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2008年11月28日 (金)

試験を受けて悔しがる人、爽快になる人

 私の友人に、ある難関試験を受け続けている人がいるが、以前、渋谷で受験し、試験が終わると、悔しさのあまり、渋谷から新宿まで歩いたという。

 私は、正直、驚いた。渋谷から原宿なら分かるが、渋谷から新宿なのだ。

 しかし、なぜ、そこまで悔しくなったのだろうか。私が思うに、きっと、「ああ、もっと勉強してたら、確実に合格していたはずなのに…。もしかするとギリギリで落ちているかもしれないなぁ」と思ったのではないか。それで悔しくなったのではないか。

 一方、私は、先日、ドイツ語検定2級を受け、受験し終わった後は、気分爽快であった。というのも、2ヶ月間、自分なりにベストを尽くしたし、これ以上できないというところまで頑張ったからだ。だから、私はネコカフェに行き、ネコをなでて帰るという余裕があったのである。

 余裕があったのは、合格を確信したからではない。受験後、合格か不合格かのボーダーラインではないかと感じたし、今もって、合格するかどうかは分からない。でも、別にドキドキもしていない。通ったら通っただし、落ちたら落ちただ。

 しかし、それでも、私は清々しい気持ちなのだ。合否に拘っていないからというのもあるが、それよりも、私は元々、合格するためだけに頑張って来たわけではないからである。わかりやすく言えば、私はベストを尽くすために努力してきたのだ。

 これから私は大学院を受験する。こちらのほうは、ドイツ語検定2級よりも遙かに私にとっては重要である。しかし、私はベストさえ尽くせば、おそらくドイツ語検定2級を受けた後のように、清々しい気持ちになれるのではないかと思う。合格はしたいが、拘っているわけではない。私なりにベストは尽くすが、ベストを尽くせば、それで満点だし、合格・不合格にかかわらず、きっと清々しいだろう。

 以前にも書いたが、私たち人間は、究極のところ、少しでも善い人間になるためにこの世に生まれてきたのであって、この世のモノ(資格、名誉、金銭など)を手にするために生まれてきたわけではないのだ。

 だから、目標を持って頑張ること自体はいいが、目標には拘らないようにしようではないか。そんな目標、ちっぽけな目標だ。ハッキリ言ってしまえば、どうでもいいんだ。それよりも、少しでも善い人間になるべく努力しようではないか。そちらのほうが遙かに重要な課題だ。

 誤解してほしくないことは、この世の目標をないがしろにしろということではないということだ。この世の目標はこの世の目標で、達成できるようにベストを尽くすべきだ。だが、そんなちっぽけな目標に拘るのではなく、究極の目標に目覚めよということである。

 

 

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