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2014年8月

2014年8月28日 (木)

対価

 私の公式サイトを通して、講演の依頼やインタビューの依頼が入ってくることがある。ラジオ出演の依頼も4度あった。

 ほとんどの場合は、申込者から金額を提示してくれる。

 金額を提示してくれれば、私のほうとしても、受けやすくなる。

 インタビューはかれこれ30回くらいは受けたと思うが、1時間のインタビューで5000円から1万円のことが多かった。3万円のときもあったが、それは例外中の例外だろう。

 ところが困るのは、講演の依頼やインタビューの依頼をしているだけで、報酬について一切何も書いていない場合があることだ。

 こういう場合、報酬を払ってくれるのか、払ってくれないのか、もし払ってくれるとして、いくら払ってくれるのかが分からないので、受けようにも、受けにくくなる。

 インタビューを受けて、なんだかんだで2時間から3時間くらいかかって、その原稿をチェックしていたら、2日くらいかかるということだって想定しうる。

 それが無報酬では私も困る。

 講演の依頼だってそうだ。新潟で講演してくれとか、広島で講演しれとかという依頼が来ても、交通費は誰が出すのか、講演料はいくらか、宿泊代はどうなるのかといったことが何も記載されていないと、こちらとしても受けにくくなる。

 こちらのほうから報酬について尋ねると、その後、返事が返ってこなるなることがある。

 おそらく無報酬でやってほしかったのだろうと思う。

 しかし、講演にしろインタビューにしろ、受ける側からすれば、それなりに時間と労力を費やすわけであるから、何等かの対価を払ってもわないと受けにくい。地方での講演ともなると、宿泊代や交通費も自腹で出していたら、いくらお金があっても足りなくなる。

 ということで私は、基本的に無報酬の場合は断ることにしているのである。

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2014年8月24日 (日)

歴検準3級申込

 歴史能力検定というものがある。

 略称、歴検である。

 私は子供のころから、歴史に興味がなかった。中学生のころは、それでも平均点くらいは取っていたものの、高校になると、受験科目として日本史を選択していなかったせいもあり、ほとんど勉強しなかった。

 そういうわけで大人になってからも歴史に興味が湧かず、ずっと苦手意識があった。

 しかし、歴検というのを知り、ちょうど歴史の苦手意識を払しょくするためにいい機会だと思って、5級、4級と受け、合格してきた。

 今年は準3級である。

 5級も4級も小学生ばかりだったが、準3級の受験生はどんな感じだろうか。

 基本的に歴史の漫画を何度も読み返しているが、だんだん歴史にも興味を持てるようになった。

 検定試験があるおかげである。

 こういう検定試験がないかぎり、おそらく私は歴史の勉強をやり直そうと思わなかったであろう。

 今年、準3級に合格できたら、来年は世界史3級を狙ってみたい。

 実は、私は日本史よりも世界史に興味があるからである。

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2014年8月22日 (金)

英語

 今、私は英語について考えている。たとえば、次のようなことである。

 翻訳で読めれば英語は不要か

 学生時代に学ぶ英語は役に立たないのか

 これからの英語教育はどうあるべきか

 何のために英語を学ぶのか

 こういったタイトルでソフィア・外国語研究協会のコラムの欄に記事をアップしている。興味のある人はリンク先に飛んでいってみてほしい。

 

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2014年8月20日 (水)

