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2009年7月

2009年7月31日 (金)

数学的センスを磨け

 「数学なんて社会に出たら、何の役にも立たないよ」

 こういって学生時代に数学のセンスを磨かなかった人は、社会に出て多くの場面で、おろかな意思決定をしてしまっている可能性が高い。

 定量分析において、機会費用とか埋没費用という概念がある。数学的センスのある人は、別にこういう専門用語を知っていなくても、何かの行動を起こすとき、ちゃんと計算ができているのだ。

 例えば、「難関試験に挑戦する」という例で考えてみよう。

 機会費用というのは、それをするのにどれだけの機会を失うかということである。例えば難関試験に挑戦するという場合、専門学校に30万投入したら、30万は他のことに使える機会を失うわけである。それだけではない。勉強している間、家庭サービスの時間に使えるはずだった時間も失う。もちろん、自分が好きなことをする時間だって失われる。こういうのをすべてひっくるめて機会費用という。

 数学的センスのある人であれば、「よし何が何でも一発合格してやる」とか「どれだけできるか分からないが、とりあえず始めてみよう」みたいな熱意だけで夢を追わないのである。冷静に判断して、自分の今の実力であれば、最大限がんばったとしてどれくらいの年月とどれくらいの費用をかければ合格しそうかを見極めるのである。そして、自分がその夢を追うだけの価値があるかないかを総合的に判断して決めるわけである。

 例えば、合格まで1000時間の勉強が必要だとしよう。仮に、自分が勉強できるのは1日平均1時間だとしたら、1000日はかかることになる。つまり、どうしても3年くらいかかるということが分かる。それを元に計算すれば、専門学校に通ったら、いくらかかるというのも分かる。すると、合格するまでにどれくらいの機会費用がかかりそうだ、ということが分かるのだ。

 大学通信教育課程は、ほとんどの人が中退する。慶應大学の場合は中退率が約9割とも言われている。それは、ほとんどの人が、自分が卒業できそうか否かを十分に計算せずに、「授業料も安そうだし、悩んでいてもしかたないから、とりあえず、入学してみようか」みたいな軽いノリで入学したからだろう。

 どんなことに挑戦してもいい。「悩んだら、とりあえず、始めてみる」というのも否定しない。しかし、始めたら、当然、機会費用というものがかかるということを忘れないでほしい。言い換えれば、何かを始めるということは、それだけ他のことをする機会を失うということなのだ。

 数学的センスのない人は、「自分がどれくらいの時間とどれくらいのお金や労力をかければ目標を達成できそうかということ」を度外視して、熱意だけで「絶対やってやる!」みたいなノリで始めてしまうのだ。しかし、機会費用をほとんど考慮せずに始めてしまうので、それだけ失敗に終わりやすいのである。

 私は、別に、難関試験に挑戦しようとしている人や、慶應大学などの通信教育課程に入学しようとしている人に「やめておきなさい」と水を差そうとしているのではない。私が言いたいのは、それを始めるのには、それなりの機会費用がいるのだから、それを冷静に判断して始めたほうがいいのではないかということである。

 「絶対に3年で卒業する!」みたいなノリで始めたのはいいが、10年経ってもまだ卒業要件単位の半分にも満たないということになったら、本人も「こんなはずではなかった」と苦しくなるだろう? 経済計画だって来るってくるだろう? だから私は機会費用を冷静に判断したほうがいい、と言っているのである。

 埋没費用については、また機会のあるときに書いてみたい。

 また、数学を勉強してみたいという人は、「ビジネス数学検定」を受検することをお勧めする。人間、ものぐさなもので、必要に迫られないかぎり、自ら率先して困難なことに挑戦しようとはなかなか思わないものだが、このブログでも述べたとおり、数学的センスを磨いておいたほうが何かと賢明な意思決定ができるようになる。「そんなの何になるの?」みたいなことを言うのではなく、勉強してみたらどうだろうか。しかも、何も目標がなければ勉強にもはりがないが、こうして「ビジネス数学検定」という、ビジネスに直結した数学の検定試験があるのだから、それに挑戦してみたらどうか。

    

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2009年7月30日 (木)

あなたは10年後を見据えているか?

 島田紳助がテレビで大活躍しているが、彼が漫才師だったころ、ここまで活躍することを予想できた人はどれくらいいるだろうか。

 私が彼がすごいと思うのは、つねに5年先、10年先のことを考えているところである。

 例えば、漫才師になると決意し、竜介とコンビを組むときも、「10年したら漫才師は止めような」と最初から言っていたという。ただ闇雲に漫才をやっていたのとはわけが違っていた。だからこそ、今、活躍できているのではないか。

 私自身も、32歳から40歳くらいまでは、単行本の出版で猛烈に忙しかった。年間で10冊近い単行本を毎年のように出していたのだから、どれだけ忙しいかが分かるだろう。実際、私はなんだかんだで60冊近い単行本を出すに至ったのである。

 しかし、その当時から私は、「こういう多忙な生活は長くできるものではないな。本は出し続けたいが、40歳を過ぎたら、たくさん出すのは少し控えてでも、勉強したり、ITの腕を磨きながら、少しづつ出していきたいな」と思っていた。

 というのも、当時から出版不況がさけばれており、印税だけに頼って生きる生活からは卒業しなければならないことは分かっていたのだ。

 実際、今は出版業界は大変なことになっている。

 2000年に約4800社あった出版社が、2002年に約4500社に減り、2004年には約4400社に減り、2008年には約4200社に減り、今年3月にはとうとう4000社も切って、3979社になったという。4000社を切ったのは実に30年ぶりらしい。

 書籍や雑誌の売り上げも、ここ10年で激減している。書籍は約17%減り、雑誌は約24%も減っているのである。

 なぜか? インターネットがこれほど流行しているのである。だれが考えても、書籍や雑誌がますます売れなくなることは分かるだろう。私は、それを見抜いていたため、2005年に工業大学に入学し、ITの勉強をする決意をしたのである。

 あなたは、5年先、10年先、どうなっているか、予想した上で夢を描いているだろうか? 例えば、漫才が好きで好きで仕方がないコンビがいたとする。しかし、漫才ブームが去ってしまえば、漫才師として食べていけないのは目に見ているのだ。また、売れたといっても、一生漫才だけで食べていけないだろう? 島田紳助はそこを冷静に見抜いていて、だからこそ、漫才師をやめた後のことまで考えながら自分を磨いていたのだろう。

 それと同じで、あなたにも夢があるだろうが、5年後、10年後の社会ではどういう立場にあるのかというところを冷静に分析する力も必要なのではないだろうか。

    

 

 

 

 

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2009年7月29日 (水)

ブログ開設1年の感謝

 ブログを開設して、ちょうど1年が経ちました。

 訪問してくださった方々、特にリピーターとして訪問してくださった方々に感謝を申し上げます。

 1日1本の記事を書き続け、まる1年続けましたので、投稿記事が365本となりました。 最初の頃は1日のアクセス数が10件程度でしたが、今では1日100件近くのアクセスがあり、1年間で約25000のアクセスになりました。(ですので1日平均は68件となります)。

 さて、ブログも2年目に突入し、さらなる改善を考えております。

 まだ漠然としておりますが、次のように考えております。

 まず、ブログを分散していきたいと思います。今まではこのブログがメインでした。(他のブログもいくつか作っておりましたが、ほとんど更新せず、放置状態でした)。しかし、今後は、より皆様に喜んでいただけるよう、それぞれのブログのメインテーマを決め、投資なら投資、学問なら学問、映画なら映画、ドイツ語ならドイツ語、霊界なら霊界…という風に分けてみたいと思っています。ただし、いつ、どのようにというガチガチのプランを作らず、試行錯誤で試していきたいと思います。そして、当ブログ「宮崎伸治の七転八起」は基本的に私のプライベートライフ色の強いものとしていきたいと思います。

 次に、ブログにリンクしているホームページの充実を図ろうと思います。こちらのほうも、あまり具体的なプランは作っておりませんが、時間的余裕を見ながら、皆様に喜んでいただけるよう努力したいと思います。そのために、今、WEBデザインなどを勉強しております。

 アクセス数とブログの善し悪しとは必ずしも一致するものではないと思いますが、「ある程度のアクセス数がある」というのも、ブログの魅力を計る基準になると思いますので、2年目はアクセス数の増加も目標の一つに掲げたいと思います。1年目は約25000件のアクセスでしたので、2年目は約35000件のアクセスを目指し、トータルで6万アクセスの突破を目標としたいと思います。

 今後とも、よろしくお願いいたします。 

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2009年7月28日 (火)

手っ取り早く金持ちになろうとするな!

 金持ちになるための本は多い。

 いいことを書いてある本もあれば、拝金主義的な本もある。どれを信じるかは本人しだいだ。だから、他人がどういう金儲けをしようとしているかについて、とやかくいうつもりはない。

 しかし、「手っ取り早く金持ちになる方法」は、それだけ危険であることを認識してもらいたいのだ。

 例えば、あえて書名は出さないが、あるベストセラーになった本をさらさらっと目を通してみると、そこに書かれてあったのは、だいたいこんなことだった。

「早く金持ちになりたければ、銀行からお金を借りて不動産に投資することである。投資信託は時間がかかりすぎる。レバレッジ効果をいかにうまく効かせるかが金持ちになれるかなれないかの境目だ」

 不動産投資で成功したその著者は、いかにも自慢げに金儲けのテクニックを披露しているのである。

 この本を読んだ人のうちの何割かは、「なるほど、こうやれば手っ取り早く金持ちになれるのか。よし、俺も銀行からお金を借りて不動産投資をしよう! 投資信託なんて、まどろっこしいことなんてやってらんないよ」と錯覚してしまうのではないか?

 自分の住居用に銀行に住宅ローンを組んでもらうのは仕方がないことだと思うが、不動産投資のために銀行からお金を借りてまで投資するというのは、リスクが高すぎはしないか。なにしろ、空室が何ヶ月か続いただけで、すぐに計算が狂って、取り戻しができなくなるおそれがあるのだ。

 しかも、もう一点、クビをかしげたくなることがある。不動産投資は「すぐに金持ちになれる」のか? いい物件を見つけようと思えば、半年、1年、1年半、2年…と、あれにしようか、これにしようかと迷っているうち、いつの間にか時間がかかってしまうだろう? 一見、「銀行のお金で不動産を取得して家賃収入を得る」というのは手っ取り早くお金が入りそうな感じだが、実は不動産を見つけるのに時間がかかるのだ。なんだかんだで、それなら最初から投資信託にかけておいたほうが良かったということにならないだろうか? なぜなら今なら投資信託に2年もかけていれば、投資した額の20%くらいは分配金で戻るからだ。

 私には、この本よりも『ベンジャミン・フランクリン 富を築く100万ドルのアイデア 』のほうがよっぽどいいことが書かれてあったと思う。こちらのほうは、お金儲けのテクニックというより、お金持ちになるための原理原則が書かれてある。そしてそれを一言でいえば「倹約と勤勉こそがお金持ちになるために最も大切なことであり、手っ取り早くお金もちになろうとしてはならない」ということである。

 お金持ちになりたいと思っている人には、私なら、むしろこうした本を読むことを勧めたいのだ。

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2009年7月27日 (月)

本質を理解しないうちは、金持ちになろうとするな!

 ネットサーフィンをしていると、いかに世の中の多くの人がお金をほしがっているかが分かる。もちろん、それはそれで構わない。何を望もうと本人の自由だから、とやかく言うつもりはない。

 しかし、お金儲けの本質を理解しないで、たんにテクニックだけでお金を稼ごうとするのは大きな失敗のもとだし、仮にそんなことをしてお金儲けをしても、けっして幸せにはなれないと思う。 

 よく考えてみてほしい。お金儲けの本質とは、「自分を世のため人のために役立てて、人様に喜んでもらい、その対価としてお金を貰う」ということであり、お金をたくさん稼ごうと思えば、それだけ人様に喜んでもらうことをしなければならないわけである。「お金が入ってくる」のが先ではなく後なのだ。その前に必ず「人様に喜んでもらう」がなければならないのだ。だから、お金儲けをしようと思えば、「どうすれば人様に喜んでもらえるか」と真っ先に考えなければならないわけである。

 しかし、たんにテクニック的なことだけでお金をガッポリ儲けてやろうという人は、自分を世のため人のために役立てようなんてことはちっとも考えていない。彼らが考えているとは、「とにかく手っ取り早く、できるだけ楽をしてお金を稼いでやろう」とういことだけだ。

 「どうすれば人様に喜んでもらえるか」などまったく関心がないのだ。だからこそ、彼らはリスクの高い儲け話に夢中になり、失敗しやすいのである。なぜなら、それはお金儲けの本質に反することをやっているからである。

 その点、私は「もっと金を儲けてやろう」という欲があまりないので、堅実な投資方法で地道に資産を増やしている。実に地道だが、着実に、年々、資産を増やすのに成功している。具体的には、家賃収入と投資信託の分配金であるが、余剰が出ると、すかさず投資信託に投資し、受け取る分配金を増やしている。少しづつではあるが毎月、分配金が増えており、いずれは雪だるま式に増え出すだろう。

 そういうわけで私は、リスクの高いものには一切手を出さない。株には手を出さないし、銀行から住宅ローンを借りて投資目的で不動産を取得するという「レバレッジ効果」にも関心がない。なぜなら、そういう高いリスクを負ってまで金を稼ぎたいという欲がないからである。私の身内に、銀行から莫大なローンを借りて不動産投資をした結果、大失敗に終わった女性がいるが、「金が欲しい」という欲望を満たすためだけで投資をすると、こういう失敗に陥りやすいのだ。

 もう一度いう。幸せになりたければ、幸せの本質を理解しなさい。そうすれば、たんにテクニック的なことだけを学んでお金儲けしても幸せになれないことが分かるはずだ。そしてそれが分かれば、リスクの高い投資に手を出す前に、お金儲けの本質を理解し、「自分なりの方法で世のため人のためになること」を探し始めることだろう。結局、そのほうがお金持ちになりやすいのである。

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2009年7月26日 (日)

幸せの本質を理解すれば、投資のしかたも変わる

 私が慶應大学で哲学の勉強をしていたとき、まわりの人から、

「そんなもの、勉強して何かの役にたつの? お金儲けにつながるの?」

 ということを聞かれたことがある。彼らは、あたかも、「直接お金儲けにつながらないことに努力するのは馬鹿らしい」と言わんばかりなのである。

 しかし、私はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』で人間の幸福というものをしっかりと学んでから、投資の考え方もガラリと変わったと思うし、だから、投資に欲を出さずにすんでいると思うのだ。お金に振り回されず、つねに「真の目標」を見据えていられるのだ。

 多くの人は、「金持ちになりたい」とか「不労所得を得たい」という理由だけで、投資を考えるだろう?

 それが幸せにつながると思っているからだろう。

 しかし、それで本当に幸せになれるのか? 

 もちろん、お金がないよりは、あったほうが何倍もいいだろう。しかし、お金は幸せの根源にはなりえないのだ。アリストテレスに言わせれば、お金はあくまで「仮象の目標」であって、「真の目標」ではないことが分かる。だから、そんなにお金、お金、お金…とお金を人生の第一目標にすることがいかに愚かなことかが分かるのである。

 では、「真の目標」とは何か?

 それはやはり、「自分にしかできないことで世のため人のためになることをして、より多くの人に喜んでもらうこと」だろう。それを一言で言えば、隣人愛ということになる。

 例えば、イチロー選手は、野球の才能を開花し、多くの野球ファンに夢と希望を与え続けている。彼には彼にしかできないことを精一杯やり、それによって世のため人のためになることをしているのである。彼にとっては「すばらしいプレーをすること」が幸せの源泉なのである。彼は一生遊んで暮らせるだけの財産はもっているだろう。しかし、だからといって、「もうプレーしなくてもいいよ、家で寝ててもいいよ」と言われても、「家で寝てくらすこと」に幸せを感じることなどないだろう。

 あなたがお金を欲しがっているのは、いったい何のためだろうか? ただ単に「楽がしたい」とか「仕事をせずに暮らしたい」とか「世界旅行に出かけたい」というような、自分だけの楽しみにふけりたいからだろうか?

 しかし、それはアリストテレスに言わせれば、幸せでもなんでもないのだ。それが幸せだと思い続けてお金儲けに奔走し、実際にお金持ちになったとしても、それが単なる幻だったということに気づくのがオチだ。「私は金持ちになれば幸せになれると思っていた。しかし、なんてこった。毎日毎日が実に退屈だ。遊ぶのにも飽きた。こんなのなら、まだ仕事をしていたときのほうが張り合いがあった」ということになりかねないのだ。

 だから、金持ちになりたいというような、「仮象の目標」に惑わされるなといっているのだ。もちろん、「仮象の目標」を持つなとは言わない。だが、それはあくまで「仮象の目標」にしかすぎないことを悟ることだ。そんなものに惑わされるな。それだけを目標にして生きるな。もっと自分を磨くための目標をもちなさい!

 目標にすべきは「真の目標」だ。それは「あなたにしかできないことで世のため人のためになることをし、一人でも多くの人に喜んでもらうこと」だ。

 あなたはそんな「真の目標」をもっているのかな? それとも「真の目標」もないのに、ただ単に「金がほしい」という「仮象の目標」だけで動いているのかな?

 

 

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2009年7月25日 (土)

投資をするとき、欲を出すな!

 投資には必ずリスクがつきものだ。だから、欲を出してはならない。欲をうまくコントロールし、賢明に投資ができるか否かが金持ちになれるかどうかの境目である。

 ある女性は、不動産投資の本を読んで洗脳されたのか、いくつか投資用のマンションを買った。賃貸に出して家賃を取り、マンションが値上がりしたところで売り飛ばす。そうすれば、夢のような大金持ちになれる。そういうもくろみだった。

 しかし、彼女がいけなかったのは、欲を出したことだ。自分の資金で買うのならいいだろう。しかし、彼女は多額の借金をしてまで投資用のマンションを次々と買ったのだ。

 だが、世の中、そんなにうまくはできてはいない。しばらくすると空室が出た。しかも、半年経っても1年経っても人が入ってくれなかった。無情にも、住宅ローンの返済は毎月容赦なくやってくる。まったく計算が狂ったのである。

 1年以上空室になったとき、そろそろ売ろうと思い始めたらしいが、もうそのときはバブルがはじけて購入した価格の3分の1になっていたそうである。泣く泣く、3分の1の価格で売り、結局、不動産投資では大損をしたらしい。

 不動産投資で失敗したつけは大きかった。だから、彼女は親に、なんだかんだといっては、お金を出させていた。しまいには、多額の生前贈与まで出させた。そこまでで終えていればいいのに、味をしめた彼女は、また欲を出した。親に「私だけ生前贈与を貰うのは不公平。弟にも出してやるべきだ。弟には私が振り込みます」といって、弟が受け取るはずのお金を受け取り、そのまま黙って自分の口座に入れたまま放置していた。それを知った弟は姉に対して不信感を抱くのは当然ではないか?

 投資をするなとは言わない。だが、あなたが投資をしたい理由は何だ? 自分だけが得をしたいという自分だけの理由か? それとも投資をすることで、自分なりに少しでも世のため人のためになろうとしてのことか?

 不動産で金持ちになった人は、自分のためだけに不動産投資をしたのではなかった。彼らは、「手頃な価格で住居を提供し、喜んでもらいたい」という、隣人に対する愛情をもって不動産を探していた人である。そして実際に手頃な価格で部屋を提供し、感謝されていた人たちだ。彼らには隣人に対する愛情があったから不動産でも成功したのだ。

 不動産投資を考えている人の中には、自分の資金ではなく、借金をしてまで買おうとしている人がいるが、特にそういう人は、空室リスクなどよく考えた上で買うべきであろう。あまり欲を出していると、先に紹介した女性のようになりかねないからだ。

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2009年7月24日 (金)

私が慶應通信を3年間で卒業できたわけ

 私は慶應義塾大学の通信教育課程を3年間で卒業したのであるが、これは最も早いほうである。しかも、3年で卒業する人は、年にせいぜい4~5人くらいしかいない。実際、今年の統計でも「3年半以内」に卒業した人は私を含めて12人だった。

 では、なぜ、私は3年間で卒業できたのか? それは簡単なことなのか?

 答えはノーである。今年の統計では卒業生が卒業にかけた平均年数は10.6年である。3年で卒業しようと思えば、本当に年柄年中勉強していないと無理だ。極端な話、クリスマスも大晦日も正月もゴールデンウィークも、ずっと勉強するくらいでなければ3年での卒業は無理だろう。

 慶應大学の通信課程で勉強している学生でもブログをつけている学生が多くいるが、5年、6年と勉強を続けて来た人が、急にブログを更新しなくなって1年近く放置されたままになっていたり、10年以上続けているのに、いまだに取得単位が卒業要件の半分にも満たない人もいる。いかに単位を積み重ねていくことが大変かが分かるだろう。

 では、私を燃え立たせていたものは何か?

 ここで正直に告白しよう。それは7割は劣等感だったのだ。

 もちろん、学問への憧憬はあった。学問をしていて楽しいと思うこともあった。そしてなによりも学問をして良かったと思っている。学問の価値も分かった。

 しかし、ただ単に「学問がしたかったから」という理由で、3年で卒業できたのではない。それはせいぜい3割程度のモチベーションにしかなっていない。

 やはり、私は「なにが何でも慶應大学を卒業してみせる! もう、これで他人から学歴で小馬鹿にされることもなくしてやる!」という燃えたぎるような劣等感が大きなモチベーションになっていたのである。

 実際、「学問がしたい」という、ただそれだけの理由で、3年で卒業できるだろうか。卒業要件単位をすべて取るには、ものすごく沢山の科目を取らなければならないのである。中にはまったく不得意な科目もある。歴史哲学、科学哲学、論理学、フランス文学、イギリス文学、教育学、教育思想史…。そう、ただ単に「学問がしたい」というだけでは、なかなか、ぽんぽんと単位は取れないのだ。

 私は、人間というのは複雑な動物で、何かをするにしても、多くの動機がごちゃまぜに混ざって行動していると思っている。「100%学問が好きだから」という奇特な人などほとんどいないだろう。多くは、「慶應大学卒業という肩書きが欲しい」というエサにかられて入学したのだろう。だが、それはそれでいいと思うのだ。というより、私自身も7割はそれが目的だったのだ。

 ブログの更新がストップしている学生のブログに1つ、2つ、3つ…と遭遇するたび、つくづく、「3年で駆け抜けて良かった」と思う。

 そう、動機は何でもいい。学歴コンプレックスならそれでもいいではないか。何も100%純粋に学問がしたいからという理由だけで学問をやらなければならないという法律などないのだ。最終的に学問によって自分を磨き、その知識を世のため人のために使えるようになればいいのだ。だから、それまでは辛抱、辛抱で頑張ることである。 

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2009年7月23日 (木)

不労所得があれば精神的にも強くなる

 私は、ラジオで人生相談をよく聞くのだが、人生相談で多いのが金銭トラブルだ。しかし、一口に金銭トラブルといっても、その根源は心理的な問題である場合が多い。

 例えば、口頭の約束だけでお金の貸し借りをした結果、相手から「返して貰ってない」という因縁をつけられて莫大なお金をゆすられたいうトラブルがよくある。ある女性は100万円を借りて、数回にわけて全額を返したにもかかわらず、その領収書を受け取っていなかったため、相手から「返してもらっていない」と因縁をつけられ、何度も上乗せで請求されているという。

 もちろん、因縁をつけているほうが悪いのである。しかし、こういう相談を聞いていて思うことは、なぜ領収書を出してもらっていないのか? なぜ口頭だけですませているのか? ということである。そういうのは、領収書をきちんと出してもらっていない方にも落ち度があるのではないか、と思ってしまうのである。

 ずるい人間は、書面にするのをいやがるものである。口頭だけですませて、都合が悪くなったら、いつでも逃げられるようにしているのである。逆に、相手をやりこめられると思ったら、書面がないことをいいことに、これでもか、これでもかと身勝手なことを言い出すのである。

 端から見れば、「なぜ口頭の約束だけで、そんな大金のやりとりを?」と思うのだが、これは心理的に弱い立場の人間は、相手に強く書面を求めることができなかったのであろう。

 その心理は私には痛いほどよく分かる。なぜなら、私自身、お金に困っていた時代は心理的にも弱かったからだ。

 例えば、出版社が本の執筆や翻訳を依頼してくる。その際、私が不労所得で食べていけるお金があれば、仕事を引き受けてもいいし、引き受けなくてもいい。しかし、貧乏であれば、なにがなんでも引き受けざるを得ないわけである。そんなとき、出版社側に対して、きつく、書面を求めることができるだろうか? それは心理的には不可能なのである。なぜなら、「そんなめんどうなこと言うのなら仕事を回さないよ」といわれやしないかと冷や冷やしているからだ。

 出版社側は、都合が悪くなったら、出版を停止して、「もともと出版契約などなかった」という風に逃げられるよように、出版契約書を出すのを渋るのである。私が「契約書を出してほしい」といっても、「ああ、ウチは、そういうの、いちいちやってませんから」とか、「まあ、そう固いこと言わないでよ、お互いの信頼関係でやっていきましょうよ」とか言い訳をして、出版契約書を出し渋るのである。そういうわけで、貧乏な文筆家は、口頭だけで仕事を引き受けざるを得なくなるのである。そうなると、当然、トラブルが生じやすい。

 しかし、不労所得だけで食べていけるようになるとこちらも強いものである。なにしろ、仕事を回してもらわなくても、いっこうにかまないからだ。だから出版契約書を出すのを渋るようであれば、最初の最初から仕事を引き受けなくてもいいのだ。出版契約書を求めて、「ああ、ウチは、そういうのいちいちやってませんから」と言われたら、「よろしければ、出版契約書を出していただけない理由をざっくばらんにお教えいただけませんか? 出せない理由は何でしょうか?」と強い立場で聞けるわけである。それでも出してくれなければ、仕事を引き受けないわけである。これでトラブルが未然に回避できるのである。

 トラブルを回避する鉄則をお教えしておこう。

 あなたが相手に書面を求めて、出し渋るようなら、相手の誠実さを疑いなさい。お金の貸し借りでも、きちんと借用証書なり、領収書を交わしながらやりなさい。何かの契約をするときも、必ず、書面で確認しながらやりなさい。相手にそれを強く求められないとしたら、結局、相手に都合のいいようにされてしまう可能性があることを前もって考慮しておきなさい。

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2009年7月22日 (水)

投資信託はもとを取るのにそんなに時間がかかるのか?

 私の友人に不動産投資を考えている人がいる。

 彼が言うには、「投資信託は元を取るのに時間がかかりすぎる」ということらしい。

 しかし、実際のところどうなのか? 私から見れば、不動産投資のほうが元を取るのが時間がかかりそうな気がするのだが…。

 昨日、三菱東京UFJ銀行から投資信託の報告書が送られてきたので、これで検証してみたい。

 例えば、ある投資信託に手数料込みで100万円の投資をしたとしよう。入ってきた分配金の総額が手取り20万円だとしよう。しかし、時価額が90万に減っていたとする。

 この場合、時価額90万+受け取った分配金の総額20万円=110万円。

 その110万円を元金の100万円で割れば、110%という数字が出てくる。

 この場合は、10%が儲かったと言ってもいいわけである。

 簡単に言えば、100%を超えていたら「儲かっている」と言えるし、100%未満であれば「損をしている」と言える。この方式でどれだけの儲けまたは損が出ているかを検証してみた。

 私は同銀行には9種類の投資信託をかけているのだが、その9種類のすべての数値を算出してみると、高い順に以下のようになった。

 1位  UBSオーストラリア債権オープン 116%

 2位  ユーロ債権オープン 112%

 3位  外国債券オープン  111%

 4位  ゴールドマンサックス毎月分配債権ファンド  107%   

 5位  フィディリティUSハイイールドファンド  105%

 6位  ピムコハイインカム毎月分配型ファンド  98%

 7位  ピムコグローバルハイイールドファンド  74%

 8位  フィディリティ世界3資産ファンド  70%

 9位  ワールドリートオープン  64%

 もちろん、寝かしておいた年月も違うので、一概にどのファンドの運用成績が良いとは言えないが、この通り、9種類のファンドのうち5種類は「儲かっている」のであり、4種類が「損をしている」という状態である。

 しかし、私はこの数値を算出してみて、かなり安堵している。今は大不況とも言われているくらいの異常事態なのだ。それでいて、9種類のうち5種類のファンドは「儲かっている」と言えるのだ。このままずっと寝かしておけば、きっとほぼすべてのファンドで「儲かっている」という状態に好転するだろう。なぜなら、放っておけば分配金は毎月、ほぼ確実に振り込まれるのだから…。

 さて、では不動産はどうか? 最初は不動産購入にあたり、仲介手数料がいる。火災保険に入れば保険料もかかる。不動産取得税もかかる。固定資産税もかかる。空室リスクもある。ローンを借りている場合は、ローンの金利があがってしまうリスクもある。リホームにお金がかかるリスクがある。それで元が取れ始めるのはいったいいつからなのか? 

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2009年7月21日 (火)

スウェーデンボルグ本の翻訳も終了間近

 私は今、エマニュエル・スウェーデンボルグの著作の翻訳に取りくんでいる。

 スウェーデンボルグは多数の著作を残したが、そのうちでも最も親しまれている『天界と地獄』の新訳である。私の訳書のタイトルはまだ未定であるが、今のところ、今年11月頃に出版予定なので、10月頃には決まるのではないかと思っている。

 『天界と地獄』の原著は非常に分厚いので、そのうちの特に興味深いところを一部抜粋した訳書なのであるが、割と時間がかかってしまった。しかし、その大半をすでに訳し終えたので、ゴールも間近である。

 私はすでに30冊近い翻訳書を出してきたのであるが、正直にいって、今回のこの本ほど興味深く、多くの人に読んでもらいたいと思っている本はない。

 世の中、本当に多くの人が、金だの、権力だの、名声だのといった「この世だけでしか価値のないもの」を求めてアクセクアクセクしすぎている。

 しかし、人間はいずれ死ぬのだ。そして死んだ後に、永遠に暮らすことになる世界に入ることになるのである。それがどんな世界なのかを説いた本が今、私が訳している本なのである。

 この本を読めば生き方が180度変わると思う。実際、私自身、翻訳していて生き方がずいぶんと変わってきたように思える。

 一人でも多くの読者に読んでいただければと思っている。そしてそのためにも、今は全身全霊を傾けて、優れた訳になるよう、切磋琢磨しているのである。

 こうご期待!

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2009年7月20日 (月)

大きな夢を持て!

 私が学問は一生続けて行きたいと言えば、必ずといっていいほど、

「学問なんかやって何になるの? お金儲けにつながるの? そんなことやっても何の意味もないと思うけどなぁ。エクセル? なんで翻訳家の宮崎さんがエクセル習うの? そんなの家計簿をつけるくらいしか使い道ないんじゃないの? え? ドットコムマスター? それ取ったからといって、何かなるの? たいしたことないんじゃないの? ビジネスコンプライアンス検定? そんなの取っても何にもならないよ」

 と腐す人間がいる。彼らは、何にしても「そんなの意味がない」と否定してかかるのだ。

 では、そういう彼らは何をしているかといえば、直接お金儲けにつながることしかやっていないように思えるのである。つまり、彼らにとって「意味のあること」とは直接お金儲けにつながることであり、それ以外のこと、例えば、検定試験を受けるとか、書道に打ち込むとか、大学通信教育課程を出るとかという「自分を磨く」ことなど何も意味もないのだ。

 昨日、私の夢の一つである「宮崎伸治翻訳奨励賞」の創設についてブログで公表した。まだ具体的にいつ、どのような形で実施するかは決めていないが、告知方法はホームページとブログのみで行うつもりなので、広告費はかからないのである。新聞や雑誌に広告を出すとなると莫大な広告費がかかってしまうが、それをすべてホームページとブログで行えば広告費が不要なので、その分、賞金のほうに回せるわけである。

 しかし、いざ、こういう風に、自分だけにしかできない「世のため人のためになること」をしようと決意しても、その土台がない人間がいきなりは実行できないのである。

 例えば、ブログで告知するにしても、ある程度法的知識は必要となってくるだろう。著作権法について知っておかなければならないのはもちろんだが、ビジネスコンプライアンスの知識もある程度あったほうがいいだろう。応募者を管理するにはエクセルを習得しておいたほうがいいし、できればアクセスなどデータベースの知識があれば、なおさらいいだろう。もちろんITのことは熟知しておく必要があるので、最低限、ドットコムマスターの知識はあったほうがいいのだ。

 いざ何かやろうとしたとき、直接お金儲けにつながることしかやっていない人間は、できることが限られてしまうのだ。エクセルもできない、ITにも弱い、ホームページも作ったことがない、著作権のことも知らない、知的財産のことも知らない、外国語もできない、文章執筆能力もない…と、ないないづくしでは、何か大きな夢を実現しようとしても、できないだろう?

 だから私は言っているのである。その場その場で、すぐにお金儲けにつながるようなことだけやるのではなく、自分の好きなことに全力で取り組んでみたらどうか、と。このブログでも何度も何度も言っているように、目先のことだけしか見ずに、直接お金儲けにつながることだけしかやっていなければ、大きな成長もないし、いざ何かやろうと思っても、できることは限られてくるのだ。

 あなたは今、直接お金儲けにつながらないことで、全力で打ち込んでいるものはあるのかな? 

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2009年7月19日 (日)

一体何のためにお金が欲しいの?

 多くの人は、「お金持ちになりたい、楽して暮らしたい、不労所得がほしい…」と思っていることだろう。

 しかし、何度も何度もこのブログで言っているとおり、巨額の富を得ても、それで幸せになれるかどうかは別なのだ。実際、100億円以上稼いだという某音楽プロデューサーも、逮捕されて有罪判決をくらっただろう? また、犯罪をおかさなくても、巨額の富をもったままあの世には行けないのだ。あの世では、この世のお金などまったく何の意味ももたないのだ。

 だから、お金を人生の第一の目標にするな人生の第一の目標は善い人間になることだ善い人間になって、少しでも、世のため人のためになることをすることなんだ、ということを何度も何度も何度も何度も繰り返して言って来た。

「では、そういうあなたは、一体、何をやっているの?」

 と聞かれそうだが、私には夢がある。

 私は、私にしかできない形で「世のため人のためになること」をしたいのだ。では、それは何か。

 私は、もう少し資産を増やすことができたら、その暁には「宮崎伸治翻訳奨励賞」を創設したいと思っている。賞の受賞者には賞金を出すが、それはもちろん、全額、私が負担する。最初は賞金の額も少ないかもしれないが、ある程度のお金なら出せるだろう。

 では賞の目的は何か? それは「優秀な翻訳者になる素質がありながら、金銭的に恵まれないために、翻訳以外の仕事で時間が奪われ、翻訳の能力が埋もれたままになっている人の才能を開花させること」だ。

 実際、私は身にしみて感じていることだが、出版翻訳家になるのは大変だ。茨の道だと言ってもいい。実際、私自身が茨の道を歩んできたからよく分かるのだ。

 考えてもみてほしい。翻訳の通信教育を始めても、最後まで続く人は1割もいないだろう。しかし、その中でも出版翻訳家になれる人は1割もいないのだ。さらに、2冊、3冊…と本を出し続けていけるいわゆる職業翻訳家になれる人などそのまた1割もいないのではないか。というのも、出版翻訳というのは、労力の割にはお金にならない仕事だからである。運良くベストセラーに恵まれれば、金銭的にも潤うが、ベストセラーに恵まれるまでは悲惨そのものだ。しかし、そういう才能のある人を埋もれたままにしておくことは日本にとっても損失なのだ。だから、私はそういう人を発掘したいと思っているのだ。

 私は、お金をたくさん貯めて、そのお金で海外旅行がしたいだの、豪勢な料理が食べたいだの、豪遊したいだの、そんな自分の愉しみだけを考えているのではない。というより、そんなことをするより、やはり世のため人のためになることをしたいのだ。

「宮崎伸治翻訳奨励賞? なんだ、結局、自分の名前を売りたいだけなんじゃないか」

 そう思われるかもしれない。いや、それなら、別に私の名前を冠しなくてもいい。私は別に名をはせようなどとも思っていないし、そんな「名声」など、あの世にいったら何の価値もないことをよく知っているので、「名声」を得ることには興味がない。だから、私の名を冠さない、ごくありふれた賞の名にしてもいいと思っている。

 きっとあなたも「もっとお金がほしい」と思っていることだろう。しかし、それは何が目的なのかな? 自分さえ楽がしたいという思いでお金をほしがっているのかな? それとも、究極的には、何か世のため人のためになることをしようと思っているから、お金が必要なのかな?   

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2009年7月18日 (土)

英語の勉強に洋画はいかが?

 私と英語のつきあいは長い。

 29歳で留学に踏み切るまでは、ほんとうに1日も欠かさず勉強していたくらいだ。

 ただ、32歳で留学から帰国して以来、英語の勉強よりも、文章の執筆に興味を覚えたため、それほど英語の勉強に力まなくなった。

 が、英語力は放置していれば、すぐに錆びるのである。

 それを重々知っていた私は、英語力の錆びの防止のため、洋画を見るようにしていた。もっとも、DVDが普及するまでは、多忙なため映画館にはなかなか足を運ぶことができなかったのだが、DVDが普及したころから、家でDVDを見るようになった。

 私にとって洋画は映画を愉しむものであると同時に英語力の維持に大いに役立っているのである

 そこで、私のお勧め洋画DVDのページを作ってみた。まだ作りかけなので、これからどんどん充実させていくつもりであるが、洋画に興味がある人は下のリンク先をちょっとのぞいてみてほしい。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/movies.htm

 好きな洋画は何度も何度も見ているのだが、何度も見ていると、セリフを覚えてしまうものである。それがいいのだ。英語の勉強にちょっと疲れたら、洋画を見るのはいかがでしょうか。

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2009年7月17日 (金)

マネーツリーとしての投資信託

 投資に関しては、いろいろな人がいろいろなことを言っている。果たして、だれを信じていいのか、どれが正しいのか。

 真実をお教えしよう。それは、万人に共通する正解などない、ということだ。

 「投資したお金は絶対に損をしたくない」という人なら、投資信託など最初からしないほうがいいだろう。ただ、それなら、不動産投資だって、しないほうがいいということになろう。どんな投資であれ、リスクはつきものだからだ。そういう人は日本円でもっておくしかないだろう。

 「投資したお金でガッポリ儲けてやろう」という人も、投資信託は向いていないかもしれない。というのも、基準価格は上がったり下がったりするわけであり、下がったときに解約してしまうと儲かるどころか、損をしてしまうからだ。多くの人は、これを恐れて投資信託にかけたくないのだろう。

 しかし、「毎月ほぼ一定した額を受け取るマネーツリーがほしい」と思っている人なら、投資信託ほどありがたいものなどないのだ。

 よく考えても見て欲しい。不動産投資をする人は、何が目的なのか? 毎月入ってくる家賃だろう? それが目当てなのだろう? ならば、投資信託と同じではないか。不動産投資も投資信託も、結局のところ、「毎月ほぼ一定した額を受け取りたい」という目的で投資しているにすぎない。

 ならば、断然、不動産投資より投資信託のほうがメリットは大きいように思えるのだ。

 なにしろ、投資信託はすぐに買える。不動産投資だと、買おうと思い立ってから、実際に買うまでに2年、3年、へたすると5年もかかるだろう? ところが投資信託の場合は、思い立ったら、すぐその場で買えるのだ。そしてその翌月から、分配金がほぼ確実に入金されるのである。不動産を買おうと思い立って、ずるずると買いそびれ、5年目に買った人がいるとしよう。ところが、投資信託派の人はその5年間の間に、すでに投資した額の40%も50%も回収し、その一部をまた投資して「複利」を効かせているかもしれないのだ。

 次に、投資信託は手間いらずである。買うときも、何の苦労もなくすぐに買えるが、買ったあともまったく手間がかからない。不動産投資だと物件を探して回ったり、やれ、リホームだ、火災保険だ、固定資産税だ、不動産取得税だ、家賃滞納だ、空室だ…と、けっこう手間がかかるものである。私も経験があるが、家賃を滞納されると、催促するだけでも、けっこう心理的には負担がかかるものだ。催促するというたったそれだけのことで丸1日が無駄になったような気になることすらある。

 次に、投資信託だと様々なタイプの投資信託にかけられるという愉しみがある。株式型もあれば、債権型もある。不動産投資型もあれば、バランス型もある。国内のもあれば、海外のもある。先進国のもあれば途上国のもある。だから、分散して自分のポートフォリオを作り上げていくという愉しみがある。

 まだまだ投資信託の魅力はあるのだが、今日はこの辺にしておこう。

  

 

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2009年7月16日 (木)

投資の本質は何?

 私は投資信託を始めて6年になるが、これほどありがたいものはないと思っている。実際、雨の日だろうが、嵐の日だろうが、投信はずっと働き続けてくれており、毎月毎月、分配金が支払われている。そういうわけで、もう投資した額すべての4分の1は分配金で回収した。

 今は基準価格が大幅に下がっており、ほとんどの投信は、解約してしまうと元が取れなくなっている。実際、私の保有している投信も、そのほとんどは元が取れないだろう。

 しかし、私はまったく気にしていないのである。

 なぜなら、よほどのことがないかぎり、一生、寝かせておくつもりだからだ。一生、寝かせておけば、元が取れるどころか、投資額の3倍くらいは返ってくることになるだろう。それだけで十分ではないか? だって、私は努力らしい努力などまったくしておらず、ただ寝かせているだけだからだ。不動産投資のように物件を見て回ったり、家賃滞納者とトラブルになったりということが一切ないのだ。

 毎月分配型の投信に投資しておけば、毎月毎月、家賃のように分配金が振り込まれることになる。 だから、基準価格がどうのこうのとか、元が取れるのか、ということを気にしなければ、アパート経営をしているのを同じようなものなのだ。ただ違うのは、アパート経営と違って、投信には面倒なことが一切ないということだ。したがって、自由時間がほしい人にとってはアパート経営よりも投信のほうがよほどいいことになる。

 不動産投資に興味がある人もいるだろうが、いざ買おうと思っても、いい物件がそうそうあるわけでもなし、買おう買おうとしているうちに、ずるずる時間が経ってしまって、結局、実際に買ったのは2年後、3年後ということにならないだろうか? その2年なり3年を投信にかけていたらどうなっていただろうか? 利回りのいいものであれば、3年も寝かせておけば投資額の50%近いお金が分配金で戻ってくるのもある。特に今は基準価格が下がっているので、それもけっして夢ではないのだ。

 投資信託なら電話で3分で投資できるのもある。するとその翌月からは分配金が入るので、またその一部を投資する。するとさらに分配金が増える。すると、それをまた投資する。これこそが「複利の奇跡」なのであり、何の努力もしないうちに、あれよあれよと投資額が増えるのである。

 投資に「絶対」はない。どんな投資にもリスクがある。しかし、どうしても不動産でなければならないというのでなければ、投信も視野に入れてみたらどうだろうか。

 

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2009年7月15日 (水)

パソコンで目が疲れない方法

 最近の私は、ホームページを充実させようという意欲満々である。

 面白いもので、こういう意欲は、湧いてきたり、落胆したり…の繰り返しである。

 壁にぶつかるとすぐに落胆してイヤになってしまうのであるが、しばらくすると、また意欲が湧いてくる。そのサイクルが昔は大きく、一回イヤになると、意欲が湧いてくるまでものすごい時間がかかった。しかし、最近では、一回イヤになっても、1ヶ月以内にまた意欲が湧いてくるのである。

 意欲が湧いてくると、何時間でもパソコンとにらめっこということになるのだが、その際注意すべきは、目だ。

 先日、久しぶりに、携帯電話でメールを打ったのだが、数回の往復だけで、実に目が疲れた。あんなに疲れるものとは思っていなかった。しかし、パソコンも、ずっと見ていると実に目がもの凄く疲れるものである。

 昨日、実に単純な改善策を見つけた。

 単に、パソコンの明るさをめいいっぱい低くすればいいのだ。実際、これだけでずいぶん、目の疲れが違ってくるのだ。

 なんでこんな単純なことに今までずっと気づかなかったのか?  

 あとは、ときどき目の回りのマッサージしたり、目薬を使ったりしても効果的だろう。あるいは、私も使用している「アイピロー」を使うのもいい。お金に余裕がある人なら、画面のでかいパソコンに買い換えてもいいだろう。

 そういうわけで、昨日は、「日本でベストセラーになった本を原書で読もう」というページを作った。まだ作りかけではあるが、これから充実させて行きたい。作ったページは以下のリンク先にある。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/bilingual.htm

  これからも、いろいろな形でホームページを充実させていきたいと思う。こうご期待!

 

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2009年7月14日 (火)

力まないで英語力を維持する方法

 私は、出版翻訳家になってから10年以上が経つ。

 生まれて初めて翻訳書を出したのが、たしか34歳のときだったのだが、私が毎日毎日気が狂ったように英語の勉強をしていたのは、32歳くらいまでであった。

 私は33歳で英会話の講師になったので、仕事で英語を使うようになったため、プライベートの時間でそれほど必死になって英語の勉強をすることが少なくなった。特に34歳で出版翻訳家デビューすると、もう、毎日毎日、英文と好きなだけニラメッッコできるわけであるから、自由時間に英語の勉強をするまでもなくなってしまったのである。

 とはいえ、自由時間に英語と接しなくなったわけではない。

 では、それ以降は、どう変わったのか?

 一言でいえば、力まなくなったのである

 具体的に言えば、英語の映画を見たり、英語のテープを聴いたり…という、比較的楽にできることばかりをやって英語力を維持してきたのである。

 英語のテープといっても、種類は様々である。

 自己啓発用のテープもあれば、物語を読んだものもある。

 どれも興味深いので、これから少しづつでも紹介していきたいと思う。もっとも今はテープよりもCDが主流になっているだろう。

 英語ができるようになった者にとって、このように英語と接することができるのは宝物みたいなものだ。眠りばなの30分でも40分でも、英語の物語を聞きながら眠る。力む必要はない。眠たかったらすぐに眠ってもいい。それほど眠くなければ、ずっと物語に集中してもいい。こういうことをするだけで、楽しく、英語力が維持できるのである。

 簡単なレベルで言えば、Oxford Bookwormのシリーズがいいと思う。

 例えば、私は昨日は下の『Piano』という作品を聞きながら眠ったのであるが、瞬時にして非日常の世界に旅行できるという愉しみを味わえると同時に英語力も維持もできるわけである。多忙なあなたにもお勧めしたい方法である。

 いずれ、一覧表にでもまとめて挙げたいとおもう。

 

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2009年7月13日 (月)

喜んでいただけるホームページ作りを目指します!

 ホームページを立ち上げて10年あまり。

 言い訳になるが、仕事や勉強があまりに忙しかったこともあり、ホームページ作りがおろそかになっていた。だから、未だにもって私のホームページは、素人の域を出ないのである。

 ときどき新たに習得した技術力を確かめるためにも、いろいろなことに挑戦していたが、やはり何もかもが中途半端である。「フォトショップ・エレメンツ」もきっとやり方をほとんど忘れているだろうし、「イラストレータ」などはソフトをインストールすることすらしていない。「アクセス」もITスクールで高いお金をかけて習ったが、宝の持ち腐れとなってしまっている。

 「FLASH」も腕を磨けば、本当にスゴイことができるのだが、私の腕は本当にひよこのレベルだ。私はこのFLASHの習得のために、金額にして40万円近く、時間にして100時間をゆうに超える時間を費やしたのであるが、なかなか道のりは遠い。

 今日、本当にひさしぶりに「FLASH」で一つ作品を作ってみたのだが、当分、使っていなかったので、やり方を忘れていた。しかも、せっかく作ったものをアップする際にエラーが何度も出た。結局、なぜエラーが出るのかが分からず、延々と悩んだ末、分からずじまいだった。ただ、不思議なことに一応アップはできた。まったくもって時間ばかりかかる。

 私のFLASHの作品は以下のリンク先にある。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/flash.htm

 さて、今の私の技術力はどれも中途半端ではあるが、磨けば、けっこう色々なことができるのではないかという気もしている。そして、目指すは、多くの人に喜んでいただけるホームページ作りだ。

 今日は、新たに「宮崎伸治のお勧め洋画DVD」というページを作ってみた。といっても、まだまだ作りかけであり、これからどんどん充実させていくつもりである。以下のリンク先がそうだ。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/movies.htm

  これからの私のホームページの成長ぶりにご期待下さい。少しづつではありますが、時間を割きながら成長させていきたいと思っています。

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2009年7月12日 (日)

ホームページの充実に本腰を入れたい

 私が初めてホームページを立ち上げたのは、かれこれ10年近く前になる。私は当時、すでに数冊の本を出していたため、自分の本を宣伝するのが主な目的であった。

 しかし、技術力が伴わないのと、超がつくほど多忙であったため、ホームページを充実させるどころではなかった。その結果、最初の5年間で訪問者がわずか600人ていどだったのだから、笑ってしまう。

 その後も、少しづつ改良してきたが、やはり仕事があまりに忙しかったのが原因で、なかなか成長しないままであった。

 昨年、ブログを開設したのがきっかけで、ブログの訪問者は激増した。なんと1年足らずで23000人を超えるのだから、ホームページどころではない。これこそがpingの威力なのである。

 ただ、やはり私は当時も大学の勉強で手一杯だったので、なかなかホームページを充実させるといっても、どうしても片手間でしかなかった。

 そこで、もう言い訳をするのをやめて、そろそろ本腰を入れてホームページの充実に取り組みたい。少しでも多くの人の役に立つようなホームページにしていきたいと思う。

 さっそく、昨日、「絶対に読んでほしい名著」というページを作った。

 1ページ作るのでも意外と時間と労力がかかるものである。

 できあがったページが以下のリンク先にある。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/books.htm

   これからも充実させていきたいと思う。アンケートページとかも作る技術はもっているので、いろいろと楽しいページにしてきたい。

 モチベーションを高めるために、「WEB検定(WEBデザイナー)」や「ウェブデザイン技能検定3級」「ITパスポート試験」なども視野に入れながら作成していきたい。

 

 

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2009年7月11日 (土)

自ら率先してやることの難しさ

 先日、慶應大学から冊子が届いた。

 その冊子には、今年3月に卒業した人のデータがあった。 

 私は今年3月に慶應大学通信教育課程を卒業したのであるが、卒業までにかけた期間はちょうど3年間であった。これは最も早いほうであり、例外的だと言える。

 慶應大学の場合、過去のデータを見れば、中退してしまう人が9割くらいいるわけだが、冊子のデータによれば、卒業した人でも卒業までにかけた平均年数が10.6年とあった。私が在学中に知り合った人も20年近くかけて卒業に至ったようである。

 今回の冊子には、「3年間ぴったりで卒業」した人の人数のデータはなかったが、「3年半以内」に卒業した人の人数が12人であることが分かった。「3年半で卒業」よりも「3年で卒業」のほうが難しいので、おそらく「3年で卒業」は私を含めて4~5人だったのではないか。

 これはどういうことを物語っているか。

 それは「自ら率先してやること」の難しさだと思う。

 人間というものは、ものぐさなもので、「今すぐやれ!」とハッパでもかけられないかぎり、「今やってもやらなくてもまったく困らないこと」を自ら率先してやるというのは、なかなかできないものなのである。実際、「別に今日、今すぐやらなくても…」みたいなことを考えていると、1日たち、2日たち、3日たち、1週間たち…となる。通学の場合は、授業に出てさえいれば、ハッパをかけられるので、否応なしにやるだろうが、通信の場合は、だれもハッパをかけてくれないので、自ら率先してやらないかぎり、いつまで経っても、課題が滞るだけなのだ。そういうわけで、卒業する人でも、平均10年以上かかっているわけである。

 かくいう私も、偉そうなことは言えない。慶應通信の場合は、卒論は別にしても、その他の科目は課題が与えられていたから、次々とやってこれたのだと思う。

 しかし、私の「ホームページを充実させる」という夢はなかなか進捗しないままだ。なぜなら、課題そのものも、自ら探して、取り組んでいかなければならないからだ。しかも、技術力も磨かなければ充実させることができないのだから、なかなかしんどい話なのである。だが、慶應通信でも3年で卒業したわけであるから、ホームページのほうも頑張って充実させて行きたい。まずは「WEB検定(WEBデザイナー)」を狙いたい。

 だれでも、お金が貰えるとか、お金が稼げるとか、異性にもてるとか、そういう欲望を満たすためであれば、あれこれと手練手管を考えながら頑張るものだ。だが、そういった目先の報酬が得られないもの、今すぐ取り組んでも取り組まなくてもまったく困らないようなものを自ら率先して頑張っていくというのは、けっこう大変なのである。

 あなたは、今、どんな課題に取り組んでいるだろうか?

 

  

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2009年7月10日 (金)

「仮象の目標」に拘るな

 「仮象の目標」に拘ることがいかに愚かなことか、例え話で説明してみよう。あくまで例え話であるので、その点留意してほしい。私がこの例え話で言いたいのは、「仮象の目標」に拘ることがいかに愚かなことかなので、それをしっかりと見極めてほしい。

 私は2年間外国に留学していたことがある。その国にはその国でしか使えないクーポン券がある。それはお金と同じように使えるのだが、お金には換金できない。当然、日本円にも換金できない。

 その国に永住するのであれば、クーポン券をたくさん稼げば稼ぐほど、いいだろう。なにしろクーポン券といっても実質的にはお金と一緒だから、お金をたくさん持っているのと同じようなものだ。そういうわけで、クーポン券獲得に必死になっている人もいた。

 しかし、いずれ日本に帰国することが分かっている人間にとって、使い切れないほどクーポン券を獲得することに何か意味があるだろうか? 例えば、あと1ヶ月で日本に帰国するとしよう。となると、その1ヶ月以内にクーポン券をすべて使い切ってしまわないと、ただの紙切れ同然となる。他人に譲ることもできず、換金することもできないのだから、まったくただの紙切れになるのだ。

 では、逆に日本に帰国して役に立つものとは何か? 英語力を磨いておけば、転職に役立つだろう。だれにも負けない英語力を備えておけば、通訳だろうが翻訳家であろうが、難なくなれるだろう。

 こういうことが分かれば、時間の使い方が変わってくるだろう。アクセクアクセクとクーポン券の獲得に時間を割くのが馬鹿らしくなって、そんなことをしているくらいなら、少しでも英語力を磨いておこうと思うだろう? 

 これで「真の目標」と「仮象の目標」の違いがお分かりいただけたのではないか。

 人間界ではお金をたくさん稼ぐことは意味があるように思えるかもしれないが、人間界を去って霊界に行けば、お金なんて何の意味ももたなくなるからだ。一方、人間界を去って霊界に行ったときに役にたつもののといえば、隣人愛である。言い換えれば、「他人に対する思いやり」といってもいい。それこそが霊界で役に立つのだ。

 どうだろうか。これでお金を稼ぐことよりも、「他人に対する思いやり」をもつことが何倍も大切であることが分かっていただけだろうか。

 お金を稼ぐことを目標にするなとは言わない。しかし、それは、例えて言えば、留学している人間がその国でしか使えないクーポン券を獲得しようとアクセクするのと同じようなものだと言っているのである。留学している人にとって「真の目標」は少しでも英語力を磨いて日本に帰国することであるならば、人間界に生きている我々にとっての「真の目標」とは「他人に対する思いやり」を持つことだと言えよう。その「真の目標」に比べれば、お金を稼ぐことはちっぽけなちっぽけな「仮象の目標」にしかすぎないのだ。

 お分かりいただけただろうか? 

 あなたはその「真の目標」のために日々努力しているだろうか? それとも「仮象の目標」だけしか見ていないだろうか? 

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2009年7月 9日 (木)

中古パソコンがなんと3万円台

 昨日、スウェーデンボルグの翻訳の第3章を終え、提出した。残りはあと1章分だけだ。8割近くを終えたことになる。

 息抜きに、ネコカフェに行こうと思い、秋葉原まで出てみた。そう、秋葉原には2店、猫カフェがあるのだ。

 しかし、私が入ろうとすると、入り口のところで男子高校生が4~5人くらいいっぺんに入店していたので、これは満杯になるだろうと思って、入店を諦めざるをえなかった。

 そこで、隣の中古パソコン店を見て回ったのであるが、なんと今は中古のノートパソコンが4~5万円でいいのがある。しかもWindows Vistaが入ったのが、である。

 今は本当にパソコンも安くなったものだ。

 もっとも、私が約1年半前に買ったノートパソコンも新品で12万円だったから、中古が10万もするわけはないのだが。

 私が最初に買ったころは、本格的なパソコンだと25万くらいはしていた。しかし、今では性能も何倍も良くなった上で、新品でも10万ちょっとで買えるのである。しかも、中古なら4万で買える。中には3万円台のもあった。

 今、私の自宅には4台のパソコンがあり、そのうち2台は動作が遅くなっていて調子が悪いのだが、まだなんとか使えている。だから、次なるパソコンを買おうか買うまいか迷ってしまうところだが、もう少しだけ様子を見ようと思う。動作が遅くなった2台のパソコンは、あの手この手で、動作が軽くなるように工夫してみたい。(動作を軽くする練習にもなるので、その方法もしっかり勉強しようと思う)。

 そういうわけで、今日は、ネコカフェには行かずじまいだったのである。

 

 

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2009年7月 8日 (水)

「オーストリア政府公認ドイツ語検定(B1)」試験結果

 7月7日、驚くことに試験日からわずか2日目にして、「オーストリア政府公認ドイツ語検定」の試験結果が返ってきた。

 試験によっては合否通知が来るまで2ヶ月近くかかるものもあるので、こんなに早いとはびっくり仰天である。ただ、待たされれば待たされるほどストレスがたまるので、早く分かるのはありがたい。おそらく試験日であった7月5日のうちにすべて採点しおえ、7月6日の午前中に発送したのであろう。

 合格している場合は、合格証も送られてくることになっているので、大きな封筒で届くことになるが、不合格の場合は、合格証はないので小さな封筒となる。だから、封筒だけで合否は分かってしまうのだ。

 ポストを開けると、小さな封筒が入っていた。その封筒の下のほうに「Japan-Austria」のマークがあったので、その時点で不合格であることがすぐに分かってしまった。

 問題は何点取れているかだ。合格基準点まであまりにかけ離れていれば落胆してしまうだろうが、後一歩であれば、次回の合格に向けてやる気がでるというものだ。別に私は合否に拘っているわけではないし、すでに「ドイツ語検定2級」に合格した身だ。別に不合格になっても恥ずかしいわけでもない。ベストを尽くしたのだから、自信をもって結果を見ればいいのである。

 封を開けると、各項目の点数が書かれた通知が入っていた。。

 筆記試験225点満点で135点以上が合格となるところ100点だった。(その内訳は、読解75点満点中37.5点、文法30点満点中12点、リスニング75満点中32.5点、作文45点満点中18点)。

 やはり私の得点源である読解とリスニングで失敗したのは痛かった。ただ、今回は不慣れなせいで高得点が出せなかったが、今回のあの出来で100点取れているわけだから、次回は難なく135点以上が出せそうな気がしている。もっとも、それなりに勉強しなければならないだろうが。

 面接試験は75点満点で45点以上が合格のところ31点だった。

 正直、初めてのドイツ語面接で31点が取れたことは、逆に自信につながった。あとは口頭表現をスラスラ言えるまでたくさん覚えればいいだけのことだろう。次回は45点以上取れそうな気がする。

 結果として、筆記試験も面接試験も両方不合格になってしまったが、私としては、次回の合格へむけて良いモチベーションとなった。なぜなら、最大限頑張れば、次回はなんとか合格できそうな点数だったからである。

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2009年7月 7日 (火)

今年これから狙ってみたい資格

 私は現段階で89種類の資格を保持している。

 だが、まだまだ自分の実力を磨いていきたいと思っているので、そのモチベーションを高めるために資格にも挑戦してみたい。

 今年、これから挑戦してみたいのは、以下の資格である。

(1)「WEB検定(WEBデザイナー)」 3度目の挑戦で合格を目指す。

(2)「ウェブデザイン技能検定3級」 WEB業界初の国家試験なので挑戦しみたい。

(3)「ITパスポート試験」 腕試しに受けてみたい。

(4)「WEB検定(WEBディレクション)」 WEBデザイナーに合格した後に挑戦してみたい。

(5)「ドイツ語検定準1級」 合格の自信はないが、どの程度点が取れるか試してみたい。

(6)「オーストリア政府公認ドイツ語検定」 先日B1を受けたが不合格なら再受験をしたい。万が一、合格していたら、その上のB2を受けてみたい。

(7)「ビジネス数学検定」 点数アップを目指したい。

(8)「ドットコムマスター★★」 そう簡単には合格できないだろうが、再度挑戦したい。

 こんなに沢山、試験を受けると言えば、きっと「そんな試験、受けて、何になるの? ドイツ語なんて、何にもならないんじゃないの?」と言う人がいるだろう。しかし、何度も言うようだが、好きなことに向かってコツコツコツコツと努力しておかなければ、大きな夢が叶うわけはないのだ。

 あなたはどんなことをして、自分に磨きをかけようとしているのかな?

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2009年7月 6日 (月)

オーストリア政府公認ドイツ語検定(B1)受験記

 7月5日(日)に「オーストリア政府公認ドイツ語検定(B1)」を初受験した。

 感想を一言で言えば、問題自体は「ドイツ語検定2級」よりもはるかに難しく感じた。特に、私自身の得点源だと思っていたリスニングはチンプンカンプンという感じだった。

 この試験は等級が6つあり、日本では上の5つの等級が受験できるようだ。私が受けたのは上から4つ目の等級であるB1レベルだが、B1レベルであっても合格すれば、ドイツの一部の音楽大学などでは入学許可レベルなのだから、簡単ではない。

 試験は神奈川県のたまプラーザにある國學院大學のキャンパスであった。「ドイツ語検定」と比べると認知度が低いためか、私の等級の東京の受験生は私を含めて6名であった。

 まずは90分の筆記試験があったが、得意であるはずの読解でいきなり躓いた。「ドイツ語検定2級」では読解問題はほぼ満点のできだったので、すこし油断していたのかもしれないが、それにしても難しかった。読解でつまづいた挙げ句に文法ではさらに躓いた。この時点で、今回の合格はほぼ不可能に近いのではないかという思いが出てきた。しかし、せっかく高い受験料を払って受けているのだから、途中で諦めるのはよくない。そう思って奮闘した。

 5分の休憩を挟んで、リスニングに入った。「ドイツ語検定2級」のリスニングではほぼ満点だったので、リスニングは得意だと思っていたのだが、やはり本場オーストリアの試験はレベルが違う。もう、まったくわけの分からないことを延々としゃべりまくっており、途中で聞く気が失せてしまうほどだった。ただし、すべて○×問題なので、まったく当てずっぽうで回答しても確率から言えば、5割は正解になるのだ。そういう事情を考慮すれば、そうとう難しい問題にせざるを得ないのかもしれない。

 リスニングが終わると、15分の休憩を挟んで、作文の試験に入った。これは通信添削講座があるので、受験する人は、事前に受けておいたほうがいいだろう。お金はかかってしまうが、いきなり作文の問題をやれといわれても、ドイツ語作文に慣れていなければ、なかなかドイツ語で書けるものではないからだ。私はどれくらいの点数がもらえたか全く分からないが、とにかく書いたことは書いた。これも添削講座を受講していたおかげである。

 リスニングが終わると、後は個別に面接試験に入った。私の場合は、待ち時間が約1時間あり、ずっと待合室で待機することになった。日本語がまったく使えず、ドイツ語だけの面接となると、普通の人なら、ドキドキするだろうが、ありとあらゆる試験を受けてきた私は特に焦ることもなければ、ドキドキもしなかった。今までありとあらゆる修羅場を経験しているので、ドイツ語で会話をせよ、と言われたくらいではビクともしないのだ。 

 面接試験の部屋に呼ばれると、2人の中年女性が座って待っていた。2人ともオーストラリア人だ。私はイギリス留学中に多くのドイツ人やオーストリア人と話したことがあるが、彼らとは英語で話したのであって、ドイツ語で話したことは一度もない。だが、もうどうにでもなれ、という感じで、私は好き勝手なことを好き勝手にドイツ語でどんどんしゃべりはじめた。

 ただし、途中でいろいろと質問されると、やはり、言葉につまってしまった。「ドイツ語は何年勉強してきたのか?」という質問に対し、「大学時代2年間勉強しました」と答えると、「ドイツ語が専攻だったのか?」と聞かれた。「いいえ、私の専攻は経済学と言語学と工学と哲学でした」と答えると、怪訝そうな顔をされ、「そんなに沢山、専攻したの?」と聞かれて困った。そうだ、私はたしかに4つの大学を出て4つも専攻があったが、そんなに沢山の大学を出ている人など想定していなかったのだろう。あるいは、「専攻」の意味が分かっていなかったのかと思われたかもしれない。余計なことは言わずに「専攻は哲学です」とだけ言ってすませておけば良かったのだが、後の祭りだ。しかも、私は「経済学(Wirtshaftswissenschaften)」のことを「経済(Okonomie)」と言い間違えて言ったので、それも減点の対象となるだろう。

 その他、ドイツ語の単語が出てこないときは、適当に英語で答えたりしていたら、面接官は苦笑いをして、「ドイツ語でいう○○のことですね」と訂正されたりした。もう、なんだか必死にやりとりしたのだが、私としては生まれて初めてオーストリア人とドイツ語で会話をしたわけであるから、いい経験をさせてもらったと思っている。こういう試験でも受けない限り、一生涯、私はオーストリア人とドイツ語で会話をするということもなかったかもしれないからだ。

 合格の自信はない。得点源だと思っていた読解とリスニングがあのていたらくでは、まず合格していないだろう。ただ、合格に向けて頑張ってきたことは無駄になっていないと思う。私の友人に、「試験というものは合格がすべてだ。合格しなければ何の意味もない」という人がいるが、私にとっては今回、こうして必死に勉強して受験したことは、合否にかかわらず意味があったと思っている。なぜなら、私はこうして勉強したおかげでカントの作品も深く読めるようになったし、グリム兄弟の『グリム童話』も愉しめるようになったからである。また、喩え15分間という短い間であっても、オーストリア人とドイツ語で会話をしたことは私の人生に彩りを与えてくれ、いい意味で刺激になった。

 仮に不合格であったとしても、私はいずれまた再挑戦したいと思っているし、「ドイツ語検定準1級」も秋に初挑戦するときの土台がこれでできたとも思っている。

 

 

 

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2009年7月 5日 (日)

「仮象の目標」に拘りすぎると…

 私が見る限り、世の中のほとんどの人は「仮象の目標」しか見えていないように思える。

 お金持ちになりたい、不労所得だけで食べていけるようになりたい、社長になりたい、息子にいい大学に行かせたい、娘にいいところに就職させたい、世界一周旅行に行きたい…。

 こういうのが「仮象の目標」というわけだが、「仮象の目標」は、つまるところ、自分のことしか考えなくても達成できる目標である。自分、自分、自分…。自分のことばかり考えていても達成できる目標である。要は、自分さえよければいいのである。

 さて、ではあなたに聞いてみたい。そんな、自分、自分、自分…と自分のことしか考えずに目標を達成して、そんな人が尊敬に値するだろうか? この世を去ってあの世に行ったとき、そういう人が天国に入れると思うか? 

 例えば、お金が欲しいがあまり、あの手この手を使って、小金持ちになった人がいたとして、「おお、すごい、○千万の資産を手にしたのか!」といって尊敬するか? ○千万の資産を蓄えたからといって天国に入れてもらえると思うか?

 私は霊界の研究を25年近くやっているので、ハッキリと言っておくが、自分、自分、自分…と自分のことを第一に考えて生きていた人は、あの世で地獄に行くのである。いくら資産を貯めようが、いくら美人の嫁さんをもらおうが、いくら豪邸に住んでいようが、いくら一流大学を出ていようが、自分のことを第一に考えている人は、地獄に行くのである。彼らは、死んだ後、地獄に行くためにアクセクとがんばっているようなものなのだ。あなたはそんな人間になりたいと思うか? なりたくはないだろう?

 本当に尊敬に値する人間というのは「真の目標」を見いだし、それに向かって日々精進する人である。

 「真の目標」とは、自分をより善くすることであり、具体的には、自分の理性を磨くことと、それによって隣人愛を実践していくことだ。「隣人愛」というのが難しければ、「少しでも世のため人のためになることをする」と言い換えてもいい。いずれにせよ、「自分さえ良ければいい」と考えるのを止めて、少しでも世のため人のためになることをするということだ。そういう人が、死後、天国に迎え入れられるのである。

 あなたは「自分をより善くする」という「真の目標」をもっているかな? 

 それとも、お金持ちになりたいとか、旅行したいとか、豪邸に住みたいとか、そういう「仮象の目標」しかもっていないのかな?

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2009年7月 4日 (土)

あなたの目標は「仮象の目標」だけになってないか?

 もっとお金が欲しい、楽して生きていけるようになりたい、不労所得が欲しい、豪邸に住みたい、早く昇進したい、難関資格に合格したい…

 だれもが思うことだろう。

 しかし、何度も言うようだが、こういうのはすべて「仮象の目標」にすぎないのであって「真の目標」にはなりえないのだ。

 なのに、世の中のほとんどの人は「仮象の目標」しか持っていないだろう? いや、まだ「仮象の目標」でももっているなら、まだマシなほうで、それすら持っていない人もいるだろう? 私が見る限り、「真の目標」が多少なりとも見えている人など、いてもせいぜい1%ていどではないか。

(「真の目標」は何のことか分からないが、とりあえず「仮象の目標」は分かっているから、それを目標に生きたい)。

 そう考える人もいるかもしれないが、そういう人こそが、燃え尽き症候群に陥りやすいのだ。つまり、「仮象の目標」に向かってガムシャラに突き進んでいる最中に

(なんで俺、こんなことやんなきゃなんないの? これが達成できたら、それが一体なんなの?)

 というふうに疑問に陥りやすいのだ。

 だって、それはそうだろう? 「真の目標」が見えていないのだから、「仮象の目標」の正体が分かったら、努力すること自体がむなしく思えるだろう? なんでこんなことに努力しなければならないのかって言いたくなるだろう。

 あなたにはそんな風に思える瞬間はないかな?

 何かの難関試験に挑戦しつづけて、なんで俺、こんなことやっているんだろう? と疑問に思ったり、ピアノや書道や語学などに挑戦しているのになかなか上達せずに、こんなことうまくなって一体それが何なんだ? と思ったりしていないだろうか。それは紛れもなく、「仮象の目標」しか見えてないから、そういう疑問に陥るわけである。

 だからこそ私は、まずは「真の目標」を見極めなさい、と言っているのだ。

 実際、まず「真の目標」を立ててしまえば、そこから数々の「仮象の目標」が生まれてくるわけだから、すべて「真の目標」に合致した目標がもてる。だから努力していて、

(俺、なんでこんなことやっているんだろう? こんなことして、いったい何になるんだろう?)

 という疑問など湧くわけはないのだ。すべてやっていることに深い意味を感じ取りながらやっているわけだからだ。

 

 

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2009年7月 3日 (金)

この世に生きている意味はいったい何だ?

 自分が死ぬまでまだまだ長いと思っていたら、本当に、「あっ」という間に人生なんて終わってしまうぞ!

 あなたは、あと何年生きるつもりだ? 

 あと20年か、30年か? いずれにしても、この世がすべてだと思って、この世でしか価値のないもの(お金、権力、名声など)を求めてアクセクしてばかりいたら、本当に、20年なんて、あっという間に過ぎ去るぞ!

 あなたは、死ぬ間際になって

(ああ、私は、お金、お金、お金…とお金を稼ぐことばかりに時間と労力を費やすがあまり、自分を磨くことや隣人を愛することを怠ってきた。なんてこった。お金を稼げば幸せになれると思っていたのは、大きな錯覚だったのだ。なんでもっと隣人愛を実践しなかったんだろう?)

 と後悔したいのか?

 だれだって死ぬ間際になってから、後悔したくはないのではないか? 安らかに死んで行きたいのではないか? ならば、今、真剣になって自分の人生でやるべきことを考えるべきだろう。そう、後でではなく、今だ。今すぐ始めることだ。

 私は、以前からこのブログで、お金、権力、名声、地位などといった、この世でしか価値のないものは「仮象の目標」にすぎないと言ってきた。「仮象の目標」を求めてはいけないというつもりはない。「仮象の目標」でも、「真の目標」と合致してさえいえれば、求めること自体は悪いことではないからだ。

 だが、そんなちっぽけなものに拘るな。お金をいくら稼いでだところで幸せにはなれないことは、100億円以上も稼いだといわれる音楽プロデューサーが逮捕されて有罪判決をくらったことだけでも分かるだろう。それからも分かるように、お金なんて、そんなに必死になって求めるものではないんだよ。

 お金を稼ぐ以外にも「仮象の目標」はいっぱいある。例えば、一流大学を卒業する、一流企業に勤める、難関試験に合格する、早く昇進する、高い年収を得る、豪邸に住む、不労所得だけで食べていけるようになる、友達を沢山作る、美女と結婚する、などなど。あげればキリがない。

 もちろん、こういった「仮象の目標」がすべてダメだといっているのではない。私が言いたいのは、そんなものは「真の目標」から比べれば、別にどうでもいい目標にすぎないといっているのだ。

 だから私は何度も何度も「真の目標」を持ちなさいと言っているのである。「真の目標」が見えていれば、毎日毎日、それに向かって生きていこうという目標ができるので、一日一日がとても充実するし、「仮象の目標」も同時に見つかりやすくなるのだ

 ほとんどの人は「もっと金を稼ぎたい」「不労所得を得て楽をしたい」「社長になりたい」というような「仮象の目標」だけで生きているだろう? アクセク、アクセク、そればかりを求めて生きているだろう? そういう人生を送っていると、本当に「あっ」という間に人生が終わるよ、ということが私は言いたいのである。そんな小さな小さな目標にアクセクするのではなく、「真の目標」を見つけるべきだと言っているのである。

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2009年7月 2日 (木)

急な出費は止まらない

 急な出費というのがある。

 まったく予想外な出費である。

 面白いように、なんだかんだで毎月のようにあるのである。こういう急な出費がなくなってくれれば、その分投資に回せるのだが…と思うのだが、なんだかんだで面白いように毎月急な出費がつきまとう。

 たとえば、金額が大きいものでいえば、デスクトップパソコンの修理代約5万、ノートパソコンの修理代約5万、インターフォンの買い替え約5万、DVDの大型モニターの修理代約5万、電動自転車のバッテリーの交換約4万などは、かなり痛い。

 少し痛いというのもある。自転車の部品の修理約1万、四十肩で通院約1万、歯科通院約1万、ガスコンロ買い替え約1万などである。こういうのも、ないに越したことはないが、まったくゼロになるものではない。

 「今月こそは、何もないように…」と願っていたのだが、なんと今日、風呂の中にCDレコーダーを落としてしまった。

 ドイツ語の検定試験日が近いので、時間の節約のために、CDレコーダーを風呂にもちこみ、ドイツ語を聞きながら風呂に入っていたのだが、ちょっとした不注意でCDレコーダーを風呂の中に落とした。

 その結果、うんともすんとも言わなくなり、新しいの買わざるを得なくなった。というのも、今が一番大切なときであり、試験日までの数日間でどれだけ耳を「ドイツ語耳」にするかにかかっているのだ。

 ううむ。買わないわけにはいかないだろう。今からすぐ電気店に飛んでいこう。

 こういう風に、急な出費はつきものなのであり、経済計画を立てるときには、あらかじめて想定して入れておくべきものなのだ。

 

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2009年7月 1日 (水)

ドイツ語会話力を短期でアップする法

 オーストリア政府公認ドイツ語検定の試験日が近づいてきた。

 当日は、筆記試験と面接試験の両方がある。

 筆記試験だけでも合格を目指そうと思って受験を決意したのだが、やはり面接もあるわけであるから、何もせずに受けるのではなく、少しでもがんばることが必要だ。

 ドイツ語の会話力など、まったく自信はないのだが、逃げていてもしかたがない。

 人間、逃げていては成長はない。

 人間は、いろいろな理由で逃げる。

 経験がない、過去に失敗した、努力する必要がない、必要に迫られていない、お金にならない、昇進に結びつかない…。

 人間は、こういうことを理由に、やってみたいことがあっても、言い訳をしてすぐに逃げる。しかし、それでは新しい経験などできるわけはないし、成長しない。

 そこで私は、どうにでもなれ、落ちても別にどうってことなんかないじゃないかってことで、今回の受験を決めたのだった。

 さて、面接試験のために先日買った本が『はじめてのドイツ語会話 』である。

 簡単な会話文が多く掲載されているが、なにしろ文字が大きいので、とっつきやすい。レベル的にはやさしいほうだと思うが、正直なことを言えば、ドイツ語検定2級に合格している私でさえ、知らない表現がけっこうあるのである。しかも、これらの表現を、すっと言えるかといえば、言えないのだ。結論から言えば、「買って良かった。面接の役に立つだろう」である。CD付きだし、なかなかいいと思う。

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