« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月31日 (水)

あなたは正月休みにどの本を読むのか

 さあ、正月休みに入った。

 あなたは、この正月休みに読む本を決めているだろうか

 何? 家庭サービスで忙しいから本は読まない? 面白そうなテレビがたくさんあるから本は読まない? やることがたくさんあるから本は読まない? 試験に関係ない本は時間の無駄だから読まない? 

 あなたはどうだろうか。あなただ。今、これを読んでいるあなただ。あなたに聞いているのだ。

 さあ、答えてほしい。もう読む本を決めているだろうか? 決めているのなら、何冊決めているだろうか? 

 たしかに年末年始は忙しいだろう。しかし、本当に自分を高めようという気があれば、1冊でも2冊でも読む時間は作れるはずだ。本も読まず、なんとなく惰性で生きていても、精神面での成長は何もない。本気で自分を高めようと思っているのなら、もうそんな生ぬるい人生とはオサラバしたらどうか。

 「いろいろと忙しいので、本を読む時間が作れない」と言い訳をしている人は、まずテレビのスイッチを入れるのをやめなさい。

 「家族団らんでテレビを見るのも、一つの家庭サービスだ」と反論するかもしれないが、例えば、小さい子供がいる家庭であれば、童話を一緒に読んで、「どういう生き方が美しい生き方なのか」を親子で話し合ってみるのもいいのではないか。そのほうが何十倍、何百倍も質の高い家庭サービスではないか。

 私が今ドイツ語の原書と照らし合わせながら読んでいるグリム童話『完訳グリム童話集 1 (講談社文芸文庫) 』には、人生を考えさせてくれる興味深い話が満載である。

 例えば、「ホレばあさん」という話は、勤勉なのに虐げられ続けていた少女は最終的には報われ、怠け者なのに溺愛されていた少女は最終的には惨めな結末を迎えるという話だが、こういう寓話を親子で読んで話し合えば、親子が一緒に時間を過ごせるせっかくの正月休みをくだらないテレビ番組で埋め尽くすよりも何十倍、何百倍もの価値があることではないか?

 子供にこういう寓話を読ませることで、子供に、「だらだら怠けて生きていたら、この少女のように惨めになってしまう。逆に、日頃から勤勉に働いていたら、一時的には不遇な目にあうかもしれないが、いつかはきっと報われる」という人生観を持たせることができるのではないか。

 それだけではない。子供には日本語訳で読ませ、自分は英語なりドイツ語なり(自分が勉強したい言語)で読めば、「子供とのコミュニケーションを図る」という目的と「自分の外国語の能力を高める」という目的が同時に達成でき、非常に質の高い時間を過ごせるのではないか。子供も高め、同時に自分も高められるのだ。

 あなたが本当に自分を高めようと思っているのなら、今すぐこの正月休みに読む本を1冊以上見つけてほしい。さあ、今すぐだ。

  

| | トラックバック (0)

2008年12月30日 (火)

この正月をどう過ごすつもりか?

 私は大学2年の終わり頃から本をよく読むようになった。人生論、小説、詩集、童話、学術書などなど、手当たり次第になんでも読んだ。 

 そんな私を友人たちはよくこう批判した。

「試験でもないのに、どうしてそんなもの読んでいるの? そんなもの読んで一体何になるの? 何にもならないと思うけどなぁ」

 そういって彼らは、毎日毎日アルバイトに精を出していた。小説や童話を読むくらいなら、お金を稼いだほうが何倍も良かったのだろう。

 たしかに小説や童話などは、読んでも、すぐに何かに結びつくというものではない。お金儲けに結びつくわけでもなく、ビジネススキルが身に付くわけでもない。成績が上がるわけでも、いい会社に就職できるわけでもない。

 では、読む意味がないのか? 単なる暇つぶしていどの意味しかないのか。

 私はそうは思わないのだ。

 読みながら、どういう生き方が美しい生き方なのかを考えてみる。それだけでも、ものすごく意味のあることだと思うのだ。いや、もっと言えば、それこそが本当に意味のあることなのだ。

 今、私はドイツ語の勉強のためにグリム童話の原書『Kinder Und Hausmarchen 』と翻訳書『完訳グリム童話集 1 (講談社文芸文庫) 』を照らし合わせながら読んでいる。すると、童話の中に金言ともいえる言葉がちりばめられているのが分かる。(なお、原書の一部を朗読したテープ『Junior Talking Books』も同時に利用している)。

 例えば、『蛙の王様』の中には、王が娘にこう言う場面がある。

約束したことは、いやでもなんでも守りなさい

困っているときに助けてくれた者を、ないがしろにするものではない

 世の中を見回してほしい。

 約束したことを守らない人間がいかに多いかが分かるだろう? 困っているときに助けてもらったのに、その恩をすぐに忘れてしまう人間がいかに多いかが分かるだろう? きっとそういう人たちは、約束したことを守る大切さ、困っているときに助けてくれた人に礼儀を果たす大切さを学んで来なかった人たちなのだ。そうは思わないか? そういう人たちが本当に成功者になれているのか? 人から尊敬される人間になっているのか? 本当にお金持ちになっているのか? なっていないだろう?

 目的意識を持って小説なり童話なりを読めば、その中から人生でもっとも大切なことが学べるのである。たしかにビジネススキルは身に付かないかもしれない。何かの試験に合格することもできないかもしれない。しかし、そんなことよりも遙かに人生に大切なことが学べるのだ。

| | トラックバック (0)

2008年12月29日 (月)

テレビに時間を奪われるな

 さて、年末年始に入ったが、あなたはどれだけテレビを見るだろうか。

 私は一切見ない。そもそも自宅にテレビを置いていないので、見ることができないのだが、テレビを自宅に置いていない理由は、それが最大の時間泥棒だと思っているからだ。

 あなたは、テレビが時間泥棒だとは思わないか?

 テレビは、ダラダラと見ていると本当にあっという間に2時間3時間が奪われる。あとから「見て良かった」と思えることなどほとんどない。だから、私は自宅にテレビを置かないのだ。

 さて、あなたに聞く。今年、年末年始番組をどれくらい見るつもりなのか。それは「絶対に見なければならない」ものか? 

 私は娯楽を全否定するわけではない。しかし、娯楽として愉しむのであれば、テレビよりもDVD(あるいはビデオ)をお勧めしたい。というのも、テレビは、見たいか見たくないか自分でも分からないまま、スイッチを入れたとたんにあれよあれよと「見せられて」しまうからだ。しかも、盛り上がったところで、すぐにコマーシャルを「見せられて」しまうだろう。だから、なんだかんだで正味40分くらいしかない番組でも1時間もつきあわなければならないのだ。

 その点、DVD(あるいはビデオ)は、見たいものを自分で決めてから見るだろう。だから最初から「これを見よう」という意思を持って見るだろう。それがテレビとは大違いなのだ。しかも、コマーシャルがないのでさらによい。

 さて、では、どんなDVDがいいか。

 私がお薦めしたいDVDをリストし始めている。それが下のリンク先にまとめてある。まだあまり多くリストできていないが、徐々にリストを増やしていこうと思っている。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/movies.htm

 中高年男性なら、『ロッキー・ザ・ファイナル(特別編) [DVD] 』は、たまらない作品だと思う。私は何十度と見返したが、何度見ても感動する。特に、人生がマンネリになっている人は、この作品から多くのことが学べるだろう。

 恐怖映画が好きな人なら、『シャイニング 特別版 コンチネンタル・バージョン [DVD] 』や『ソウ [DVD] 』があなたの度肝を抜いてくれるだろう。本当に恐ろしい。

 ロマンチックな映画がいいという人なら、『アパートの鍵貸します [DVD] 』は絶対お勧めだ。ハッピーエンドでさわやかな気分にさせてくれる。特に男性であれば、シャーリー・マックレーンの可愛さにうっとりするだろう。

 正月休みは、テレビをダラダラと「見せられて」しまうより、DVDを愉しんだらどうだろうか。いい休養になると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月28日 (日)

もう惰性で生きるのはやめたらどうか

 あなたに聞く。クリスマスはどう過ごしただろうか。十分愉しんだだろうか。クリスマスが終わった今、早速、気を引き締めて、自分の夢に向かって取り組んでいるだろうか? 1日1日、やるべき「最重要なこと」が決まっているだろうか。それとも、なんとなく、正月休みを過ごしてしまうだろうか。

 私は、あなたに聞いているのだ。あなたにだ。今この文章を読んでいるあなたにだ。

 さあ、答えてほしい。あなたには1日1日すべき「最重要なこと」が決まっているだろうか。それとも人生のほとんどが「惰性でやっているだけのこと」、「義理でしかたなくやっていること」、「単に愉しいからやっていること」、「やらざるを得ないからやっているだけのこと」ばかりで埋め尽くされてしまって、何が「最重要なこと」かが分からないだろうか? 

 エジソンがクリスマスの日に結婚して、その日も数時間は研究室で研究に従事したことは以前お話ししたとおりである。本当に「やむにやまれぬ、どうしても実現したい夢」があるのなら、クリスマスだろうが正月だろうが、結婚式の日だろうが、葬式の日だろうが、自ら率先して時間を作って、それに打ち込むはずだ。私も、父の葬式の日、喪主を務めた後、深夜に数時間英語の勉強に取り組んだ。あなたには、そういった「やむにやまれぬ、どうしても実現したい夢」があるのか? 

 惰性で生きていると、あれよあれよという間に時間が過ぎていくだけで、夢なんか実現しない。だから「やむにやまれぬ、どうしても実現したい夢」が見つかっていない人は、今すぐ自分の人生を見直してほしい。いつかではなく、今だ。今すぐ、見直してほしい。

 例えば、こんなことを語る人は多い。

「○○の検定試験を狙っています。仕事に役立つかもしれないと思って勉強を始めたのだけど、勉強自体は面白くなくなった。今は惰性で続けているだけです。早く合格して、勉強を止めたい」

 惰性で勉強するくらいなら、いっそのこと止めてもいいんじゃないか? 嫌々ながら続けるくらいなら、「やむにやまれぬ、どうしても勉強してみたいこと」を探して、そっちの勉強をしたほうが人生、何倍も楽しくならないか? 続けるのなら続けるで、その分野の勉強の中に愉しみを見つけて頑張るしかないんじゃないか?

