« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月30日 (木)

人間の義務

 私は、自慢するわけではないが、慶應大学を含む4つの大学を卒業し、5つの学位を取得している。資格試験に関しても89種類の資格に合格し、また金銭的な面でも、一生遊んで暮らせるだけの資産がある。

 だから、私は、おもしろおかしく暮らそうと思えば暮らせるのだ。勉強なんか止めてしまって、毎日テレビを見て、観光したり、おいしいものを食べたり、ダラダラしながら暮らそうと思えば暮らせるのだ。

 なのに私は、これから先も学位を目指し、難関試験にも挑戦し、新しい外国語にも挑戦し、節約し、投資する。ITも勉強し、WEBサイトも充実させたい。

 なぜか?

 なぜ、そんなに自ら率先して困難なことに挑戦しつづけるのか? 

 私が困難なことに挑戦し続けているのは、単なる暇つぶしなんかではない。私は、それが人間の生きている義務だと思っている。そう、人間は、生きているかぎり、自分をより善くすることで、社会に貢献し、世の中をより善い場所にする努力をしなければならないのだ

 あなたの場合はどうだろうか? あなたは、もし、一生遊んで暮らせるだけの資産があったら、もう勉強なんかしないだろうか? もう、新しい外国語に挑戦したり、新しい学位を目指したりしないだろうか? でも、努力することを放棄したとたんに、人生は色あせてしまい、まったく退屈なものになるのではないかな?  

| | トラックバック (0)

2009年4月29日 (水)

余命半年だと分かったら、何をやる?

 『最高の人生の見つけ方』という映画をDVDで見た。

 入院中に知り合った2人の老人。2人とも「余命半年から1年」と宣告された。そんな2人が、ある日、「悔いなく死んでいけるように、やり残したことを全部やろう」と決意する。2人のうち1人が大富豪であったため、それが可能になった。

 2人は病院を抜け出し、世界旅行に出る。行きたかったところをすべて回る。世界遺産を見たり、登山をしたり、スカイダイビングをしたり…。豪勢な料理を食べ、珍味を食べ、高級ホテルに泊まり…。毎日毎日、お金を湯水のように使って、遊びの限りを尽くしていくのである。

 当代きっての名優2人が演じているので、「共感した」という感想をもった人も多いようだ。しかし、私は、「もし私が余命半年だと宣告されたら、こんな生き方は絶対にしないだろうな…」と思いながら、ずっと見ていた。

 もっともこの映画の本質、あるいは、主題は、そんなところにあるのではないので、この映画自体についてどうのこうのと非難したいわけではない。ただ、私は、考えてもらいたいのだ。もしあなたが、余命半年だと宣言されたとしたら、そして莫大な資産をもっていたら、余生をどんな生き方をするかを。この映画の主人公たちと同じように、毎日毎日湯水のようにお金を使って遊んで暮らし始めるだろうか? 私が問題にしたいのは、ただその一点である。

 私も多少なら遊ぶかもしれない。しかし、遊びはあくまで「本当にやりたいこと」があって、それを遂行する上での「休息」のためであって、「本当にやりたいこと」がなくて毎日毎日ただ遊び惚けたいというのではない。

 もし私が大富豪で、「余命半年」だと宣告されたら、そのお金を世の中に少しでも役立てるにはどうすればいいかを真っ先に考えるであろう。

 例えば10億円の資産があったとしよう。その10億を海外旅行で費やすなんてことはしない。遊んだとしてもせいぜい1~2週間程度で、費用も100万ですますだろう。残りは、すべて寄付だ。恵まれない国に寄付したり、母校に寄付したりする。あるいは、自ら奨学生を募集し、自分で面接をし、将来有望な人たちに奨学金を給付したい。余命半年は、そういった作業のために使うだろう。どの国にどのような配分で寄付するかを慎重に決めたり、奨学生をどうやって募るかという作業があるので、毎日毎日がとても忙しくなるだろう。たから、映画の主人公たちのように、毎日毎日、珍味を食べたり、賭け事をやったり、娯楽施設を見て回ったりということはしないだろう。

 私は、今、霊界研究に打ち込んでいるのだが、自分のことばかり考えて生きている人は地獄に行くのである。天国に行く人というのは、自分のことよりも、隣人のことを優先して考える人である。それが分かると、この世にいるうちに、一つでも多く、世のため人のためになることをやりたいと思うようになるのである。自分が楽しければ良いという生き方などまったく関心を失うのだ。

 自分さえ面白おかしく生きれれば良いというのは、私にはとても矮小な生き方だと思える。毎日毎日お金を湯水のように使って、世界を見て回ることが、そんなに楽しいことだろうか? 最初のうちはエキサイティングかもしれないが、やがて飽きてくるのではないか?遊びというのは、所詮、その程度のものでしかない。一方、社会貢献をしたり、隣人に手をさしのべる喜びというのは、何百倍、何千倍の喜びが得られる。天界はまさにそのような人たちが集まっている場所であり、天界の天使たちは、お互いがお互いのためになることをやっているので、みなが楽しいのである。

| | トラックバック (0)

2009年4月28日 (火)

カントの「純粋理性批判」

 今、カントの『純粋理性批判』をドイツ語と日本語訳とで読み進めている。

 この本は、ある程度、哲学の基礎的知識がなければ読んでもなんのことかが分からないだろう。私の場合は、大学で哲学を学んでいたので、一応、読めることは読める。ただ、自分ではどの程度深いレベルで読んでいるのかがわからないが。

 また、ドイツ語原典でも読み進めたいとは思っているのだが、これは相当骨がある。なにしろ、1行のうちに、分からない単語が何語も出てくるありさまだ。

 昨年、ドイツ語検定2級に一発合格したのであるが、それだけでは単語力にしても、文章読解力にしても、とうてい足りない。相当の難しさである。もしかすると、ドイツ語検定1級レベルではないかと思えるほどである。

 しかし、こうして読み進めていくことで知性も磨かれているのだと思う。また、そうだからか、読み進めることが快感でもある。

 いずれはドイツ語検定準1級にも挑戦したいと思っている。準1級以上の級は年に1度しか試験がないのが残念だが、いつかは挑戦してみたい。

| | トラックバック (0)

2009年4月27日 (月)

英語サイトの立ち上げ

 英語サイトを立ち上げた。(といっても、トップページを用意しただけであるが)。

 いつか立ち上げよう、立ち上げようと思うだけで、トップページすら作らずじまいだったので、このままではいつまで経っても夢が実現しないと思い、とにかくトップページだけでもと思い、作成してみたのである。それが以下のリンク先のサイトである。

 http://homepage3.nifty.com/shinji/

  また同時に英語ブログも立ち上げた。

 理由は単純である。情報を日本国内だけでなく、全世界に発信するためである

 これで、アメリカ人、イギリス人、アイルランド人、カナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人、インド人など全世界の人々に読んでもらえる可能性が開いた。

 さて、この英語サイトにgoogleの広告を貼り付けてみたのだが、日本語の広告が出てしまう。読んでもらうターゲットは英語話者であるから(もちろん、日本人を含め、英語以外の話者に読んでもらってもいいのであるが)、英語の広告を出したいと思っている。ただ、その設定のしかたがあるのか・ないのか、あるとしたらどう設定したらいいのかが分からないままだ。

 少しずつ研究を進めて行きたい。

 「宮崎伸治の公式ホームページ」もまだまだであるが、これからもWEBデザインの勉強を続け、素晴らしい英語サイトに成長させて行きたい。

 といっても、ITの勉強はモチベーションを強くもたないと続きにくいので、近いうちに「WEB検定(WEBデザイン)」を再受験してみようと思う。受かる自信はまだないのだが、こうやってモチベーションを高めなければ、なかなか難解なITの本は読めないからだ。

 しかし、英語サイトを軌道に乗せることができたら、1日のアクセス数がどの程度になるか楽しみである。日本人は1億人ちょっとであるが、英語話者は全世界に数十億もいるわけだから、桁が1桁違ってくることが予想されるのである。

 そういうわけでも、今、英語の勉強も再開している。将来、ロンドン大学通信も視野に入れているので、英語サイトの充実とロンドン大学入学への準備で一石二鳥なのだ。

| | トラックバック (0)

2009年4月26日 (日)

