« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

2010年4月29日 (木)

慶應大学同窓会

 今日は、慶應大学時代、同じ慶友会で励まし合いながら卒業した人たちと初めて同窓会を開きました。

 「同窓会」といいましても、私が所属していた慶友会で同期に卒業した人の数も少なかったため、合計4名のこじんまりとした同窓会でしたが、ひさしぶりに慶應大学時代の話が出来て楽しく歓談できました。

 基本的に本人が勉強する気があれば、大学はどこの大学でもかまわないとは思いますが、世間の風評もあながち間違ってはいないと思います。私の目から見ても、慶應大学には真面目な学生が多かったような気がします。また、なにより、図書館が素晴らしい。専門書でも、たいていは図書館で間に合いましたから、論文を書く上では非常に助かりました。

 今日の同窓会出席者も真面目な方たちで、基本的に学問に関する話で盛り上がりました。  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月28日 (水)

大金持ちが羨ましいか?

 あなたは大金持ちになりたいのか、それとも幸せになりたいのか? どっちだ?

 100万円ていどの資金を元でにインターネットで株をやり、数十億円にも資産を増やした男性がいる。豪邸に住み、物質的には何ら困ることのない生活を送っている。「カリスマ投資家」とでも入れて検索すれば、そういった人たちの情報がずらずら出てくる。

 多くの人は、「羨ましいなぁ~、俺も、この人みたいに大金持ちになりたいなぁ~、そしてこんな豪邸に住んでみたいなぁ~」と羨ましがるのではないだろうか?

 かくいう私も、「あんな豪邸に住んでみたいなぁ~」という嫉妬心がまったくないわけではない。「あんな豪邸に住んだら、どんなに幸せになれることか」と思わないでもない。しかし、冷静になって考えてみるに、やはり「お金では幸せなど買えない」ということが分かる。だから、別にそれほど羨ましくもなくなるのである。

 大金持ちになれば、この世のほとんどの苦痛からは解放されるだろう。嫌な仕事はしなくてもよくなる。ということは、嫌な上司や嫌な同僚と顔を合わせる必要がなくなる。豪邸に住める。好きなものもどんどん買える。毎日遊んで暮らせる。

 しかし、ほとんどの苦痛から解放されたら、それがすなわち幸せか? 私は、そうは思わない。ほとんどの苦痛から解放されることは、単にほとんどの苦痛から解放されるということにすぎず、それ以上ではない。それが幸せの絶頂というわけでもないはずだ。

 考えても見て欲しい。あなたは大金持ちになったあかつきには、何がしたい? お金のために働かなくても良くなったら、毎日毎日、何をして暮らす? 毎日毎日遊ぶといっても、遊びには限界がある。最初は刺激的に思えた遊びも、徐々に色あせていき、何にも面白くなくなる。やがては「退屈」という苦痛に悩まされるだけなのだ。

 (俺は勘違いしていたんだ。大金持ちになれば幸せになれると思いこんでいた。しかし、なんてこった。大金持ちにはなれたが、こんなに毎日毎日退屈な日々が待ち受けているなど思っていなかった)。こんなことになりかねないのである。

 では、幸せになるには何をすべきか? 

 それはお金儲けを一番に考えるのではなく、より善い人間になることを一番に考えることである。より善い人間になるとは、言い換えれば、「自分を磨く」ということである。哲学者であれば、これを「自分を神に似せる」とでも言うかもしれない。「自分を磨く」ための目標をしっかり持っている人、こういう人こそが幸せになれるのだ。

 「自分を磨く」という目標を持っている人は、永遠に退屈はやってこない。なぜなら、「自分を磨く」ことには限りがないからである。自分を磨こうと思えば、やるべきことは無限にある。そういう人は、一年一年、進歩する。ますます幸せになる。

 そういう意味で、私は、大金持ちでも「自分を磨く」ための目標を持っていない人と、そこそこのお金しか持っていなくても「自分を磨く」ための目標をしっかり持って頑張っている人とでは、後者の方が何倍も幸せだと思うのである。

 かくいう私は「自分を磨く」ために10の大学を出ようと思っている。生半可な気持ちで言っているのではなく、本気でやり遂げようと思っている。もちろん、お金が目当てではない。「自分を磨く」ためにやっていることだ。ただそれだけのために命をかけているのである。

 