「あと○年したら定年だ。自分で選んで入った会社だが、今は惰性で仕事を続けているだけだ。ああ、早く引退したい」

 惰性で仕事を続けるくらいなら、いっそのこと会社を辞めてもいいんじゃないか? 嫌々ながら続けるくらいなら、「やむにやまれぬ、どうしてもしたい仕事」を探して、そっちの仕事を懸命にやったほうが人生、何倍も楽しくならないか? 定年まで働くのなら働くで、今の仕事の中で自分でできる最大限のことは何かを自分で探して頑張るしかないんじゃないか?

 「やむにやまれぬ、どうしても実現したい夢」が見つかっていない人は、勉強にしろ、仕事にしろ、なんとなく惰性でやっているだけではないか。でも、そういう人生を続けても、誰もあなたの代わりに「やむにやまれぬ、どうしても実現したい夢」を見つけてくれない。それは自分で見つけるしかないのだ

 自分にとって「最重要なこと」が分からないという人は、今すぐ『7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則 』を買って読むことをお勧めしたい。この本に書かれてあることを実践すれば人生が変わる。劇的に変わる。本当に変わる。惰性で生きていた人もきっと「やむにやまれぬ、どうしても実現したい夢」も見つかるはずだ。そしてその瞬間から、あなたの人生は知的冒険に変わる。「こんな人生があったのか!」と歓喜するに違いない。

| | トラックバック (1)

2008年12月27日 (土)

具体的に何をしたいのかを決めたらどうか

 あなたに聞く。あなたには夢があるのか。あるとしたら、具体的にそれを説明できるのか。

 私が聞いているのは、具体的に説明できるか否かだ。

 「何かでっかいことやってみたいんだよね」とか寝言みたいなことを言っていても、いつまで経っても夢は実現しやしないぞ。

 例えば、「私にはこんな夢がある」といって、こんなことを言う人は実に多いのだ。

「将来、本を書いてみたいのよ。エッセイもいい、童話もいい、紀行文もいい。とにかく何か書いてみたいのよ。自分の本を出してみたいのよ」

 しかし、こんな、たわごとを言っている人の中で実際に本を書いた人は見たことがない。そもそも、書きたいものが決まっていないのに、何が書けるというのだ。こんなことを言っている人は、いつも「何か書いてみたい」「何か書いてみたい」と言っているだけで、何も書こうとはしないのだ。だいたい、本人にも何を書けばいいのか分からないのだから、書き始められるわけがないのだ。そうは思わないか。

 これと同じことが、ありとあらゆる夢について言えるのだ。

 例えば、あなたは将来、店をやりたいと思っているかもしれない。あるいは、学校を設立したいと思っているかもしれない。あるいは、研究者になりたいと思っているかもしれない。

 ならば、「何かの店をやりたい」、「何かを教えてみたい」、「何かを研究してみたい」などと目標をあいまいなままにしておくのは止めて、今すぐ何に取り組むか決めたらどうか。それが決まらないのに、何ができると思う? 

 例えば、「洋菓子を扱う店をやりたい」、「中国語を教えたい」、「カントの思想の研究をしたい」などと具体的な目標が決まれば、やるべきこともより明確になるだろう? そしてそれが明確になればなるほど、何をすべきかが見えてくるのだ。

 もう一度いう。「何かをやってみたい」みたいな抽象的なことを何千回、何万回と繰り返しても、何も実現しないまま時間が過ぎるだけである。

 本気で夢を実現させようと思ったら、具体的に(何を売るのか、何を教えるのか、何を研究するのかなど)取り組むことを決めることだ。明確であればあるほどよい。なぜなら、明確であればあるほど、今、何をすべきかが明確になるからだ。

 なお、「夢そのものが見つかっていない」という人には、まず、問題意識を持つことから始めることをお勧めしたい。なぜなら、問題意識を持てば自然と「自分がすべきこと」は見つかるからだ。問題意識を持つために、私がお勧めしたい本を紹介しよう。これからも順次更新していこうと思うが、とりあえず現時点でお勧めしたい本を数冊リストしてある。(一部、検定試験用の受験参考書も含まれているが、いずれはきちんと整理したいと思っている)。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/books.htm

 

| | トラックバック (0)

2008年12月26日 (金)

「時間泥棒」に時間を奪われるのを阻止せよ

 あなたは、自分の夢を実現させる上で「最重要なこと」は何かを知っているというかもしれない。しかし、それを実際に実行に移せているだろうか。毎日毎日、計画どおりに実行しているだろうか。

 大切なことは、実際に実行したかしなかったかだ。「実行しようと思った」だけで終わるのはタダの人だ。実際、「実行しようと思う」だけなら誰でもできる。実際に実行したかしなかったかだけが問題なのだ。

 実行できているのなら、これから先は読む必要はない。しかし、「なんだかんだで忙しくて実行できていない」というあなたなら、ぜひ読み続けてほしい。自戒も込めて書くが、これは読者の方々のみならず、私自身に対する切なるメッセージでもある。

 考えてみてほしい。一体全体、あなたはなぜそんなに「忙しい」のか。そんなに「最重要なこと」ばかりやって生きているのか。実際は、多くの時間を「時間泥棒」に奪われているからではないか。

 「時間泥棒」とは、「重要でも緊急でもないのにあなたの時間を奪ってしまうもの」である。代表的な例でいえば、テレビ、新聞、雑誌、インターネット、年賀状、義理でのつきあい、つまらない口論、病気、故障…。こういった、あなたの夢の実現にほとんど役に立たないもののことである。

 あなたはこうした「時間泥棒」に時間を奪われていないか。もしあなたが「忙しい」という本当の理由がこうした「時間泥棒」が原因なら、ただちに時間の使い方を見直す必要がある。それをしないかぎり、あなたは一生「忙しい」ままだ。

 平凡な人間は、こうした「時間泥棒」に振り回されるがままの人生を歩んでいる。例えば、次のようなことはよくあることだろう。

 テレビをつけたらいつの間にか2時間3時間経っていた。ネットサーフィンをしていたらいつの間にか2時間3時間経っていた。年賀状を書くのに1ヶ月かかった。年末年始は忘年会と新年会ばかりだった。虫歯を直すのに莫大な時間が奪われた。結婚式の司会を頼まれて断り切れなかったが、練習の時間も含めれば、莫大な時間を費やした。知人と口論になって莫大な時間が奪われた。

 しかし、こういうことばかりに時間を奪われていたら、「最重要なこと」をする時間はいったいどこに残っているというのだ。

 私は、こういう「時間泥棒」には非常に気をつけている。だからこそ、自宅にテレビは置いていないし、新聞も雑誌も購読していない。年賀状も自分から書かないし、知人・友人とのつきあいも、本当に行きたいとき以外は行かないようにしている。また、病気で時間が奪われるのは馬鹿らしいので、風邪対策は万全である。

 ただ、私にも弱点はある。今の私にとって一番の「時間泥棒」は、インターネットだと言えよう。ついついネットサーフィンを始めると、本当にあっという間に時間が奪われてしまうのだ。

 こうした「時間泥棒」に時間を奪われないようにするには、その「時間泥棒」と物理的な距離を取るのが一番だ。例えば、テレビをダラダラ見る癖のある人であれば、いっそのことテレビを処分してもいいかもしれない。ネットサーフィンで時間が奪われる人は、喫茶店や図書館などで勉強するとネットサーフィンそのものができなくなる。

 こういう時間泥棒には本当に気をつけよう。自戒をこめて書いてみた。

 

 

 

  

 

| | トラックバック (0)

2008年12月25日 (木)

あなたは目標をもって生きているのか?

 あなたの人生の究極目標は何だろうか。長期目標、中期目標は何だろうか? そして、あなたにとって「最重要なこと」とは何だろうか?

 あなたは、そう聞かれたとき、即座に答えられるだろうか。

 私は、あなたに聞いているのだ。そう、他でもない、あなたにだ。今、この文章を読んでいるあなたに聞いているのだ。

  即座に答えられた人は、これから先、読む必要はない。しかし、答えられなかった人は、ぜひ読んでほしい。これは私からの切なるメッセージだ。

 何度も書いてきたことだが、成功者になろうと思えば、人生の究極目標を見極めて一日一日を大切に使わなければならない。まぐれや運で成功者になることなどありえないのだ。まぐれで成功したように見える人もいるかもしれないが、そういう人も、陰で来る日も来る日も必死に努力しているのだ。 

 しかし、こう自己弁護する人もいるかもしれない。

「人生の究極目標? 私にとって『最重要なこと』? そんなの、急に聞かれたって、すぐには思いつかないよ。私はただ、一日一日を精一杯生きているだけだよ。10年後、20年後の自分なんて想像すらできないよ」

 どんな生き方をしようが、本人の自由だ。

 ただ、一言だけ言っておきたい。目標というのは自分で見つけないかぎり、誰かが見つけてくれるというものではないのだ。言い換えれば、自分で率先して目標を見つけていかないかぎり、けっして見つかりはしない。待てども暮らせど見つかりはしない。一生、見つかりはしない。それを肝に銘じることだ。

 考えてみてほしい。目標が見つかっていない人は、どんな人生を歩むだろうか。目標がないのであるから、その場その場で、「楽しいこと」「愉快なこと」「やらざるをえないこと」「義理でやること」ばかりに対応して生きるに違いない。その結果、「最重要なこと」は何一つできないまま一生を送ることになるのだ。あなたはそんな人になりたいのか。平凡なままの人生で満足なのか。それがあなたの理想とする人生なのか。

 1000以上の特許を取得した世界一の発明王エジソンは、24歳で結婚して以来、ずっと研究所にこもりっきりで、家族と一緒に夕食をとったことなどほとんどなかったらしい。自宅と研究所は目と鼻の先だったにもかかわらず、昼食は一度も家族ととらなかったという。

  だが、それだけで驚いてはならない。彼はクリスマスの日に結婚したらしいが、結婚式当日も数時間は研究室で研究に打ち込んだという。それは彼が自分にとっての「最重要なこと」を知っていたからだろう。だからこそ、彼は「楽しいこと」「愉快なこと」「義理でやること」に自分の人生を振り回されなかったのだ。

 では、「最重要なこと」が見つかっていない人はどうすればそれが見つかるのか。毎日が職場と家の往復だけで終わっている人は、どうすればそんなありきたりの人生から抜け出せるのか。「最重要なこと」を見つけたいという人には『7つの習慣―成功には原則があった! 』『7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則 』の2冊を読むことをお勧めしたい。

 私はこの2冊を読んでからというもの、人生が180度変わった。それまでは流れに流される人生を生きていたが、この2冊を読んでからというもの、自分で率先して目標を見つけ、次々と成し遂げるようになった。まさに「流れが変わった」のである。かくして今の私には、長期目標もあれば、中期目標も、短期目標もある。そして実際にそれを一つひとつ実現させている。だからこそ、一日一日がチャレンジングであり、知的冒険なのだ。

 今日はクリスマスだ。あなたはどんなクリスマスを過ごすだろうか。エジソンはクリスマスの日に結婚したが、その日も数時間は研究に打ち込んだという。あなたには、そんな「やむにやまれぬ、どうしても成し遂げたい夢」があるだろうか?

| | トラックバック (0)

2008年12月24日 (水)

あなたは一日一日を大きな目標につなげて生きているか

 以前、私が会社員だったころ、年賀状にこんなことを書いてくる人が何人かいた。

「昨年は何もしないまま1年が過ぎ去りました。今年も何もやらないまま1年がすぎさるのかなぁ。こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いします」

 こんな「独り言」を書いてこられても、返事のしようがないわけである。とはいえ、私も当時は会社員だったので、礼儀として返事は出したが、フリーになってからというもの、この種の「独り言」が書かれた年賀状は放置することにした。こういう人は、こういう意味のない年賀状を書いているからこそ、「何もしないまま1年が過ぎ去る」わけである。

 何度でも言う。目的意識をもって、一日一日を大切に生きていないかぎり、本当にあっという間に人生なんて終わってしまうのだ

 あなたは究極の目標を見極めて、一日一日を大切に生きているだろうか。一日一日を究極目標を達成するために役立てているだろうか? その場その場で、「楽しいこと」、「愉快なこと」、「やらざるを得ないこと」、「やったほうがいいこと」、「義理でやること」ばかりに対応して生きていると、「最重要なこと」は何一つできないまま、先の年賀状を書いた人のように「何もしないまま」人生を送ることになるのである。

 目的意識を明確に持てば、たとえばブログの書き方も違ってくるのではないか。

 例えば、某大学の通信課程に在籍している人のブログからは、「大学で学位を取り、教養のある人間になる」という究極目標に向かって1日1日突き進んでいるような印象を受ける。書いている内容は、レポート課題、試験、学問のことが中心だが、その人は、ブログを書くことで、自分で自分を励まし、進捗状況をチェックし、同じ道を進んでいる人たちと励まし合い、あるいは、コメントをもらってそれを情報として活用している。

 「今、社会学の課題に取り組んでいます。テキストは理解しにくいので、易しめの参考書を探してします。もしこの科目を取った人で、良かった参考書を知っている人は、コメント欄で教えてください。どうぞよろしく」

 このように書いていると、数日すると、親切な人がコメント欄に記入している。このようにしてブログがその人の究極の目標に大いに役立っているのである。

 どんなブログを運営するか、あるいは、どんな生き方をするかは人それぞれだ。だから私は他人を非難したり否定したりしようと思っているわけではない。ただ、これだけは言っておきたい。目的意識を明確に持たず、ただ「楽しいから」という理由で、あれこれ手を出して生きていると、時間だけが素通りしていくだけである。先の年賀状の送り主のような「何もしないまま1年が過ぎ去る」のだ。

 かくいう私であるが、自分なりに、これから1年先、2年先まで、すべき「最重要なこと」を見つけている。だから、1日1日が真剣勝負だ。

 なお、自分の今の時間の使い方に疑問をもっている人は、ぜひ『7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則 』を読むことをお勧めする。私はこの本を読んでから、劇的に人生が変わった。嘘ではない。まさに劇的に変わったのだ。この本に書かれてあることを実践すれば、「何もしないまま1年が過ぎ去りました」というようなことは一切なくなる。

| | トラックバック (0)

2008年12月23日 (火)

自分で課題を見つける人、課題を与えられる人

人間の魂は、あの世からやってきているとういことで、古今東西の多くの哲学者の間で意見は一致している。では、何のために、あの世からやってきているのか?

その目的はただひとつ。魂を磨くためである。お金をたくさんもうけることでも、名誉や権力を得ることもでなく、魂を磨くこと、それが人生の目的なのである。

魂を磨くには、課題を見つけて、それに挑戦していかなければならない。のほほんと暮らしていては、何の修行にもならないからだ。

実際、自ら率先して課題を見つけて次々と挑戦していけば、大きな報酬が得られる。たとえば、何かの技能に卓越すれば、高額な報酬が得られる仕事につける。あるいは、本を書けば印税が得られるだろうし、発明をすれば特許権使用料がえられるだろう。子供のころから、ハードトレーニングで体を鍛え、スポーツ選手として活躍すれば、それこそ億万長者にもなれるだろう。こうしたものは、自ら率先して課題を見つけて、次々と挑戦した人のみが得られる報酬なのだ。

ところが、ほとんどの人は、ものぐさなものだから、自ら率先して課題を見つけようとはしない。楽ができるのなら、できるだけ楽をして生きようとするのだ。たとえば、正月休みひとつとっても、「どうしてもやらざるを得ないこと」がなければ、ついついダラダラと何もせずにすごしてしまうのである。

しかし、それでは何の修行にもならないから、神は、そういった人に「否が応でも、せざるを得ない課題」を与えるのである。一番わかりやすい例をあげれば、お金儲けである。人間、一部の大金持ちを除けば、お金を稼がなければ生きていけない。だから、「否が応でも、金を稼がなければならない」のである。

人間、生きていれば、楽なことばかりできないようになっているのである。ならば、(1)自ら率先して課題を見つけて次々とこなしていくのと、(2)「否が応でも、せざるを得ないこと」ばかりをやらされるのとどちらがいいか? あなたはどちらの人生を歩みたいのか。

| | トラックバック (0)

2008年12月22日 (月)

正月休みをどう過ごすか

 会社勤めをしている人の多くは、12月27日から1月4日まで9連休があるのではないだろうか。

 あなたは、その9連休をどう過ごそうと思っているだろうか? 一日一日の計画は立てているだろうか? それとも、成り行きまかせだろうか?

 実は、この正月休みこそが、成功する人と平凡な人とがもっとも差がつくのである。

 何度でも言うが、成功する人というのは、究極の目標を見据えており、「最重要なこと」を最優先して実行している。したがって、9連休なら9連休で、その間に自分ができること、やるべきことをあらかじめ決めている。もちろん、9日のすべてがすべて自分の自由にはならないだろう。家庭サービスをしなければならないかもしれない。あるいは、両親の介護が必要かもしれない。しかし、それでも、成功する人というのは、9連休のすべてを成り行きまかせにするということはない。

 一方、平凡な人は、すべてを成り行きまかせにしており、それゆえ、「楽しいこと」「愉快なこと」「それほど重要でないこと」「本当は嫌だけど義理でやるだけのこと」ばかりが次々と予定に入り込んでくるのである。その結果、「最重要なこと」は何一つしないまま、「あっ」という間に9連休が過ぎ去るのである。

 「たった9日のことじゃないか」と馬鹿にしてはならない。一心不乱に取り組めば、9日間でも、実に多くのことを成し遂げることができるのだ。

 例えば、私は27才で社員翻訳スタッフとなったのだが、いずれは出版翻訳家になりたいと思っていた。しかし、日頃は仕事があまりにも忙しく、家と会社の往復で、自分の自由時間があまり取れなかったため、英語の書物を読む時間がなかった。そこで私は、正月休みは「英語の書物を1日1冊読む」という目標を掲げて実行していた。例えば、9連休であれば9冊、10連休であれば、10冊読むということをやっていたのだ。実際、9連休で9冊読むと、自分でも驚くほど実力が伸びているのを実感していた。

 目的意識を持たないまま、流れに流されるまま生きていると、9連休など、本当に「あっ」という間に過ぎ去るのである。今日は忘年会だった、今日は大掃除をしていた、今日は年賀状の返事を書いていた、今日は正月番組を見ていた、今日はずっと寝ていた…。そんなことをしていると、何もしないうちに9日間が終わる可能性がある。

 もちろん、年賀状も、忘年会も、テレビも、否定しない。それぞれにはそれぞれの価値はあろう。

 ただ、私が言いたいのは、本当に大きな目標を成し遂げる人というのは、「最重要なこと」をしっかりと見極めており、流れに流されるままにしないということだ。一方、平凡な人は、人生の大半が「それほど重要でないこと」ばかりで埋め尽くされている。だから大きなことが成し遂げられないのである。

 その違いが最も顕著に現れるのが正月休みだということだ。

 もう一度聞く。あなたは、この9連休をどう過ごそうと思っているだろうか。あなたの夢を実現させるために「最重要なこと」はいくつ入っているだろうか?

 私の書いていることに無批判に賛同する必要はない。しかし、もし興味があれば、『7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則 』を読んでみるといい。時間の使い方が劇的に変わるはずだ。そしてその結果、次々と信じられないようなことができるようになる。

| | トラックバック (0)

2008年12月21日 (日)

あなたは一日一日をどう過ごしているのか?

 私は、このブログで、常々、「人生の究極の目的を見極めて、それに沿った生き方をしろ」ということを主張している。

 人生の究極の目的を見極めずに、日頃、「やらざるを得ないこと」や「やったほうが望ましいこと」に莫大な時間を奪われ、ときたま時間が空いたら、「楽しいこと」や「愉快なこと」に時間を浪費するといった生き方をしていると、本当に「あっ」という間に人生なんて終わってしまうのだ。

 何度でも言う。人生なんて、目的意識をもって生きていかないかぎり、「あっ」という間に10年、20年…と過ぎ去る。

 あなたは、どんな夢を描いていて、その夢のために一日一日をどう過ごそうとしているのか。日頃は金儲けにアクセクし、休みには、テレビだの、映画だの、レジャーだの、旅行だのと「楽しいこと」や「愉快なこと」で埋め尽くしていたら、あなたの夢を実現させるための努力はいったいいつするのか。

 大きな夢というのは、いきなり実現するということはない。10年20年という長い年月の努力の末に実現するのだ。

 例えば、私は出版翻訳家になる決意をしたのは21才のときだ。それから3年間、コツコツと翻訳の通信教育を受け、その後も翻訳士の検定を受け続け、27才のときに、社内翻訳家となった。しかし、それでも私は毎日のように猛勉強した。その後、イギリスの大学院に留学し、言語学の修士号を取得した。そんな私に初めて翻訳書のオファーが来たのは34才のときだった。そう、私は、なんと14年間もの間、毎日毎日、出版翻訳家になるための下準備をしていたことになる。

 「毎日毎日」というのは誇張ではない。本当に一日の休みもなく、毎日毎日英語の勉強をしていたのである。実際、10~15年くらいの下積みがなければ出版翻訳家になるのは難しいと思う。

 しかし、その報酬は大きかった。なにしろ、私が出版した本の何冊かは多額の印税をもたらしてくれ、そのおかげで、私は一生、経済的な苦労をしなくてすむようになったからである。

 あなたはどんな夢を持っていて、そのために一日一日をどう過ごしているのか? 10年後、20年後に本当に実現したい夢をもっているだろうか。その夢を本気で実現させようとしているだろうか?

 

 

| | トラックバック (0)

2008年12月20日 (土)

ここだけで教えるドイツ語単語の覚え方

 私のブログに「ドイツ語 単語 覚え方」という3つのキーワードで検索してたどり着いた人がいるようだ。そこで、私独自のドイツ語単語の覚え方を披露してみたい。

 実はドイツ語というのは英語の親戚ではあるが、ドイツ語独特の特徴として、2語以上からなる造語が多いことが挙げられる。英語では2語で表すはずのところを1語ですませてしまっていることが多いのだ。私は、それをまとめて覚えるようにしている。

 具体例をあげて説明しよう。例えば、ドイツ語の文章を読んでいて、Bildという単語にぶつかり、それが未知の単語だったと仮定しよう。ちなみに、Bildは「絵」「画像」「イメージ」という意味である。

 すると、「Bild」を単語カードの表面に書き入れ、裏面に「絵」「画像」「イメージ」と書き入れいる。

 多くの人は、これで終わりにするのではないだろうか。しかし、これだけでは効率が悪い。未知の単語1語にぶつかり、1語を覚えるだけで終わりになるからだ。

 このような場合、私はBildが含まれる造語も一気に単語カードに書き入れ、一気に覚えてしまうのだ。例えば、Bildの造語としては以下のようなものがある。

 Bildnisは「肖像」、Bildsharfeは「画像の鮮明度」、Bildschrimは「画面」、Bildschnitzerは「木彫家」、bildshonは「絵のように美しい」、Bildtelefonはテレビ電話」、Bilddokumentは「ドキュメント写真」…。

 実は、こういう造語は電子辞書を使えば一発で分かるのである。なぜなら、Bildと入れれば、Bildで始まる単語も一覧できるからである。ちなみに私は『SEIKO IC DICTIONARY 電子辞書 SR-V5010 英語/ドイツ語モデル 音声対応 』を使っているが、大活躍してくれている。

 それだけではない。私は造語だけでなく、同意語や反意語なども一度にまとめて覚えるようにしている。

 このように覚えていけば、ほかの人が2~3語覚えている間に、私は楽に5~10語も覚えられてしまうのだ。関連のない未知の単語を2~3語覚えるよりも、造語や同意語、反意語を一気に覚えてしまえば、5~10語でも遙かに簡単に覚えられるのだ。私が語学に強いのはこういう独自の覚え方を実践してきたからだ。

 私はドイツ語は青山学院大学で学び、卒業後しばらく経って4級に一発合格した。その後ずいぶん長い間遠ざかっていたが、昨年秋に3級に合格し、今年は2級に合格した。

 フランス語は、まったくの独学で勉強し、フランス語検定5級は一発合格。4級は一度挑戦したが不合格になった。もし来春、大学院に合格したら、来年の6月には4級に再挑戦したいと思っているくらいである。まったくの独学でも3級くらいまでならいけると思っている。

 実はスペイン語も、かじったことがある。イギリスの大学院で半年スペイン語の授業を受けていたのである。帰国してスペイン語検定6級でも受けてみようかと思っていたが、仕事があまりにも忙しくなりすぎたため受けていないだけである。ちょっとした挨拶程度なら分かる。

 私は、語学の勉強が嫌いだという人には語学の勉強は勧めない。なぜなら、膨大な時間がかかるからだ。しかし、語学の好きな人は、電子辞書という武器を片手に、私が披露した単語の覚え方を参考に、爆発的に語彙力をつけてほしい。語彙力さえつければ、自然と読解力もつくはずだからだ。出版翻訳家である私が自信を持ってあなたに語学上達の秘訣をお教えする。実は、その秘訣とは、一にも二にも、語彙力を増強させることだったのだ。

| | トラックバック (0)

2008年12月19日 (金)

ドイツ語検定2級に合格!

 ドイツ語検定の合否通知が来た。

 合格最低点は65.47点のところ、私の得点は73.38点だったため、合格した

 合格最低点は65%前後になるだろうと予想していたとおりだったし、単純正解率70%であった私の得点も傾斜配点によって多少70%を上回ると予想していたとおりであった。

 結局、余裕しゃくしゃくとまではいかないが、まあまあの得点で合格した。

 私は正直に告白するが、受験の2ヶ月くらい前までは合格率20%前後だと思っていたのだ。懸命にがんばれば受験日には合格率50%を多少上回ることができるのではないかという予想をして、ガムシャラに頑張ったところ、見事合格を勝ち取ったわけである。

 実は、昨年の3級も同じような状況であった。受験することを決めたのが9月末で、そのときは合格率は20%もないと思っていたのだ。それから2ヶ月、必死にがんばれば合格率50%くらいになるだろうと思いながら頑張った。基本的には『独検4級突破単語集 』と『独検3級突破単語集 』の2冊だけしかできなかったのだが、不思議なことに合格した。

 昨年、3級に合格してから、今年は2級に向けて勉強しいていたのであるが、本気になって取り組んだのは正味3ヶ月くらいであった。具体的に何を使ったかに関しては、以下のリンク先に挙げているので参考にしていただきたい。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/gogaku.htm

  これで一気にモチベーションが高まった。次なる目標は大学院入試である。現時点での合格率は20~30%くらいだと(何の根拠もないのに)勝手に推測しているのだが、受験2ヶ月前までは到底無理だと思っていたドイツ語検定2級にも通ったとことであるし、受験日まで粘りに粘って、最終的には合格率50%を超えられるよう頑張りたい。

 ただし、大学院入試の合否には拘らない。大切なことは、自分に与えられた環境で自分なりにベストを尽くせるかどうかだ。自分なりにベストを尽くしさえすれば、自分としては「満点」だ。それが外部基準に合致するか否かは私にはコントロールできることではない。だからこそ、「人事を尽くして天命を待つ」わけである。

  

| | トラックバック (0)

2008年12月18日 (木)

節約のすすめ

 私のブログを読んで、私のことを勉強オタクの変人だと思っている人も多いと思うが、中には、「学問に熱中できて羨ましいな。私も、自由な時間があれば、この人のように学問に熱中したいな」と思っている人もいるかもしれない。

 そう思っている人のために、ちょっとした節約術を伝授してみたいと思う。というのも、学問というのは、お金に困っていない人であればあるほど熱中できるものだからだ。(もっとも、会社員であれば、たとえお金に困っていなくても、それほど自由に時間は使えないかもしれないが…。でもそういう人でも、ファイナンシャルインデペンダンスを達成しさえすれば、会社を辞めて学問に打ち込むこともできよう)。

 実際、お金儲けに奔走していると学問などできはしない。なぜなら学問は「やってもやらなくても生きていけるもの」に過ぎないからだ。一方、お金はなければ生きていけないわけであるから、お金に困っている人は何が何でもお金を稼がなければならない。そういうわけで、学問は後回しになるのである。しかし、それでは学問の愉しさを味わうどころではない。

 そこで、とにもかくにも節約を実践することで人生のできるだけ早い時期にファイナンシャルインデペンダンスを達成し、学問に打ち込もうではないか。そのための節約術を披露してみたい。

 節約のポイントは、まず無駄遣いを極力減らすことである。しかし、これは個々の価値観が違うので、詳しい説明は省く。私がお勧めしたいことは、月々のキャッシュフローを見直すことである

 例えば、新聞の購読。これはあなたの夢を実現させるために絶対に必要なものだろうか? 「学校・職場でも読める」あるいは「インターネットでもおもだったニュースは読める」という人であれば、購読をいったんストップしてみるのも検討の価値はあろう。これで月々約4000円浮くのは大きい。

 保険も考えものだ。毎月のことなので、無駄な保険料を払っていないか確かめたほうがいい。

 携帯電話や固定電話の料金体系も見直してみるとよい。最近は安いプランも多くてビックリするくらいである。私は数年前まで携帯電話に約4500円、固定電話に約4000円くらいの基本料を払っていたのだが、今では両方とも約1000円である。

 コンビニやスーパーのポイントカード利用も見逃せない。こういうことも馬鹿にしてはならない。例えば、私の利用するコンビニでは100円あたり1ポイント(1円)がつく。スーパーでは200円あたり1ポイント(1円)がつくが、最近ではエコポイントといって、ビニール袋を利用しなければそれだけで2ポイント(2円)をつけてくれるようになった。

 プリペイドカードも金券ショップで安く買える。例えば、私が利用している金券ショップでは図書券は3%引きで手に入る。マックカードは5%引きだ。さらに区民プールのプール利用券はプリペイドで買えば20%のプレミアムがつく。

 このように、いろいろと節約していけば、かなり節約ができることが分かるだろう。

 本気で学問に打ち込もうと思えば、「最重要なもの」にだけお金を使うようにして、人生のできるだけ早い時期にファイナンシャルインデペンダンスを達成することだろう。そのためには節約できるところはトコトン節約したほうがいい。特に「使っても使わなくてもどうでもよいもの」にお金を浪費するくらいなら、投資信託に入れたほうがいいだろう。なぜなら、そうすることによって、ますます「お金を稼ぐ必要性」から解放されるからである。

 今は不景気で投資信託も軒並み基準価格を下げているが、債権型・毎月分配型のものであれば、それほど心配することはないと思う。国がつぶれない限り、分配金は毎月出るのであるから、長年もらい続けていれば、いずれは投資した額の全額以上が返ってくることになるからだ。むしろ、今は基準価格が下がっているので、買い時だとさえ思っているくらいである。 

 

 

 

| | トラックバック (0)

2008年12月17日 (水)

頑張るのは、いったい何のため?