(リライト版)自分の都合しか見えない人

 昨日書いた私のブログは少しわかりにくかったかもしれないので、リライトしてみたい。特定の会社名は出さないし、このレベルの書き方であれば、自分の本に書いている人も多いので大丈夫だろう。私の目的は、あくまで皆さんに気をつけましょうと注意を促すことであり、非難や中傷を目的としたものではない。

 さて、次がリライト版である。

 自分の都合しか見えていない人は、論理的に考えることができず、論理を歪めて見ているのである。可哀相な人であるが、そういう人とつきあうと大変なことになるので、このブログを読んでいる人にも注意を促したいので、その一例を挙げてみたい。

 私はある出版社と約束をした。私にとって、その約束は実行するのが大変難しいものであったが、その出版社がどうしてもそれを切望していたため、出版社の頼みに応じたのだった。もちろん、不承不承応じたのではなく、やるからには誠心誠意尽くすつもりで応じたのだ。

 私がその出版社との約束を果たすには、私一人が頑張れば足りることだった。

 一方、その出版社が私との約束を果たすには、子会社と共同作業をすることが前提となっていた。私はそれを事前に知っていたので、その出版社にこう訊ねた。

「子会社と共同作業をすることは既に決まっているのですか? 問題なく最後までやれそうですか?」

 するとその出版社は、「子会社と共同作業をすることになっている。心配しなくて大丈夫だ」と答えた。

 私は何度も何度もそれを確認した。なぜなら、その出版社が子会社と共同作業しなかったら、その出版社は私との約束が果たせなくなるからだ。そうなると、私だけ大変な努力を強いられ、その挙げ句に約束を反故にされることになるからだ。

 その出版社は太鼓判を押して、「絶対に大丈夫だ」と答えた。

 その後、私は血のにじむような努力をし、その出版社が求めていることをすべて行い、あとはその出版社が約束を守ってくれるのを待つだけになった。

 ところが、その後、その出版社と子会社の間で意見が衝突し、共同作業を行わないことになったのだ。私には「共同作業をすることに決まっている、絶対に大丈夫」と言っていたのに、本当のところは、その出版社は子会社と共同作業について細かいことは一切打ち合わせしていなかったのだ。

 その結果、その出版社は私との約束が果たせなくなったのである。

 そのときのその出版社の言い分は、「私は一切悪くはない。悪いのは子会社だ。あまりにも非常識なやつだから、あんなのと一緒に共同作業なんかできない!」。しかし、それで終わってしまっていて、私との約束が果たせなくなったことに対しては一切何の責任も感じていないのだ。

 私がこのブログを読んでいる人に注意を促したいのは、常日頃から、人がどのような動機で動いているかをよく観察し、論理的に物を言っているかどうか、自分の都合だけで物を言っているかで、つきあうべき人と避けるべき人を見極めたほうがいいということである。

 自分の都合だけで物を言っている人間には注意したほうがいい。

 あなたと利害が一致しているときは、いい人に見えるかもしれない。しかし、そういう人は利害がいったん衝突すると、自分の都合でしか物を言わなくなるからだ。そうなると、もう途方もなく大変なことになるのだ。

| | トラックバック (0)

2009年4月25日 (土)

自分の都合しか見えてない人

 自分の都合しか見えていない人は、論理的に考えることができず、論理を歪めて見ているのである。可哀相な人であるが、そういう人とつきあうと大変なことになるので、このブログを読んでいる人にも注意を促したいので、その一例を挙げてみたい。

 私はAと約束をした。私にとって、その約束は実行するのが大変難しいものであったが、Aがどうしてもそれを切望していたため、Aの頼みに応じたのだった。もちろん、不承不承応じたのではなく、やるからには誠心誠意尽くすつもりで応じたのだ。

 私がAとの約束を果たすには、私一人が頑張れば足りることだった。

 一方、Aが私との約束を果たすには、Bと共同作業をすることが前提となっていた。私はそれを事前に知っていたので、Aにこう訊ねた。

「Bと共同作業をすることは既に決まっているのですか? 問題なく最後までやれそうですか?」

 するとAは、「Bと共同作業をすることになっている。心配しなくて大丈夫だ」と答えた。

 私は何度も何度もそれを確認した。なぜなら、AがBと共同作業しなかったら、Aは私との約束が果たせなくなるからだ。そうなると、私だけ大変な努力を強いられ、その挙げ句に約束を反故にされることになるからだ。

 Aは太鼓判を押して、「絶対に大丈夫だ」と答えた。

 その後、私は血のにじむような努力をし、Aが求めていることをすべて行い、あとはAが約束を守ってくれるのを待つだけになった。

 ところが、その後、AとBの間で意見が衝突し、共同作業を行わないことになったのだ。私には「共同作業をすることに決まっている、絶対に大丈夫」と言っていたのに、本当のところはBと共同作業について細かいことは一切打ち合わせしていなかったのだ。

 その結果、Aは私との約束が果たせなくなったのである。

 そのときのAの言い分は、「私は一切悪くはない。悪いのはBだ。あまりにも非常識なやつだから、あんなのと一緒に共同作業なんかできない!」。しかし、それで終わってしまっていて、私との約束が果たせなくなったことに対しては一切何の責任も感じていないのだ。

 私がこのブログを読んでいる人に注意を促したいのは、常日頃から、人がどのような動機で動いているかをよく観察し、論理的に物を言っているかどうか、自分の都合だけで物を言っているかで、つきあうべき人と避けるべき人を見極めたほうがいいということである。

 自分の都合だけで物を言っている人間には注意したほうがいい。

 あなたと利害が一致しているときは、いい人に見えるかもしれない。しかし、そういう人は利害がいったん衝突すると、自分の都合でしか物を言わなくなるからだ。そうなると、もう途方もなく大変なことになるのだ。

 

  

| | トラックバック (0)

2009年4月24日 (金)

まったく疲れる話

 論理学を勉強した人は、相手が論理をすり替えているかどうかがすぐに分かるようになる。例えば、こんな会話はとても疲れるのではないか。

 Aという選択肢とBという選択肢があるとしよう。Aを選ぶか、Bを選ぶかは、私に選ぶ権利があり、どちらかを選ぶのもまったく私の自由だとする。ただ、Aを選んだとき、進むべき道は1か、2か、どちからが分からないとしよう。私は1だと思っているが、間違っていたらいけないので、相手に確認を取っておいたほうがいいと思い、相手に尋ねた。

「私はAという選択肢を取りたいのですが、その場合、進むべき道は1ですか、2ですか? 私は1だと思うのですが、間違っていたらいけないので、確認させていただけませんか?」

 私が求めている回答は、1か2かである。それさえ聞けば、すべてが済むのだ。1分で済む話だろう? さっさと1か2かだけを教えてくれればいいだろう?

 なのに、相手は、こう答えてきた。

「いや、何もAという選択肢を取らなくても、Bという選択肢もあるよ」

 私がAという選択肢を取りたいという前提で質問をしているのに、わざわざBの話を持ち出すわけである。1か2かという論理が、AかBかという論理にすり替わってしまったのだ。

「いや、あの、私はBを選択したいわけではありません。実際、Bを選択するとなると大変でしょうし…」

 すると相手は、こう答えてきた。

「いやいや、Bを選択しても、それほど大変ではないよ。方法はあるよ。もしあなたがBを選択したのなら、その方法としてはだね…」

 こうして延々と「もしBを選択したら」という話が繰り返されるのである。「Aを選択するかBを選択するか」という論理が、今後は、「Bを選択するのは大変か否か」という論理にすり替わったのである。私は、論理を元に戻そうとした。

「あの、私は別にBを選択したいわけではなく、Aを選択したいのです」

 すると驚くことに、相手は、こう答えてきた。

「Aを選択するのはいいが、今すぐAを選択するの? それとも、今しばらくは成り行きにまかせてみる? 何も今すぐ選択しなくてもいいんだよ」

 これでまた論理がすり替わったわけである。私はAを選択した場合は、1か2かと聞きたいだけなのに、「今すぐAを選択すべきか、それともしばらく成り行きにまかせるべきか」という論理にすり替わった。こんな話をしていたら、いつまで経っても、1か2かが聞き出せないではないか。

「あのですね、私の質問は、Aを選択したときに、進むべき道は1か2かという質問であって、今すぐAを選択すべきか、しばらく成り行きにまかせてみるか、という質問ではないのです。私がAを選択したとき、進むべき道は1ですか、2ですか?」

