勉強が怠けがちになっている。

 そこで、今は、10月からゲーテインスティチュートに通おうかなと考えはじめている。

 なかなか独学というのは難しいものだ。

 だから、こうやって自ら学問をせざるを得ない状況を作るのも一つの手だと思っているのである。

 いずれにしても、11月末にはドイツ語検定2級を受けるつもりだ。結果は気にしていない。しかし、せっかく受けるわけであるから、ベストは尽くしたい。

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2008年9月 4日 (木)

ビジネス数学検定

 かなり昔になるが、「数学検定」を受けたことがある。

 準2級を受けてみようかと迷ったが、まずは3級で腕試しをしてみようと思い、3級から受け、一発合格であった。

 その後、忙しくなってきたこともあり、準2級は受けずじまいであった。

 受ける気が完全になくなったわけではないのだが、正直、「数学なんて今更やっても、あまり意味がないかな」という気がしはじめていたのだ。

 しかし、昨日、「ビジネス数学検定」という検定試験があるのを知った。

 サンプル問題を見てみると、なかなか面白い。ビジネスの局面で使われる数学の問題ばかりなのだ。

 これは本当に面白いし、ためになると思った。

 いつ受けるかは分からない。だが、いつかは受けてみたい。

 学問は、実社会と結びつかないと思えば思うほど、やる意義が見いだせなくなる。しかし、実社会に結びついているということが分かれば、やる気がでてくると思う。そういう意味でこの「ビジネス数学検定」というのはとても面白い検定だと思う。

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2008年9月 3日 (水)

『7つの習慣 最優先事項』がいまだに売れ続けている

 『7つの習慣』といえば、日本国内だけでも100万部を超える大ベストセラーになった本である。その原書は、全世界で1500万部以上売れたという。今では、どれくらい部数が伸びているだろうか。

 実は、私はイギリスに留学中に『7つの習慣』の原書に出会ったのだったが、その衝撃はすさまじかった。本当に「こんな素晴らしい生き方があったのか」と驚きながら原書を読んだものだった。そして、その続編があるのを知ると、早速、続編を買って読んだ。

 ぜひ自分の手で訳してみたくなった私は、出版の経験がないのにもかかわらず、イギリスから、日本の出版社各社に「ぜひ私に訳させてほしい」と依頼の手紙を送ったりもした。それくらい凄い本だったのだ。

 日本に帰国して2~3年経つ頃、『7つの習慣』が大ベストセラーになっているのに気づいた。イギリスでの感激は本物だったのだと感じた。

 そして、幸運なことに、その第二弾である『7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則』を私が訳すことになった。

 その私が訳した『7つの習慣 最優先事項』だが、出版してからすでに8年になるのに、いまだに良く売れているのである。

 この本は、成功者が持つ7つの習慣のうち、最も重要な習慣(時間に関わる習慣)1つを取り上げて、徹底的に詳しく解説した本であるが、私自身、この本を読んで時間の使いかたが劇的に変わったのだった。

 自分で訳したからというわけではないが、本当にお勧めの本である。まだ読まれていないかたは、ぜひ買って読んでいただきたい。ラリー・キングも「本書を読んでためにならいという人など皆無だろう」と絶賛した本である。

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2008年9月 2日 (火)

WEBデザインの勉強開始

 先月、このブログでも発表したとおり、「WEB検定(リテラシー)」に初挑戦し、一発合格した。

 今、狙おうと思っているのは、その上位資格である「WEB検定(Webデザイン)」である。

 というのも、私は、今、新規事業を立ち上げようとしており、それにどうしてもWEBの実力が必要なのである。特に今の私に必要なのはWEBデザインの実力なのだ。

 実は、WEBデザインに関しては、前々から実力をつけようと思っていたし、「CIWサイトデザイン」の資格取得を目標に勉強をがんばろうと思っていた。しかし、なんだかんだでそのまま勉強せずに来てしまっていた。なかなかいい参考書に出会えなかったというのもその原因の一つである。

 そこに先日、「WEB検定(Webデザイン)」という検定があるのを知り、今は毎日少しずつではあるが、コツコツと勉強を続けている。

 今、私が勉強に使っている本が『ウェブの仕事力が上がる標準ガイドブック2 Webデザイン』である。一部は「WEBリテラシー」と重複している箇所もあるが、「WEBデザイン」をしっかり勉強したい人はこれで勉強するといいと思う。

 この本で勉強をしてみて思うことは、やっぱり、勉強というものはコツコツとやっておくべきものだ、ということだ。知らないことも多々あるし、コツコツと勉強していると実力がついていくのが分かって嬉しい。

 「WEB検定(Webデザイン)」は、来月1日から開始される新しい検定試験である。私は自宅から自転車で10分のところで受けられるし、受験時間も90分だけだから、実力を見計らって一回受けてみようかと思っている。いつ受けるかはまだ決めていないが、いつかは受けると思う。というより、受けなければならないと思っている。

 ところで、話は変わるのだが、このブログ、始めてから1ヶ月になるが、驚くことに、昨日は23人の人が訪れてきていた。今までは10人ていどであったのが、一気に2倍以上になった。「のべ23人」ではなく、アクセス解析をした結果の「23人」であるから、おそらく、23人の別々の人が見に来てくれているのであろう。ブログ始まって以来の新記録である。これからますます読者が増えていくことが予想される。

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2008年9月 1日 (月)

ドイツ語の電子辞書

 二昔前、私は青山学院大学で第二外国語としてドイツ語を履修していた。当時は、ドイツ語検定などなかったし、ドイツ語の電子辞書などもなかった。だから、勉強のモチベーションを維持するのも大変であったし、勉強そのものも苦労を強いられていた。

 しかし、今はいい時代になったものである。

 まずドイツ語検定ができた。これによって、勉強する意欲が高まった。

 それだけでない。ドイツ語の電子辞書でいいのができたのだ。私が使っているのは「SEIKO IC DICTIONARY 電子辞書 SR-V5010 英語/ドイツ語モデル 音声対応」であるが、これがあるだけで、なんと勉強がしやすくなったものか。本当に大助かりなのだ。

 この電子辞書には独和、和独のほかにも、英和、和英、さらには独英、英独、大辞泉なども入っているので、第二外国語がドイツ語だという人にはぴったりの電子辞書だといえる。ドイツ語を履修している人は、ぜひお勧めしたい。買って損はないと思う。

 しかも、良くなったのはそれだけではない。最近はインターネットの普及もめざましい。二昔前は考えられなかったが、今やドイツ語の本など買わなくても、ドイツ語の文章はインターネットでいくらでも収集できる。ニュースであれ、特定の分野の話であれ。

 私は、この秋、ドイツ語検定2級を受ける。初めての受験である。正直、今はあまり自信はない。合格率は50%くらいか。

 合格しようが、不合格になろうが、このブログで公表するつもりである。

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