 私は、正直、ここ3年間、毎日、学問に打ち込んでいる。

 毎日というのは、まさに毎日であり、一日の例外もない。クリスマスも大晦日も正月も勉強である。

 つらいと感じたことなどなく、ただ単に愉しいとしか感じていない。私は本当に学問ができて幸せなのである。

 なぜか。

 それは、自ら目的意識をもって取り組んでいるからだと思う。

 こんなことを書けば、「この人、変わった人ね、勉強が好きだなんて。信じられない。とてもついていけない」と変人扱いにされるだろう。

 ただ、誤解しないでほしいのだが、私とて、「単位を取るための勉強」、「点数を上げるための勉強」、「与えられた宿題」…といった類の受け身の勉強はけっして好きではないのだ。むしろ嫌いだ。その嫌いさ加減は、平均の人以上だろう。実際、私は色々な資格試験に挑戦しているが、問題集などで勉強することは滅多にないし、大学の試験勉強も適当に済ませていることが多い。

 では、私は一体どんな勉強をしているのか。

 私は、自分で見つけてきた書物を傍線を引きながら読んで思索にふけったり、読んだ本の中で感銘を受けた箇所を大学ノートに書き込んだり、あるいは、エクセルで一覧表にして整理したりしている。ドイツ語の勉強でいえば、ドイツ語検定の問題集をやる時間よりも、実際にドイツ語の文章をたくさん読み、たくさん聞くようにしている。

 言い換えれば、「点数をあげるための勉強」ではなく、「自分を高めるための勉強」ばかりをしているのである。だから愉しいし、つかれないのだ。

 人によっては、「けっ、何が『自分を高めるための勉強』だ。そんなことして何になるんだ、馬鹿馬鹿しい。俺は点数をあげるためだけの勉強しかしないよ。点数に結びつかない勉強なんか馬鹿らしくてやってられないよ」と反論するかもしれない。

 しかし、何度もいうように、「試験に合格したい」「単位が取りたい」などという、目先の小さな目標だけに囚われてガムシャラに頑張っても、それはただそれだけのことでしかないのだ。しかも、目先の目標ばかりに向けて頑張っていると、ふと、「俺って、一体何のためにこんなに頑張っているんだろう?」と疑問が湧いてくることだろう。

 だから私は言いたいのである。まず究極の目標を見据えたらどうかと。

 人間は、所詮、死んでいく存在である。生きているのはわずか数十年だ。その数十年の間で何をなすべきか。それが究極目標である。それが分かれば、勉強のしかたもガラリと変わるはずである。たとえ同じ試験のために勉強するとしても、微妙に勉強のしかたが変わってくるはずだし、小さな目標に一喜一憂することもなくなるだろう。

 

 

 

| | トラックバック (0)

2008年12月16日 (火)

「国内留学」の愉しみ

 私は、昔、イギリスの大学院に2年間留学していたのであるが、そのときは、本当に思う存分、勉強ができた。もともと英語の書物を心ゆくまで読んでみたいという「やむにやまれぬ欲求」がくすぶっていたのだが、それがイギリス留学期間中は、思う存分、満たすことができた。この2年間の読書体験が私を出版翻訳家に育てたのだと思う。

 イギリス留学の何がそんなに良かったのか。それはイギリスに住んでいることで、日本にいたときのように、やらなければならないことがあれもこれもなかったからである。

 日本にいたときは、やりたいこと、やらざるをえないことがあまりにも多すぎた。例えば、上司が引っ越しするから手伝ってくれと頼まれる。結婚式に出てくれと頼まれる。親戚の葬儀にも呼ばれる。12月は1ヶ月まるまる年賀状書きにつぶれる。歓送迎会があれば、飲み会もある。

 それだけではない。誘惑も多すぎる。テレビでは毎日興味をそそられる番組をやっている。スイッチを入れたが最後、いつの間にか2時間3時間が消えてなくなる。新聞も読めと上司に厳しく言われている。新聞を読んでいると、映画の広告が目にはいる。見にいきたくなる。

 しかし、忙しいあまり、自分の夢の実現のための時間を奪われていたら、夢が実現するはずなどないのだ。特に学問の場合はそれが言える。なぜなら、学問などは、やってもやらなくても生きていけるからである。止めようと思えば、すぐにでも止められるからだ。そして、多くの人は、忙しさにかまけて、いとも簡単に学問への情熱を失うのである。(もともと学問への情熱を持っていなかったという人のほうが多いかもしれないが)。

 逆に言えば、学問をずっと続けていくことは、誘惑に弱い人間にとっては、極めて困難なことである。だからこそ、私は「留学」を勧めたいのである。いや、実際に留学しなくてもいい。国内にいながらにして、気分だけでも「留学」すればいいのだ

 どういうことかといえば、留学した気になって、色々な誘惑を断ち切るのである。実際、留学してしまえば、日本で楽しめるはずのものも諦めざるを得ないのであるから、留学した気になれば諦められるというものだ。

 例えば、テレビは捨てることをお勧めする。実際、留学してしまえば日本のテレビ番組など見られないのだから、留学したと思えば、テレビなど見なくてもいいだろう? 私の家にはテレビはない。テレビを捨てて10年以上になるが、何ら支障はない。それどころか、毎日、落ち着いた静かな時間が取れるので幸せである。 

 年賀状も、本当に書きたい人だけに書くことにしたらどうだろうか。実際、イギリス留学中に経験したことだが、イギリスまで手紙や年賀状(クリスマスカード)を書いてくれるのは、本当に親しかった人だけである。

 新聞も、購読するのをやめるのも一つの手だ。おもだったニュースはインターネットのポータルサイトで素早くチェックができるのだから、毎日毎日、新聞に40分も50分も時間を割くのは時間の無駄だ。お金もかかるのだから、二重にもったいない。私は新聞の購読を中止したが、なんら支障を来していない。むしろ、新聞に振り回されなくなって良かったと思っているくらいだ。

 映画も、演劇も、スポーツも、本当にどうしても観たいもの以外は一切シャットアウトしたらどうだろうか。本当に観たいものだけに厳選すれば、そんなにたくさん観なければならないこともないだろう。

 人付き合いも、本当につきあいたい人だけに厳選してつきあうことにすれば、学問をする時間が減らずにすむ。一番もったいないのは、単なる「人数合わせ」のために出席を頼まれて、しかたがなく行く結婚式の二次会などの飲み会である。遠い場所だったりすると丸一日がつぶれることになるが、丸一日の重要さが分かっている人にとっては実にもったいない。だから「義理で出る」ということはやめることだ。

 このようにして様々な誘惑を断ち切ってみるのだ。あたかも「留学」しているかのように…。私はこれを「国内留学」を呼ぶ。

 私は、イギリス留学中の2年間の読書体験があるから、あたかも「国内留学」でもしているかのように、毎日図書館にこもって学問に打ち込んでいられるのである。それは実に贅沢な時間である。

 

 

 

 

| | トラックバック (1)

2008年12月15日 (月)

短期目標を長期目標と合致させる

 目標を掲げて取り組んでも、すぐに飽きてしまう人がいる。

「今まで懸命に頑張ってきたけど、なんでこんなことやらなきゃならないんだって思うようになった。こんなことやっても意味がないんじゃないかってね。もう嫌だ。もう止めた」

 最初は楽しくて始めたことであっても、ちょっとでも嫌なことがあったら、すぐに投げ出すのである。

 私は、飽きてしまう最大の原因は、短期目標が長期目標と合致していないことだと思うのだ。究極の目標がしっかり見えてさえいれば、ちょっとやそっとのことで短期目標を投げ出すことなどないと思うのだ。

 わかりやすい例をあげて説明しよう。

 私はイギリス留学中にダリの画集を買った。ダリの絵が興味深いのは、1つの絵が二重、三重にも解釈できることである。

 例えば、一見すると、人が大勢描かれているように見える絵がある。しかし、目をこらしてみると、その人の群れが一つの大きな顔を構成しているのである。あるいは、大勢の兵士が戦っているように見える絵がある。しかし、これも目をこらしてみると、その全体が一人の女性に見えるのである。

 言い換えれば、小さな人の群れの一人一人が大きな絵の中に組み込まれているわけである。こういう絵を描くとき、ダリは、小さな人を描くと同時に大きな絵もも描いていたといえよう。小さな目標を遂行すると同時に大きな目標も同時に遂行していたのだ。

 これは人生の目標を遂行するときにヒントとなる。

 例えば、私は今、ドイツ語の勉強をしている。毎日、単語を一つ一つ覚えていく。これは小さな目標である。そのモチベーションを維持するためにドイツ語検定も受けた。

 より大きな目標としては、大学院での学問がある。つまり、私がドイツ語を勉強しているのは、大学院に入ってから、ドイツ語の文献をふんだんに読む準備をしているということになる。こういう大きな目標があるから、ドイツ語の勉強を投げだそうとは思わないのだ。

 しかし、さらに大きな目標として、アリストテレスのいうエウダイモニア達成がある。つまり、私がドイツ語を勉強している究極の目的がこれなのだ。私はこれを見据えているので、ちょっとやそっとのことでは学問に嫌気がさしたりしないのだ。

 ところが、究極の目標を見据えないまま、目先の目標ばかりにアクセクがんばっている人は、ちょっと嫌なことがあったら、すぐに投げ出す。すぐに「こんなこと頑張って、一体何になるんだ」と嘆き始める。

 小さな目標の一つひとつを遂行することが、同時に大きな目標を遂行することにつながっているという視野があれば、「こんなことやって一体何になるんだ」という疑問など生じるはずはないのだ。何をやってもすぐに飽きてしまう人というのは、目先の「楽しいこと」ばかり追求するのではなく、まずは究極の目標を見据えてみることが必要ではないだろうか。

 

  

 

| | トラックバック (0)

2008年12月14日 (日)

ドイツ語検定の結果が待ち遠しい

 ドイツ語検定の秋の試験は毎年11月23日にある。

 昨年は3級を受け、12月17日に合格証書が送られて来た。

 今年は2級を受け、結果を待っているところであるが、来週の頭から半ばくらいには、合否結果が送られてくると思う。

 合格している場合は合格証と一緒にくるので大きな封筒で来る。不合格の場合は小さな封筒で来る。したがって、ポストを開けた瞬間に合否は分かってしまう。

 別に、ハラハラもドキドキもしていないが、待ち遠しいことには違いない。

 実は、2級を受ける前と後とでは、後のほうが懸命に勉強しているのである(というのも大学院受験が迫っているからである)。そういうわけで、大学院入試に合格しようがすまいが、ドイツ語は勉強を続けて、来年の秋には準1級を受けてみようと思う。

 なんでもそうだが、自分の実力の伸びが実感できるときが一番やりがいが湧く。私の場合、2級の合否結果はまだ出ていないのであるが、仮に不合格だったにせよ、単純計算で70%の正答率を取ったこと自体が私にとっては「成功」だった。それでやる気が出たところもある。

 合否通知は来週に来ることだろう。

 合格していれば、一気に大学院入試までモチベーションが高まると思う。結果を見るのが楽しみである。

 結果は、このブログで公表する予定である。

 

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月13日 (土)

偉人になるには

 哲学者であれ、思想家であれ、学問において一流と呼ばれている人には、きわめて長い年月、学問に打ち込んでいる人が多い。

 例えば、マルクスは、裕福であったエンゲルスによって経済的援助を受けていたため、お金を稼ぐために働く必要がなく、若いときからずっと学問に打ち込むことができた。そのおかげで歴史に名を残す大著が書けたわけである。

 お金儲けにまったく無頓着であった人もいる。百科全書派として知られるディドロは、定職につくことなく、貧しい生活をしながらも、ありとあらゆる学問に打ち込んでいた。今で言えば、フリーターを続けながら学問に打ち込んでいたわけである。そして30代半ばにして一冊の翻訳書を出したのがきっかけで、その後、百科全書の編纂に携わるようになり、やがて世に名を残すほどの思想家になった。

 ここでは2人の例を挙げたにすぎないが、いずれにせよ、世に名を残している思想家には、お金儲けに奔走することなく、学問に打ち込む時間をふんだんに取っていた人が多い

 現代においても、それは言えるだろう。実際、お金儲けのことばかり考えていたら、なかなか腰を据えた学問などできないと思う。

 では、お金儲けに縛られないようにするにはどうすべきか。

 不労所得が得られる仕組みを作ることである。できるだけ若いうちに作ったほうがいい。

 方法はいろいろあろう。本を書いて印税を手にしてもいい。不動産を得て家賃を得てもいい。しかし、もっとも簡単なのは投資信託ではないだろうか。今、世界的な不況で基準価格が驚くほど下がっているが、実は、今は「買い時」でもあるのだ。

 無駄遣いするお金があったら、投資信託にかけることをお勧めしたい。コツコツ貯めていけば、それだけ分配金も増える。分配金が増えれば、それだけ「お金を稼ぐ必要性」からも解放される。そしてその時間で学問に打ち込めることができる。

| | トラックバック (0)

2008年12月12日 (金)

流されない強い自分になる

 ドイツ語単語1日100語。

 私は、こういうノルマを決め、それを毎日続けている。これを大学院入試の数日前まで続けるつもりだ。

 もちろん、それは簡単なことではない。

 毎日、ドイツ語の文章を読み、知らない単語を電子辞書で調べ、それを単語カードに記入していく。これだけでも相当な時間・労力がかかる。しかも、それを片っ端から覚えていくのである。それにも相当時間がかかる。覚えたはずの単語も、2、3時間後にはすっかり忘れているのだから、これまた覚え直さなければならないのだ。時間がかからないわけはない。

 しかし、ノルマにしてしまえば、苦しくても続く

 私の友人に、書くのが嫌いな人間がいたが、ブログを書き始めて以来、毎日ブログを書くのをノルマにしたようだ。そして驚くことに、それがずっと続いているのだ。これこそノルマの力だといえよう。

 私は、それがたとえどんな結果になろうが、自分で決めたノルマであるから、絶対に守り抜く。そういう意気込みで続けている。

 ノルマを続ける際に、最大の障害になるのが、「楽しいこと」だ。

 テレビ、インターネット、雑誌、新聞、つきあい、年賀状…。こういった「楽しいこと」にいったん身を預けてしまうと、いとも簡単に流されやすい。ノルマなどふっとんでしまうのだ。

 テレビなどは特にそれが言えるわけで、面白い番組があったりすると、2時間、3時間などすぐに消えて無くなる。

 私は、その怖さを良く知っているので、とてもストイックに自分の夢を追い求めている。

 誤解を避けるために言っておくが、テレビを見るのがいけないわけではない。年賀状に一人ひとり丁寧にメッセージを書くのがいけないのではない。つきあいで飲みに行くのがいけないのではない。雑誌や面白そうな本を読むのがいけないのではない。そういうことをしたいのであれば、すればいい。たしかにそういうことも価値あることだろう。

 しかし、そういったことはあなたの夢の実現にとって「最重要なこと」を後回しにしてまで、すべきことだろうか。「今、絶対にしなければならない重要なこと」だろうか。

 人生は短いのである。

 あれもしたかった、これもしたかった、しかし、気がついてみたら、何もしないうちに「あっ」という間にこんなに年月が経っていた。そういう後悔をしないには、「最重要なこと」を「楽しいこと」の犠牲にしてはならないのだ。

 私はとにかく、突き進む。

 他人から見れば、おかしなことをしているとしか見えないだろう。いったい何のためにそんなに必死になっているの? としか思えないだろう。

 しかし、私は他人にどう思われようが気にしない。私には私の大きな夢があるのであり、それは最終的には社会貢献につながる夢である。おもしろおかしく生きればいいという矮小な夢なんかではないのだ。その夢の実現のために、今、何をするのが最重要なことかは分かっているつもりだ。

 だから今の私はとにかくノルマをコツコツと続けていくのみだ。

 何度も言うようだが、私は別に名誉や地位や金銭がほしくてこんな努力をしているわけではない。アリストテレスのいうエウダイモニアのためにやっているのである。そう、エウダイモニアのために命がけになっているのである。

 ところで、あなたは命がけで打ち込んでいるものはあるだろうか?    

  

| | トラックバック (0)

2008年12月11日 (木)

受験の下見

 受験シーズンである。

 かくいう私も、来年、大学院を受験するのである。

 先日、下見に行ってみた。私の自宅から自転車で35分だった。電車を使ったとしたら、電車に乗っている時間は約15分だが、電車待ち時間や最寄り駅からの歩く時間を含めれば、結局、35分ていどはかかるだろう。だから、結局、電車賃のかからない自転車で行ったほうがよいということになる。それに自転車通学だと、いい運動にもなる。

 それにしても、こんなに通いやすい場所にあるとは知らなかった。

 キャンパスを下見していると、否が応でも、気がひきしまった。

「ようし、こうなったら、思いっきり、学問に打ち込んでやるぞ」

 そういう気持ちになった。

 受験を控えている人は、下見に行ける人であれば、下見に行くのもいいと思う。下見に行って、そこで学問に打ち込んでいる自分をイメージすれば、勉強にもはりがでるというものだ。

 思えば、私は高校3年のとき、下見もすることもなく、青山学院大学を受験したのであるが、厚木キャンパスがあれほど通いにくい場所にあるとは知らなかった。受験雑誌などのイメージだけで受けたわけであるが、実際、通うとなると大変であった。厚木の山の中に住んでいるなら別だが、そうでない人は、本厚木駅からバスで最低でも25分くらいはかかっていたし、月々のバス代も馬鹿にならなかった。今、青学の教養は相模原に移転して通いやすくなっていると思うが、どの大学を志望するにせよ、実際に通いやすいかどうかは大きなポイントとなると思う。受験をする人は、そういう意味も含め、下見をしてみるといいだろう。

 

 

 

| | トラックバック (0)

2008年12月10日 (水)

学問の世界にどっぷりと浸れる喜び

 私の友人に人事部で働いている人間がおり、会社で起きたことをブログで紹介している。

 読んでいて、つくづく思うことは、会社には色々な人間がいるが、中にはどうしようもない人間もいるということだ。そして、悪いことは、どうしようもない人間は、まさに「どうしようもない」ということである。

 もしも人間がみんな理性的であり、多少の欠点があっても、指摘すれば直るものなら、問題はなかろう。しかし、現実の世界には、「何度言っても分からない人間」もいる。会社員はそういう人とも一緒に働いていかなければならないわけだから、その点は大変だと思う。

 私にも経験があるから分かるが、いっしょに仕事をしていも、期限を守れない人間は、毎回のように何だかんだと言い訳をしては期限を守らない。「悪い、悪い」と言いつつも、毎回期限が遅れるのである。何度せっついても、どうしても期限を守らないのだ。

 私も最初の頃は約束を反故にされるたびに怒っていたが、あるとき悟ったのだ。そういう人を「直そう」としても無駄だということを。というのも、本人が本気で直そうと思っていない限り、他人が直そうとしたところで、直りはしないからだ。

 私の場合、フリーなので、何度も約束を破る人間とはすぐに縁を切ることができるわけだが、会社員の場合は、それがなかなかできないので、なんとか「丸くおさまる」方法を考えなければならないのではないか。

 その点、学問の世界は一般の社会とは違う。学問の世界は、まさに理性の世界であり、人間関係の煩わしさはない。(もっとも、学問の世界といっても、それを職業にしてしまえば、それなりに煩わしさがあるだろうが、学問をしている身分の人間には、そういったものがない。ただ単に学問に打ち込んでさえいればいいからだ)。

 私は、ファイナンシャルインデペンダンスを達成してからというもの、心おきなく、学問の世界にどっぷりと浸ることができている。「お金儲けがすべてだ」と思いこんでいる人から見れば、ずいぶんおかしなことをしていると思うかもしれないが、お金を儲ける必要がなくなってしまえば、お金儲けなどに興味が湧くわけはないのだ。なぜなら、お金儲けよりも何倍、何十倍も楽しいことを知っているからである。

| | トラックバック (0)

2008年12月 9日 (火)

ドイツ語をやるのは何のため?