「そりゃ、一般的に言えば、普通、そういうのは2じゃないか?」

 これでまた論理が崩れているわけである。私は、今回のこのケースで、もし私がAを選んだら、進むべき道は1か2かと尋ねているのに、「一般的に言えばどうか」という論理にすり替わったのである。

「あの、私がお聞きしているのは、今回のこのケースにおいて、もしも私がAを選択した場合に、進むべき道は1か2かであって、一般的なケースに関して聞いているわけではないのです。今回のこのケースにおいては、どうなのでしょうか?」

「いや、まだ1か2か決めていないんだよ。これから詰めるところだ」

 こうして本来なら1分で済む会話が、延々と続いたわけである。最初の最初から「まだ1か2か決めていない」と言ってくれれば、すぐに済むのに、それを正直に言いたくなかったのか、延々と回り道をさせられてしまったのである。 

| | トラックバック (0)

2009年4月23日 (木)

不労所得を得れば人間関係の悩みも減る

 会社にいるときによく思っていたことだが、人間関係の悩みでエネルギーを消耗するほど疲れるものはない。

 特に会社内の人間関係だと、権力が強い者が理不尽なことをやっても、権力の弱い者は、耐えざるを得ない場合が多いので、その悔しさは全く耐え難いものとなろう。フリーでも、「仕事を回してもらわなければ食べていけないフリー」は、取引先から相当、理不尽なことをされているのではないだろうか。

 私は、学問に打ち込んでいて非常に興味深い問題に魅せられると、人間関係上の理不尽さにエネルギーを消耗させられることがとても馬鹿らしく思えるのだ。たったちょっとした言い争いでもまる1日、あるいは、数日間冷静さを失うのは、実に馬鹿らしい。

 私の友人にも、「何度言っても分からない人間に手こずっている」という人がいるが、会社生活を送っている以上は、どうしてもそこから逃げられないのではないか。

 ところが、私のように、完全にフリーになり、しかも、一生遊んでいける不労所得が得られれば、そういうつまらない人間関係上の理不尽さからは逃れることができる。というのも、おかしな人間からは逃げておけるからである。

 これはファイナンシャルインデペンダンスを達成した人間の特権みたいなものと言えよう。100%人間関係上の悩みから解放されるわけではないが、まずほとんど悩む必要がなくなるのである。

 しかし、ファイナンシャルインデペンダンスを達成するには、それなりの努力が必要である。私はまた今日数万円投信にかけるつもりであるが、こうして倹約をし、節約をし、リスクを承知の上で投資をしているわけである。 

 

| | トラックバック (2)

2009年4月22日 (水)

慶應カード

 慶應通信を中退する人の中には、勉強に嫌気がさして、「こんなの卒業して何になるんだ。何にも残らないと思う。単なる自己満足で終わるだけだよ」と言って止めていく人がいるという話をした。

 おそらくそういう人は、就職とか転職とか難関資格の取得とか昇給とか、そういう実利的なことを言っているのだろう。たしかに、学位を取得したからといって、それで一流企業に就職できますよとか、転職が成功しますよとか、そんなことは誰も保証してくれない。そういう意味では、卒業しても、「何も残らない」かもしれない。

 ただし、実利的な側面でも、「残る」ものはある。

 例えば、慶應カードだ。

 驚くことに、このカードを見せると、ある電気店(全国)では、すべての商品が5%引きになるのである。

 これはスゴイ。

 考えてもみてほしい。20万円のエアコンなら、これを提示するだけで1万円が割り引きになるのだ。

 まったく、ありがたいことである。

 見せるだけで何もかもが5%安く買えるのだ。しかも、それが一生続くのだ。

 慶應カードの特典は、もっとたくさんあり、多くの店で、提示するだけで割り引きになったり、特典があったりする。

 私は、わずか3年で卒業できたので、学費自体もトータルでせいぜい40万程度しかかかっていないが、慶應カードの「特典」だけでも、一生利用させてもらったら、その元が取れるかもしれないのだ。

 中退するなとは言わない。中退したいなら中退してもいい。それは自分で決めることである。しかし、「卒業したって何も残らないと思う」と主張するのであれば、自分の言っていることが本当かどうか吟味したほうがよいのではないかと思う。

 

 

 

| | トラックバック (0)

2009年4月21日 (火)

学問が人生を変える

 大学の通信教育課程は、ほんの少数の人しか卒業できない。大学によって差はあるが、私の卒業した慶応大学の場合は、過去の実績を詳しく調べた人によれば、中退率は9割を少し上回るらしい。逆に言えば、卒業生と在学生を合わせた数字が1割弱ということである。在学生の中にも「中退予備軍」も含まれているわけであるから、卒業生の割合はさらに低くなる。

 私の知っているある人は、中退するとき、こんなことを言って中退した。

「こんなことやって一体何になるの? 卒業しても何にも残らないと思うけどなぁ。こんなの、単なる自己満足じゃん。なんか、必死になって勉強しているのが馬鹿らしくなった」

 単なる推測だが、中退する人の何割かはこんなことを思いながら中退するのではないか。

 しかし、あなたは、こんなことを言っている人のことを「その通りだ!たしかにこの人の言うとおり、大学なんて卒業したって何にもならない。勉強しても単なる自己満足にすぎない」と思うだろうか? 

 実際に最後までやり抜いて、その暁に「勉強しても何にも役に立たなかった」というのなら分かる。なのに、中退する人は、最後までやり抜いてもいないのに、「こんなの卒業しても意味ないよ」と言うのだ。

(思っていたより何倍もハードでした。私には最後までやり抜くだけの気力も学力もありませんでした)と正直に認めて中退すればいいのに、それを認めるのがイヤなのか、「こんなの自己満足に過ぎない。やっても意味はない」と論理をすり替えてしまっているのだ。

 私は、将来、ロンドン大学の通信教育課程を出たいと思っている。正直、最後までやり抜く自信はない。すべて英語で学ぶことになるというハンデもあるし、ロンドン大学の教育レベルは世界最高水準とも言われる。

 しかし、私は、たとえ中退する羽目になっても、「こんなの卒業して何になるんだ、何にも残らないよ」みたいな負け犬の遠吠えみたいなことはしない。素直に、「やはり私には実力不足でした」と認めると思う。もっとも、そうならないように、今のうちからコツコツと哲学と英語の実力を地道に身に付けておきたいと思っている。

 

| | トラックバック (1)

2009年4月20日 (月)

なんで学問なんかするの?

「学問なんてやって一体何になるの? 俺が大学で勉強したことなんて、社会に出てから何にも役に立たなかったよ。学問なんて、やるだけ無駄だよ。高校を出れば、さっさと働いて金を儲けたほうがいいんだよ」

 こんなことを言う人がいる。まるで自分の言っていることが絶対に正しいと言わんばかりである。

 思うのだが、そういう人は「自分が勉強してきたことが、今現在、直接金儲けにつながっていない」という自分一人が観察した事実だけで、「学問なんてやっても何の役にも立たない」と断定してしまっているのではないだろうか。

 だが、そういう人に聞いてみたいのだが、本当に学問は何の役にも立たないのだろうか? 今現在、たまたまその人には役に立っていないからといって、これから先、一生涯、本当にまったく何の役にも立たないと言い切ってもいいのだろうか? あるいは、世界中のだれにとっても学問など何の役に立たないことなのだろうか。

 というよりも、そもそも、彼らがいう「役に立つ」とは何だ? どういうことが「役に立ち」、どういうことが「役に立たない」と言っているのか? 単にお金儲けに活かせるか活かせないかだけで言っているのか?

  でも、もしそういう意味で言っているのなら、書道やっても「役に立たない」のではないだろうか。笛がうまく吹けるようになっても「役に立たない」のではないだろうか。サッカーや野球がうまくなったところで何の「役にも立たない」のではないだろうか? というのも、書道も、笛も、サッカーも、野球も、ほとんどのすべての仕事とは直接関係ないだろう?

 私は、学問の意義というのは、金儲けにつながるからやるとか、世間体を良くするためにやるといったものではなく、あくまで自分自身をより善い人間にするためにやることだと思っている。より善い人間になるには、間違った思いこみで間違ったことをやり続けるのではなく、少しでも真理を見極める努力をしなければならない。

 学問を通して、自分を磨く。もうそれだけで大いに「自分のため」になっている。つまり、役に立っているのだ。もちろん、学んだことを隣人愛に活かすことのほうが遙かに大切であり、知識を蓄えただけでは、「論語読みの論語知らず」という劣悪な人間になりかねないのだが…。

 あなたも、役に立つか立たないかとか、社内で評価されるかされないかといった目的ではなく、自分自身をより善く活かそうという目的で学問に打ち込んでみたらどうか。すると学問がどれほど魅力的であるかが分かるのではないか。

| | トラックバック (1)

2009年4月19日 (日)

ダイエット再開

 昨日、慶應大学の卒業式の集合写真が届いた。

 ショッキングなことに驚くほど太って見える。自分では太ってないつもりでも、実際、写真に写っているのは小太りの中年でしかない。

 これはいけない!

 ダイエット再開である。

 花粉症も治まりつつあることであるし、運動も再開である。

 実は昨年6月に撮った卒業アルバムのときの写真は、ダイエットに成功し、59キロまで落としたときの写真であるから、太ってはいない。

 しかし、卒業アルバムの写真を提出して以来、ずっと油断していたこともあり、また元のようにもどっていた。

 今日、体重計におそるおそる乗ってみると、64・1キロ。

 しかし、この体重で、あそこまで太って見えるとは…。意外だ。

 目標は3キロ以上の減量である。

 おそらく1ヶ月もあれば達成できるであろう。というより、達成せねばならない。

| | トラックバック (0)

2009年4月18日 (土)

天界の喜びとは

 人間は死ぬと、天界か地獄に入る。

 天界と一口にいっても、いくつかの階層があるし、地獄も同様、いくつかの階層がある。いずれにせよ、いったん天界なら天界、地獄なら地獄に入ってしまえば、ずっとそこで暮らすことになる。次に人間に生まれ変わるまで、何百年、何千年、何万年と暮らすことになる。人間に生まれ変わることがない場合、本当にそこで永遠に暮らすことになる。

 あなたは、自分が「永遠に暮らす場所」として、どんなところを希望しているのか?

 天界に入りたい、あるいは、天界にできるだけ近い場所に入りたいと思っているのであれば、今のうち、つまり、この世にいるときに、その努力をすべきだろう? 

 我々人間には、努力しだいでより善い世界に入るチャンスが与えられているのだ。というより、そのために人間はこの世に生まれて来ているのだ。そのチャンスをみすみす無駄にするな。1日1日がそのチャンスなのだ。

 では、どんな人が天界に入れると思う?

 それは、この世に生きているときに、神への愛と隣人への愛を実践した人だ。自分の利得や名誉のためではなく、純粋な善意から神への愛や隣人への愛を実践した人だ。

 もちろん、だから、学歴とか地位とか富とかは一切関係がない。むしろ、そういったものは天界に入るとき障害になりやすいくらいだ。

 まさに、天界における喜びとは、神への愛と隣人への愛に他ならない。

 一方、地獄に入る人というのは、自己と世俗の愛におぼれた人である。「自分さえよければいい…」、「他人から良く思われたい…」、こういう気持ちで自分を第一に考えて生きている人は、地獄に入る。

 一生遊んで食べていける不労所得がほしいという人は多い。しかし、富は天界に入るパスポートでもなんでもないのだ。もちろん、富を得ることを人生の目標の一つにすること自体は悪いことではない。だが、そんな小さな目標を人生の究極の目標にするな

 人生の究極の目標は、あくまで神への愛、隣人への愛だ。この世に生きている間に、一つでも多くの隣人愛を実践することだ。「自分さえ良ければいい」という矮小な気持ちを捨てることだ。

| | トラックバック (0)

2009年4月17日 (金)

いったい何のために学問をやるの?

 私は、すでに慶應義塾大学を含む4つの大学から5つの学位を取得している。

 しかも私は一生遊んで食べていけるだけの不労所得があるし、将来的にどこかの会社に就職しようとも思っていない。だから、もうこれ以上、勉強を続けなければならない必要性はまるでない。

 楽をしたければ、ずっとダラダラと過ごすことだってできるのだ。朝ゆっくりと起きてテレビをダラダラと見て、サウナに行って、ネコカフェに行って、遊んで暮らそうと思えば、余裕でできるのだ。そういう毎日を来る日も来る日も続けていても、一生、食べていけるのだ。

 しかし、それでも私は大学院進学という道を選んだ。

 なぜか?

 楽をしようと思えば、いくらでも楽ができるのに、なぜ、わざわざ安くない授業料を払ってまで大学院に通っているのか? なぜ、お金儲けに直接結びつくことのない学問を必死になってやっているのか? それは単なる暇つぶしか?

 多くの人は、私のことを到底理解しないだろう。ある人は、おそらくこんな言い方をするだろう。

(そんなに勉強ばかりやって一体何になるの? お金儲けにつながるの? そんなことやっても意味ないと思うけどなぁ。私なら、そんな授業料払うお金があったら、海外旅行でもするけどね)

 しかし、私は少しでもより善い人間になるべく努力することが、この世に生まれてきた人間の義務だと思っているのだ。だからこそ、必死に学問に打ち込んでいるのだ

 善い人間になる方法は、大きくわければ3つある。1つは学問であり、1つは善い習慣を身に付けること、そしてもう1つが隣人愛だ。この3つはすべて重要であり、どれか1つだけで善いというものではない。

 大学院での勉強はハードだ。なにしろ、ドイツ語で難解な文章を読み進めていくことになるのだ。だが、これは私の義務だと思っている。ただし、義務といっても、自ら率先して選んだわけだから、いやいややっているのではなく、楽しんで取り組んでいるのである。

| | トラックバック (0)

2009年4月16日 (木)

ドットコムマスター★★受験記

 『ドットコムマスター★★』のCBTを受けた。

 結果から先に言えば、不合格だった。

 ただ、総合得点が前回は5つ星が満点のところ2つ星だったのだが、今回は3つ星になっていたから、前回よりは評価が上回ったことは確かである。(詳しくは、私の公式HPに載せてある。3つ星といっても、4つ星に近い3つ星ではなく、ギリギリ3つ星だったと思う)。

 合格にはまだまだ努力が必要だ。ただ、こうやって少しづつであれ努力することは必須だと思うのだ。

 受験料は決して安くないので、あまり頻繁には受けられないが、ときどき受験して、勉強のモチベーションを高め、実力を磨いていきたい。ただ、この試験はすぐには通りそうにないので、まだ合格の可能性の高い『WEB検定(WEBデザイナー)』か『ITパスポート試験』を先に目指したほうが良さそうだ。

 いずれにせよ、ITの勉強は必須だ。

 なぜか?

 先日、出版業界の業界動向をインターネットで色々調べてみたのだが、1996年をピークに書籍や雑誌の販売は下降線の一途をたどっているという情報が多々見られた。ほとんどの出版社にとって、今の出版不況はとても厳しいものだろう。しかし、そんな厳しい中で、売上をどんどん伸ばしている出版社もある。電子ブックを発行したり、ITがらみで成長しているようだ。

 私は一つの業界の例を出したに過ぎないが、今や社会全体がITによって変わってきているという事実から目を背けてはならないと思うのだ。あなたの業界も、もっとITを活かす時機が来るかもしれないのだ。そのときの為にも、少なくとも、最低限のITの実力は身に付けておくべきだと思うのだ。

  

| | トラックバック (0)

2009年4月15日 (水)

ドットコムマスター★★受験日

 本日は、夕方から『ドットコムマスター★★』のCBTを受ける予定である。

 『ドットコムマスター★』は2006年に合格したが、『トッコトムマスター★★』は2007年に一度受験して不合格になって以来、ずっと受けずじまいだった。

 正直なことを言えば、今回も合格の自信はない。合格の可能性は10%もないと思っている。なのに、あえて受験するのは、前回からどれだけ伸びたかをチェックするためである。少しでも伸びてくれていれば、それをモチベーションにして、勉強が続けられると思ったのである。

 今やITの時代である。自ら情報を発信しない人は『ドットコムマスター★』だけで十分であろうが、HPやブログを通して情報を発信している人は『ドットコムマスター★★』まで登り詰めるべきだと思う。私もどんなに遅くとも今年中には合格に至りたい。今日の試験はその腕試しといったところである。

 CBTなので、結果は受験直後に判明する。今日、試験から帰宅したら、早速、結果をブログで公表することにしよう。(といっても、更新自体は明日になるだろうが)。

 このブログを読んでいるあなたにも『ドットコムマスター』をお勧めしたい。ITが苦手という人は『ドットコムマスター★』の下位資格として『ドットコムメイト』や『ドットコムマスターベーシック』があるので、受験してみるといいだろう。

 迷っていては遅い。今や、必要最低限の知識だ。さあ、思い立ったが吉日だ。勉強を開始することをお勧めする。

| | トラックバック (0)

2009年4月14日 (火)

自由が得られて幸せになる人、不幸になる人

 私は41歳でファイナンシャルインデペンダンスを達成し(不労所得だけで一生食べていけるようになり)、それ以降は、お金を稼ぐ義務から完全に解放され、自分の好きなことだけをして生きていっている。仕事をするにしても、本当にやりたい仕事だけに限ってやるようにしている。というのも、私はすでにお金を稼ぐ必要がないからである。

 私はこんな途轍もない自由を手にして、とても幸せに思っている。なぜならやりたいことが山ほどあるからだ。だから私は前々からやってみたかった学問をやり、学位も取り、資格にも次々とチャレンジし、新しい外国語にも挑戦し、さらに大学院を目指し、ITの技能も磨き、これからは芸術大学も目指したいし、子供の頃10年近く打ち込んだ書道だって再開したい。まさにやりたいことは山のようにあり、1日が24時間では足りないといつも思うくらいなのである。私にとっては、延々と続く自由はまさに感謝そのものなのである。

 しかし、ハッキリ言っておくが、自由が謳歌できるのは、自ら率先して次々と課題を見つけられる人だけなのだ。自ら率先して次々と課題が見つけられない人にとって、自由とは、恐ろしいほどの倦怠感を生み出す退屈地獄への入り口にしかすぎない。それを決して誤解しないでほしいのだ。

 わかりやすいように、例を挙げて説明しょう。

 私は青学時代もイギリス留学時代も、夏休みなどの長期休暇は基本的に毎日自分で課題を設定し、毎日図書館に通って勉強していた。偉人伝を読んだり、小説を読んだり、翻訳の練習をしたり、雑誌への投稿文を書いたりしていた。イギリス留学中は、留学体験記もコツコツと書きためていた。まさにやりたいことは山のようにあり、自由に使える時間を謳歌していたといえよう。そのおかげで『7つの習慣』の原書にも出会えたわけだ。

 しかし、青学時代は、私の周りの友人たちは、せっかく自由時間を自分を磨くことに使える夏休みだというのに、ほぼ全員が、「夏休みに他にやることがない」といってアルバイトに精を出していた。

 イギリス留学時代は、アルバイトをするといっても、そう簡単には見つからないので、見つけられなかった人は、夏休みはわざわざ日本に帰国してまでアルバイトをしていた。(せっかく稼いだアルバイト代も飛行機代ですべて消えるのに、イギリスで暇な毎日を過ごすことに耐えられずに日本に帰ったのであろう)。

 夏休みに日本に一時帰国しなかったある女友達は、夏休みが終わる頃、こんな手紙をよこしてきた。

「日本の大学時代なら簡単にアルバイトが見つかったけど、こっちではアルバイトも見つかりません。もう、毎日毎日、何もやることがなくて、うんざりするくらい退屈な日々を暮らしています」

 この彼女の手紙を読めば、もう、おわかりであろう。

 自ら率先して次々と課題を見つけることができる人にとっては、自由とは実にありがたいものであるが、そうでない人にとっては、うんざりするくらい退屈なのだ。

 ファイナンシャルインデペンダンスを達成して自由が手に入れば幸せになれると思うのは、ある意味では合っているが、別の意味では間違っているのだ。おわかりいただけたであろうか?

 だから私は、ファイナンシャルインデペンダンスを達成することはあくまで「仮象の目標」にとどめておいて「真の目標」を見つけなさいと言っているのである。なぜなら「真の目標」こそが本当のエウダイモニア(生き甲斐)をもたらしてくれるからである。 

| | トラックバック (0)

2009年4月13日 (月)

不労所得が得られたら、あなたは何がしたい?

 「一生、遊んで食べていける不労所得がほしい」という人は多い。

 たしかに、経済的な不安がなければ、安心して好きなことだけやっていればいいわけであるから、他人から見れば、羨ましいかぎりであろう。「私も、あの人のように、お金のために働かなくても一生遊んで食べていけるようになりたい」と思うだろう。

 しかし、考えてみてほしいのだ。本当に真面目に考えてみてほしい。

 あなたがもし、一生、遊んで食べていける不労所得を手にしたら、毎日毎日、朝から晩まで何をして暮らすつもりなのか? 

 私が聞いているのは、一週間、二週間の話ではない。一ヶ月、二ヶ月の話でもない。ずっと一生続く日々のことである。しかも、朝から晩まで、とくに「せざるを得ない」ことがまったくない。もしそんな「自由」を手にしたら、あなたは一体全体何をやるつもりなのか。

 いくら何でも、毎日遊んで暮らすというわけではないだろう? 旅行をするといっても、そんなに毎日毎日旅行ばかりできるわけもないし、旅行ばかりして暮らすわけにもいかないだろう? 遊びというのは、やりたいことをやり遂げた後に「休憩」としてあるからこそ、楽しいのであり、息抜きになるのである。毎日毎日遊びをやっていると、その楽しみも瞬く間に色あせてしまい、まったく魅力のないものになる。ついには、刺激をエスカレートしなければ楽しめなくなるのだ。

 あなたは、一生、遊んで暮らせるような不労所得を得て、途方もなく続く「自由」を手にしたら、自ら率先して課題を見つけて、それに取り組むだろうか?  

 ハッキリ言っておくが、一生続く「自由」を手にしたら、自ら率先して課題を見つけて取りくむということができない人間にとっては、とてつもなく退屈なだけなのだ。そのときになって、「ああ、俺は、不労所得さえ手に入れば、ものすごく幸せになれると思っていたが、なんということだ、こんな退屈な日々が待っていたとは。これなら夢に向かって努力していた若かった頃のほうが日々充実していたなぁ…」と、幻想を見ていたことに気づくのがオチなのだ。

 だから私は「一生、遊んで暮らせる不労所得がほしい」と思っている人には、声を大にしてこう言っておきたい。

「不労所得を得ることを目標にするのがいけないわけではない。しかし、それを第一の目標にするな。そんなものを目標にして、仮に達成できたとしても、そんなものでは本当の幸せなどつかめやしない。本当の幸せは自分を磨くことから得られるのだ。だから、自分を磨くことを第一に考えよ」と。

 学生なら学校から与えられた課題だけしかたなしにやるとか、会社員なら求められている必要最低限の仕事だけやるとか、そういう人間で終わるのではなく、自ら率先して自分を磨くことができるようにならなければ幸せにはなれないのだ。

 自分を磨く方法ならいくらでもあるだろう? 偉人伝を片っ端から読んでみるのもいいだろう。外国語に挑戦してもいい。社会に対して提言したいことがあるのなら、原稿を書いて出版社に売り込んでもいいだろう。出版社に売り込むのがハードルが高すぎるのなら、新聞や雑誌に投稿してもいいだろう。みんなの為になると思った情報があったらブログで公表してもいいのではないか。あなたは今までそういことを自ら率先して次々とやってきただろうか。

 とにかく、「不労所得が自分を幸せにしてくれるはずだ」という幻想は捨てることである。アリストテレスもいみじくも言ったように、本当の幸せとは、エウダイモニア(自分の魂を優れたものにすることによって生き甲斐のある人生を送ること)の中にあるのだ。人間は、お金だけではけっして幸せにはなれないのだ。

| | トラックバック (0)

2009年4月12日 (日)

月々の支出を減らす(14)

 何度も言うようだが、ファイナンシャルインデペンダンスを達成すれば(不労所得だけで生活できるようになれば)、そこから先の人生は、本当に好きなことだけをして生きていける。

 しかし、ファイナンシャルインデペンダンスを達成しようと思えば、稼ぐことと同時に、いや、稼ぐこと以上に、節約が大切だろう。

 なかでも「知らない間にどんどん引き落とされていっている」ということは、できるだけ食い止めることである。

 その代表格が、クレジットカードではないだろうか。

 私は、JCBカード、マスターカード、VISAカードと持っているが、JCBカードなどは3枚ももっていた。

 どこの企業も、「カードを作ってください」といって必死に勧誘する。だから、長年生きていると、作るまいと思っていても、なんだかんだで沢山カードができてしまっていることはないだろうか。

 あなたも、今、クレジットカードを見直してみてほしい。

 永年会費無料のカードは取り立てて問題にしなくてもいい。

 問題なのは、年会費がかかるカードである。

 これは気をつけるべきだ。本当にそのカードは必要なのか、今一度、よく考えてみるべきだ。

 例えば、私はJCBカードを3枚作っていたのだが、そのうち2枚は永年会費無料なので放置したままでいいのだが、1枚は年会費が1312円かかっていた。

 しかし、よくよく考えてみれば、JCBでクレジットで買い物をしようと思えば、永年会費無料のJCBカードがあるわけだから、そのカードで買い物ができるのだ。ゆえに、今までまったく無駄に1枚分の年会費を払い続けていたことになる。1年で1312円といっても、それを10年くらい続けていたわけであるから、13000円ていどは無駄にしていたことになる。

 細かいことではある。

 しかし、まったく無駄なお金ならば、たとえわずかな金額でも節約すべきだろう。

 あなたも、クレジットカードを見直してほしい。年会費が永年無料のカードを持っているのであれば、同じ系列のクレジットカードで年会費を払うのはもったいない。他にメリットがなければ、解約を検討すべきではないか。

| | トラックバック (0)

2009年4月11日 (土)

上智大学大学院合格

 上智大学大学院(科目等履修生)に合格した。

 科目等履修生といっても、志望理由書や最終出身校の成績などの書類審査があり、それに合格しなければ履修することはできない。

 だから、合格通知が来るまでは冷や冷やしていた。そんな折り、昨日、合格通知が来たのだった。

 素直に嬉しい。

 というのも、やはり、学問というのは、先生について勉強したほうがいいからだ。独学でももちろん勉強できるが、独りよがりになりかねないからだ。私は、そのための授業料などちっとも惜しいとは思わないのである。 

 私は、カントの『純粋理性批判』の授業を受けるつもりである。

 授業では、もちろん、ドイツ語の原典で読むことになる。

 そこで今は、まったくの独学で、この本の訳書『純粋理性批判 上 岩波文庫 青 625-3 』を読んでいる。いわば準備体操だ。

 難しいことで有名なこの本も、意外と読み進めていける。これも慶應大学時代に哲学の勉強をしていたからだと思う。まったく哲学を勉強していない人は、この本を読んでも何のことかさっぱり分からないに違いない。

 しかし、これをドイツ語で読むとどうなるだろうか。さあ、ドイツ語の勉強も明日から気を引き締めて再開だ。

 

| | トラックバック (0)

2009年4月10日 (金)

主体的に善い人間になろうとするのが人間の義務

 霊界のことを研究すればするほど、この世での一日一日の生き方がいかに重要であるかが分かる。そして、人間の義務は、少しでも善い人間になるべく、日々、努力することであることが分かる

 誤解のないように言っておきたい。善い人間になる努力をするのは「人間の権利」ではなく、「人間の義務」だ。そして、その義務を果たさなければ、死んだ後、大変な苦しみを味わうことになる。それは一種の地獄といってもいい。(退屈という地獄である)

 先日、私が霊界に関する英書を翻訳していることを友人に話すと、その友人は、「善いことをすることよりも、まず他人に迷惑をかけないようにしたい」と言い出した。

 もちろん他人に迷惑をかけないことも大切だ。というのも、他人に迷惑をかけていては、善いことだってなかなかできないからだ。

 だが、それはあくまで第一歩にすぎない。その第一歩を超えて、少しでも善いことをするというのが「人間の義務」であり、その義務を果たさなければ、死んでから地獄に入ることになるのだ。私は、ぜひそのことを皆さんにお伝えしたいのだ。

 では、「他人に迷惑をかけなかったが、とりたてて善いことは何ひとつしなかった人間」は死んだ後、いったいどんな苦しみを味わうことになるのか? どんな地獄に入るというのか?

 『アラン・カルデックの「霊との対話」 天国と地獄II 』という本に、そのような人生を送ってあの世に行った霊の話が書かれてある。

 その霊はこの世に生きていたとき、とりたてて何も善いことをしなかったため、あの世では退屈という罰を受けて苦しんでいる。毎日毎日、何もすることがなく、何の刺激もない。まわりにいる人たちも無為にダラダラと退屈な日々を暮らしている霊たちである。そういう生活が延々と180年間も続いているのだが、悪いことに、これから先どれくらい続くか本人たちも分かっていないのである。そのため彼らは、おぞましい倦怠感に悩まされ続けているのである。

 同書から抜粋してみよう。

「退屈に由来する、この無気力状態は、ある意味では、激しい苦しみよりももっとつらい、真の意味での苦しみだと言えるかもしれません。というのも、いつまでも、無限に続く可能性があるからです。決して終わることのない退屈がいかに恐ろしいものであるか、あなたがたは想像できますか?」(184ページ)

 この世に生きているときは、肉体をもっている私たちは、食べていかなければならないため、お金を稼ぐ必要があり、仕事をしていれば、まだ気も紛れるかもしれない。しかし、ただ単に惰性で会社生活を送り、自ら率先して善いことを何一つせずに人生を終えた人は、死んだあとで、このような「退屈地獄」に入り、毎日毎日退屈で退屈でしかたがない生活を送る羽目になるのである。

 私の友人が言うように、他人に迷惑をかけないことは大切だ。それは私も認める。だが、それはあくまで第一歩であり、それを超えて、少しでも世のため人のために善いことをする努力をするのが「人間の義務」なのだ。

 少しでも善いことをしようと思いさえすれば、やるべきことはいくらでも見つかるだろう?

 5円であれ10円であれ献金したっていいではないか。自分自身がお金に困っているのなら、献血はどうか。公園にゴミが散らかっていたら、拾ってゴミ箱に入れてもいいではないか。悩んでいる人がいれば、親身になって相談ののってあげてもいいではないか。やる気になれば、ボランティア団体に自ら率先して連絡して、活動に参加したっていいではないか。社会に対して何か提案したいことがあれば、新聞や雑誌に投稿してみたっていいではないか。あるいは、だれかの為になると思ったことをホームページに掲載して教えてあげるというのでもいいではないか。

 とにかく、少しでもいいから、自分のできる範囲で、何か善いことをしようと思うことが、この世に生きている人間の義務なのだ。その義務を甘くみていると、死んでから、先述した霊のように「退屈地獄」に陥ることになるのだ。

 さあ、それが分かったら、今日から出発だ。

| | トラックバック (0)

2009年4月 9日 (木)

CSS初体験!

 『IBM ホームページ・ビルダー13 通常版 バリューパック 』はスゴイ!

 私は、今までCSS(カスケーディング・スタイル・シート)を実際に自分のHPで使ったことはなかった。使ってみたいとは思っていたが、どうしても「難しい」というイメージが先行して、やらずじまいだったのだ。

 ところが、なななんと、「ホームページビルダー13」を使えば、既存の平凡なページが一瞬にしてCSSを使ったページに様変わりするではないか! 

 もう一度言う。一瞬である。しかも難しいことなどない。サササッと指示どおりにクリックしていけばそれだけで終わるのだ。

 実は、CSSは5年も6年も前に、ITスクールでそのルールを勉強していた。しかし、とにかく覚えなければならないルールが多く、ちょっとでも間違えると、エラーになってめちゃくちゃなページになってしまうので、「難しい」という印象しか受けなかったのだ。だから、CSSをすれば、プロのデザイナーらしいホームページができることは分かっていても、ずっと手が出ずじまいだったのだ。

 が、それが「ホームページビルダー13」を使えば、一瞬でできるのだ。

 以前作成していた平凡なページをCSSを使ったページに変換したのが次のリンク先のページである。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/gogaku.htm

  昔、ITスクールでCSSに頭を悩ましていた私にとって、これは驚き以外の何ものでもない。あんなに難しいことが、一瞬でできるとは!

 HP作りがますます楽しくなってきた今日このごろである。既存のページをどんどんカッコよくしていきたいと思う。

| | トラックバック (0)

2009年4月 8日 (水)

携帯用サイトを新設!

 語学にしろ、ITにしろ、書道にしろ、音楽にしろ、本当に愉しめるようになるには、それまでの道のりが長い。

 私の場合も、特にITに関しては、愉しめるようになるまでが長かったように思えるのだが、最近は、自分のサイトを改善していくのがとても楽しくなってきた。

 昨日は、携帯用サイトを新設しみた

 試しに自分の携帯電話からアクセスしてみると、ちゃんと携帯用の画面が映っているではないか。ネコの写真もそれなりに映っている。これは面白い! 面白いし、楽しい!

 実は、工業大学時代に、携帯用サイトの作り方の実習の授業が1コマ(90分)だけあった。一応、その時間内で、指示されるまま、簡単な携帯用サイトを作ったことは作ったのだが、まあ、見よう見まねで指示された通りに作っただけだったので、作り方も忘れ、必要性も感じなかったために作らずじまいだったのだ。

 しかし、今や携帯の時代でもある。パソコンよりも、むしろ携帯からホームページにアクセスする人が多くなってきているのだから、携帯用のサイトも合わせて作っておいたほうがベターなのだ。

 しかし、先日買った『IBM ホームページ・ビルダー13 通常版 バリューパック 』には、なんと簡単な操作で携帯用サイトが作れる機能があったのである。簡単な操作といっても、慣れない私には、なんだかんだで2、3時間はかかったが、それでも、ちゃんと携帯電話で見ることのできるサイトが実際にできて、しかも、自分のパソコン用サイトにリンクを張ることもできたのだ。サイトの中身はこれから改善していくにしても、一応、できたというところに大きな喜びを感じているのである。

 ブログだけを更新し続けている人、本格的なホームページを作ってみないか。そして携帯用サイトも作ってみないか。今は先述した『ホームページビルダー13』のソフトさえインストールすれば、意外に簡単に作れる時代になってきているのである。

 なお、すでに古いバージョンのホームページビルダーを持っている人は『IBM ホームページ・ビルダー13 バージョンアップ版 』だと安く買えるし、学生などなら『IBM ホームページ・ビルダー13 アカデミック版 』を買うという手もある。

 私は、これからホームページを少しずつ改善し、面白いホームページを作っていきたいと思っている。最終的には英語でサイトを立ち上げるつもりである。こうご期待!

 

| | トラックバック (0)

月々の支出を減らす(13)

 私は、過去数年間、ほぼ毎月のように何かの検定試験を受けている。こうして自分の知識に磨きをかけられることは、実にありがたいことだが、こういうことができるのも、それなりに金銭的な余裕があるおかげだからでもある

 このように自分の知識に磨きをかける努力をする一方で、無駄な出費も減らす努力はかかせない。無駄な出費を減らすことができれば、さらにそのお金を勉強に費やすことができるからだ。

 さて、今日は携帯電話のプランについて述べたい。

 私は、過去2年間、ソフトバンクの月の基本料980円のプランだったのであるが、さらにお得なプランがあるのを知った

 auなら、月の基本料980円だが、無料通話分が1050円分あるのだ。

 私は携帯電話はほとんど使わず、外出先でも公衆電話があるところでは公衆電話を使っている。そのため、月の支払いも、1000円~1500円ていどなのだ。過去2年間の平均を出してみると、1206円と出た。

 しかし、もしauに代えたとしたら、無料通話分が1050円ついているわけであるから、私の場合、ほぼ毎月980円ですむことになる。

 たかだか月220円程度の差ではないかと笑う人もいるかもしれないが、これから先ずっと遣い続けることを考えれば、毎月980円ですんでくれたほうが、ありがたい。

 今は携帯電話会社も競争が激しいのか、他社に乗り換える際の手数料もほとんどかからないようなキャンペーンをやってくれている。私の場合も、手数料はほとんどゼロといえる。

 本当に微々たる額ではあるが、こういうこともしっかりやっていくのが賢明だと思うのである。私の倹約術も相当なものになってきていると思う。 

| | トラックバック (0)

2009年4月 7日 (火)

資格を目指そう

 私の友人に資格マニアがいるのだが、長年難関試験に挑戦し続けてきて、どうやら資格に飽き飽きしているようだ。

 飽き飽きしているのは、おそらく、仕事に関連する資格ばかりを狙い、自分が本当に興味のある勉強をしなかったからではないか。

 というのも、私は資格を受ければ受けるほど楽しくなり、ますます挑戦したくなるからだ

 私は基本的に自分がしたい勉強をしているのであって、「この資格を取得すれば仕事に役立つだろう」とか「この資格を取れば会社で評価されるだろう」といった目的で勉強しない。あくまで自分の好きな勉強しかしていないのだ。だから疲れないし、落ちても何とも思わないのだ。

 さて、かくいう私が今年挑戦してみたいのは、「ドットコムマスター★★」「WEB検定(WEBデザイン)」「CIWサイトデザイナー」「アロマテラピー検定1級」「ドイツ語検定準1級」「ITパスポート」などである。

 もっとも、仕事も忙しいし、大学院での勉強もあるし、やりたいことも山ほどあるので、すべて挑戦できるかどうか分からない。またIT関連資格は受験料が高いので、そんなに安易に受けられない。

 あなたも、自分が好きな分野の資格に挑戦してみたらどうだろうか? 「この資格を取ったら会社で評価されるだろう」という下心から勉強するのではなく、「この分野の知識を身に付けたい」という理由で始めてみたらどうだろうか? 勉強が楽しくなるぞ!

| | トラックバック (0)

2009年4月 6日 (月)

他人より一歩先に出るには

 人間はものぐさなもので、必要に迫られないかぎり、自発的に努力して何かを習得しようとはなかなか思わないものだ。

 いわゆる、学のない人であればあるほど、

「なんでそんなことやる必要があるの? そんなこと勉強しても何にもならないと思うけどなぁ。だって宮崎さんって翻訳家なんでしょ? 翻訳さえできれば、他のことは必要ないと思うけどなぁ」

 みたいなことを言うのである。

 私は留学する前から翻訳の仕事をしていたわけであるから、言ってしまえば、イギリス留学だって必要なかったと言えば言えるのだ。ましてや工業大学を出たり、慶應大学を出たり、というのは、まさに「余分なこと」であり、必要最低限のことではない。だが私は、必要でなくても、自ら率先して課題を見つけ、挑戦してきたのだ。しかも、私はこれからまだいくつかの大学に挑戦しようと思っている。

 何度でも言うが、必要最低限のことだけを、必要に迫られたときだけ嫌々ながらやっているようでは、一生、平凡なままだ。そんな人間が偉人になれるわけはない。

 あなたは平凡なままで終わりたいのか? 金だ、女だ、地位だ、名誉だと平凡な人間ならだれもがほしがるものを求めて人生を終わるのか?

 少しでも人から尊敬される人間になりたくはないのか? あの世に行くとき、少しでもよい世界に入りたくはないのか? もし入りたいなら、この世で少しでもより善い人間になるべく努力するのが義務だ。

 その義務を果たすためには、今すぐ必要なことでなくても、興味がある分野でしっかりと勉強しておくことだ。そういう地道な努力をコツコツとやっていてこそ、いずれそれを世のため人のために役立てることができる日が来て、頭角を現すことができるわけだ。

 あなたにはそういう打ち込んでみたいものがあるのか? 

 ただ単に日常生活を繰り返すだけで、家に帰ってはテレビを見たりして、楽なことだけをしていても、自分が磨かれることはないとは思わないか? 

| | トラックバック (0)

2009年4月 5日 (日)

ネット利用者9000万人超の時代

 日本のネット利用者がついに9000万人を超えたというニュースが出た。

 10年前は2000万人にも達していなかったのが、毎年毎年、利用者はうなぎのぼりであり、ついに9000万人を超えたという。

 おそらく5年後には日本の総人口の95%以上がネットを利用するようになるのではないか。言い換えれば、ネットができない人は、「文盲」ならぬ、「ネット盲」になってしまうのではないか。

 何度でもいうが、世の中は激変しているのである。これからの社会はますますインターネットに依存する社会になる。

 それは間違いのないことだろう?

 だから、ITの勉強が必須であると言っているである

 「でも、今の仕事に必要ないから…」

 「でも、今は忙しいから…」

 このように言って、必要最低限のことだけしかやらずに生きていると、平凡のままで終わってしまうのではないか。いや、平凡以下に成り下がる可能性すらあるのではないか。

 かくいう私は自身の体験からも、近々、ITの勉強のしかたを公表したいと思っている。

 

 

 

 

| | トラックバック (0)

2009年4月 4日 (土)

ドットコムマスター★★受験決意

 先日、「夕刊の廃業が相次いでいる」という記事を見た。新聞社も今は大変なようだ。それに雑誌も大変なようだ。かつてはヘアヌードで話題を呼び、100万部を軽く超えていた『週刊現代』や『週刊ポスト』も売れ行きが急激にダウンしているというではないか。ハッキリ覚えていないが、20万部台とかそんな数字だったように覚えている。

 新聞も雑誌も悪銭苦闘している原因はさまざまあるだろうが、私はインターネットの普及が一番の原因ではないかと思っているのである。なにしろ、インターネットをやっていれば、何でも調べることができるのだ。そうは思わないか?

