論理学を勉強した人は、相手が論理をすり替えているかどうかがすぐに分かるようになる。例えば、こんな会話はとても疲れるのではないか。
Aという選択肢とBという選択肢があるとしよう。Aを選ぶか、Bを選ぶかは、私に選ぶ権利があり、どちらかを選ぶのもまったく私の自由だとする。ただ、Aを選んだとき、進むべき道は1か、2か、どちからが分からないとしよう。私は1だと思っているが、間違っていたらいけないので、相手に確認を取っておいたほうがいいと思い、相手に尋ねた。
「私はAという選択肢を取りたいのですが、その場合、進むべき道は1ですか、2ですか? 私は1だと思うのですが、間違っていたらいけないので、確認させていただけませんか?」
私が求めている回答は、1か2かである。それさえ聞けば、すべてが済むのだ。1分で済む話だろう? さっさと1か2かだけを教えてくれればいいだろう?
なのに、相手は、こう答えてきた。
「いや、何もAという選択肢を取らなくても、Bという選択肢もあるよ」
私がAという選択肢を取りたいという前提で質問をしているのに、わざわざBの話を持ち出すわけである。1か2かという論理が、AかBかという論理にすり替わってしまったのだ。
「いや、あの、私はBを選択したいわけではありません。実際、Bを選択するとなると大変でしょうし…」
すると相手は、こう答えてきた。
「いやいや、Bを選択しても、それほど大変ではないよ。方法はあるよ。もしあなたがBを選択したのなら、その方法としてはだね…」
こうして延々と「もしBを選択したら」という話が繰り返されるのである。「Aを選択するかBを選択するか」という論理が、今後は、「Bを選択するのは大変か否か」という論理にすり替わったのである。私は、論理を元に戻そうとした。
「あの、私は別にBを選択したいわけではなく、Aを選択したいのです」
すると驚くことに、相手は、こう答えてきた。
「Aを選択するのはいいが、今すぐAを選択するの? それとも、今しばらくは成り行きにまかせてみる? 何も今すぐ選択しなくてもいいんだよ」
これでまた論理がすり替わったわけである。私はAを選択した場合は、1か2かと聞きたいだけなのに、「今すぐAを選択すべきか、それともしばらく成り行きにまかせるべきか」という論理にすり替わった。こんな話をしていたら、いつまで経っても、1か2かが聞き出せないではないか。
「あのですね、私の質問は、Aを選択したときに、進むべき道は1か2かという質問であって、今すぐAを選択すべきか、しばらく成り行きにまかせてみるか、という質問ではないのです。私がAを選択したとき、進むべき道は1ですか、2ですか?」
「そりゃ、一般的に言えば、普通、そういうのは2じゃないか?」
これでまた論理が崩れているわけである。私は、今回のこのケースで、もし私がAを選んだら、進むべき道は1か2かと尋ねているのに、「一般的に言えばどうか」という論理にすり替わったのである。
「あの、私がお聞きしているのは、今回のこのケースにおいて、もしも私がAを選択した場合に、進むべき道は1か2かであって、一般的なケースに関して聞いているわけではないのです。今回のこのケースにおいては、どうなのでしょうか?」
「いや、まだ1か2か決めていないんだよ。これから詰めるところだ」
こうして本来なら1分で済む会話が、延々と続いたわけである。最初の最初から「まだ1か2か決めていない」と言ってくれれば、すぐに済むのに、それを正直に言いたくなかったのか、延々と回り道をさせられてしまったのである。