 私は、ここのところ、がむしゃらにドイツ語の勉強をしているわけだが、こういう友人の声が聞こえてきそうである。

「なんでそんなに一生懸命、ドイツ語やってるの? いったいそれが何になるの? お金儲けにつながるの? お金儲けにつながらないことやっても意味がないんじゃないの? 大学院の受験科目にあるからやっているだけなの? でも大学院に合格しなければ勉強する意味なんてないよね? そもそも大学院を出て何になるの? 大学を5つも出て、いったい何になるの? それだけお金がたくさん稼げるようになるの? 俺だったら、学費に使うお金があったら旅行でもするけどなぁ」

 お金儲けこそが人生の究極の目的だと考えている人にとっては、お金儲けにつながらないことは「やっても意味のないこと」にしか思えないだろう。だから、勉強してもお金儲けにならないようなことをやるのは愚の骨頂だと思えるのではないか。

 しかし、お金儲けこそが人生で最も大切だという価値観で生きていると、学問だけでなく、書道をやっても意味はなくなるし、笛がうまく吹けるようになっても、太鼓がうまくたたけるようになっても、キャッチボールがうまくなっても意味がなくなりはしないか? だから、例えば、子供に書道や笛や野球などやらせるよりも、金儲けのスキルを教えたほうがいいということにならないか?

 何度もいうように、お金儲けが人生の究極の目的にはなりえないのである。

 アリストテレスに言わせれば、人生の究極目的はエウダイモニアである。私は、エウダイモニアを目指して頑張っているのであって、お金、名声、名誉、権力、地位…といった外的なモノを求めて頑張っているのではない。

 人生の究極目的であるエウダイモニアとは何なのかを理解すれば、笛をふくのに一生懸命になったり、書道に打ち込んだり、野球に打ち込む意味が分かってくる。なぜ、それが「美しい」ことなのかも理解できるようになる。

 今、私は、最大限の努力を払ってドイツ語をマスターしようとしている。それはエウダイモニアという究極目的のためであって、同時に、大学院合格という目的のためである。しかし、究極目的はエウダイモニアであって、大学院合格というのは小さな目標にすぎない。ドイツ語検定というのはさらに小さな目標であり、だから合否に拘るなんてことはない。だから、ドイツ語検定や大学院に不合格になろうが、私は落胆することはないのである。私にとってはエウダイモニアに一歩でも近づいていることが実感できさえすれば、十分満点なのだ。

  

 

 

| | トラックバック (0)

2008年12月 8日 (月)

2月、3月の目標

 卒業試験と大学院入試が終わってしまうと、4月になるまで、とりあえず、学業として「すべきこと」はなくなる。

 そこで、2月、3月の間は、挑戦してみたかった資格試験に挑戦しようと思っている。

 もちろん、この間に、都合良く、仕事が入って来てくれれば、仕事をしようと思うが、仕事が入ってこなければ、積極的に仕事を探すよりも、検定試験に挑戦してみたい。

 具体的に挑戦したいのは以下の資格である。

 ビジネス数学検定

 WEB検定(WEBデザイン) 

 ドットコムマスター★★

 CIWサイトデザイナー

 FLASHクリエイター上級

 インターネットユーザー能力認定上級

 できればすべて受けたいが、費用もけっこうかかってしまうので、この中からいつか絞って受けることになるかもしれない。もっとも、昔出した本が重版にでもなってくれれば、全部受けられるのではあるが。

 4月になれば、大学院に合格していれば通学するし、不合格になっていれば、そのときはそのときで別の進路を考えている。いずれにせよ、2~3月は学業としてはすべきことはなくなるわけであるから、検定試験受験月間としようと思う。

 人間、流れに流されて生きていると、何もしないうちに「あっ」という間に時間は過ぎていくのである。目標を掲げて、一つひとつ実行に移していこうではないか。

| | トラックバック (0)

2008年12月 7日 (日)

1日100語、10日で1000語

 ドイツ語単語を1日100語のペースで覚えている。

 ということは、10日で1000語である。

 したがって、10日前は「うわ~、こんな難しい文章、読めない」と恐れていた文章も、10日経てば、そんなに怖くはなくなっているのである。

 しかし、覚えるだけではなく、覚え直すことも必要となってくる。

 どういうことかといえば、1日100語覚えても、10日経てば、その半分は忘れているのである。

 毎日毎日、夜寝る前には完璧に覚えて寝る。というより、覚えきるまでは寝ないと決めているため、覚えざるをえない。

 しかし、2日、3日、4日と放置しておくと、どんどん忘れて行ってしまう。

 そこで私はときどき「覚え直す日」を儲けている。

 「覚え直す日」も、新たに100語は覚えるのであるが、それを覚えたら、昔覚えたはずの単語カードを取り出して、それを覚え直すのだ

 残念なことだが、10日くらい経ったものは、半分、ひどい場合は7割くらいが、記憶があやふやとなっている。しっかりと頭に定着しているのは3割から4割か。

 しかし、面白いことに、覚え直すのには、それほど時間がかからない。最初に覚えるときの5分の1ていどの時間しかかからないのだ。

 こうやって、覚える、忘れる、覚える、忘れる…のサイクルを永遠に繰り返す。そうすることによって頭にしっかりと定着させるのだ。これで奇跡が起こるのだ。

 これから先、私はドイツ語から哲学の勉強に重点を変えていく。哲学用語をドイツ語単語を覚えた要領で、ガンガン覚えていくつもりだ。

 今年はこれから先、クリスマスも正月もない。正月三が日も特に何をするでもなく、勉強に打ち込む。私としてはベストを尽くす。それでどうなるかは分からない。ただ、ベストを尽くすのみだ。

 合否は、このブログで公表する。楽しみにしておいてほしい。

| | トラックバック (0)

2008年12月 6日 (土)

ノルマの威力

 私は今、大学院受験を目指してドイツ語を勉強しているわけであるが、日々のノルマとして新しいドイツ語単語100語覚えることを自分に課している。

 一日100語である。しかも、それを一日の休みなく、毎日続けるのだ。

 つまり、今日も100語、明日も100語、あさっても100語、4日後も100語、5日後も100語…ということを延々と続けていくのだ。

 これは、ある人から見えれば、とんでもない数字のように思えるかもしれない。

 正直、最初のことはけっこうきつかった。

 しかし、今では当たり前のように覚えていくことができる。

 そのために単語カードを使っているのだが、毎日100語覚えるわけだから、新しい単語カードもどんどんものすごいペースで作っていかなければならない。そのための時間もけっこうかかることはかかる。

 しかし、これを「絶対に守らなければならないノルマ」にしてしまえば、意外と覚えられるものである。

 朝起きたら単語カードをぱらぱらめくり、食事の前にぱらぱらめくり、勉強の前にぱらぱらめくり、自転車で移動している間、信号待ちのときにぱらぱらめくり、勉強の合間にぱらぱらめくり、夕食の前にぱらぱらめくり、夜ぱらぱらめくり、風呂に入る前にぱらぱらめくり…。そして、眠る前に完全に暗記するまで覚える。

 これを繰り返すのである。そして、執拗に繰り返しているうちに、いつの間にか覚えている。

 目標を掲げても、いつも計画倒れになってしまうという人は、目標達成までの道のりを細かく分けて自分にノルマを課したらどうだろうか。

 実際、ノルマの威力は凄い。

 例えばの話だが、「ノルマを達成できなかったとしたら、自分の子供が殺される」とでも思いこんで取り組んでみたらどうだろうか。もし本当に自分の子供が殺されるとしたら、あなたには何がなんでもドイツ語単語100語を覚えるだろう。それくらいのことはできるはずだ。「できない」といっているのは本気になってないだけの話だ。

 人間、死ぬ気で頑張れば、一日ドイツ語単語100語を完全暗記するくらい、何のことはないのだ。そして、それを毎日毎日繰り返しさえすれば、1ヶ月で3000語、2ヶ月で6000語、3ヶ月で9000語を覚えることができる。

 私はここでドイツ語単語の暗記について書いたが、何にしても、目標が達成できないという人は、とにかく自分にノルマを課すことだ。「3ヶ月で1冊本を書く」といっておきながら、ずるずるずるずるずるずると書くのを遅延し、1年経っても書いていなかたっという人も多いらしいが、そういう人は、「1日に何ページは書く」というノルマでも決めないと、いつまでも悪い癖は直らないのではないか。

| | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

入試の準備

 私は、近く、大学院入試を受けるわけであるが、そのために準備をしておこうと思っている。勉強はもちろん頑張るが、勉強以外の準備も十分整えて臨もうと思うのだ。

 これは、大学入試、高校入試、中学入試などについても言えると思うので、参考になる部分があれば参考にしてほしい。

 まずは、インフルエンザ対策。インフルエンザにかかると受験できなくなるので、こればかりは気をつけたい。具体的には、予防注射があるが、それだけでは安心できない。予防率100%ではないからだ。ではどうするか。加湿器を使う、外出から帰ったらうがいと手洗いを徹底する、睡眠不足にならないようにする、人混みを避ける、人混みに入るときはマスクをする、などがある。

 次は、受験場の下見だ。私も近いうちに受験場を下見に行くつもりだ。私の場合、自転車で行ける場所なので、自転車で何分かかるか正確に計っておこうと思う。さらには、雨が降ったときのことを想定して電車で行った場合、自転車で行っているときにパンクした場合、そこからタクシーに乗った場合などを想定しておこう。

 さらに、午前と午後の時間が空いてしまうときは、その間をどこで過ごすかも考えておこう。私の場合、午前の試験と午後の試験の間が2時間も開く。しかし、その間に自宅には戻るだけの時間はない。だから、外出先で時間をつぶすことになるが、できれば勉強に適した静かな場所を探しておきたい。しかも受験場からできるだけ近い場所に。

 また、衣類も馬鹿にならない。雪が降って冷え込むことも想定しておこう。

 あとは、目覚まし時計を一つ余分に買っておこう。遅刻は厳禁だ。

 刻々と受験日が迫って来ている。

 結果は拘らないというものの、当然ながら合格したいことには変わりはない。だからこそ、インフルエンザとか遅刻とか寒すぎて調子が悪くなったなどの理由で不合格にはなりたくないのだ。勉強不足で落ちるなら納得もいく。でも、それ以外のことで落ちるといったことはできるだけ避けたい。

 

 

 

| | トラックバック (0)

2008年12月 4日 (木)

適切な目標設定の威力

 私は先日、ドイツ語検定2級を受けたわけだが、受験3ヶ月前までは、合格の可能性は20%もないと思っていた。本当にそう思っていた。

 しかし、受験前3ヶ月の努力で、正答率70%を取った。合否結果はまだ出ていないものの、そこそこの成績だと思っている。

 某巨大掲示板による情報によれば、65%程度が合格ラインになるのではないかという噂もある。受験生の平均点によっては合格基準点の調整がされるので、安心はできないが、仮に不合格になったにせよ、合格ラインからかけ離れた数字ではない。我ながら、よくやったと思っている。

 では、なぜ私は、そこまで頑張ることができたのか。

 それは何より、目標が適切だったからだと思っている。

 実は、次々と成功を収めている人は、頭がいいというよりも、目標の設定のしかたがうまいのである。最大限の努力をすれば成功率が50%ていどになるような目標を設定し、懸命に努力するのだ。

 実は、成功率50%ていどの目標が一番やりがいがあるし、勉強にも一番身が入る。

 これが成功率20%以下の目標であれば、最初から「僕なんて頑張っても無理だよなぁ」みたいな意識が働くので、勉強に身が入らない。

 逆に成功率が80%以上の目標であれば、最初から「こんなの合格して当たり前だ」と思って、なめてかかるので、これも効果的ではない。

「別にそんなこと、言われなくても分かっているよ」と笑うかもしれないが、失敗する人の多くは、高望みをして、自分には合わない目標を設定し、失敗を重ねて、それで努力することそのものが嫌になってしまっているのだ。

 これは試験だけではない。たとえば金銭管理にせよ、仕事にせよ、失敗する人の多くは、できもしないことを望む。

「○年以内に部長に昇進する」とか、「○年以内に不動産を△件取得する」とか、「○年以内に□の資格を取得する」とか、「○年以内に●万円貯める」とか…。

 中には、最初から本気で取り組もうと思ってなかったのではないかと疑いたくなるような高い目標を設定し、失敗するたびに毎回毎回、言い訳をしている人もいる。

 目標を持つなというのではない。目標は持つべきである。なぜなら目標がなければ、ずるずるずるずると流されたままの人生になりやすいからだ。しかし、目標は「単に掲げただけの目標」であってはならない。そんな目標ならば、まだ掲げないほうがマシだ。そうではなく、最大限の努力を払えば、達成できる可能性が50%ていどのチャレンジングな目標を掲げよう。そういう目標こそが適切なのである。そして次々と成功を収めている人はそういった適切な目標を掲げるのがうまいのだ。

 自分に合った適切な目標を掲げ、日々、最大限の努力を払いながら努力していれば、たとえ目標が達成できなかったにせよ、目標達成と限りなく同じレベルの実力は身に付くし、やりがいがある。人生が知的冒険に変わるのだ。

 あなたは無理な目標を掲げていないだろうか? 今掲げている目標は本当に自分に合った目標だろうか? 本気で実行する気があるだろうか? そのために日々、時間を割いているだろうか? 単に「掲げるだけの目標」になっていないだろうか?

 自分に合わない目標は、今すぐ、見直そう。 

 

| | トラックバック (0)

2008年12月 3日 (水)

ドイツ語秘密特訓法4

 私が思うところ、語学上達の最も重要な要因は自信である。

「私は語学が好きだ。きっとうまくなるに違いない」

 こういう自信を持って勉強している人ほど、同じ時間と労力をかけても、上達が速いのである。逆に、

「私は語学が苦手だ。ちょっとくらいがんばったところで、できる人にはかないっこない」

 と苦手意識を持って勉強している人であればあるほど、同じ時間と労力をかけても、上達が遅いのである。

 しかし私は、語学の才能に関して言えば、うまれつきの才能などないと思っている。いわゆる、外国語ができる人たちというのは、それだけ外国語の勉強に長い時間を費やしただけの話であり、生まれつき語学の才能があったからできるようになったわけではない。

 では、苦手意識を持ってしまった人はどうすればいいのか。

 答えは単純である。「私は語学が苦手だ」という間違った思いこみを捨て、単語の暗記であれ、読解であれ、リスニングであれ、文法問題であれ、なんでもいいから少しでも多くの時間を語学に費やすことである。それを続ければ、誰でもできるようになる。

 時間と労力を費やせば費やすほど、できるようになる。実は、それだけ単純な話なのである。もちろん、いろいろ工夫のしかたもあろう。しかし、基本は時間と労力をどれだけかけたかだ。

 今、私は猛スピードでドイツ語を特訓している。ドイツ語検定2級は、本腰を入れて勉強した期間は約2ヶ月半くらいだったが、集中してやったので、合格ラインあたりの点数が取れた(ただし、結果はまだ出ていない。今月下旬には通知が来るはずである)。

 この調子で大学院入試まで続ければ、ドイツ語も合格点を超えるだろう。もとより英語は合格点を超えると思っているので、英語とドイツ語はクリアできる。あとは哲学だ。これは、今まで勉強してきたことを総ざらいし、さらに追い込みをかける。

 

| | トラックバック (0)

2008年12月 2日 (火)

ドイツ語秘密特訓法3

 ドイツ語秘密特訓法の中でも最強なのは、単語カードによる語彙力増強である。

「なあんだ、単語カードか、そんなのみんな知っているよ」

 と思う人も多いだろう。

 しかし、その使い方はどうだろうか。

 秘訣は、モノそのものではなく、使い方である

 私の場合は、外出しているときは、上着のポケットに必ず1つ単語カードを入れておく。

 銀行に行ってお金をおろすとき、順番を待っている間に、単語カードを出して覚える。

 レストランに行って、食事が出されるのを待っている間に、単語カードを出して覚える。

 自転車で移動しているとき、信号機で待たされている間に、単語カードを出して覚える。

 勉強と勉強の合間に、気分転換に、単語カードを出して覚える。

 散歩しながら、単語カードを出して覚える。

 こういう細切れの時間を使えば、1日に単語を覚える時間は割と取れるのである。どんなに忙しい人であれ、こういう時間をすべて集めれば、30分~1時間になるのではないか。実は、その間に、ガンガン頭に入れていけば、驚くほど覚えられるのだ。 

 覚えては忘れ、覚えては忘れ、覚えては忘れ…。

 これを繰り返すのだ。これこそが語彙力増強の秘訣だ。しかし、これは単語カードでやるしかない。単語集などでは効果は薄い。細切れの時間が効果的に使えないからだ。

 私はこの方法で、今、一日に新しい単語を100語覚えている。今日も100語、明日も100語、あさっても100語…。これを大学院入試の日まで続けるつもりだ。

「本当に、毎日毎日、そんなにたくさんの単語が覚えられるの?」

 と不思議に思えるだろうが、私は覚えている。

 毎日毎日グングン語彙力が身に付くのが実感として分かる。難しいドイツ語の文章も、だんだん読めやすくなっているのが日に日に分かる。

 実は、あと一つ、決定的な秘訣がある。それはまた今度書くことにしよう。 

| | トラックバック (0)

2008年12月 1日 (月)

ドイツ語秘密特訓法2

 大学院入試のためにドイツ語に専念している。

 ここで、ドイツ語の秘密特訓法をお教えしよう。

 これはドイツ語に限ったことではなく、フランス語でも、中国語でも、何の言語でも言えることであるが、大量に読むことが上達の秘訣である。

 そのために、何を読むかというのが問題になる。

 その答えは、自分の興味のある記事を読むということなるのだが、今はいい時代になったものである。インターネットを使えば、読みたいドイツ語の記事は山のように見つけ出せるのだ。

 私は、ドイツ語で読むべきものをインターネットで探して、プリントアウトして読んでいる。だから本を買う必要がない。

 ちょうど私の場合は大学院受験もあるので、哲学関係の資料をドイツ語で探して、それをプリントアウトして読めば、ドイツ語の勉強にもなるし、哲学の勉強にもなるので一石二鳥なのだ

 これをドイツ語の勉強のためだけにドイツ語の参考書をやり、哲学の勉強のためだけに日本語で書かれた哲学の本を読めば、2倍の時間がかかる。それを私は一気にやっているのである。 

 だから、何語であれ、自分が勉強したい外国語を自分の勉強してみたい分野の資料をインターネットで探して、プリントアウトして読めばいいのだ。これこそがIT時代の秘密の外国語上達法である。

  ただし、こうした勉強は、ある程度ドイツ語の実力がある人向けの勉強であり、まだそこまで行っていないという人は、ドイツ語の学習参考書で勉強したほうがいい。特にお勧めしたいのはCD付のもので、目と耳と両方で勉強することだ。具体的にどの学習参考書がいいかは、次のリンク先にまとめてあるので、参考にしてもらいたい。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/gogaku.htm

 

| | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »