「学問なんて頑張ってやっても、それを活かせることなんて、滅多にないんじゃないの? そんな滅多にないことのために、わざわざお金をかけたり、労力をかけたりして頑張るよりも、手軽にできることで、世のため人のためになることをやったほうがよっぽどいいんじゃないの?」
学問をやっても、それが十分に活かせたと思えない人であればあるほど、こう考えるのではないだろうか。
たしかに、いくら学問をやっても、学んだことを、世のため人のために一切使えないとしたら、学問をする意味などほとんどないといえよう。たとえば、モグラの生態の研究に一生涯を費やした学者がいたとしよう。しかし、結局、現代の科学で解明されていること以上のことはなにひとつ見いだせなかったとしよう。こういう場合、いくら本人がモグラについて詳しいと自慢したくても、やったことが世のため人のために何も役に立たないのであるから、まったく独りよがりである。そんなことなら、たとえ、どんな単純な仕事であれ、世のため人のためになることをやったほうが何倍もいいのである。
しかし、「学問なんて、やったところで、社会の役に立つことはめったにない」といって、なんら新しい知識を身につけようとしない人は、考えてもらいたいのだ。
学んだことが本当に一生涯、役に立たないのだろうか? あるいは、役に立つことが本当にめったにないと断言できるのだろうか?
たとえば、私は以前、高校卒の社員ばかりで成り立っている会社でアルバイトをしていたことがある。彼らは口癖のように、「勉強なんてやっても意味はない」「大学なんか行っても意味はない。高校を出たら働いたほうがよっぽどましだ」ということを言っていた。
私が資格を受けることをもらしても、「宮崎さんって翻訳家ですよね? エクセルの資格を取ってなにになるんですか? だって、そんなのできるようになっても、せいぜい家計簿をつけるくらいしか使い道はないですよね? そんな滅多に活かせる機会のないことにお金を使うのってもったいなくないですか?」みたいなことをいつも言っていたのである。
当然、そういう考えをしているのだから、彼らは会社から命令されないかぎり、自ら率先してエクセルを学ばないだろうし、パワーポイントも学ばないだろう。ましてや、ホームページ作成やブログもしないだろう。いや、ビジネスコンプライアンス検定を受けるという発想になったり、あるいは、通信教育で大学に行ってみようとか、外国語を学んでみようということにはならないのではないか。
だって、そうだろう?
エクセルでさえ、「そんなのできるようになっても活かせる機会なんでめったにない」と言っているのだから、大学の通信教育でフランス文学や科学哲学や倫理学や歴史哲学なんて履修しても「まったく意味がない」と思うだろうし、英語やドイツ語なんて勉強する意義など見出せないだろう。
だが、どうだろう? 本当に、外国語をやっても、大学の通信教育をやっても意味がないだろうか? 使い道なんて、本当にめったにないだろうか? エクセルはどうだろうか? パワーポイントはどうだろうか? 本当に勉強するだけばからしいのだろうか?
でも、「活かせる機会がめったにないことは、やるだけばからしい」なんて言っていたら、努力するものはなくなってしまわないか? 彼らは、きっとこういうのではないか?
「書道なんてやってもばからしい。今はみんなパソコンだ。使い道がない」「楽器がひけるようになって何になるの?」「外国語が話せるようになっても、道端で外国人に声をかけられることって一生で何回あるの? そんなのにお金かけるってばからしいよね?」「フランス文学の本を読んで、それが何になるの?」
こういうふうに、彼らは、なんでもかんでも、役に立たない、役に立たないといって、直接金儲けにつながることにしか目を向けなくなるのだ。考えていることが、目先のことだけになってしまうのだ。
たとえば私は最初の大学時代、夏休みは、アルバイトなどせず、ずっと図書館にこもって文学作品を読んだり、英語の勉強をしていた。翻訳家にあこがれてはいたが、なれるとは思っていなかった。回りの友人たちは、「なんでそんなことやっているの?」と言いながら、ほとんどはアルバイトに精を出していた。
しかし、その10年後、私は専業作家になっていた。これは大学時代の読書や勉強がものを言ったのだ。
「活かせる機会がめったにないことは、やるだけばからしい」といって、自分を磨くことを怠れば、未来は開けてこない。それは当然だ。というのも、目先のことだけ考えて、お金になりそうなことしかやらないのだから、大きなことができるようにはなれない。
もちろん、興味のないことはしなくてもいい。しかし、目先のことだけ考えて、「活かせる機会なんてめったにないんじゃないか?」みたいに言っていたら、情熱をもやせるものはなくなるのではないか? お金になりそうになりことがことごとく馬鹿らしく見えてくるのではないか?
かくいう私は、いま、ドイツ語や哲学の勉強に打ち込んでいる。人から見れば、「そんなのいくら頑張って勉強しても、活かせる機会なんてあまりないんじゃないの?」と思えるかもしれない。
でも、こうやってコツコツ勉強していれば、将来、ドイツ語関連の本が書けるかもしれないし、哲学の本がかけるかもしれない。大学の先生になるという道が開けるかもしれない。どんな道が開けてくるか、それはやってみないとわからないのだ。最初の最初から、「そんなのやっても活かせる機会はめったにない」といっていたら、お金儲けにならないことは一切できなくなるのではないかな?
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