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2008年11月 6日 (木)

良いことかどうかを判断する基準は何か?

 私の友人に、住宅ローンが残っているのに、さらにローンを組んでアパート経営をしたいという人がいる。

 妻は、そんな話を聞けば、当然、反対するだろう。「だって、まだローンが莫大残っているのに、さらにローンを組むの? そんな危険なこと、やっていいわけないでしょう。万が一、投資に失敗したら、とんでもないことになる。反対です」。こう言うのが普通であろう。

 しかし、そういって猛反対していた妻が、ひとたび、「旦那が亡くなればローンはチャラになる」ということを知るやいなや、「ぜひ、買って」と態度を豹変したという。

 こういう話を聞けば、彼女の行動基準は、「アパート経営という新たな投資をすることが良いことか悪いか」ではなく、「自分にとって都合が良いか悪いか」だったのではないかという印象を受けてしまう。

 誤解しないでほしい。私は「自分にとって都合が良いか悪いか」で物事を判断してはいけないといっているのではない。私の見る限り、世の中の95%以上の人は、「自分にとって都合がいいか悪いか」だけで物事を判断している。都合がよければいい顔をしているが、いったん都合が悪くなったら、手のひらを返したように機嫌を悪くする。それが普通なのだ。「自分にとって都合は悪いけれども、やったほうがいいからやる」ということが実際にできている人などほんのわずかしかいないのだ。

 しかし、行動基準が「自分にとって都合がいいか悪いか」だけになっている人は、カントに言わせれば、なんら道徳的価値内容を持っていない。言葉は悪いが、その点においては下等動物と大差ない。なぜなら、下等動物も、自分に都合の良いことばかりやって生きているからだ。ネコでもエサをくれる人にはなつくが、エサをくれない人は見向きもしないだろう。ある意味、それと同じだ。

 話は変わるが、ここで、ある既婚女性の話をしよう。彼女には旦那と息子がいた。そんな彼女の旦那は住宅ローンを3000万円も残していた。もちろん、金利も付くし、ローン返済のためには延々と働かなければならない。そんな彼女に遺産が手に入った。

 当然、家族のことを本当に思っているのであれば、その遺産を住宅ローンの返済に充てるべきだと思うであろう。なのに彼女は、自分の遺産は、住宅ローンの返済に充てず、日本円で持っておくというのである。

 私は不思議で不思議でしかたがなかったので、彼女にこう聞いた。

「なんで遺産を住宅ローンの返済に充てないの? だって日本円で持っていても、利子だってゼロに近いし、意味ないじゃん。早くローンを返して、少しでも早く楽になったら?」

 多くの人はそのほうが「良いこと」だと思うのではないだろうか。しかし、彼女は冷笑しながら、こう言った。

「馬鹿ねぇ。もし旦那が死んでくれたら、その時点で住宅ローンはチャラになるのよ。だから私にとっては旦那が死んでくれてもいいし、生きているのなら生きているで自分で返済させておけばいいのよ。ここで遺産を住宅ローンの返済なんかに充てたら、私のお金が無くなるもん」

 この女性も、「住宅ローンを早めに返すのがいいことか悪いことか」を「自分にとって都合がいいか悪いか」だけで判断しているのだろう。彼女にとっては、いくら金利がかかろうが、ローンは全額旦那に返させたほうが、自分にとって都合がいいのだ。だから、遺産をローンの繰り上げ返済に使いましょう、などということは絶対に言い出さないのだ。

 では、私はこのエッセイで何がいいたいのか? 

 本当に尊敬に値する人間になろうと思えば、自分にとって都合が良いか悪いかだけで物事を判断するのではなく、それ自体が良いことか悪いことかを理性的に判断できるようになることだ。(もちろん、「自分にとって都合の良いこと」が理性的に判断してやっていいことなら、やってもいい)。その判断が正しくできるようになってこそ、真に精神的な自由を勝ち得ているといえるのだ。「自分にとって都合が良いか悪いか」というレンズでしか物事が見られないとしたら、その人はまだ精神的な自由は勝ち得ていないということなのだ。

 

 

 

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