30代の私と40代の私

 30代のころ、私はとにかく実績を作りたかった。お金もほしかった。有名にもなりたかった。だから毎日毎日必死だった。がむしゃらだった。

 出版社に売り込みに売り込んだ。煙たがられても売り込んだ。

 そういう必死の努力の末、次々と本を出版できるようになった。

 しばらくは、それが「幸せへの道」だと思っていた。

 本を出して出して、お金をためてためて、雑誌や新聞に取り上げられるようにもなった。

 しかし、それで幸せに近づいたかといえば、そういう実感もなかった。

 つねに焦っていた。

 だから常に新しい仕事を見つけ、常に前へ前へと突き進みたかった。

 しかし、それは欲望の赴くまま動いていたといっても過言ではない。

 別に「偉い」ことをしていたわけでもない。

 人間、多くの人が金銭欲や名誉欲をもっている。有名にもなりたいだろう。それで動いても別に「偉い」わけでもない。

 私自身、次々と本を出したいという欲望を持っていたためか、落とし穴に落ちることも多々あった。

 具体的にどういう落とし穴に落ちたかはここには書かないが、非常に苦い思い出となっている。

 40代になってから、私は、がむしゃらに欲望の赴くまま生きるのをやめようと思った。

 それまでの私は、とにかく実績をたくさん作り(本をたくさん出し)、お金をたくさんため、少しでもマスコミに取り上げてもらいたかった。

 が、そんなことを繰り返したところで、別に人間として「偉く」なるわけでもない。

 人間、やはり最終的には、その人格だ。

 人格以外の何かによって、その人の良し悪しが決まるわけではない。

 私にも苦い経験があるが、有名人の中にも、あま~い言葉で他人をだまして、他人の実績を横取りしようとする人間もいる。そういう人間は世間から注目を浴びるかもしれないが、「偉い」とは思えない。

 繰り返すが、人間、けっきょくのところ、有名か有名でないかとか、マスコミに出ているか出ていないかとか、どういう実績があるかとか、そういうことではなく、人格がすべてだ。

 そう思った私は人格を磨くようにしようと思った。

 有名になろうとか、権力を持ちたいとか、そういうものを求めるのではなく、自分の人格を磨く。それがなによりも大切だと思った。 

 そのための一つの方法は学問だった。そういうわけで私は40歳を過ぎて慶應大学、ロンドン大学、日本大学などいろいろな大学を出た。

 文学部、哲学部、神学部、法学部…といろいろな学部で勉強してきたが、これは私にとって非常に良かったと思っている。

 とくに今は神学部で勉強していることもあり、学べば学ぶほど謙虚になれる。だが、もっと謙虚にならなければならないと思っている。まだまだ「偉く」などない。たくさん大学を出たといってもそれも「偉い」わけではない。

 ただ、30代の欲望に赴くまま生きていた私と比べれば、少しは愚かさも減じてきたかなという気はある。

 これからもますます人格を磨いていきたいと思うこのごろである。

 というわけで、今の私は、名誉欲とか権力欲とか金銭欲とかはあまりなくなっている。ないわけではないが、まあ、一般の人から比べれば、ほとんどないといっていいくらい、ないといえるだろう。

 

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2014年8月14日 (木)

英語を学ぶ意義を再考

 最近の私は、英語を学ぶ意義を考えているところである。

 先日から読んでいた『日本人はなぜ英語ができないか』を読み終わり、「これからの英語教育はどうあるべきか」という記事をソフィア・外国語研究協会のサイトにアップした。関心のある人はリンク先に飛んでいってもらえれば幸いである。

 私はイギリスの大学院に2年間留学していたが、帰国してから何年も経った後で、ロンドン大学遠隔教育で哲学の学位を取得した。

 そういう経緯もあり、私の英語教育に対する考えは、少しユニークなところがあるかもしれない。が、私は私の主張にも一理あると思っているから、ユニークであっても、主張し続けたいと思っている。

 さて、今日は、先日ネット予約していた『あえて英語公用語論』というのを入手した。東大出身のエリートの著者が書いた本である。

 これを読みながら、英語を公用語にする必要があるのか考えてみたい。

 

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2014年8月11日 (月)

日本人はなぜ英語ができないのか

 私は今、『日本人はなぜ英語ができないのか』という本を読んでいる。

 このタイトルのとおり、「日本人は英語ができない」と思っている向きも多かろう。

 しかし、私は、ほかの外国の人たちと比べて日本人が「英語ができない」とは考えていないし、そもそも、言語も文化もモチベーションも教育レベルもまるで違う国同士を比較して、「英語ができる」とか「できない」とか言うのは意味がないことだと思っている。

 日本は島国で、日本語だけでも十分生活は成り立つので、英語を勉強するモチベーションとしてはかなり低い。

 というわけで、どうしても国全体としてみると、英語ができない人が多いのは当然である。

 しかし、それでいて、英語が読める人がある程度いるのは、やはり日本の教育レベルが高いおかげだという気もしているのである。

 

 

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2014年8月 8日 (金)

善のイデア

 日本を代表する超有名デュオの歌手が麻薬に手を出したり、世界的に有名な研究者が自殺したり…と衝撃的な事件が少なくない。

 人も羨むほどの幸せを手にしていたはずなのに…いったい、なぜ、そうなってしまったの

 と、だれしも思うことだろう。

 プラトンは『国家』の中でこう書いている。

「恵まれた好条件と一般に言われているものすべてが、堕落と逸脱の原因となる」

 これは、金、権力、名声、地位といったものを追い求める危険性について述べているわけである。

 なぜなら、そういったものをいくら手にしても、それだけでは幸せにはなれないからである。

 では、私たちは、幸せになるためには何を求めるべきなのか。

 プラトンはこう書いている。

「善のイデアこそは学ぶべき最大のものである」

 善のイデアとは、平たくいえば、神のことと考えていいだろう。

 つまりは、神こそ学ぶべき最大のものだ、とうことである。

 聖書でも、神の御心に沿った生き方をすることが最も重要なことだと書かれてあるが、プラトンのこの言葉も似ている。

 幸せになりたければ…

 何が神の御心に沿った生き方なのかを考えて、そのとおりに生きることではないだろうか。

 私は慶應大学時代、プラトンの『国家』に出会ったが、卒業してからも、ときどき読み返す。こういった深みのある本は、何度も何度も読むことで味わいが出てくる。

 

 

 

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2014年8月 7日 (木)

仏検準2級、おしい!

 仏検準2級の2次の結果発表があった。

 2次は面接。

 30点で評価される。

 19点以上が合格のところ、私は17点で不合格。

 まあ、大学で第二外国語として履修していたわけでもなく、完全に独学で準2級の1次まで行き、急きょ、50分のマンツーマンレッスンを3回だけ受けただけなので、なかなか会話まではうまくいかなかった。

 ただ、読む方といえば、やさしいフランス語の本は読めるようになったので、1年間でここまでよくこれたものだと思う。

 秋の仏検は準2級の2次対策だけやることとし、11月16日は日商簿記3級を受けることにしたい。

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2014年8月 5日 (火)

自殺はいけない…が。

 STAP細胞の笹井芳樹氏が自殺したとのニュースを聞き、大変驚いた。

 日本は大変優秀な人材を失ったものだ。

 私が今思うことは、まわりの人たちは自殺のサインを見落としていなかったのかということと、本人も本人で調子が悪ければ何等かの対処方法はなかったのか、ということだ。

 たしかに自殺はいけない。カントも言うように、それは理性を授けられた者として、絶対に行ってはならないことだと思う。また、どんなにつらいことがあっても、神は、乗り越えられないような試練を私たちに与えることはない、と私は信じたい。

 が、今回のように、あまりにバッシングがひどすぎると、理性がきかなくなってしまい、自殺に追いやられてしまう、ということもあろう。自殺するときには、もう、本人も何が何だか分からなくなってしまっていたのではないだろうか。

 自分自身で自分の調子が悪いことに気付いて対処できる、あるいは、まわりの人たちが自殺のサインに気付いて対処できる、ということがあれば、自殺という最悪の事態は避けれた可能性もあったのではないかとも思える。

 今、彼のまわりの人たちは相当なショックを受けているだろうが、がんばってほしいと思う。

 

 

 

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英語、仏語、聖書、日本史の勉強に専念

 今年は宅建に挑戦しないため(おそらく、もう申込の締め切りもすぎていることだろうが、申込をしなかった)、英語、仏語、聖書、日本史の勉強に励んでいる。

 仏語に関しては、あさって、仏検準2級2次の合否発表があるので、楽しみにしている。

 ボーダーラインぎりぎりで合格しているか、あるいは、不合格だとしても1点か2点足りないくらいだろう、と見ているが、どうなるか?

 準2級に合格していたら、秋には2級を狙う予定である。

 さて、そのほかには、聖書や日本史の勉強に励んでいる。

 日本史も、学生のときと違って、大人になって勉強すると、単に点数を取るために勉強するのとは違うから、いろいろなことに思いを巡らしながら勉強できるので楽しめる。

 歴史能力検定の準3級に挑戦しようと思っている。

 毎日勉強できるのは幸せである。

 

 

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