 

 

 

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月27日 (火)

私の本が48冊

 今日は国立国会図書館に行きました。

 ちょっと気晴らしに図書館の蔵書検索で「宮崎伸治」と入れて検索してみたところ、なななんと48冊も出てきました。つまり、48種類の本が国立国会図書館に所蔵されているのです。

 われながら、びっくりです。

 思い起こせば、30代の10年間は、休む暇もまったくないほど、がむしゃらに仕事をしていましたので、こんなにたくさん本が生まれたわけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月26日 (月)

互酬性の法則

 互酬性の法則というのを聞いたことがあるだろうか? 倫理学でよく使われる言葉である。具体例をあげて説明しよう。

 昨夜、私はよく行くマッサージ店に行ったのだが、昔、銀行でもらったサランラップを持っていってあげた。私はサランラップは使わないから、マッサージ店にいる従業員で使う人がいれば使ってもらったほうがいいからだ。

 すると、従業員は非常によろこんでくれた。そしてマッサージが終わって帰るときには、バナナを2本くれたのである。

 これこそが互酬性の法則の一例である。

 人間、だれかから何かをしてもらったら、何かをしてあげたくなる。逆に、だれかから粗末な扱いをされたら、仕返しをしたくなる。これが互酬性の法則なのだ。

 だから、他人から親切にされたいと思えば、先に自分から率先して他人に親切にしてあげればよい。たいていの場合、ほうっておいても、互酬性の法則が働き、親切にしてもらえるはずだ。逆に、他人を粗末にしてしまったら、これまた互酬性の法則が働き、粗末にされてしまう。

 私はもらったバナナ2本のうち1本を今日の3時のおやつにしようと思っているところである。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年4月25日 (日)

楽天証券の口座を開こう

 私は投資信託歴がかれこれ6年になります。今まではずっと銀行や証券会社の窓口または電話で購入しておりました。

 このたび、楽天証券の口座を開くことにしました。今後は、インターネット経由で投資信託を買えるようになります。

 楽天は、ありがたいことに、色々とポイントがつくサービスがあり、しかも、色々な商品に使うことができます。

 今回、楽天証券の口座を開くだけで即200ポイントがもらえるということでしたので、開設の申込みをしました。これは200円相当の商品が買えることになるのですが、こうやって楽天は色々なところでポイントが稼げるようになっているので、投資に興味がある方であれば、楽天の口座を開くのもいいと思います。

 もちろん、口座を開くだけ開いておいて、実際に運用するかどうかはとりあえずペンディングしておいて、気が向いたときに運用を始めるというのもアリだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月24日 (土)

ドイツ語会話

 来月、印税が入ることになっていますので、その印税の一部を使って、ドイツ語の会話を習いにいこうと思っています。

「いったい何のためにドイツ語会話を?」

 と思われる人もいるかもしれませんが、まあ、これはどうしてもしなければならないことというより、自分を磨くための一つの手段にしかすぎません。趣味といってもいいかもしれません。

 今、検討しているのは、ベルリッツです。先日も、某有名英会話学校が破綻したといったニュースが流れてきましたが、多少不安にならないこともないですが…。でも、ベルリッツの悪い噂はインターネット上でもあまり見かけないので大丈夫であることを祈っています。

 今から、ドイツ語会話の特訓を楽しみにしております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月22日 (木)

学のない人に「いい人」はいるか?

 私は、今、カントの『道徳形而上学原論』を英語で読んでいる。読んでいて、つくづく思うことは、学のない人(知を愛さない人)に「いい人」はいないのではないかということである。いや、もっと正確に言えば、学のない人(知を愛さない人)は「いい人」になりえないのではないかということだ。(誤解を避けるために言っておくが、ここでいう「学」とは、学歴とは直接は関係がない。中卒でも「学のある人」もいれば、大学院卒でも「学のない人」はいる)。

 私がこんなことを言えば、「学はなくても、いい人はいるよ」と反論する人は多いだろう。しかし、そういう人が言っている「いい人」の「いい」の基準は一体何だろう? 何を基準に「いい人」だと言っているのだろうか。

 利害が一致しているときは、だれもが「いい顔」をしてくれる。たとえば、今あなたが働いている会社の社長に、「私は明日から一切給料はいりません。ボランティアで働かせていただきます」と言って、しかも勤勉に働いたら、そりゃ、社長は大喜びだろう。あなたのことをいくらでも褒めてくれる。社長にとってあなたは実に「いい人」だ。しかし、それは「自分にとって都合がいい」ということにすぎないのではないか?

 問題が生じるのは利害が衝突したときだ。利害が衝突したとき、初めて本性があわわれる。普段は「いい人」だと思っていた人が、利害が衝突したとたんに、化けの皮がはがれ、都合のいいことばかり言い始める。そういう人はけっして「いい人」とは言えないのではないか?

 つまり、利害が衝突してみなければ、相手の本性などわかりっこないのである。利害が一致しているときに「いい人」というのは、あくまで利害が一致している間での「いい人」にすぎないわけである。私は、そういう人まで「いい人」とは言いたくないのだ。仮に「いい人」と言わなければならないにしても、「利害関係が一致している間においては、いい人」と言わざるを得ないのだ。

 では、本当に「いい人」とはどんな人か。それは、利害関係が衝突して、自分の都合が悪くなっても、誠実に行動できる人のことだ。もしかしたら自分にとっては相当の損害が出ることが分かっても、私利私欲で行動するのではなく、相手の立場に立って行動できる人だ。そういう人こそ、本当に「いい人」だと言いたいのだ。

 私が見る限り、本当に「いい人」と言える人は、100人に数人程度だと思う。私も過去に仕事関係で何度かトラブルに遭遇したことがあるが、そういう場合、ほぼ全員が、私の立場を無視し、自分に都合のいいことばかりを主張してきた。こうしたことかも分かるとおり、自分の都合が悪くなっても、なお誠実に行動できる人は本当に少ないのだと思う。

 さて、では、なぜ「いい人」になるために学問が必要なのか。それは、利害が衝突したときに、何をどうするのが最善のことかを知るには、学問をやらなければならないからなのだ。これは経験で分かるものではない。経験ではなく、思考の結果でしか分からないものなのだ

 

 

 

 

| | トラックバック (0)

2010年4月20日 (火)

私がこれから狙う資格

 私が学位や資格を目指しているのは、学位や資格が欲しいからというより、自分自身を磨くためである

 自分自身を磨くことが究極の目的だと認識しているので、学位そのもの、資格そのものは取得できようができまいが、それほど気にはしていない。これはどうでもいいということではない。自分なりにベストは尽くす。尽くすけれど、結果は気にしていない、ということだ。

 さて、今後、私が狙っていく資格は次のとおり。

 1,パソコン整備士3級

 2,知的財産管理技能検定

 3,オーストリア政府公認ドイツ語検定B1

 4,WEB検定(WEBプロデューサー)

 今までは、日本大学法学部の勉強で忙しかったので、しばらく検定試験の受験は控えていたが、来月から、また受けまくりのスケジュールである。

 この4つのうち、合格の可能性の高い順に、知的財産管理技能検定、オーストリア政府公認ドイツ語検定B1、パソコン整備士3級である。WEB検定(WEBプロデューサー)は前回72点だったので、次回で80点(合格基準点)まで到達できるかどうか…。

 日々精進である。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仕事はお金儲けのためにあるのか?

 映画が15分中断したことに対して、どの映画も無料で見ることのできる無料招待券を観客全員に配ってくれた映画館があったという話をした。映画が中断することなど滅多にあることではないので、対応マニュアルなどあるとは思えない。だから経営陣のとっさの判断で対応したと思うのだが、実に誠実な対応だったと思う。

 私は、こういうところに経営陣の真の資質があらわれるのだと思うし、こういう誠実な対応をしているところは、長い目で見れば、観客から愛される映画館になると思う。

 お金儲けのことだけを考えて仕事をしている経営者だったら、「まぁ、今回は一時中断してしまったけれど、まさかこんなことになるとは思ってなかったし、私たちの落ち度ではない。今は不況で大変な時期だ。少しでも売上をあげないと、上から圧力がかかる。ここは、だれも文句を言ってきてないのだから、まぁ、特に対応などしなくてもいいだろう…」と思って、無事に何も起こらないことを祈りながら、けっきょく何もしないだろう。このような経営者は「お金儲け=幸せ」と思いこんでいるので、自ら率先して自分が損をするようなことをしたがらない。

 少なくとも私の見たところ、文句を言っている客はいなかった。しかし、何も対応しなかったらどうなるだろうか。映画が途中で中断するということは滅多にないので、1年後であれ2年後であれ、きっと客もこの日のことは覚えているだろう。すると、次回、客が映画を見たくなったとき、「そういえば、あの映画館、前回行ったとき、途中で映画が中断したよな。またあんなことがあったらいけないから、別の映画館に行こうか」ということになりかねない。そう思う人が何割いるかはわからないが、確実に何人かの客は失うだろう。

 しかも、怖いのはブログである。何の対応もしなければ、当然、何人かはこのことをブログに書くだろうし、そうなると、その映画館の評判は下がる。そう、一見、何も起こらないようでいて、徐々に客離れは起きるのである。

 逆に、誠実な対応をしたらどうなるか。例えば、今回のように無料招待券を配ったらどうなるか。どの映画でも見ることができ、しかも、期限がない無料招待券だから、実質1800円の価値はある。その観客数分だから、数百万円分にも相当しよう。たった一瞬のことで、数百万円の売上が飛んでしまうのである。相当な損失に見える。

 だが、これは逆にお客さんを呼び込むことになる。なぜなら、無料招待券なのだから、当然、それを貰った人のうち、何割かは同じ映画館に足を運ぶことになろう。そうなると、映画館入場料は取れないが、ポップコーンやジュースを買ってくれたら、そっちの売上があがる。今回がその映画館に足を運ぶのが初めてだった人だったとしたら、2回目に来てくれたら、客の固定化につながる。

 いや、何より、映画館の評判が高まり、口コミで他の客も呼び込むことになる。実は、この日の出来事について書いている人がいないかと思って、色々と検索してみたところ、実際に書いている人が見つかった。その人も映画館側の対応を喜んでいたようだ。このように「あそこの映画館は誠実だ」ということが口コミで広がる。一見、一時的に数百万の損失が出たかのように思えるが、実は、こういう誠実な対応をしていれば、将来的には、逆にお金が儲かることになるのだ。

 いや、このような対応をする経営者にとっては、お金が儲かるかどうかなど二の次なのかもしれない。そんなことより、お客さんに愛される映画館になることを考えている。なぜならこういう経営者にとっては「お金儲け=幸せ」ではなく、「お客さんに喜んでもらうこと=幸せ」なのだから。

 お金・名声・権力・地位…これらは「仮象の善」にすぎない。「仮象の善」とは、一見、幸せの源泉のようでいて、実際は幸せの源泉ではないものをいう。世の中のほとんどの人は「仮象の善」しか見えておらず、日々、アクセクアクセクとしてこういったモノを求めている。彼らは「仮象の善」に囚われるがあまり、ときに他人を悲しませてでも「仮象の善」をほしがる。なぜなら「仮象の善」こそが幸せの源泉だと勘違いしているからだ。

 お客さんに喜んでもらうこと…これこそが隣人愛であり、「真の善」である。「真の善」が見える人はそう多くはない。「真の善」が見えている人は「仮象の善」が手に入るか否かはそれほど気にしていない。手に入ったら入ったでいいが、入らなくても、それは「仮象の善」にすぎないことを知っているので、何とも思わないのだ。彼らが心から求めているのは「真の善」だからだ。 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月18日 (日)

ひさびさに感動した

 昨日、ひさびさに感動した事件があった。

 3D映画『アリス・イン・ワンダーランド』が封切りになったので、早速、昼に有楽町の映画館に見に行ったのだが、昼間の回は全席埋まっていた。夕方の回も1番前の席以外はすべて埋まっていた。1番前の席では見たくなかったので、有楽町で見るのはやめた。

 夕方、別の映画館に見にいったのであるが、その映画館も超満員で、なんと1席しか空いていなかった。こうして私は深夜の回(レイトショー)で見ることになった。3D映画は、以前、『アバター』で感動していたので、ぜひ、再度体感したいと思っていたが、やはり3D映画は強烈だった。

 肝心の映画の内容だが、実は、つい先日、仕事関係でかなりショッキングな出来事があったため、心の奥底でずっとそのことばかり考えていたため、映画の内容に没頭できなかった。こんなときは映画に行くべきではなかったのだが、ついつい行ってしまったのだ。

 では、いったい何に感動したのか。

 映画を見始めてから30分くらい経ったころ、急に映像が止まった。そして場内アナウンスが入った。

 「只今をもちまして、本日の上映はすべて終わりました…」

 そんなはずはない。まだ30分しか経ってないのに終わるはずはない。これは何かのトラブルなのだ。その後、係員が入ってきて、至急、トラブルの原因を探りますので少々お時間をくださいと告げた。

 15分くらい中断はあったものの、映画はとぎれたところから再び上映が始まった。

 ここまでなら、「あっ、そうなの、そんなこともあるんだね」で終わりである。私も映画が終わる頃には、映画が途中で中断したことなどすっかり忘れて映画館を出ようとしていた。

 観客がぞろぞろを映画館を出て行く中、出口付近で係員数名が深くお辞儀をして、こう言った。

「このたびはお楽しみのところ、本当に申し訳ございませんでした。お詫びとして、どの映画でも無料で見ることのできる無料招待券をさしあげます。ぜひご利用ください」

 無料招待券を全員に配ってくれたのだ。これには感動した。とても誠実な対応ではないか。

 その映画館はかなり大きな映画館で、しかも、全席埋まっていた。しかも、同じビルに入っていた別の複数の映画館も同時にトラブルがあったのだから、正確な人数は分からないにしても、全員で700人とか800人もいたはずである。なのに、15分くらい中断したお詫びとして、全員に無料招待券を配っているのである。

 無料招待券はどの映画でも見ることができる。だから実質1800円くらいの価値はあろう。それが800人だとすると百数十万円だ!  

 怒って文句を言っている人もいなかったのだから、映画館側は何もしようと思わなければ、放置しておいても良かったのである。放置しておいても、だれも文句を言わかなかっただろうし、あれくらいのことなら、だれも訴えたりしなかったであろう。

 なのに、映画館側は「15分映画を中断したことで観客の楽しみを損ねた」ことに対して、自ら率先して全員に対して償いをしたのだ。文句を言われたから償いをしたのではなく、だれも文句を言っていないのに自ら率先して償いをしたのだ。少なく見積もっても百数十万円相当の無料招待券を全員に配ったのだ。

 ぞろぞろと出て行く観客の中にも、

「ええ~、無料招待券くれるの! すごい誠実な対応しているね、この映画館。またここ、来ようね」

「すげ~なぁ、たったあれだけのことなのに、無料招待券もらえるの!? なんか、すごく大切にされてるって感じするし、こういう対応してくれると嬉しいよね」

 というカップルの声がチラホラ聞こえてきた。

 お金儲けのことだけを考えて経営をするのなら、だれも文句を言っていないのに、無料招待券を全員に配るといったことをしないだろう。だが、本心から「お客さんに喜んでもらいたい」という気持ちから経営している人であれば、15分映画を中断したことに対し、自ら率先して償いをしたいと思ったのであろう。上映中に映画が中断するということなど滅多にあることではないので、中断したときの対応マニュアルなどあるとは思えない。経営陣のとっさの判断で無料招待券を配ったに違いない。とても誠実な対応だと思った。

 たったこれだけのことだが、ひさびさに感動させてもらった。

  

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月12日 (月)

私の夢

 今の私の夢の1つに「10の大学を卒業する」というのがあります。

 今、世界で一番多くの大学を出た人は、いくつの大学を出た人なのでしょうか?

 7つでしょうか、8つでしょうか? 5つくらいなら、沢山いそうですね。でも、10の大学を出た人って、今までいたでしょうか?

 いつかギネス社に問い合わせをしてみたいとも思いますが、よほどの金と暇と向学心がなければ10の大学は出られないでしょう。

 もっとも、通信教育課程はそれほどお金がかからないので、やはり決めては向学心でしょうか。

 実際、通信教育課程であれば、年間20万ていどのお金ですみます。年間20万といえば、月に2万弱です。パチンコ、競馬、スキー、旅行、飲酒、ゴルフ、こういった趣味のほうがよっぽどお金がかかります。

 もちろん、通信教育課程での勉強には参考書代もかかりますが、図書館にこもって勉強していれば、図書館の参考書も使えるわけで、とても安上がりです。

 幸いなことに、私にはまだ学問に対する気力が十分にあります。今から5つや6つの大学を出る苦労なら喜んでするつもりです。資格にも挑戦していきます。

 今まで世界で誰一人としてやったことのないこと、それを実現しようと思います

 それが私の夢の一つです。

 

