数学的センスを磨け
「数学なんて社会に出たら、何の役にも立たないよ」
こういって学生時代に数学のセンスを磨かなかった人は、社会に出て多くの場面で、おろかな意思決定をしてしまっている可能性が高い。
定量分析において、機会費用とか埋没費用という概念がある。数学的センスのある人は、別にこういう専門用語を知っていなくても、何かの行動を起こすとき、ちゃんと計算ができているのだ。
例えば、「難関試験に挑戦する」という例で考えてみよう。
機会費用というのは、それをするのにどれだけの機会を失うかということである。例えば難関試験に挑戦するという場合、専門学校に30万投入したら、30万は他のことに使える機会を失うわけである。それだけではない。勉強している間、家庭サービスの時間に使えるはずだった時間も失う。もちろん、自分が好きなことをする時間だって失われる。こういうのをすべてひっくるめて機会費用という。
数学的センスのある人であれば、「よし何が何でも一発合格してやる」とか「どれだけできるか分からないが、とりあえず始めてみよう」みたいな熱意だけで夢を追わないのである。冷静に判断して、自分の今の実力であれば、最大限がんばったとしてどれくらいの年月とどれくらいの費用をかければ合格しそうかを見極めるのである。そして、自分がその夢を追うだけの価値があるかないかを総合的に判断して決めるわけである。
例えば、合格まで1000時間の勉強が必要だとしよう。仮に、自分が勉強できるのは1日平均1時間だとしたら、1000日はかかることになる。つまり、どうしても3年くらいかかるということが分かる。それを元に計算すれば、専門学校に通ったら、いくらかかるというのも分かる。すると、合格するまでにどれくらいの機会費用がかかりそうだ、ということが分かるのだ。
大学通信教育課程は、ほとんどの人が中退する。慶應大学の場合は中退率が約9割とも言われている。それは、ほとんどの人が、自分が卒業できそうか否かを十分に計算せずに、「授業料も安そうだし、悩んでいてもしかたないから、とりあえず、入学してみようか」みたいな軽いノリで入学したからだろう。
どんなことに挑戦してもいい。「悩んだら、とりあえず、始めてみる」というのも否定しない。しかし、始めたら、当然、機会費用というものがかかるということを忘れないでほしい。言い換えれば、何かを始めるということは、それだけ他のことをする機会を失うということなのだ。
数学的センスのない人は、「自分がどれくらいの時間とどれくらいのお金や労力をかければ目標を達成できそうかということ」を度外視して、熱意だけで「絶対やってやる!」みたいなノリで始めてしまうのだ。しかし、機会費用をほとんど考慮せずに始めてしまうので、それだけ失敗に終わりやすいのである。
私は、別に、難関試験に挑戦しようとしている人や、慶應大学などの通信教育課程に入学しようとしている人に「やめておきなさい」と水を差そうとしているのではない。私が言いたいのは、それを始めるのには、それなりの機会費用がいるのだから、それを冷静に判断して始めたほうがいいのではないかということである。
「絶対に3年で卒業する!」みたいなノリで始めたのはいいが、10年経ってもまだ卒業要件単位の半分にも満たないということになったら、本人も「こんなはずではなかった」と苦しくなるだろう? 経済計画だって来るってくるだろう? だから私は機会費用を冷静に判断したほうがいい、と言っているのである。
埋没費用については、また機会のあるときに書いてみたい。
また、数学を勉強してみたいという人は、「ビジネス数学検定」を受検することをお勧めする。人間、ものぐさなもので、必要に迫られないかぎり、自ら率先して困難なことに挑戦しようとはなかなか思わないものだが、このブログでも述べたとおり、数学的センスを磨いておいたほうが何かと賢明な意思決定ができるようになる。「そんなの何になるの?」みたいなことを言うのではなく、勉強してみたらどうだろうか。しかも、何も目標がなければ勉強にもはりがないが、こうして「ビジネス数学検定」という、ビジネスに直結した数学の検定試験があるのだから、それに挑戦してみたらどうか。
| 固定リンク | トラックバック (0)