 もはやインターネットの時代なのである。

 つまり、ITの勉強は必要不可欠だということだ。

 私が声を大にしてITの勉強をしろと叫んでも、「今は忙しいから」とか言って、必要最低限のことしかやろうとしない人が多い。しかし、必要最低限のことだけしかやらないままだと、人より一歩先に行くことなどできないのだ。人より一歩ぬきんでようと思えば、ITの勉強は必修科目だと心得た方がいいだろう。

 かくいう私は、今年中に『ドットコムマスター★★』と『WEB検定(WEBデザイン)』の資格取得を目指す。『WEB検定(WEBデザイン)』はいち早く取りたいのであるが、前回、予想外に点数が低かったし、受験料も高いので、今月は『ドットコムマスター★★』を受験することにした。4月からは2009年版の公式テキストが新発売なので、早速、新しい公式テキストを手に入れ、勉強を開始している。

 正直なところ、合格する自信はない。しかし、前回より少しでも高い点数を目指したい。結果はこのブログでも公表するつもりである。

 何度でもいう。ITの勉強は、「やらなければならないな」と思った時点で勉強を始めても、もう手遅れになっている可能性が高い。今、始めるべきだ。こういう勉強は一気呵成に実力がつかないのだから、コツコツコツコツやっていくしかないのだ。

「ITの勉強って何をやればいいの?」と思う人がいるかもしれない。そういう人は、まずとりあえず、『ドットコムマスター★』やその下の『ドットコムマスター・ベーシック』をお勧めしたい。

| | トラックバック (0)

2009年4月 3日 (金)

月々の支出を減らす(13)

 節約する上で重要なことは、あまり無理をしすぎないということだ。ダイエットと同じで、あまりにも無理をしすぎると、リバウンドしてしまいかねない。せっせせっせと節約したものが、一瞬にしてなくなったということになっても、馬鹿らしいからだ。

 したがって、節約を長く続けて行こうと思えば、たまには贅沢を自分に許すということをしてもいいのではいか。人生は、我慢大会ではないのだから、ごくたまに贅沢を許すことで、人生を楽しんでもいいと思うのだ。

 そういうわけで、私は昨日、大江戸温泉物語に行ってきた。私にとっての久々の休日だ。

 実は、私は大のサウナファンであり、昔は週に一度は上野や錦糸町などにサウナに入りに行っていた。今から思えば、実に無駄遣いをしたと思うのだが、当時は、仕事があまりに忙しかったので、それくらいのリラックスは必要に思えたのだ。サウナから出たら休憩室でビールを飲んだりしてたので、なんだかんだで1回行くたびに5000円以上は使っていたと思う。

 しかし、昨年友人と大江戸温泉物語に行ったときに初めて気づいたのだが、私の住んでいる町から無料送迎バスが出ているのだ。しかも、そのバスに乗れば、わずか20分で着いてしまう。当然、無料だから、交通費のかかる上野や錦糸町などに行くより安上がりだ。

 平日に行く大江戸温泉物語は、あまり混んでいなかったので、気分は最高であった。

 昨日は、生まれて初めて岩盤風呂を経験した。私は身体を動かさない仕事がら、血行が良くないのか、冷え性である。そんな私がこの岩盤風呂で身体のすみずみまで温まると、一日中、身体がぽかぽかしていた。これははまりそうだ。特に身体の冷えやすい冬にはいいかもしれない。

 気が付いてみると、私は入館料2900円と岩盤風呂700円(1000円のところを300円割引)で3600円しか使っていなかった。実に安上がりのリラックス方法かと思ったのであった。昨日、会員になったので、次回からは入館料が2500円になるらしい。ときどき行くのもいいリラックスになりそうだ。

 節約するのはいい。しかし、あまりにも無理をしすぎるとリバウンドしかねない。だから、自分とよく相談して、たまには私のように少し贅沢をしてもいいのではないか。それが節約を長続きさせるコツではないか? 

| | トラックバック (0)

2009年4月 2日 (木)

月々の支払いを減らす(12)

 収入を増やそうと思えば、それは相当の努力が必要となってくる。しかし、支出を減らすのは、今すぐ実行に移せることだ。

 月に1万円多く稼ごうと思っても、そう簡単にはいかないだろうが、支出を1万円減らすのは努力すればその月からでもできるだろう。結局、1万円多く稼ぐのも、1万円支出を減らすのも、月々のキャッシュフロー(お金の流れ)としてはまったく同じなのだ。だからこそ、支出を減らす努力をがんばるべきなのだ。

 支出を減らす一つは、病気にかからない、ということである。

 例えば、私の友人に、年に3回は風邪を引くという人がいる。当然、風邪薬も飲むだろう。するとお金がかかってしまうだろう。身体もだるいし、お金も出ていくで、病気は何もいいことはないのだ。

 かくいう私は、とにかく病気はしない。だから治療費とか薬代とかがほとんどないのである。

 しかし、病気にかからないようにするためには、それなりの努力もしている。例えば、暴飲暴食をすることはないし、定期健康診断は必ず受けている。歯の定期検診も受けている。インフルエンザの予防注射もしているし、インフルエンザがはやっている時期は人混みに入っていかない。

 その他、とにかく病気にならないように細心の努力を積み重ねているのだ。

 健康を当たり前だと思っていないだろうか? 健康は当たり前のものではない。日頃の不断の努力によって作り上げていくものなのだ。そしてその努力によって築き上げた健康は「治療費ゼロ」「薬代ゼロ」という報酬になって現れるのだ。

 

 

| | トラックバック (0)

2009年4月 1日 (水)

不動産投資か投資信託か

 私の友人に、アパートを手に入れてアパート経営をすることで不労所得を得たいという人がいる。そんな彼はローンを組んでまでそれを実行しようとしている。

 もちろん、考え方は人それぞれだし、どんな投資がよくて、どんな投資がよくないかも、長い目で見なければ判断できないので、批評するつもりはない。

 ただ私は、アパート経営のリスクを取るくらいなら、投資信託のほうがよほど精神的に楽ではないかと思っている。

 なぜ不労所得を得たいかといえば、その答えはだれもが同じであろう。その答えは「しなければならない義務から解放されたい」あるいは「自由な時間がほしい」ということだろう。

 お金がなければ、いやだろうが何だろうが、お金を稼ぐために働かなければならない。それが義務になる。不労所得を得たいのは、そういった義務から解放されて自分の好きなことをして生きていきたいということだろう。

 しかし、アパート経営をするとなると、否が応でも、「しなければならない義務」もたくさん出てくるのではないだろうか。

 例えば、空室が出たら、空室を埋める努力をしなければならない。そのたびに契約を結ぶことになる。家賃を滞納する人が出たら、督促しなければならない。アパートが古くなったら、あちこち修繕しなければならない。なんだかんだで、けっこう「しなければならない義務」はたくさんあるのではないか。

 その点、投資信託はまったく楽である。いったん購入しておけば、あとはまったく何もしなくてもいいのだ。いわば放置プレーでいいのである。もちろん、基準価格が下がるというリスクはあるが、一生かけておくつもりでいれば、基準価格など気にならなくなる。精神的に実に楽なのだ。

 いや、それよりも、私がアパート経営に興味がもてないのは、いったんアパートを購入してしまえば、その土地にずっと縛られることになるということだ。アパートの住人に、いつ、何が起こるか分からないし、心配の種はつきないだろう。そうなると、おちおち、海外旅行などできないのではないか。ましてや、国内でも移住なんてことも考えられなくなるのではないか。つまり、いったんアパートを買ってしまえば、もうその土地にずっといることになる、ということで、自分の可能性が狭まってしまうのではないか。

 正直、今は投資信託の買い時だと思っている。今ほど基準価格が下がっている時期もない。だから分配金の高いものを選べば、実質、利回りは12%なんてことにもなるのだ。

 私は先月、投資信託を50万円追加購入した。このようにして私が受け取る分配金は毎月毎月増えていくわけである。 

| | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »