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2009年8月

2009年8月31日 (月)

新しいことに挑戦するときに気をつけること

 新しいことに挑戦すべきか、やっぱり止めておくべきか、迷うことがあるだろう。実は、私自身、今、将来の進路について迷っている。(ただし、迷っているだけであり、悩んでいるのではない。迷いと悩みは違う)。

 新しいことに挑戦するには、以前もこのブログでお話したように機会費用がかかる。機会費用とは、つまり、他のことをする機会を失うということである。人間、あれもこれもできるものではない。あれかこれかしかできないのだ。あれをすれば、これはできなくなるのだ。

 例えば、ある難関資格に挑戦するとしよう。あるいは、大学院に入学したいというのでもいい。すると、それに挑戦するとすると他のことをする機会を失ってしまう。「本当は絵も習いたい、子供と遊んでやりたい、旅行もしたい…」。そういう機会が失われるのである。だからこそ、バランスをよく考えてから始めなければならないのだ。

 それだけではない。もしもその挑戦を途中で諦めるとなると埋没費用がかかるのである。埋没費用とは、回収不能になった機会のことである。例えば、ある難関資格に挑戦したものの、長年不合格続きとなったとする。しかし、そのために100万円、1000時間使っていたとする。その場合、もし諦めてしまったら、そのお金も時間も回収不能になるのだ。(もっとも関連資格があればまだ救われるだろうが)。

 そう考えていくと、単に「挑戦してみたい」ということだけで簡単に始めるのはリスクが高いということが分かるだろう。

 あることに挑戦しようと思ったら、もしそれに挑戦したら他のことができなくなること、そして途中で挫折した場合、それまでに費やした時間や労力が無駄になるかもしれないことをよくよく考えるべきなのだ。

 私は、将来、ロンドン大学の通信教育課程を考えているが、まずはディプロマ課程から挑戦してみたいと思っている。この場合、機会費用は、約20万円、勉強時間は自分の自由なので、何かを犠牲にするということはないだろう。では、途中で挫折したときの埋没費用はどの程度か。まあ、その20万が無駄になった、というくらいなものだろう。そう考えると、「もし失敗しても諦めがつく選択」ということになる。言い換えれば、挑戦しない手はないのである。

 逆に、もし成功したら…と考えてみると、メリットは大きいように思える。まず、ロンドン大学の通信課程を出ている人が日本にはあまりいないようなので、体験記をブログで紹介できる。うまくいけば本の出版にも結びつくかもしれない。それだけではない。そこから何か新たな道が切り開けるかもしれないのだ。ネルソンマンデラのように…(笑)。

  

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2009年8月30日 (日)

ネルソン・マンデラ

 私は将来、ロンドン大学の通信教育課程に挑戦してみたいと思っている。日本では、なかなか同大学の情報が入手しにくいので、日本人でどれくらいの人が挑戦して、どれくらいの人が実際に学位を取ったのかが分からずじまいである。

 ロンドン大学の場合は、学位取得が実に厳しいようである。大学のHPにも、「通学課程の学生とまったく同じ条件で採点をする。通信課程だからといっても、手加減は一切しない」というようなことが書かれてある。まあ、当たり前といえば当たり前のことであるが…。

 このロンドン大学の通信教育課程を出た有名人の一人に、なんとネルソン・マンデラがいる。ネルソン・マンデラと言えば、反アパルトヘイトの闘士であり、ノーベル平和賞の受賞者である。その彼がロンドン大学の通信教育課程を出ていたとは驚きだ。

 ということで、ネルソン・マンデラの伝記を買って読み始めた。英語で書かれた伝記であるが、英語学習者向けに比較的易しい英語で書かれたものであり、絵や写真がふんだんに使われているものなので読みやすいだけでなく、読んでいて楽しい。私が英語を勉強してきて良かったと思うのは、こういう英語の本がスラスラと読めるようになったことである。

 この本は英語学習者にとっても有益だろう。私はネルソン・マンデラのことを知るために買ったのだが、英語学習者にとっては偉人を知るということと英語の実力をつけるということの二つの目標が達成できるわけであるから、一石二鳥となるかもしれない。

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2009年8月29日 (土)

WEB検定(WEBデザイン)4度目の挑戦決意

 「WEB検定(WEBデザイン)」の4度目の挑戦を9月2日にすることにした。

 今までの3回は、62点、68点、72点であった。少しづつではあるが伸びている。

 80点以上が合格なので、今回は80点ギリギリでもいいので80点を目指したい。

 仮に不合格になったとしても、75~76点くらいは行くのではないかと思っている。

 「なぜ、そんなに頻繁に受験するのか、もっとしっかり勉強してから受ければいいじゃないか」という人もいるかもしれないが、私はけっこう怠け者なので、こうやって自らを追い込まなければなかなか勉強しないのだ。

 でも、嫌で勉強しているのではなく、自ら率先して自分に課題をかすことは楽しいことである。

 さて、今、画像処理ソフト「Photoshop Elements」の練習をしている。

 このソフトでどんなことができるのか。その一部を以下のリンク先に紹介している。

  http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI/photoshop.htm

 これはごく一部であり、ものすごくいろいろなことができるのがこのソフトである。

 

 

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2009年8月28日 (金)

武蔵野美術大学見学

 ここのところ、ずっと図書館と家の往復の生活が続いていたので、たまには気晴らしをしようと思い、武蔵野美術大学の本校舎の見学に行ってみた。

 似たような名前の大学に、武蔵大学と武蔵野大学があるが、私が興味があるのは武蔵野美術大学である。というのも、この大学には通信教育課程というのがあり、学士入学をすれば最短で2年で卒業出来る可能性があるのだ。

 都心に住むというのはとても便利であり、私の交通手段はほとんどが自転車ですむので、今日はひさしぶりに電車に乗った。武蔵野美術大学の本校舎は国分寺からバスで20分のところにある。国分寺から近ければまだしも、バスに乗って20分というのがちょっと不便といえば不便だ。

 国分寺から武蔵野美術大学へ向かう途中に、かの有名な津田塾大学があった。「ああ、これがあの英語教育で有名な津田塾か~」と思いながら、風情のある校舎をバスから覗きながら通り過ぎた。さらに数分すると武蔵野美術大学についた。

 キャンパスに入ると、思わず、「広い!」と叫びそうになった。都心の大学、例えば、K大学やJ大学のキャンパスをよく知っているからかもしれないが、とにかくその広さには感動した。しかも、美大らしく、建物のデザインもいかにも美大らしいデザインであり、目を楽しませてくれる。夏期講習中なので、学生数は少なかったが、校内を闊歩する学生たちの風貌も、いかにも美大生らしく、カンバスを肩にかけて歩く学生、いかにも美大生らしい服装をきた学生が多かった。

 通信教育課程といっても、すべてがすべて通信教育ではなく、授業も何単位が取らなければならないので、本校舎にも最低でも2週間ていどは通うことになる。そういうわけで見学をしたのであるが、ドアツードアで片道2時間弱かかるのはちょっと遠い。まあ、2週間だけだと割り切れば通えないことはない。なんといっても18歳のときはほぼ毎日片道2時間かけて通学していたこともあるのだ。

 見学を終えると、国分寺から新宿まで出て、猫カフェに行き、猫の写真を撮ったのだった。猫カフェに入ると、不思議なもので、時間を忘れてしまう。ほんの数分いたつもりでも時計を見ると、40分も経っているのである。

 その後、珈琲貴族エジンバラで炭火ブレンドを飲みながら、将来の進路についていろいろと思いを巡らしていたのである。

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2009年8月27日 (木)

隣人愛を実践しようと思えば、やれることはいくらでもある

 この世に生きているのは、いったい何のためだと思う?

 私たちはいずれ死ぬんだ。

 なら、なぜ生きなければならないと思う?

 それは、より善い人間になるためなんだよ。かつてソクラテスも言っただろう。「人間はただ生きているだけではなく、より善く生きなければならない」と。

 なら、なぜより善い人間にならないと思う?

 それは、私たちはそのために生まれてきたからなんだよ。

 では、どうしたら善い人間になれると思う?

 善い人間になるには、理性を磨くことと、隣人愛を実践することの2つが必要なんだ

 隣人愛といっても、なにも難しく考えることはない。世のため人のためになることをやればいいんだ。

 こんなことを言うと、

「俺は、今まで、自分のことばかり考えて生きていた。隣人愛など何もしてこなかった。今の俺には何もできることはない。とにかく今はお金に困っているから、隣人愛はお金持ちになってからやる」

 という人がいる。

 だけど、できる範囲内でやっていこうではないか。今までどうだったかよりも、これからできる範囲内でやっていこうよ。

 何も難しいことを考える必要はないんだ。

 例えば、市役所なり区役所なりに行ってみよう。すると福祉課は寄付金を受け付けてくれていたりする。本気で「困っている人を助けてあげたい」という気があるのなら、寄付してくることだってできるわけだ。「いや、そこまではしないよ」というなら、コンビニやファーストフード店の多くには募金箱がある。困っている人を助けるために、小銭を入れるのを習慣にしてみたらどうか。そう、毎回毎回募金箱に小銭を入れるのを習慣化するのだ。

 お金を使わなくても方法はある。例えば、献血はどうだ。あるいは古切手を集めている団体もあるので、郵便物を受け取るたびに古切手を集めておいて、寄付したっていいではないか。あるいは、ベルマークを集めて学校に送ってもいい。こういうのはお金をかけずにできる隣人愛だ。

 このように、探せばいくらでも隣人愛(世のため人のためになること)を実践する方法があるだろう?

 今はブログの時代だ。いろんな人のブログを見ていて、困っている人がいたら、有益な情報をコメントとして残してあげてもいいだろう。あるいは、落ち込んでいる人がいたら、励ましのコメントを残してあげたっていいだろう。それで精神的に救われる人だっているわけだ。逆に、ブログで著作権違反などの法に違反することを意図せずにやっている人がいたら、やさしく、やんわりと指摘してあげるのも一つの隣人愛といえるかもしれない。

 どんな人であれ、隣人愛を実践しようと思えば、できることはいくらでもあるんだよ。「私にはできることはない」と言っている人は、探そうとしていないだけなんだ。

 さあ、今日も一つ、明日も一つ、あさっても一つ、どんな小さなことでもいい。隣人愛を実践していこうではないか。なぜなら、それが自分自身が幸せになる最も近道なんだから。

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2009年8月26日 (水)

好きなことを仕事にしてしまえ!

 好きなことに打ち込んで、もしそれで十分なお金が稼げるようになったとしたら…。

 例えば、人を笑わせるのが好きな人が、漫才師として食べていけるようになったら…。

 絵を描くのが好きな人が、画家として食べていけるようになったら…。

  野球が好きな人が、プロ野球の選手になったら…。

  英語と読書が好きな人が、翻訳家として食べていけるようになったら…。

 多くの人は、「好きだから」という理由で働いているのではなく、「お金を稼がなければならないから」という理由で働いているだろう? もちろん、会社員であれ、パートであれ、自分がしている仕事の中に好きな部分はあるだろう。しかし、「好きだから」働いているだろうか? そうではなくて、「お金を稼がなければならないから」というのが第一の理由ではないか?

 思うのだが、本当に「好きだから」という理由で働ける身になったら、これほど幸せなことはないのではないか。

 しかし、そこまで行くには、好きなことに徹底的に打ち込む必要があるだろう。なぜなら、そんなに簡単に「好きなこと」をして食べていけるようにはなれないからである。

 多くの人は、言うだろう。

「けっ。そんなの夢物語だよ。俺だって、子供の頃は野球の選手になりたかったよ。だけど、なれるわけないじゃん。そんな夢みたいなこと言うのは、中学生までだ」

「そりゃ、頭のいい人だったら、翻訳家になれるかもしれないよ。でも私、そこまで英語できないもん。日本語だって難しい文章書くの苦手だもん。そういうのって生まれつきの才能なのよ」

 こんなことを言って、好きでもない仕事に就くのである。

 そうして楽しみといえば、旅行か、外食か、子供の成長かになるわけである。

 あなたはどうだろうか。

 今の仕事を「好きだから」という理由でやっているだろうか。それとも「好きというわけではないけど、お金を稼がなければならないからやっている」だけだろうか。

 もしあなたが「好きだからという理由以外にやる理由がないこと」を仕事にしたいのであれば、まずは好きなことに打ち込むことから始めなければならないのだ。

 え? 毎日毎日、朝から晩まで仕事をしているのだから、そんな時間なんてない?

 私は22歳から4年間、大学の職員をやりながら、毎日、翻訳の勉強をして、転職し、翻訳家になったのである。「好きなこと」を仕事にしたわけである。だから、会社員だからできないというのは、言い訳に過ぎない。

 「好きだからという理由以外にやる理由が見つからないこと」を仕事にしたければ、今すぐ、好きなことに打ち込むことだ。

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2009年8月25日 (火)

いったい何のために学問やるの?

 私は、けっして自慢するわけではないが、4つの大学から5つの学位を取得している。そのうち3つは大学院の学位である。検定試験も89種類の資格を取得している。

 他の人から見れば、明らかに「変人」であろう。

 だが、私はまだまだ学問・勉強がしたいのだ。

 なぜ、そんなに学問・勉強がしたいのか? それは一種の「麻薬」ではないか?

 思えば、人それぞれ「麻薬」があるのではないか。

 実際に麻薬に手を出して、どうにもこうにも止められなくなった人もいるだろう。

 ある人は、パチンコ依存症になって、日に日に1万も2万も負けているのに、それでもどうしてもやめられなくなっているだろう。

 またある人は、検定試験に夢中になって、何度落ちても、受験を諦めきれないだろう。

 またある人は、野球が好きで好きでしかたがなくなって、とめどもなく野球ばかりやっているだろう。

 またある人は、絵を描くのが好きで、画材やら絵の具やらとてつもないお金を使っているだろう。

 みんな、それらが「好きで好きで止められない」わけだろう。

 続けるべきか、断ち切るべきか、の基準が一つあるとすれば、それを続けることによって自分が磨くことができるか否か、ではないか。

 パチンコ依存症の人は、パチンコを続けたところで、自分が磨けるか?

 麻薬依存症の人は、麻薬を続けたところで、自分が磨けるか?

 それと同じ理屈で、絵描きだろうが、検定試験マニアであろうが、学問だろうが、なんだっていい。それを続けることで自分が磨けると思ったら、それを続けていいんじゃないか

 基準はその一つでいいんじゃないか。

 他人がどうこう言おうが関係ない。

 今、間寛平が「アースマラソン」に挑戦しているだろう。ある人から見れば、彼はマラソン中毒かと思えるかもしれない。しかし、彼はマラソンによって「他のだれもマネできないこと」を達成することで自分を磨こうとしているわけだ。

 あなたが自分を磨こうとしているものは何だ?

 ただ単に日常生活を繰り返しているだけか? それとも夢をもって自分を磨いているのか? どちらだ?

 

 

 

 

 

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2009年8月23日 (日)

低周波治療器

 私は20代後半くらいから、肩こりがするようになったため、ときどきマッサージに行くようになった。

 30~32歳は留学していたのでマッサージは受けなかったが、帰国後、ときどき行くようになった。

 本格的に肩こりと腰痛がひどくなり始めたのが30代の最後くらいだろうか。

 42歳で大学院に入って、毎日のように多大な宿題をやっていると、肩こりがどうしようもなくなった。マッサージ代だけでも月に3万、4万というときもあった。

 そんなときに見つけたのが、「低周波治療器」である。

 マッサージ店は私の自宅付近にたくさんあるので、今でもときどき通うが、やはり人手がかかるので高くつく。相場は10分あたり1000円くらいだ。だから30分お願いすると3000円だ。多少の増減はあるものの、だいたいそんな感じである。

 そう考えると、「低周波治療器」は実に安い。

 たしかに人に肩をもんでもらうのとは違うが、でも、かなり痛みは軽減できる。いろいろ種類はあるが、数千円で買えるものが多い。ずっと使えることを考えると、マッサージに行くよりはるかに安くつくのである。

 もちろん、ときにマッサージに行くのもいいだろうが、お金のことを考えたら、「低周波治療器」をベースにし、マッサージに行くのを月に数回程度におさえると、ずいぶん金銭的に助かると思う。一度、お試しあれ。

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2009年8月22日 (土)

あるカフェテリアでの話

 今日、インドカレー食べ放題の店に昼食を取りに行った。

 4種類のカレー、ライス、ナン、3種類のサラダ食べ放題。コーヒー、ラッシー飲み放題というふれこみだった。すべてカフェテリア方式なので、好きな分だけ自分でついで好きなだけ食べられるのだ。

  当然、私は4種類のカレーを楽しむつもりだった。もちろん、インドカレーだから、ライスではなく、ナンで食べる。それが楽しみなのだ。しかも、ラッシーまで飲み放題だ。

 食べ放題コースは午後3時までであるが、私が入ったのは午後2時30分だった。お昼時ではないので、私以外に客は1人しかいなかった。

 さっそく、カフェテリアに行くと、驚くことに、4種類あるはずのカレーのうち2種類は、もう鍋のそこにかすかにしか残っていなかった。つまり、2種類のカレーしか食べられないということだ。しかも、その2種類も、そこの方に、半人前ていど残っているに過ぎなかった。

 店員はそれを知っていたと思うが、追加でカレーを持ってこようとはしなかった。まあ、それはそうだろう。午後3時までなのに、今いるのは先客1人と私の2人だけなのだから、サッサと「残ったもの」を食べて帰ってくれたらいいに違いない。

 しかし、ナンもほんの数枚しか残っていなかったのだ。

 私が2枚とると、残り1枚となった。

 店員はそれもうすうす知っていたと思うのだが、追加でナンを焼こうとはしない。まったく身動きする気配がないのだ。

 おそらく追加でナンを焼いて、余ってしまったら、そのまま捨てることになるので、できるなら、今残っているナンだけですませたいのだろう。

 しかし、私は「食べ放題」だからその店に入ったのである。ナン2枚では腹がいっぱいになるわけではない。カレーだって4種類あるかと思ったら2種類しかないのに、ナン2枚で我慢しろと言われても、我慢はできない。追加でナンを焼いてほしいと言ってやろう。

 そう思っていると、2時45分頃、1人の若い女性が入ってきた。彼女がナンを1枚取ると、とうとうナンは無くなった。

 店員は、うすうすナンが無くなったことに気づいたと思う。しかし、驚くことに、追加でナンを焼こうとはしないのだ。まったく身動きしようとしない。

(なぜだ!? なぜナンを焼こうとしないのだ。だって、まだ、3人の客がいるのだ。私だってまだ食べたいし、彼女だってまだ1枚しか取っていない。しかも、先客のオッサンもまだほしがっているかもしれないじゃないか。客が言わなければ動かないのか?)

 私は店員に、「ナンが切れているので焼いてください」と言った。

 するとめんどくさそうに腰を上げてナンを焼き始めたのである。

 しかし、驚いたのはそれだけではなかった。

 ラッシーも楽しみにしていたのだが、ラッシーも切らしているのだ。「コーヒー、ラッシー、飲み放題」だから入ったというのに、ラッシーがないのだ。私が、「ラッシーを出してほしい」と言うタイミングを見計らっていると、先客のオッサンが、店員に「ラッシーを出してもらえますか」と言い出した。

 そこでようやく店員は重い腰をあげてラッシーを奥の方から取り出してきた。私は、おいおいおい、と思った。

 この店は「食べ放題、飲み放題」の店である。だからカレーにしも、ナンにしても、カフェテリアを切らさないようにするのが本当ではないのか。コーヒーにしても、ラッシーにしても、客がいるのなら、客が自由につげるように準備しておくのが仕事ではないのか。

 さすがに、「4種類のカレーを食べたかったが、2種類しかない。残りの2種類のカレーを今から作れ」とは言えなかったが、きっと先客のオッサンも、後から入ってきた若い女性も2種類のカレーしか食べられないことにガックリ来たのではないか。

 「そんなに欲しかったら、言えばいいじゃないか」という人もいるかもしれないが、「言わなければもって来ない」というのと、「言わなくても、つねに用意してある」という店とどちらがいいのか。

 あるカフェテリアでの話である。

 

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2009年8月21日 (金)

もの凄い面白い映画

 ひっさびさにもの凄い面白い映画をDVDで見た。

 面白さといっても、多種多様であるが、非現実の世界にどっぷりとはまり、スリルを味わえるという面白さである。

 まさに、映画が始まってすぐにグイグイと非現実の世界にはまりこむ。

 タイトルは『ナイトミュージアム』である。

 博物館の夜勤となった中年男性。驚くことに、その博物館は夜中になると、その中に飾ってあった動物やら銅像やら何から何までが生き返るという設定。

 もちろん、非現実的で、ありえない話ではあるが、もしそうなったらどんなことになるのかという目で見れば、実に面白い。

 正直、今年、今までみた映画の中では一番だ。

 今上映中の『ナイトミュージアム2』の割引券を購入したのは言うまでもない。早速、映画館に見にいくつもりである。

 私の場合は、これも一つの「英語の勉強」なのである。

 

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2009年8月20日 (木)

WEB検定(WEBデザイン)3度目の挑戦結果

 19日、「WEB検定(WEBデザイナー)」の3度目の挑戦をした。

 都心に住むのはとても都合がいいもので、自転車で15分もすれば試験会場に行けるのである。しかも、CBTなので、結果は受験後にすぐに出る。だから、余分なストレスが要らない。合格であろうと不合格であろうと、サッサと結果が出てくれたほうが、スッキリするというものだ。

 結果は、80点以上が合格のところ、72点で不合格であった。

 でも、もともと今回は73点を目指していたので、ほぼ計算どおりではある。

 今年3月が62点、5月が68点、そして今回が72点であり、点数だけ見れば、順調に点数が伸びている。だから、不合格になったのは残念といえば残念ではあるが、気にしていない。むしろ、自分の計画どおりに順調に点数を伸ばしてこれたので、次回の80点越えを狙っている。

 英語にしてもITにしても、勉強して思うことは、実力は一足飛びにはつかないということだ。とくにITの場合は、ITの専門用語が豊富に使われており、それに慣れるのにどうしても時間がかかる。だから、繰り返し繰り返しやっていくしかないのだ。だから、私はこうしてコツコツ勉強して実力を伸ばしていく以外ないと思っている。

 さて、これを受けて、10月に受験しようかどうしようか迷っていた「ITパスポート試験」は、しばらく延期しようと思う。本当はいっぺん試しに受けてみたかったのではあるが、この試験は今のところCBTではないので、どこか遠い受験会場に当たったりしたら(例えば八王子だったりしたら)移動時間などを含めるとまるまる一日が潰れてしまう。それは今の私にとって負担が大きすぎる。しかし、この試験も平成23年度からはCBTで受けられるようになる予定なので、いっそのこと、CBTになってから受けようかとも思っている。

 スウェーデンボルグの翻訳もつい先日、翻訳が終了したので、明日からは哲学の勉強に戻ろうと思う。ITの勉強も、気分転換にするていどにレベルダウンして、しばらくは哲学にのめり込もうと思う。 

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2009年8月19日 (水)

本質を見抜け

 某清純派有名女優が覚醒剤保持で逮捕され、日本だけでなくアジアにも衝撃を与えた。さぞかし驚いている人も多いだろう。

 しかし、驚いている人は、マスコミのイメージに惑わされていただけで、本質を見抜く目がなかったのではないか。

 私は、別に驚きはしなかった。というのも、私がマスコミから知っている姿はあくまで仮象の姿に過ぎないことを悟っていたからである。だから「清純派」のタレントが逮捕されても、別に驚きはしない。

 そもそも、マスコミから流れてくるイメージは、あくまで仮象の姿にしかすぎないのだ。

(綺麗な顔立ちだ、清純そうだ、仲が良さそうな夫婦だ、歌が大ヒットしている…)

 こういうのは仮象の姿であり、本質ではない。

 私たちは、テレビの画面からは、その人の本質など見抜くことはほぼ不可能だ。なぜなら、流れてくる映像はあくまで作られたものでしかないからだ。

 私がこのブログを通して皆さんに言いたいことは、そういう仮象の姿に惑わされずに、本質を見抜く目を磨いたらどうか、ということである。

 さて、実は先日、興味深いDVDを見た。

 米国のカリスマ主婦として有名なマーサ・スチュワートの転落人生を描いた映画である。今回逮捕された女優のケースと似通ったところがあるので興味のある人は見てみると面白いだろう。

 マーサ・スチュワートは、とにかく成功に拘った人だった。お金、名誉、地位、人気…。家庭を犠牲にしてまでも、とにかくお金が欲しかった人だった。マスコミをうまく利用し、地位も名誉も得、理想の夫婦を演じていたが、それは虚像にすぎなかった。

 実際の夫婦生活は冷え切っていて、夫婦げんかが耐えなかった。しかし、マスコミの前では「理想の夫婦」を演じていた。イメージが悪くなると人気が下がるからである。

 マスコミの前では「理想の夫婦」を演じていたのだが、ついに夫に愛想を尽かされて離縁される。ついにはインサイダー取引に手を出して、一気に奈落の底に落ちていく。

 最後にどんな結末が待ち受けているのか。それは見てのお楽しみとしておこう。

 

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2009年8月18日 (火)

これから狙う資格

 これから狙う資格について書いてみたい。

 まずは8月19日に「WEB検定(WEBデザイナー)」を受ける。合格の自信はないが、できるだけ合格基準点に近い点数を出したいと思っている。

 9月中には「ビジネス数学検定」に再挑戦したい。スピードとの勝負になるだろうが、700点以上を目指したい。

 10月には「ITパスポート試験」を受けるかどうかを思案中である。参考書を眺めていると、それほど難易度の高い試験でもなさそうなので、合格・不合格には関係なく、どれくらいの点数が取れるかを腕だめしのつもりで受けようかどうしようかと迷っているところである。

 11月には「ドイツ語検定準1級」を受けようと思っている。自信はない。仕事が忙しかったので、ドイツ語の勉強がかなりおろそかになっているため、今では昨年秋に合格したドイツ語検定2級も受けたら落ちるかもしれない。でも、逃げてもしかたがないので、腕試しのつもりで受けてみようと思う。

 今年は、まあ、これくらいだろうか。

 肝心の哲学の勉強であるが、もちろん、やっていく。上記の試験を受けるのは、実は哲学の勉強の気分転換にやるつもりなのである。というのも、私は一つのことだけをずっと勉強していると気分転換ができなくて疲れてしまうので、複数の科目、しかも、ガラリと気分の変わる科目を勉強するほうが能率がかえっていいのだ。

 まあ、とにかく、今は19日の試験に全力を尽くそうと思う。試験結果は当日出るので、すぐにブログで公表しようと思う。80点以上が合格であるが、今回の目標は73点以上である。さあ、どうなるか…。

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2009年8月17日 (月)

自由業とお金儲け

 あなたは、お金を稼ぐために仕方なく仕事をしているのだろうか、それとも、好きなことをしてその結果お金が入って来ているのだろうか

 あなたは仕事をするとしたら、どちらがいいのか? 

 昨日、私は、出版翻訳家の収入の話をした。平均的な例として、1冊を6ヶ月で訳した場合、初版印税が30~40万くらいで終わることもしばしばあると言った。そしてその場合、まるまる1ヶ月の労力が5万程度で終わってしまうとも言った。

 ただ、例外的に大ヒット作に恵まれれば、話は別である。中には10年経っても20年経っても、ずっと売れ続けてくれる本もあるわけで、そういう本を1冊出せば、経済的には釣り合いが取れてくるのである。

 そう、こういう世界(好きなことをしてその結果お金が入ってくるという世界)は、一握りの成功した人は巨富が入ってくるが、それ以外の9割以上の人は、食っていくのが精一杯、あるいは、食っていけないという状態なのである。

 これは出版翻訳家だけでなく、自由業はだいたいがこんなものではないか。歌手、画家、野球選手、サッカー選手、お笑い芸人、作家…。こういった職業、つまり、「好きなことをしてその結果お金が入ってくる」という職業は、だからこそ、本当に好きで好きでしかたがない、という人でなければ続かないのである

 私がある人に、イチロー選手の話を持ち出し、こう言った。

「彼は、好きな仕事をした結果、お金が入って来ている。好きな仕事をすることで、世の多くの人に夢や希望を与えている。それが彼の仕事であり、懸命に努力して素晴らしいプレーを見せることが彼にとっての一つの隣人愛(世のため人のために尽くすこと)になっている。そういう意味では、とても幸せだと言えよう」

 するとその人は、こう反論してきた。

「な~に、そんなことはないよ。彼だってお金のために野球をやっているだけだ。金が欲しいからだよ。金が欲しいから努力しているだけだ。好きだからやっているのではなくて、金儲けのためにやってんだよ」

 ただ、先ほどから説明しているように、自由業は「お金のために」という理由だけではやっていけるようなものではないのだ。というのも、あまりに競争が熾烈であり、本当に好きで好きで仕方がないという人でなければ、すぐに挫折させられるようになっているからだ。

 「お金が貰えるから」という理由で始めても、本当に好きで好きで仕方がないという人でなければ、途中で挫折するのは目に見ている。それは私が説明した出版翻訳家の例でも分かるだろう。半年間、孤独に耐えに耐えて仕上げたものが30万ちょっとで終わるのだ。しかも、運が悪ければ、出版直前になってから、印税を値切られたりもする。すると、もう、まったく生活は成り立たなくなる。そういうことが「お金儲けのためだけ」にやれるだろうか? お笑い芸人や歌手にしても同じで、テレビで活躍しているごくごく一部をのぞけば、9割以上の人は、まったく食っていけない状態なのである。それでもなお、やりたいと思い続けられるごく一握りの人だけが生き残れる世界なのである。

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2009年8月16日 (日)

出版翻訳家と印税

 私は41歳の段階で「お金のために働かなければならない」という状態を脱した。

 だから、それ以降は、基本的に「したいから」という理由でしか働いていない。

 あなたは、どうだろうか。

 お金を稼ぐために仕方なく仕事をしているだろうか、それとも、好きなことをしてその結果お金が入って来ているだろうか

 今の私は、完全に「好きなことをしてその結果お金が入って来ている」という状態である。もちろん、仕事を引き受けるのであるから、報酬なしで受けることはしていない。しかし、お金のことは二の次である。というのも、先に書いたとおり、私は「お金のために働く必要がまったくない」からである。

 例えば、出版翻訳というのは、英文科に在籍している学生や卒業生などは、憧れる職業かもしれない。

 しかし、それで生計が立てられるかといえば、まずほとんど不可能である。若いうちに大ベストセラーに恵まれれば別だが、そんなことは可能性から言えばほぼゼロに近い。ましてや、今は出版不況で、売れる本などほとんどない。重版になることすら珍しいのである。

 では、1冊訳すとすれば、どれくらいの印税になるのか。

 例えば、1日6時間、半年間費やして翻訳したものが、1200円の本となって出たとしよう(頭脳労働なので、1日に6時間ていど作業をするというのが、まあ、普通の人の限界だと思う)。 印税は、新人のうちは値切られるので5%ということもある。ベテランになっても、今は不況なので6%とか、良くても7%である。昔は8%というのもあったが、今ではよほど儲かっている出版社以外は8%は出したがらないだろう。また、初版の部数だが、5000部から7000部というのが多い。

 すると、実際の手取りはどうなるか。印税6%で計算してみよう。

 1200円×6%=72円。つまり、1冊あたりの印税が72円である。それを5000部の場合だと5000でかければいい。72円×5000=36万円である。ただし、税金が1割引かれるので、手取りは324000円ということになる。

 半年フルタイムで働いた結果が、これだ。1ヶ月あたり5万円というところだ。

 初版で終わってしまったら、実際、こうなる。

 ましてや、あくどい出版社になると、出版間近になってから、「印税を4%にしてくれないか」と値切りにかかってくるのである。契約書を結んでいない場合、こういう風に相談をもちかけられる場合が多い。なにごともなく、契約通りの印税で計算してもらったとしても、出版不況の今は、90%以上の確率で初版で終わってしまうのである。運良く、重版といっても、1000部増刷とか2000部増刷というのがせいぜいなので、印税が何倍にもなる、ということもない。

 出版翻訳家として生計を立てるのがいかに難しいかお分かりであろうか?

 正直にいうが、実際、毎日毎日6時間孤独に耐えて翻訳してくのは、本当に翻訳が好きで好きでしかたがない、という人以外は、かなり堪える。

 収入を上げようと思えば、早く翻訳するしかないのである。私は、30代のころは、本当に毎日毎日、朝から晩まで頑張っていた。1日平均16時間というのもウソではなかったのである。つまり、私は普通の翻訳家の3倍くらいは作業をしていたということだ。だからこそ、年間8冊も9冊も出せていたし、きちんと生計が立てられていたのだ。

 だが、本当に好きで好きでしかたがない、という人でなければ、やっていけない、ということがお分かりいただけるのではないかと思う。

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2009年8月15日 (土)

WEB検定(WEBデザイナー)を8月19日受験決意

 「WEB検定(WEBデザイナー)」の受験を8月19日に決めた。受験結果は、当日受験後にすぐ出るので、当日、ブログで公表することにしたい。

 80点以上で合格なのだが、3月は62点、5月は68点で2度とも不合格であった。

 今回、一気に合格点が取れるかどうかだが、正直なところ、あまり自信はない。合格の可能性は30%ていどだろう。

 なら、なぜ受けるのか?

 前回からの伸びをチェックしたいというのと、もし合格すれば、次のステップに進めるから、というのが主な理由である。

 そう、正直に言えば、早くこの試験には合格して、次には「ウェブデザイン技能検定(3級)」に進みたいのである。

 1回目、2回目とも公式テキストだけで勉強していたのだが、今回は問題集まで買って勉強をした。模擬試験では6割程度しかできていないので、合格は難しいかもしれないが、ただ模擬試験は少し難しめに作ってあるようにも思える。

 試験日まであと4日である。

 ベストを尽くしたいと思う。

 合格できなくとも、せめて73点以上は行きたいとおもう。そうすれば、次々回には80点以上が無理なく望めるからである。

 なお、問題集はお薦めである。せっかく受験するのであれば、この問題集を解いてから受けるといいだろう。

 

 

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2009年8月14日 (金)

「徳」とは何かを考えたところで、何か得はあるの?

 私は慶應大学在学中は、ずっと「人間にとっての本当の幸せとは何か」を考えていたのである。その結果、人間の真の幸せは「善い人間になるために努力すること(活動)」の中にこそあり、「善い人間になる方法は学問であり、あるいは隣人愛である」という結論に達した。

 しかし、私が熱っぽく、この理論を語ると、こういう風に質問をする人間がいる。

「学問がどう隣人愛に結びつくのかが分からないなぁ。学問をして、それが具体的にどう隣人愛に結びつくの? 具体例を出してよ、具体例を。学問なんて、やっても何の役にも立たないと思うけどなぁ。学問なんてやる暇があったら、少しでも世のため人のためになることをしたほうがいいんじゃないの?」

 学問には色々な分野があるが、共通して言えるのは、真理を追究することと言えよう。

 例えば、倫理学は、人間にとって「」とは何かを考える学問である。言い換えれば、善い人間とはどういう人間のことを言うのかを徹底して考えるわけである。

「けっ。そんなの勉強して何になるんだよ。試験で出そうなところを暗記してAを取れば、あとはどうでもいいことだ。大学でいい成績を取るのは、いい会社に就職するためであり、それ以外の目的なんてないよ。そんなことを勉強しても、社会に出たら、何の役にも立たないよ。そんなの勉強しているくらいなら、どうやったら手っ取り早く金が儲けられるか、いい投資方法を考えたほうがいいよ」

 こう反論する人もいるかもしれない。

 しかし、例えば、自分の娘がブログをやりたいと言ってきたとき、人間にとって「」とは何かを考え抜いた人と、楽しいことにすぐに飛びつく人とでは、対応のしかたが違ってくるのではないか?

 ある人は娘にこう言うだろう。

「ブログを始めたいのかい? いいよ。じゃ、早速、今日、お父さんがブログを開設してあげよう。世の中には、『子供にはブログをやらせないほうがいい』とかいうウルサイおじさんたちがいるけど、そんなの無視しておけばいいよ。だって、ブログって楽しいじゃん。なんでやったらいけないのか分からないね。ただ、友達の悪口だけは書かないように注意してな。あとはまあ、始めてみて、何か困ったことが発生したら、そのときはそのときで考えればいいよ。ま、常識を働かせてやっていればいいよ」

 こう言って、安直に、娘のためにブログを開設してあげるのではないか。

 しかし、人間にとって「徳」とは何かということを、アリストテレスやらプラトンやらカントやらスウェーデンボルグやら、多くの哲学者を通して学んできた人間だと、まず、なぜ娘がブログを始めたいと言い出したかという本質に目を向けるだろう。そして次にブログをやらせることでどんなリスクがあるのかを考えるだろう。するとリスクがあまりにも大きいことに気づくはずなのである。

 そう、ブログは一度、pingを飛ばしたが最後、そのpingが検索エンジン側に届いてしまったら、一生涯消すことができなくなるのである。怒りにまかせて「書いてはならないこと」を書いたら、一生涯消せないのだ。となると、周りの人に多大な迷惑をかけることにもなりかねない。大人でも、多くの人が、名誉毀損だの、侮辱罪だのと、逮捕されて、多額のお金を取られているのである。

 だから、娘にはこういうだろう。

「ブログに興味があるようだね。だけど、ブログは一度書いてしまったら、一生涯消せないし、危険なことがいっぱいある。だから、すぐに許可することはできない。しかし、なぜ急にブログをしたいと思うようになったんだい? 楽しそうだからか? 今まで日記すら書いたことがないお前が、ブログだったら書くのかい? どうだろう? ブログを始めたいのなら、まずは日記から始めたらどうかな? まずは一年なり二年なり、毎日、日記を書いて、お父さんに読ませてくれ。そしたら、その後で、法律のことや技術的なことを教えてあげよう。そしてそういう知識がしっかりと身に付けば、そのとき、改めて考えてあげよう」

 こう言って、娘のブログ開設に「待った」をかけるだろう。

 もちろん、私は倫理学を勉強した人間が、必ずしも、「」について、いつもいつも100点満点の回答が出せるとは思わない。というより、倫理学においては100点満点の回答というものがないのである。だからこそ、限りなく100点に近い回答を、ああだ、こうだ、と言いながら見いだして行くのである。それが倫理学の醍醐味なのである。

 結論から言えば、こういうふうに、倫理学なら倫理学で、しっかり学問をすれば、「どうすれば善いか」ということに関して、より善い回答が生み出せるようになると思うわけである。それに対し、「倫理学なんて勉強しても何にもならない」といって勉強を怠り、「なんか楽しそうだから」とか「好きだから」とか「ちょっとやってみたいから」という短絡的な理由で物事に飛びついてしまうと、あとでとんでもない事態に陥りかねないと思うわけである。

 「学問がどう隣人愛とつながるのかよく分からない」という人もいるが、例えば、今回書いたように、倫理学を勉強していれば、どうしたら善いのかという点でより善い回答が考えられるようになる、ひいては、それが隣人愛にも結びつくのではないかということである。

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2009年8月13日 (木)

本質を見抜け

 先日、有名女優が逮捕されて発覚したことは、夫とは「仮面夫婦」であったということだった。夫には愛人がおり、とっくに夫婦関係は破綻していたらしい。

 芸能関係に詳しい人によれば、芸能人夫婦はほとんどが「仮面夫婦」であるらしい。「仮面夫婦」を続けざるを得ないのは、離婚によるイメージダウンなどを避ける目的がある。だから、逆に言えば、そういった目的がなくなれば、すぐさま離婚ということになるだろう。

 もちろん、芸能人夫婦だけでなく、一般の夫婦でも「仮面夫婦」というのがあるし、一見、幸せそうに見える夫婦も、実は「仮面夫婦」だったということも意外と多いのではないか。

 私はこのブログでつねに言っていることは、本質を見抜け、ということだ。

 この世の多くの人は、本質を見抜かずにおいて、仮象の姿だけしか見えていないのである。

「あの人は、結婚している。だから幸せに違いない。この人は、結婚していない。だからきっと不幸なのだ」

「あの人は、お金持ちだ。だから幸せに違いない。この人は、たいしてお金をもっていない。だから人間としても劣る人に違いない」

「あの人は、友達が多い。だから幸せに違いない。この人は友達が少ない。だから不幸だ」

「あの人は、年賀状を1000枚ももらっている。だからきっと人望が厚く、みんなから尊敬されているのだろう」

「あの人の葬式には何百人もの人が来た。だからあの人は、きっとみんなに愛されていたのだ」

 この世の多くの人は、このように、「結婚しているか否か」「金持ちか否か」「友達が多いか否か」「年賀状の数が多いか否か」「葬式に何人の人が来たか」…というふうに、外面的なことで、その人の人柄を判断しようとする。だからこそ人柄を見誤るのだ。もっと本質を見抜くことだ。

 本質を見抜くには、そういう外面的なものさしは、むしろ邪魔なくらいだ。

 本質を見抜こうと思えば、その人が普段から、どういう言動をしているかを見るしかないのだ。

 約束したことをきちんと守っているだろうか。他人を馬鹿にするような発言をしていないだろうか。他人に親切にしているだろうか。時間や期限を守っているだろうか。失敗を他人に責任転嫁していないだろうか。法律を遵守しているだろうか…。

 要するに、「」のある人生を送っているか否かということである。「徳」のある人生を送っている人こそが善い人なのであり、そういう人とはつきあうべきなのだ。「徳」のない人生を送っている人は悪い人なのであり、つきあってはならない人なのだ。

 では「」とは一体何か?

 ここではその答えは明かさないが、私はこういうことを慶應大学在学中にずっと考えていたわけであり、哲学の勉強をして良かったと思っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

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2009年8月12日 (水)

幸せは「状態」の中にはない

 幸せは「状態」の中にはない。

 どういうことか説明しよう。

 独身者の中には、「結婚すれば幸せが訪れる」と思い、結婚を夢見ている人がいるだろう。「結婚」という状態が、自分の不幸を救ってくれる、そう期待している人もいるだろう。

 経済的に豊かでない人は、「遊んでも食べていけるような不労所得が得られたら幸せが訪れる」と思い、不労所得をほしがって、あれこれ投資物件を探しているだろう。

 しかし、「結婚」という状態があなたを永遠に幸せにすることはない。結婚すれば結婚したで、結婚後にさまざまな問題が生じるのであり、幸せの状態が永遠に続くわけではない。現に、つい先日も、某トップアイドルが夫婦で逮捕されたばかりである。その夫婦も一時期は幸せの絶頂だったかもしれないが、今では拘置所で暮らす羽目になっているだろう。この例からも分かるとおり、「結婚」という状態が幸せを永遠に保証することなどないのである。

 「不労所得で食べていける」という状態も同じである。不労所得が得られたら、金儲けという苦役からは解放される。しかし、それで幸せが続くかといえば、けっしてそんなことはないのだ。

 この点、アリストテレスは幸せの本質を実にみごとに見抜いていた。

 アリストテレスは、幸せは「状態」の中にはないとした。幸せがあるとしたら「活動」の中にあると考えたのだ。

 例えば、英語の能力に秀でている人がいるとしよう。その人にとっての幸せとは、自分の英語の能力をフルに発揮して、世のため人のためになることができたときではないか。例えば、通訳でも翻訳でもいい、他の人にマネできないような高い英語能力を発揮し、みんなに喜んでもらえることをしたとき、その人は「生き甲斐」を感じるのではないか。アリストテレスはそれをエウダイモニアという言葉で言い表したのである。

(結婚が自分を幸せにしてくれる…、金が自分を幸せにしてくれる…、名誉が自分を幸せにしてくれる…)

 多くの人は、そのように思いがちだが、この世は常に変化する世界であり、「不変の幸せの状態」など手に入ることなどないのだ。だから、そこを勘違いしてはならない。

 「私たちが目指すべき幸せとはエウダイモニアである」

 そう気づいたとき、本当の幸せに向けての第一歩が踏み出せるのではないか。 

 

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2009年8月11日 (火)

WEB検定(WEBデザイナー)再受験決意

 本業の翻訳の仕事が忙しいこともあって、哲学の勉強やITの勉強、ホームページの充実のための時間があまり取れないままである。というのも、やはり、なんだかんだといっても、本業が一番大切だからである。

 ただ、惰性でホームページを続けていても、成長はしない。

 そこで、自ら率先して「WEB検定(WEBデザイナー)」の再受験を決意した。

 こうやって少しづつでも勉強しないかぎり、だらだら惰性で終わってしまうので、きちんと勉強しようと思い、自ら強制したのである。

 今月末くらいに再受験したいと思う。

 合格する自信はない。問題集も少しづつ解いているが、なかなか合格ラインには届かない。

 ただ、今回の受験で、合格点にかぎりなく近い点数までには伸びるのではないかと思っている。遅くとも今年中には合格と行きたいところである。

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2009年8月10日 (月)

投資信託に手数料がかかるのは当たり前

 私は投資信託を始めて6年になるが、本当にありがたいシステムだと思う。

 某「金持ち本」の著者は、これでもか、これでもか…といわんばかりに投資信託の欠点を書き連ねているが、これは見方によると思う。

 その著者は、「銀行にお金を借りて、そのお金で不動産に投資しろ」ということをしきりに勧めている。彼が言うには、そのほうが何倍も早くお金持ちになれるのだという。ちょっと言葉は悪いが、「人のふんどしで相撲を取れ」というところか。私は、あまり健全な投資方法だとは思えないのである。

 「銀行にお金を借りて、そのお金で不動産を買う」というのは、ハイリスク・ハイリターンの中でも、もっともハイリスクだと言える。現に、私の身内のある女性も、それで失敗している。空室が何ヶ月も続いたので、ローンが返せなくなったのだが、その間に不動産の価格も急に下落してしまい大損をしたのだ。

 その著者がいうには、「投資信託だと手数料が取られ続けるからもったいない」ということからしい。しかし、手数料を取られるのは当たり前のことだ。なぜなら、投資信託というものは、いったん買い付けをすれば、あとはずっと放置しておくのだから、当然、だれかが維持していかなければならない。その維持を投資信託会社がやってくれているわけであり、手数料がかかるのは当たり前といえば当たり前である。

 その著者は、「不動産の場合は、買うときだけしか手数料がかからない」という。たしかに手数料は買うときだけかもしれないが、固定資産税は毎年かかるし、修繕費などの突発的な費用だってかかるのだ。それだけではない。不動産の場合は、手間がかかるのだ。例えば、家賃滞納者が出たら、催促しなければならない。修繕箇所が出れば、修繕しなければならない。そういう手間はけっこう心理的に負担がかかるものなのだ。

 結論を言おう。

 投資信託は「ミドルリスク・ミドルリターン」であるが、長期的な視野にたって見れば、「ローリスク・ミドルリターン」であり、いったん投資すれば最後、あとは放置しておくだけでいい。言い換えれば、手間はまったくかからないのである。

 一方、不動産投資は一見、「ハイリスク・ハイリターン」のように見えるかもしれないが、投資信託と比べて極端に儲かるわけでもない。実際は利回り10%が限度だろう。そう考えれば「ハイリスク・ミドルリターン」でしかない。

 もちろん、レバレッジを効かせれば、もっと利回りは良くなるだろうが、そうなると、こんどは「ハイリスク」どころか、「超ハイリスク」ともいえるほどリスクが高くなる。「超ハイリスク・ハイリターン」ということだ。私にはそんな投資方法が健全な投資とはとても思えないのである。

 あなたは、いったん買えばあとは手間がかからない「ローリスク・ミドルリターン」の投資信託と、買ったあとも手間がかかる「ハイリスク・ミドルリターン」の不動産投資とどちらがいいのか? あるいは、銀行からお金を借りて不動産投資するという「超ハイリスク・ハイリターン」で大金持ちになることを夢見るのか?

 「善い大家さんになりたい!」という気持ちがあるのなら別だが、お金儲けのためだけに投資を考えているのなら、不動産投資よりも投資信託のほうがよさそうに思えるのである。

 

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2009年8月 9日 (日)

お笑いブーム

 私の楽しみの一つにお笑い番組を見るというのがあります。

 といっても、私の自宅にはテレビがありませんので、見るといってもDVDを借りて見るというのが主です。DVDを買うこともあります。また、最近では、インターネット上で動画も見ることができるようになりました。

 私は3年くらい前までは、年柄年中仕事をしておりまして、自宅にテレビもなかたっため、「M1グランプリ」という高視聴率番組の存在も知りませんでしたが、DVDレンタルショップでその番組を収録したDVDを発見した年からは、放送日は近くのサウナに行って、生放送を見ています。今のサウナは個々の椅子に個別のテレビがついているので、確実に見ることができるわけです。さらに数年前から「R1グランプリ」という1人芸の大会もでき、こちらのほうも、近くのサウナに行って生放送を見ています。年2回の楽しみ、といったところです。

 ところが、驚くことに、昨年からさらにコントに特化した大会として「キングオブコント」というものもできました。私は先日まで知らなかったのですが、DVDのレンタルショップで昨年のDVDが出ていたので知りました。

 こうした大会が興味深いのは、たんなるお笑いだけでなく、真剣勝負でもあるからです。芸人がそれぞれ優勝を目指して真剣勝負をする。そこに緊張と緩和がうまくミックスした興味深さが生まれるのだと思います。もしこれが単なるお笑い番組であるとか、単なる優勝を目指す真剣な番組であるとかだとこれほど興味をそそられなかったでしょう。実際、私は、他にもたくさんあるお笑い番組はあまり知りませんし、それほど興味をそそられません。

 さて、前置きが長くなりましたが、お笑いファンの皆様のために「お笑いファンサイト」というのを作ってみました。まだ作りかけですが、のぞいてみていただければと思います。「M1グランプリ」や「キングオブコント」でどのコンビが優勝するか、あなたの予想も投票できるようになっております。以下のリンク先にそのサイトがあります。お気軽に投票してください。

 http://homepage2.nifty.com/orangecat/ 

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2009年8月 8日 (土)

薬物に依存するのは?

 最近、薬物に手を出して逮捕されている芸能人が多く報道されている。

 なぜ、薬物に手を出すのか。

 何を求めているのか。

 理性で判断すれば、薬物によって破滅の道に進むことは分かるだろう。

 それなのになぜ手を出すのか。

 薬物にせよ、アルコールにせよ、すべて快楽を与えてくれるものなのである。

 しかし、長期にわたって快楽を与えてくれるだろうか? 

 真の幸せを考える場合、この長期的な視野が必要となってくるわけである。

 今、酒井法子のニュースが日本のみならずアジアにも飛び回っているらしいが、どういう結末を迎えるのだおうか。

  

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2009年8月 7日 (金)

スウェーデンボルグの翻訳も終了間近

 スウェーデンボルグの本の翻訳に取り組んでいるのだが、ようやく終了に近づいた。8月中旬にはすべて終了させる予定である。

 今回の私の訳本は、抜粋であり、それほど分厚くはならないだろう。通常の本であれば、この厚さであれば、2~3ヶ月しか翻訳期間を貰えないところである。特に私は、「超特急」でも仕上げると思われているフシがあるので、ひどい場合は1ヶ月ていどでやってくれ、と頼まれたりする。しかし、分量は分量でも、難易度が高いとそんなに早く訳すことはできないし、早く訳すとどうしても訳文が荒くなる。

 そういう意味で、今回は6ヶ月の翻訳期間が貰えたので、それほどあわてる必要はなかったのではあるが、意外と意外、難易度が高く、平易な日本語に直すのにとても苦労している。

 内容は、死後の世界のことであるが、とても良い内容であり、一人でも多くの読者に読んでもらいたいと思っている。タイトルは未定なので、正式に決まったら、このブログでも紹介したいと思っている。人生観が本当に劇的に変わるであろう。

 そういうわけで、今はラストスパートの時期である。無事に完走できることを祈りながら、日々、邁進しているわけである。

 

 

 

 

  

 

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2009年8月 6日 (木)

金ほしがり父さん、学問好き父さん(3)

 「金ほしがり父さん」は、金ほしさに中古のアパートを購入し、アパート経営を始めた。

 しかし、購入したときは気がつかなかったのだが、くみ取り式の便所は、夏になると猛烈な悪臭を放ち、巨大なハエが飛び回ることに気づいた。「自分はそのアパートに住まないから関係がないが、アパートの住民はさぞかし、大変だろう」と思った。だが、水洗トイレに変えるには多額の費用がかかってしまう。そこで「金ほしがり父さん」はこう考えた。

「アパートの住民には悪いが、我慢してもらおう。だいたい、入居させるのは男子学生だけだ。学生なんだから贅沢なんて言わせないほうが本人のためだ。だいたい、便所はくみ取り式というのは契約書にあるんだから、何もだまして入れているわけではない。『夏になると耐えられない悪臭がする』などと本当のことを言ったら、入居する人なんかいなくなってしまう。それでは家賃が取れなくなり、ローンも返済できなくなる。入居人の都合なんて、二の次だ。とにかく金だ。できるだけ空室を減らし、費用をかけずに、家賃を取ることが第一の目的なのだ。水洗トイレに変えるなんてもってのほかだ」

 「金ほしがり父さん」は、くみ取り式便所が夏になると猛烈な悪臭を放ち、巨大なハエがたかることを知っていながら、何も対策を講じようとはせず、ただ家賃が入ってくることだけを目標にしていたのだった。その結果、アパートの住民は夏の間、不快な思いをさせることになったが、金は入ってきたのだった。苦情を言ってくる学生もいたが、完全に無視していたのだった。

 「学問好き父さん」も、投資の一環として中古のアパートを購入し、アパート経営を始めた。

 「学問好き父さん」の買ったアパートも「金ほしがり父さん」の買ったアパートと同じく、くみ取り式の便所が夏になると猛烈な悪臭を放ち、巨大なハエがたかるのであった。それを知った「学問好き父さん」はこう考えた。

「アパートの住民にとって、夏の間、この悪臭は耐えられないものとなるだろう。しかも、このハエはどうにかしなければならない。水洗トイレに変えるにはどの程度の費用がかかるか試算してみよう。アパートの住民には不快な思いをさせたくないので、このことは、契約する前に雑談の中ででも、知らせておいたほうがいいだろう。もし水洗トイレに変えるとなると、ローンの返済計画も狂ってしまうが、お金が第一ではなく、善い大家さんになることが第一だ。だから、アパートの住民にとって何が一番いいことかを第一に考えよう。とはいえ、お金がかかることなので、なんでもかんでもというわけにはいかない。その辺のバランスをうまく考慮して決めよう」

 「学問好き父さん」は、入居希望者の全員に、正直にこのことを話したのだった。その結果、夏休みに帰省しない学生の中には入居を辞退する者が続出した。逆にいえば、夏休みを実家ですごす学生が数名入居しただけだった。そのためローンの返済計画は思ったとおりに進まなかったのである。しかし彼にとっては金儲けが一番の目標ではなく、善い大家さんになることが一番の目標だったので、自分のアパート経営の方針に何ら疑問をもたないのであった。

 あなたは、「金ほしがり父さん」と「学問好き父さん」のどちらに近いだろうか? 

 アパート経営を「単なる金儲けの手段」としか考えていない人なら、とにかく家賃を取れるだけ取りたい、空室を作りたくない、修繕費はできるだけかけたくない、という観点でアパート経営をするのではないか?

 一方、アパート経営を「金儲けの手段」ではあるものの、「善い大家さんになること」を目的にしている人なら、「学問好き父さん」のように考えるのではないか?

 アリストテレスに言わせれば「金儲け」というのは「仮象の善」だ。それに対し、「善い大家さんになること」というのは「真の善」だ。プラトンは、「仮象の善」に目がくらみ、「真の善」が見えない人があまりに多いことに嘆いていたのだが、あなたは「真の善」が見えているだろうか? それとも「仮象の善」に目がくらんでいるだけだろうか?

 果たして「仮象の善」に目がくらんだ人間が「真の善」を犠牲にしてまで「仮象の善」を手にしたとして、それが尊敬に値する人間と言えるだろうか?

 私は、ここ数日、ある「金持ち本」を何冊か読んできた。あえて書名は出さないが、少し残念だったことは、不動産投資を「単なる金儲けの手段」としてしか描かれていないような感じがしたからである。もちろん、それは「金儲けの手段」ではある。金が入って来るのと来ないのとでは、入って来た方がいいに決まっている。しかし、「善い大家さんになるには」という視点はほとんど触れられていなかった。

 古くソクラテスは言った。「人間はただ生きているだけではなく、より善く生きなければならない」と。大家さんになるのも同じだと思うのだ。せっかく大家さんになるのであれば、お金儲けだけを考える大家さんになるのではなく、「善い大家さんになるには」という視点が必要だと思うのだ。

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2009年8月 5日 (水)

金ほしがり父さん、学問好き父さん(2)

 「金ほしがり父さん」は、金の魅力について子供にこう語った。

「なんだかんだといっても、世の中、金を持っているものが一番強いのだ。しょせん、世の中、金ですべてが動いているのだからな。いくら学問ができたからといってそれが何になる? 金をもっていれば、貧乏人をこき使うことだってできる。めんどくさいこと、嫌なこと、汚いこと、そういうのは全部貧乏人にやらせておくことができる。貧乏人は金を貰うためなら、嫌なことだろうが何だろうが、せざるを得ないから、金持ちの言うことを聞く。金持ちは、朝から晩まで何もせずに暮らすことができるのだ。だから、お前も、人にこき使われたくなかったら、金持ちになることだ。学問など、そんな金にならないことをやる暇があったら、少しでも金を稼ぐことを考えろ!」

 一方、「学問好き父さん」は、金の魅力について子供にこう語った。

「十分なお金をもつ利点は、それによって苦役から解放されやすくなることだ。十分なお金がなければ、本来なら、もっと自分を活かせる仕事に就けるかもしれないのに、お金儲けのためだけの仕事に就かなければならなくなる。しかし、十分なお金をもてば、そういった苦役から解放されるので、より自分に合った仕事に就ける。例えば、本来なら優れた音楽家になれる素質があっても、お金がないばかりに、えんえんとセールスマンだの事務員だのやっていたら、音楽の才能を開花できないだろう。しかし、十分なお金をもっていれば、セールスマンも事務員もする必要がなくなるので、音楽の才能を開花させ、すばらしい音楽を作ることで、世のため人のために貢献することができるのだ」

 「金ほしがり父さん」も「学問好き父さん」も金の魅力は認めており、一見、両者には共通点があるように見える。しかし、根本精神は大きく違っている。「金ほしがり父さん」は、「金さえあれば、嫌なことを他人に押しつけて、自分は楽ができる」という観点でしか見ていないのに対し、「学問好き父さん」は、「金があれば、自分をより高いレベルで活かせる仕事に就くことができ、それによってより高いレベルで世の中に貢献できる」という観点で見ているのだ。

 あなたは「金ほしがり父さん」と「学問好き父さん」のどちらに近いだろうか? 

 だれもが金がほしいだろう。しかし、なぜ金がほしいのか。「金ほしがり父さん」のように楽がしたいだけなのか? それとも「学問好き父さん」のように、今の仕事以上に、何か打ち込んでみたいものがあるのか?

 

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2009年8月 4日 (火)

金ほしがり父さん、学問好き父さん

 「金ほしがり父さん」は、子供にこう言った。

「世の中で一番大切なことは金儲けだ。だから、お前も、ガッポリお金が稼げる人間になれ。高校に行くのは、いい大学に行くためだ。いい大学に行くのは、いい会社に就職するためだ。いい会社に就職するのは、金が稼げるようになるためだ。つまり、勉強というのは、金に結びつけられてこそ意味があるのであり、金儲けに結びつかない勉強など、する意味がないのだ。『学問はできるが金儲けができない人間』にはなるな! 違法なことはしてはいけないが、違法でなければ何をやってもいい。えげつない手を使おうが、他人を蹴落とそうが、違法すれすれのことをやろうが、結局、稼いだものが勝ちなんだ。分かったか。ガッポリお金を稼げるような大人になれ!」

 一方、「学問好き父さん」は、子供にこう言った。

「世の中で一番大切なことは善い人間になることだ。言い換えれば、理性を磨き、学んだことを活かして世のため人のためになることをすることだ。大学に行くのは、将来、より高いレベルで世のため人のために尽くせるように高度な知識を身に付けるためだ。だから大学では、必死に知識を身に付け、理性を磨いておくことだ。社会に出てからも、学問は続けたほうがいい。コツコツコツコツと自分の好きな分野の学問を続けておくといい。そうすれば、いつかその知識を高いレベルで活かせるときが来るだろう。そうして、お前は他のだれにもマネできないような仕方で世のため人のためになることをしたらいい。尊敬に値する人間になりなさい」

 あなたは、「金ほしがり父さん」と「学問好き父さん」のどちらに近いだろうか。

 私の父は、まったく無学(中卒)だったが、まさに上記の「金ほしがり父さん」だった。一生涯、金、金、金…と金をほしがっていた。中学を出てから死ぬまでに読んだ本の数は一桁ではないか。

 だが、私は父の思想に染まらなかった。なぜなら私は霊界研究を続けていたからである。霊界研究をすれば分かることだが、あの世に行けば、お金などまったく何の意味もなくなるのである。霊界における通貨は、この世でどれだけ世のため人のためになることをしたか(隣人愛を実践したか)だ。それが分かれば、人生観がガラリと変わるのではないか。

 もちろん、人間には、ある程度のお金はどうしても必要である。しかし、けっして忘れてほしくないのは、お金はそんなにガムシャラになって求めるべきものではない、ということだ。一番の目標は、あくまでより善い人間になり、少しでも世のため人のためになることをすることなのである。

  

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2009年8月 3日 (月)

学問をしている人、していない人

 ネットで調べものをしていると、驚くことに、昔の同僚が著書を出し、講演会まで開いていたことに気づいた。

 私は青山学院大学卒業後、4年近く、某私立大学の職員をしていたのだが、そのときの同期に上智大学出身の男性がいた。ちなみに他の同期には青学、明治、明治学院、成城などの出身がいた。

 私は同期の中でも彼だけは、「きっと将来、何かやる人だ」という雰囲気を感じ取っていた。別に上智大学出身だからというわけではないが、同期の中では、よく勉強しているという雰囲気があったのだ。

 私が大学職員を辞めてから、かれこれ20年が経つ。その間、どうやら彼は、大学職員を続けながら、慶應大学通信教育課程を出て、さらに仏教大学大学院修士課程の通信教育課程も出たようである。仕事を続けながら、ここまでやり遂げたところがスゴイ。

 単なる大学職員(といっては大学職員の人に失礼かもしれないが)だけで終わることもできる。給料だっていいし、なにより世間体が良い。だから、適当に仕事をして、休日はだらだらしていても、毎年給料は上がっていくのだ。

 しかし、彼は、コツコツコツコツと学問を続け、ついには著書を出し、講演会も開くようになった。現在、仏教大学大学院の博士課程に籍を置いているようだが、博士号が取れると、もしかすると大学教授に転身するのかもしれない。まさに、コツコツコツコツと学問を続けていた成果といえよう。

「学問なんて、やってそれが何になるの? 俺は大学で勉強したことは社会人になってから何にも役だってないと思う。そんな知識って、年に何回使うことがあるの? ほとんど使う機会がないことに対して、そんなに頑張るのってばからしくない? 世の中で一番大切なのは金儲けだよ。子供にも金儲けの仕方について一番教えたいね」

 こんなことを言って学問の価値を否定する人がいる。しかし、学問をしない人間が、著書を出したり、講演会を開いたりできるだろうか。もちろん、学問以外に何か秀でているものがあれば、著書を出したり、講演会を開いたりできるかもしれない。しかし、頭角を現す最も近道は学問ではないだろうか? 

 私は、20年ぶりに同期の活躍をしって、「やっぱりコツコツコツコツ学問している人は違うなぁ」という印象を持ったのである。そして、私自身も、「負けてはいられないぞ、私もこれからいくつかの大学を出てやるぞ」という気になったのである。

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2009年8月 2日 (日)

ブログを分散します

 ブログを書く目的は人それぞれであろう。

 もちろん、どんなことをどんな目的で書こうが、基本的には本人の自由である。

 しかし、せっかくブログを運営していくのなら、単に自己満足に終わるのではなく、読者にも喜んでもらえるようなブログにしたい。

 私はこのブログを始めて1年になるが、この1年は、試行錯誤しながら、とにかく毎日更新を目標にやってきたところがある。したがって、テーマも多岐にわたり、投資、投資信託、学問、資格、語学、大学、大学院、通信教育、霊界、仕事、翻訳など、一貫性がなかった。一貫性があるとしたら、唯一「宮崎伸治が考えたこと」というだけのことであった。

 しかし、これからは読者の立場ももっと考慮した作りに変えて行きたいと思う。基本的にこの「宮崎伸治の七転八起」は私自身が考えたことを公表することを第一目的とし、プライベートライフを中心に日記形式で書いて行きたいと思うが、2年目にさしかかったのを機に、今後はテーマごとにブログを分散し、それぞれテーマに沿って成長させたいと思う。

 以下は、新しいブログの紹介である。

 1つ目は、投資について考えるブログ「投資研究」です。投資信託の魅力、どの投資信託がいいのか、不動産投資と比較してどうか、外貨はどうか、こういったことを考えていきます。

 2つ目は、霊界について考えるブログ「霊界研究」です。あの世はどんなところか、あの世でいい所に行くにはこの世でどう生きるべきかを考えていきます。

 3つ目は、お笑い文化について考えるブログ「お笑いについて語ろう」です。M1グランプリ、R1グランプリ、キングオブコントを始め、お笑い文化について考えていきます。 

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2009年8月 1日 (土)

埋没費用とは何か

 機会費用については昨日述べたが、では、埋没費用とは何か。

 例えば、「難関資格に挑戦する」という場合、何年か挑戦しつづけ、その間、50万円がかかり、300時間を費やしたにもかかわらず、不合格続きだったとしよう。

 しかし、その資格に合格するよりも、もっと魅力的な選択肢が見つかったとする。

 その場合、「せっかくここまでお金と労力をかけたのだから、合格するまでやろう」と考えるか、それとも、「だらだらと惰性で続けるよりも、ここはきっぱり諦めて、もっと魅力的な選択肢を取ろう」と考えるかの瀬戸際に立たされる。

 しかし、試験合格を諦めた場合は、それまでに費やしたお金も労力も取り返しがつかなくなる。つまり、埋没してしまう。これを埋没費用というのである。

 おろかな意思決定をする人間の多くは、埋没費用にこだわるがあまり、もっと魅力的な選択肢が出てきても、それを始めることをせず、惰性で昔からの目標にこだわり続けるという。

 何かを始めるとき、必ず考慮しなければならないのが機会費用埋没費用である。

 自分がその目標を達成するには、どれだけの費用と労力がかかるのか。もし失敗が続いたら、そのときに埋没してしまう費用と労力はどれくらいで、それはキッパリ諦めきれるものなのか。諦め切れずに、ずるずるとひきずってしまうのか。

 数学的センスがある人は、何かを始める前に、機会費用埋没費用を割と正確に計算できるので賢明な意思決定ができるわけである。逆に、数学的センスがない人は、「熱意だけでどうにかなる」といった信念をもっているので、往々にして機会費用と埋没費用を度外視して始めてしまうのである。その結果、途中で断念せざるを得なくなったり、多大な犠牲を払ってまで続けざるを得なくなるのである。

 あなたが今、目指している目標は何だろう?

 それを達成するのに、これから先、どれくらいの機会費用がいるのか、失敗したときにどれくらいの埋没費用が発生するのか、冷静に判断できているだろうか? 単なる希望的観測ではなく、冷静に自分の能力に照らし合わせてみたとき、どれくらいの費用と労力がかかるか判断できているだろうか。また、それが失敗に終わったとき、埋没する費用が諦める範囲内だろうか?

 「数学なんて、社会に出たら関係ないよ」などと言っていた人は、実はこういうところでも、数学的センスのある人と大きな差をつけられてしまっているのだ。

 思い立ったが吉日だ。あなたも「ビジネス数学検定」を目指して数学的センスを磨いてみないか。それは誰のためでもない。あなた自身のためになるのだ。

   

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