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2014年9月

2014年9月29日 (月)

モーパッサンを読む

 私は今、フランス語の勉強をしているので、フランス人作家の対訳本を読んでいる。

 今はモーパッサンを読んでいる。

 彼はシニカルな短編が多いが、とても面白い。

 私も短編小説に挑んでみたくなったほどである。

 彼は未婚のまま、43歳で亡くなったらしい。

 もっと長生きしていたら、もっと作品をたくさん出せていたかもしれない。

 フランス語を勉強して何になるの、と思う人もいるかもしれないが、おそらく私はフランス語を勉強していなかったら、モーパッサンを読もうとは思わなかったに違いない。訳文でも読めるが、それでも読もうと思わなかったに違いない。

 それがこうして彼の作品を鑑賞できるようになっただけでも、フランス語を勉強していて良かったと思う今日この頃である。

 

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2014年9月27日 (土)

絵画に感動

 私の趣味は、美術館めぐりである。

 年に3回くらいは訪れる。

 昨日も、美術館を2つ回ったが、感動のあらしであった。

 心を揺さぶられる作品がたくさんあった。

 こういう、心を揺さぶられるという体験は、より良い人生を生きようという勇気を与えてくれるものである。

 人間、金とか権力とか名誉とかばかりに目を奪われて生きていると、そういったものからどんどん遠ざかるような気がする。

 金、権力、名誉…。

 こういったものよりも、もっとたいせつなものがあるのではないかということを芸術作品は教えてくれるような気がする。

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2014年9月23日 (火)

時間をうまく使おう

 投資信託は危険だという噂をする人は多い。

 ネット上でも、投資信託の危険性を説く人がいかに多いことか。

 たしかに元本割れすることがあるリスクはある。

 しかし、時間をうまく使えば、それほどリスクの高い商品ではないと思う。

 一時、基準価格が恐ろしく落ち込んでいたが、私は何も気にしなかった。

 毎月毎月、分配金を受け取っていれば、やがては回復に向かうと思っていたからだ。

 案の定、今、のきなみ回復に向かっていて、私が投資した投資信託も、トータルすれば、ものすごい利益が出ていることになる

 基準価格が下がったときに売却しなくて良かったと思っている。

 基準価格が下がったときこそ我慢のしどころで、その我慢ができなければ、結局、損をしたまま終わることになる。

 しかし、我慢しつづけていれば、こういうふうに戻ることもある。

 もちろん、投資に「絶対」はない。

 しかし、投資信託の毎月分配型は、毎月毎月、分配金が支払われるのであるから、リスクが毎月減っていくのである。だから、じっと我慢していればいいわけである。

 10種類以上の投資信託に投資していて、なんだかんだで、今、けっこうな利益が出ている私がいうのである。

 時間をうまく使うことが投資にとって大切だ。

 一時的な欲望に目がくらんでは、いい投資などできたものではないだろう?

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2014年9月22日 (月)

喫茶店で女性に話しかけられた

 喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読んでいた。

 すると、ちょうど隣の女性が店員に文句をあれこれとつけているのが聞こえた。

 どうも女性の好みどおりになっていないということのようだった。

 どちらに非があるのかは私にはわからなかったが、どうもその女性の口の利き方がおごり高ぶっている印象を受けた。

「これ、替えてちょうだい! 私が言ったのと違うじゃない? 何やってんの?」

 店員を見下したかのような言い方に聞こえた。実際に見下していたかどうかは別としても、横から見ていた私は、あまり良い印象をもたなかった。

 こういう場合、たとえ店員に非があったとしても、「これは私が頼んだのとは違いますので、取り替えていただけますでしょうか」という風な言い方をするものではないだろうか。

 しばらくすると、驚くことに、彼女は私に話しかけてきた。

「あら、あなたこういう本、読んでいるのね。私も興味あってね。この分野の本は3000冊くらい読んだかしら。私ね、出版社の社長なのよ。30年くらい経営していてね。大手出版社の社長もよく知っているわ。私、今、小説書いてくれって頼まれててね」

 私は、自分が作家・翻訳家であることを言おうかどうしようか迷った。というのも、ひょんなきっかけで知り合いになれば私の本を出して貰える可能性だってあるからだ。生で出版社社長に会えるなんて、そんな機会はめったにない。絶好の売り込みの機会だった。

 が、そういう勇気が湧いてこなかった。というのも彼女と店員とのやりとりを聞いていたからだ。彼女の話しっぷりを聞いていて、なんとなく、引いてしまっていたのだ。

 残念なことをしたかなと思う反面、あれはあれで良かったのだと思う自分がいる。

 

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2014年9月21日 (日)

TCF,2度目の挑戦

 本日、TCF、2度目の挑戦であった。

 TCFは、TOEICのフランス語バージョンともいえる。

 スピーキングは必須ではなく、リスニングとリーディングの問題がある。

 TOEICと同じように、合否はなく、スコアが出る。

 TOEICは120分だが、TCFは85分なので、負担が少なくて良い。

 私は仏検準2級の1次には合格しているが、それくらいの実力では、TCFはまったくといっていいほど歯が立たない。

 でも、勉強のモチベーションになるので、また受けてみたい。

 12000円という受験料がちょっと高いけれど。

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2014年9月18日 (木)

学問にしても、健康にしても、コツコツが大切

 思うのだが、学問にせよ、健康にせよ、積み重ねがモノを言うのではないか。

 私は46歳くらいから、頭の毛が薄くなり始めたので、毛髪クリニックに通っていた。幸い、それほどひどい状態にならない時期に通い始めたので、2年間ケアした結果、今では、ほとんど薄毛が目立たなくなった。2年間、コツコツとケアした結果である。今では、発毛剤も不要にになった。

 薄毛が治ったかと思ったら、今度は夜中にトイレに起きるようになった。これも幸い、それほどひどい状態にならない時期に泌尿器科に通い始め、改善の薬を処方してもらった。2年間くらい薬を飲み続けていると、だんだんと改善されてきて、今では、夜中にトイレに起きる日も少なくなってきた。

 私の健康上の悩みというのは、あと1つある。スギ花粉症である。

 これが完治する薬が今年10月から保険適用になる。

 完治するには3~5年かかるらしいが、逆に完治できるのであれば、3~5年くらいなら、がんばってケアしようと思う。それくらいスギ花粉症には悩まされ続けているのだ。

 私はすでに通おうと思っている病院を探し出している。10月9日から販売開始のようだが、さっそく、初日に行こうと思っている。

 コツコツとケアして花粉症を治そうと思う。

 毎年のようにスギ花粉症の時期は北海道に逃げていたが、もう北海道に行かなくても済むようになるかな。

 

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2014年9月17日 (水)

健康も日々の積み重ね

 私は国民健康保険に加入しているが、ありがたいことに、年に1度、定期健診を無料で受けられる。

 この定期健康診断は、けっこう検査項目も多く、大きな病気はその兆候が分かるようになっている。

 私は毎年受けているが、今年も受けたところ、例年通り、問題はなかった。

 また、私は定期健康診断以外にも、前立腺ガンの検査も別途受けたが、問題はなかった。

 なんでもそうだと思うが、健康も日々の積み重ねだと思う。

 人間ドックを勧める友人がいるので、半年以内くらいにでも、受けようかと思っている。

 定期健康診断の中に検査項目の無い項目だけを抽出してやってくれるところはないものか。

 できれば安くやってくれるところがあればいいのだが…。

 

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2014年9月16日 (火)

コメント欄について思うこと

 ブログにはコメント欄がある。

 コメント欄の善し悪しはさまざまあるだろう。励ましのコメントを貰えればうれしいだろうし、不当に非難されればイヤな思いをするだろう。

 私は最初の頃は、コメント欄に不当に非難されるのが怖かったのでコメントを受け付けないようにしていた。

 しかし、コメントを一切受け付けなければ、交流が一切生まれないし、自分の悪い点にも気づくこともない。建設的な批判であれば喜んで受け入れるくらいの度量がなければ、読者だって付かないだろう。

 そう思った私は、ある日からコメントを受け付けることとした。

 すると意外や意外、好意的なコメントが多かった(もっともコメントの数自体がそれほど多いわけではないけれど)。

 私はこのブログ以外に「ロンドン大学遠隔教育日誌」というブログを開設しているのだが、こちらのほうは、いただくコメントの約9割は、コメントというより質問である。

 私としては、励ましのコメントを貰うのが一番うれしいのであるが、質問であれ、私が回答することで読者の方に喜んでいただけるのであれば、それはそれでいいと思っている。  ロンドン大学遠隔教育の情報は日本語で得られる箇所がほとんどなく、情報収集しようと思えば、すべて英語で読まなければならない。であるから英語が読めない人が次から次へと質問をしてくるのである。

 もちろん私でできることであれば質問にお答えしてあげたい。それでその人の役に立てるのであれば、お金にはならなくても、それも一つの社会貢献である。そう思って、質問されたら必ず、丁寧な回答を返していた。

 ところが簡単に回答が得られると思ってか、自分で調べようと思えば簡単に調べられるようなことから、回答しようのないものまで、なんでもかんでも質問してくる人がいた。

 たとえば、回答に困る質問には次のようなものがある。

「何時間勉強すれば卒業できますか」

「私は英検3級レベルですが、ついていけますか?」

「英語ができなければ、どうなるのですか?」

「法学部はロンドン大学でも最難関という噂がありますが、本当ですか?」

「法学部の論述試験は、持ち込み可ですか?」

「学生証はカッコいいですか? いつ送られてきますか」

「卒業したらどうなりますか?」

「遠隔教育って、不合格になることはありますか?」

「入学申請書に英語の実力を証明する証書を同封しなかったらどうなりますか?」

「お友だちはできますか?」

 最初のうちは、こういう「回答に困る」質問に対しても、私なりに丁寧に回答を書いていた。あまり厳しいことを書くと相手の気分を害するかもしれないと思い、慎重に言葉を選んで書いていた。そのため、一つの質問に答えるのにも相当の時間と労力を費やした。

 しかし私がどんなに丁寧に回答を書いたところで、それに対するお礼の言葉など一切なく、次から次へと自分の聞きたいことだけを聞いてくるのである。私が書いたブログの内容には一切触れずに、まさに自分の聞きたいことだけに一意専念し、コメント欄を利用して質問してくるのである。

 ある日、その人が「遠隔教育って、不合格になることはありますか?」と質問してきたことがあった。おそらく入学申請をしても合格通知が来なくて苛立っていたのであろう。

 私は丁寧に「遠隔教育でも、入学申請した人が全員合格になるとは限らないと思います」という趣旨のことを回答したのだが、その翌日に同じ人から「遠隔教育って、不合格になることはありますか?」と同じ質問が投げかけられた。

 私はすでに一回回答した質問であったし、そもそもその質問はコメント欄に書き入れられたものであり、管理人宛の質問というわけでもなかったので、もしかすると他のブログの読者が回答するかもしれないと思い、放置しておいた。しかし、案の定、誰も回答はしなかった。

 するとまた同じ人が、今度はハンドルネームを変えて「遠隔教育って、不合格になることはありますか?」と質問していた(同じIPアドレスだったので同一人物によるコメントだと分かった)。

 私はこの、あまりのしつこさにコメント欄を承認制にすることに決めたのだった。そういう質問をしたければ、直接ロンドン大学に問い合わせるべきだし、ブログの読者に質問したところで、明確な返事など期待できるわけでもない。

 こういう経緯があったので、コメント欄を承認制にし、読者のためになると思えるものだけを承認し掲載することにした。コメント欄はコメントを書くために存在するのであるから、質問をするなとまでは言わないけれど、少なくとも少しくらいはブログの内容に対してコメントをすべきだし、もし質問だけをするのであれば、回答をもらったら一言くらいはお礼のコメントを残すのが礼儀というものではないだろうか(もっともお礼のコメントがほしくて回答しているわけではないけれど)。

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2014年9月15日 (月)

名誉欲、権力力、金銭欲

 20年近く前の話である。

 当時の私は1冊しか本を出したことがなく、次々と本が出せる状況ではなかったので、一時期、医師のゴーストライターをしていたことがある。

 その医師は、当時でさえ、名誉欲、権力欲、金銭欲のかたまりのような人だった。

 とにかく、いかに自分が偉大であるかをこれでもか、これでもかと誇示したがるのである。

 しかも、彼の偉業というのも、その大半は、他人の力を借りて獲得したものであったり、金の力で獲得したものであった。

 ただそれだけならまだしも、自分以外の人間がいかに愚かであるかをこれでもか、これでもかと見下すのである。

 彼の口から放たれる言葉のほとんどは、いかに自分が偉大かという話といかに自分以外の人間がバカかという話だった。

 私は、やがて私も見下されるようなことを言われるようになるのだろうな、と覚悟していた。

 1か月、2か月と経つうち、その兆候が表れ始めた。

 最初は私のことを「宮崎先生」と呼んでいたが、1か月経つ頃には「宮崎さん」に変わり、やがて「宮崎君」になり、最後には「宮崎」となった。

 最初は私を褒めていたが、徐々に小馬鹿にするようなことを言い始めた。

 「社交性がない」とか「あなたには営業はできない」とか「オタク」だとか「なんで結婚できないんだ」とか「あなたみたいなのが作家として食べていくって言っているけど、食べていけんでしょう」とか。

 その程度のことなら我慢もしていたが、だんだん、私を「ひとりの人間」としてではなく、自分の名誉欲を達成するための「道具」として使うようになってきた。これには耐えられなくなった。

 私はゴーストライターとして応募して採用されたのだ。

 なのに私は海外への電話係をさせられたり、電話番をさせられたり、挙句の果てには引っ越しをしろと命じられたり、何も打ち合わせもしないのにいきなり呼び出されて泊りがけで執筆を頼まれたり、深夜12時に電話かけてきたり、深夜4時にファミレスで打ち合わせをすると言い出したり…。

 私の都合とか人間性をまったく無視したような感じになっていった。その度がひどくなっていった。

 そういうことがたびたび重なり、また彼が彼を取り巻く人々を毎日罵倒する日々が続いたため、私はゴーストライターをやめることにした。

 いくらお金がもらえるといっても、毎日バカにされてまで彼の「道具」にはなりたくなかったのだ。

 彼が名誉欲、権力欲、金銭欲をもっているだけならまだ許せるが、私のことをこれでもかこれでもかと見下し、私の都合を完全に無視して「道具」のように使うのは辟易した。

 さて、あれから20年経った。

 今、彼はさらに「偉大」になった。ものすごい業績を積み重ねた。世界的権威だという人もいる。

 20年近く前でも、相当自信家だったのであるから、今の彼はさぞかし自分のことを偉いと思っているだろう。当時でも自分以外の人間がいかにバカであるか、これでもか、これでもかと見下すようなことを言っていたのであるから、今の彼の目には、自分以外の人間は大馬鹿ものにしか見えないだろう。

 そんな彼だが、先日、複数人の患者から訴えられていた。新聞に載っていた。

 詳しいことは分からないが、まあ、訴えられたということは、訴えられるようなことをやったということには間違いがない。だから訴えられているわけであるから…。

 権力欲、名誉欲、金銭欲といったものよりも、もっと大切なものがあるのではないかと思う。そんなものは、そもそも、最初から求めるべきものではないのだ。誠実に生きた結果、あとからついてくるものだし、そうあるべきだと思う。

 では、もっと大切なものとは何か?

 それは愛である。隣人愛である。他人をひとりの人間として認め、大切にすることである。それには傲慢にならないことがどうしても必要である。なぜなら傲慢な人間は、自分と他人との間に壁を作りがちだから、隣人愛が実践しにくくなるからである。

 

 

 

 

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2014年9月13日 (土)

泣き寝入りする翻訳家を助けてあげられないか?

 私は、作家・翻訳家として60冊近い本を出してきた。

 内情を知らない人から見れば、うらやましい限りかもしれない。

 しかし、一個人としての作家・翻訳家は、よほどの有名人にでもならなければ、立場が弱いため、ひどい扱いを受けることがある。

 ためしに、「翻訳家 泣き寝入り」というキーワードで検索してみれば、泣き寝入りさせられた翻訳家のブログがひっかかるであろう。

 実際、私は、25万円の翻訳料を4年も未払いのままにされた翻訳家の話をネット上で見かけたことがある。

 25万円である。それを4年も未払いというのは、その心労たるや、すさまじいだろう。

 私も印税の支払い遅延があったことがあるので、待たされる身がいかにつらいかは良く知っているつもりである。

 そこで、私に何かできないかずっと考えていた。

 出版翻訳家になりたいという人のために、お話会を開ければと思っているところである。講演会といえば少し大げさになるが、お話会であれば、できると思う。

 もちろん、これは私の、少しでも出版翻訳家のためになればという純粋な気持ちから行うので、金銭目的ではない。

 そういうことを考えている今日、この頃である。

 今年中に1回、ためしにやってみようかと思っているところである。

 まあ、あまり遠くから来てもらっても、「なあんだ、たいした話ではなかった、電車賃が無駄になった」とガックリさせてもいけないので、基本的に近場の人だけに告知して、とりあえず1回だけ無料のお話会を開いてみようと思っている。

 もちろん、私の体験がベースになっているので、私の独断と偏見が大いに混じることはありうるだろう。その辺、ご了承いただいてもらえればと思っている。

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2014年9月11日 (木)

TCFと歴検の受験票が届く

 本日、TCFと歴検の受験票が同時に届いた。

 今年は、検定試験の受験は控えめにしておいた。

 今年これから受けるのは、TCF、日商簿記3級、歴検準3級の3つである。

 仏検準2級は1次免除なので、来年の1月に2次を受けることになる。

 受験票が届くとモチベーションもあがる。

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2014年9月10日 (水)

ある個人からの翻訳相談

 私の公式ホームページを通して、ある個人の方からメールで翻訳の相談を受けたことがある。

 そのメールでは、私のことをベタ褒めしてあった。翻訳の「大先輩」と持ち上げられていた。

 直接会って相談がしたいと書かれてあったが、私の過去の経験からいって、具体的な内容や条件が何も書かれていないのにいきなり会って相談を受けてしまうと、たいていの場合、話し合ったところでその場で条件が煮詰まるものではない。結局は、お互い時間つぶしになることが多いのだ。

 会って話している時間が1時間半だとしても、その日の前後は予定を入れられないし、話し合いそのものもエネルギーがいる。それが「単なる時間つぶし」になってはお互い疲れてしまう。

 そういうわけで、私は、「どういう内容、どういう条件(報酬)かを教えていただければ相談に応じられる。お互い合意できそうであれば、一緒に会って話しませんか」という主旨のメールを返しておいた。

 すると返事が返ってきたのだが、どうやら私が本を一冊翻訳し、その人が私の翻訳のチェックをし、監訳者になりたいようであった。

 しかし出版社も決まっていない状態であり、条件(報酬)についても一切書かれていなかったので、相談に応じる段階まで来ていないと判断せざるを得なかった。これが出版社からの相談であればまだしも、個人からの相談だと相談に応じようにも応じようがない。

 まあ、仮に条件が希望に沿うものであったとしても、利害関係者が(1)著者、(2)訳者、(3)監訳者、(4)出版社と4者になってしまうと、トラブルになる可能性が高くなるので、受けるつもりはなかったけれど…。私が訳書を出すとすれば、共訳だの、監訳だのはつけないで、単独で行く。今までの約30冊もすべて単独訳である。

 利害関係者が増えれば増えるほど、トラブルになるリスクも高くなることは覚えておいていいだろう。気心が知れたもの同士が手と手を組んでやるのならともかく、まだあまり知らない者同士が一緒になって仕事をする場合は特に。

 

 

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2014年9月 9日 (火)

日本史の勉強していて… 

 数年前から日本史の漫画を読むようになった。

 私は学生時代、日本史が嫌いだったので、たいして勉強しなかった。

 大人になってから、日本史の知識のないことをいろいろな人に小馬鹿にされるようなこともあったが、それでも日本史の勉強を改めてすることはなかった。

 が、数年前から日本史の勉強に興味を覚え、漫画を中心に勉強していると、だんだん興味が湧いてきた。

 こうして、私は、名古屋城、大阪城、姫路城と城めぐりをした。

 次に行くとしたら、唐招提寺かな。

 歴史上の人物で、すごい! と思ったひとりは鑑真である。

 なにしろ、当時の航海技術は危険極まりないもので、5度も失敗したにも関わらず、命をかけて来日したのはすごい。

 しかも、5度の失敗で失明までしているのに。

 ということで、鑑真に興味を持っている。

 ということで、唐招提寺に行ってみたい。

 ちょうど奈良なら、奈良の大仏にも行けるかな。

 そういえば、奈良など今まで一度も行ったことはなかった。

 日本史の勉強でもしなかったら、きっと一生、行くこともなかったと思うと、日本史の勉強で興味の幅が広がったことに感謝である。

 

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カッとなったときは発言しない

 ネットの掲示板やコメント欄などで口論になるということはよくある話。

 私もブログを始めた当初はコメント欄に何を書かれるのかが怖くて、コメントを受け付けない設定にしていたことがある。

 何年か経ってから、おそるおそるコメントを受け付ける設定に変えてみると、意外や意外、みなさん、好意的なコメントをしてくださるので、ありがたいことだと思うようになった。

 ただ、ごくごくわずかな人(私の場合でいえば、2人か3人かといった少数の人)が非常に不愉快なコメントを残したことがあった。

 完全に私のことをバカにしているようなコメントであった。「ハンドルネーム」もふざけたハンドルネームだったことからもそれは分かった。

 私はそれを読んで非常に気分が悪くなった。

 カッとなったし、反論してやりたくなった。

 その気分の悪さは半年も1年も消えなかった。いや、今でも気分が悪い。それくらい下品なコメントだった。

 こういうとき、みなさんは、どうされているだろうか。

 私はカッとなったときは、発言しないことにしている。

 だから、反論はしなかった。

 そのままコメントを掲載しないまま放置した。

  するとその人も二度とコメントを残さなかったので、口論にならずにすんだ。

 もちろん、そのコメントがコメントとしてふさわしく、理性的な内容であれば、コメントを掲載しただろう。建設的な批判であれば、喜んで受けるし、反論があれば反論もしよう。

 しかし、単に人を馬鹿にしたようなコメントは、理性的な内容ではないし、反論するだけばからしい。相手は幼稚園児かもしれないし、大人だったとしても、酔っぱらって何が何だかわからない状態で書きなぐったのかもしれない。

 ということで、私は理性で判断し、建設的な批判でない、単に人を馬鹿にしたコメントの場合は、コメントそのものを掲載しないことにしている。コメントは書き込めるようにはなっているが、人を馬鹿にしたようなコメントは表示されないようにしているのだ。

 こうしておけば、口論は絶対に起きない。コメントを残した人も、自分のコメントが掲載されないし、反論もないので、ばからしくなって二度とコメントを残さないであろう。

 ネット上での口論はヒートアップしやすい。

 とにかく、カッとなったときは、発言を慎んだほうがいいと思う。

 カッとなったときというのは、人間、理性的に考えられなくなる。理性から離れれば離れるほど、トラブルの種は増える。

 理性で考えて、掲載するに値すると思えるコメントのみを掲載するようにしておけば、口論にはならないと思う。

 

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2014年9月 8日 (月)

仏検準2級、日商簿記3級、申込

 仏検準2級と日商簿記3級を申し込んだ。

 フランス語の勉強が楽しくなってきているところである。

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2014年9月 3日 (水)

江角マキコ騒動に思う

 週刊誌で江角マキコがマネージャーをして、長嶋一茂の自宅外壁に「バカ息子」などと落書きさせたと報道されていた。週刊誌にはその写真まで掲載されていた。

 今回の事件はマネージャーが自白したことで明るみになったが、江角マキコ本人が何もコメントしていないので、本当のことなのかわからない。やっていないかもしれないし、なんとも言えない。真相は闇のままだ。

 ただ、マネージャーが自白していることもあるので、仮に、もし本当だったとしたら、という仮定で私の感想を述べるとすれば、ちょっと大人げなかったのではないかと思う。というより、落書き自体、罪にもなるので、やってはいけないことでもある。

 当人同士にどんなトラブルがあったのかわからないので、どれほどカッとなるようなことがあったのかわからないが、たとえカッとなるようなことがあっても、やっていいことと悪いことだけはきちんとわきまえておいたほうがいい。

 私は、常々、人間にとっての幸せは理性的に生きることだと思っているが、逆に言えば、人間は理性を欠いた行動をすればするほど、トラブルに巻き込まれやすくなる。つまり、カッとなってしまったとき、どれだけ理性を保てるか、それがトラブル回避のカギだと思う。

 冷静沈着さは、人間にとって身に着けるべき優秀性の一つだと思うのである。

 ただ、100点満点の人間などこの世に存在しない。やってはならないことでも、ついついやってしまうのが人間の性である。

 問題は、ついついやってしまった後だ。

 ついついやってしまった後、人間はどうすることが最も理性的か。

 それは悔い改めることだ。

 落書き自体はやってはいけないことだが、やってしまった(というのがもし本当だとしたら)、すぐにでも悔い改め、謝罪するのが最も理性的な行動ではないだろうか、と私は思うのである。

 もっとも、先に述べたように、現在真相は闇のままなので、今後どうなっていくのか注目してみたいと思う。

 

 

 

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