 

 

| | トラックバック (0)

試験結果を超越した勉強

 日本大学の定期試験が終わりました。

 でき自体はそれほどかんばしくはなかったとは思いますが、自分なりにベストを尽くしたので、結果は気にしていません。4科目受けましたが、2科目の合格はほぼ確実だと思いますが、残りの2科目のうち1科目はアウト、もう1科目はギリギリ合格になるかならないかというところだと思います。

 ただ、今の私は、単位がほしいとか、いい成績を取りたい…といった目先の目標に向けて勉強しているわけではなく、自分を磨くため(教養をつけるため)に勉強しているので、不合格なら不合格でも、腐らず勉強し続けるだけのことです。試験の結果とは無関係に、民法の勉強ができたことは自分にとって良かったと思っていますし、楽しく勉強できたので、それで十分です。

 刑法や商法の授業もそろそろ始まるのですが、こちらのほうも楽しみです。

 宅建などの法律関係の資格も視野に入れて勉強していこうと思います。

 さて、今、楽しみにしていることの一つが、ドイツ語会話のマンツーマンレッスンを受けることです。私のドイツ語の実力というのは、単語力だけやたらと多く、文法も会話もめちゃくちゃなため、OSDにも不合格でした。ただ、次回はぜひとも合格したいと思っており、そのためにはドイツ語会話の特訓が必要だと思っているのです。

 できれば来月末くらいから通いたいと思っているところです。授業料が35万円くらいかかりますが、挑戦してみる価値はあると思っています。

 

| | トラックバック (1)

2010年4月10日 (土)

出版翻訳家ってどんな生活しているの?

 出版翻訳家になりたいという人もいるでしょう。

 はたして、出版翻訳家はどんな生活をしているのか。

 私の経験を交えて、紹介するページを作りました。

 以下のリンク先の「翻訳家になろう」というコーナーで紹介しています。参考にしていただければ幸いです。

 http://homepage3.nifty.com/MIYAZAKI

  随時更新していく予定です。

| | トラックバック (0)

2010年4月 8日 (木)

法律を学びながら思うこと

 私は、今、法学部に在籍して民法を中心に勉強をしています。

 私が法律を勉強するのは、学位がほしいからという理由よりも、むしろ、法的知識を身に付けたいという「自分を高めたい」という理由のほうが大きいのです。ですから、試験の結果はそれほど気にしていません。「ずっと勉強していれば、法律にも詳しくなるだろうし、それでいいのだ」という感じで勉強しています。試験に落ちれば、また勉強する機会が増えたと思えばいいし、合格すれば合格したで喜べばいいわけです。

 そういうわけで、試験前だというのに、ずいぶんリラックスしており、通常と変わらない生活を送っています。

 さて、民法を勉強していて、つくづく感じることがあります。それは民法はときに「だまされた人」に冷たい処置を取ることがあるということです。民法では「だまされた人」には、だまされるだけの落ち度があったと考えるケースもあるわけです。

 民法で問題になるのは、「善人が1人、悪人が1人」というケースよりも、「善人が2人、悪人が1人」というケースが多いようです。こういう場合、善人のどちらを勝たせるかを決めるのが頭を悩ますところなのです。

 物権の場合、一物一権主義といわれているように、物は2人で仲良くわけるということができないかぎり、善人が2人いるばあいは、どちらに勝たせるかを慎重に決めなければなりません。そういう場合、善人であっても、だまされて行動した人は勝ち目が薄いのです。なぜなら「だまされるのが悪いのだ」という判断が下されるからです。 

 私は、こういうことを知るにつけ、新たな視点が得られた気がします。法律の勉強が楽しくなって来たところです。

 新学期からは、刑法や商法の勉強にも力を入れていきます。宅建の試験も視野に入れております。ただ、受けるかどうかは分かりません。

 

 

 

 

| | トラックバック (0)

2010年4月 7日 (水)

なにのための学問か

 学問をする意義は、プラトンの言葉でいえば、「善のイデア」をよりよく見られるようになるためである。

 私が学問に憧れるのも、他でもない、「善のイデア」をよりよく見たいという気持ちからである。

 では、「善のイデア(Form of Good)」とはなにか?

  これを詳しく説明すればかなり長くなるので、わかりやすい言葉に置き換えていえば、「神」と言ってもいいと思う。

 つまり、学問をする意義は「神」をよりよく見るためなのだ

 しかし、私がこういえば、「神」がよりよく見えたら、それが何だというの? と問う人が出てくるだろう。

 その答えは、「神」がよりよく見えるようになれば、それだけ幸せになれる、と答えておきたい。見えれば見えるほど幸せになれる。逆に見えない人は、めくらと同じで非常にあぶなかしい。

 学問をしながら、そんなことをふと思う今日このごろである。

 

| | トラックバック (1)

2010年4月 6日 (火)

宅建

 私の父は不動産業を営んでいた。30年以上はやっていただろう。その間、宅建の試験に挑戦しつづけていたが、結局、最後の最後まで合格しなかった。

 そんな宅建の試験であるが、昨日、図書館で参考書を見てみると、けっこう民法と重なる部分が多いことに気づいた。

 もちろん、民法だけ勉強したのでは合格できないだろうが、せっかく民法を勉強したからには、興味が湧いてくる試験である。

 受ける・受けないは、今は保留にしておくにしても、受験も意識しながら勉強してみようと思う。

 まぁ、私の場合は、別に不動産屋さんを始めるわけではないので、気楽に受けられる。私が勉強している理由は、自分を磨くためだから、合格・不合格はたいして関係ない。

 いろいろ挑戦したい目標があって幸せだ。

| | トラックバック (0)

2010年4月 4日 (日)

出版業界が大変なことになっている

 つい先日もニュースになったことだが、今、出版業界が大変なことになっている。

 かなり昔から出版業界は冷え込んでいるという噂を聞いていたが、最近は特にひどくなっているという。

 私は10年前から、こうなることは既に予見していた

 なにしろ、IT社会が到来してしまえば、紙媒体はどんどん追いやられてしまうのは目に見えていることではないか。

 だから私は40歳を越えていたというのに、工業大学に入り直し、ITの勉強をしたのである。もっとも、まだまだITの実力は不足しているため、それでどうなったと聞かれても、たいしたことは言えないのではあるが…。

 さて、出版業界の不況により、一番しわ寄せを食らっているのが文筆家である。

 出版社が倒産し、印税が不払い状態になっているという悲惨な話がネット上でもちらほら見受けられる。

 これから文筆家・翻訳家・フリーライターとして活躍しようとする人にぜひ言っておきたいことは、仕事を受けるときには、必ず契約書を交付してもらうことである

 契約書がないまま仕事をすると、のちのちトラブルになりやすい。出版社の多くは、あれこれ口実をつけて契約書を出し渋る。それは私も経験上、知っている。

 しかし、諦めては駄目だ。出して貰うまで粘ることである。そしてそれでも出してもらえなければ、仕事を受けてはならない。みんながみなそうすれば、文筆家・翻訳家・フリーライターの悲劇も大半はなくなるだろう。

 

 

 

| | トラックバック (1)

2010年4月 2日 (金)

学問をせずに天界に入れるか?

 プラトンが書いた『パイドン―魂の不死について (岩波文庫) 』という作品の中に次のような箇所がある。

神々の種族の仲間に入ることは、哲学をした者、そして、まったくきよらかになって立ち去る者、学を愛する者、にしか許されていない事柄である

 これを言い換えれば、「死後、天界に入れるのは、学問を愛し、きよらかになった人間だけだ」ということになろう。

 私はこの意味がよく分かるし、まったくその通りではないかと思うのである。 

 私が学問を続けていて思うことは、人間、学問をしなければ、人格の向上はなかなか難しいのではないかということである。

 誤解のないように言っておきたいが、私がここで「学問」といっているのは、何も大学や大学院の学位を目指すことという意味ではないし、難関試験を突破するという意味でもない。私がここでいう「学問」というのは「真理を追究する」ということである。

 人間、だれしも、経験から信念を作り上げていく。しかし、その信念も何割かは間違っていることである。その間違った信念を修正しようと思えば、「何が正しいのか」「何が真理なのか」を知らなければできないことだ。そしてそれをしようと思えば、学問が必要なのである。

 おそらく私はこの後、一生、学問をし続けることになろう。そしてそのために大学で勉強しているわけである。

 

 

| | トラックバック (0)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »