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2015年1月

2015年1月29日 (木)

がん

 最近、「がん」に興味を持つようになった。

 私も年齢が年齢であるから、いつ「がん」を宣告されてもおかしくはない。

 定期健診では、がんは見つかってはいないが、精密検査をすれば、がんの一つや二つくらいあるかもしれない。

 なにしろ、2人に1人は、がんにかかるそうである。

 保険会社も、あの手この手を使って、「がん保険」を勧める。

 大学病院は、がんの早期発見に、人間ドックを勧める。

 しかし!

 近藤誠氏が提唱する「がんは放置が一番」という理論には驚かされた。

 私たちは、「がん」というと、大変な病気だと恐れる。

 しかし、実際には「がん」そのものは、それほど苦痛を伴うものではなく、むしろ、「がん」で死ぬのが一番苦痛を感じずに済むらしい。

 この近藤誠氏の著書には100万部以上売れた本も含まれている。菊池寛賞も受賞とのこと。

 まさに目からうろこであった。

 

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2015年1月27日 (火)

ビジネス会計検定試験公式テキストが届く

 先日、ネット注文していた「ビジネス会計検定試験公式テキスト3級」が届いた。

 財務諸表を読み解くための検定である。

 日商簿記は財務諸表を作るためにあるが、作る力は養えても、読み解く力は別に養う必要がある。それに適した検定といえよう。

 1年以内に受けてみようと思う。

 

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2015年1月22日 (木)

十分の一税

 旧約聖書の中に「十分の一税」というのが出てくる。

 収入(当時は農作物)のうち十分の一は神のものである、という意味らしい。

 私たちは、自分の力で生きているように思っているかもしれないが、もともと私たちの生命は神から与えられたものだと考えることもできよう。

 自分が…、自分が…と自分の利益ばかりを最大化しようとするのが人間の常ではあるが、そういう生き方をしていると、他人の衝突しやすい。

 やはり、人間は神から理性を授かったのだという意識をもって、少しでも理性的に生きようとするのが幸せへの道ではなかろうか。

 そのためには、自分が…、自分が…というふうに、自分の利益ばかりを最大化しようとするのではなく、他人の利益にも目を向けたいものだ。

 だが、それは簡単なようでいて、なかなか難しい。

 そのため、それを少しでも容易にするには、訓練するのがいいと思う。

 そしてその訓練の一つが「十分の一税」だ。

 「十分の一」を神にささげるのである。

 実際に神にささげるといっても神自体が目に見えない存在であるから、具体的には、世のため人のためになることにささげるといってもいいだろう。

 「十分の一」が大変であれば、「三十分の一」でも、「五十分の一」でもいいと思う。

 また、金銭が難しければ、時間や労力をささげるのでもいいと思う。

 ボランティア活動でもいいだろうし、公園の掃除でもいいだろう。あるいは、自分の能力を生かした形で時間や労力をささげたいのであれば、無料で講演会を開いてもいいだろうし、方法はいくらでも考えられよう。

 そういう気持ちを持って生きていれば、幸せにグンと近づけるような気がする。

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2015年1月20日 (火)

ビジネス会計検定試験を視野に

 先日、ビジネス会計検定のセミナーを受け、興味をもった。

 日商簿記3級には合格したものの、財務諸表を読み解く力まではない。

 そこに、財務諸表を読み解くための検定試験が登場した。 

 それがこの「ビジネス会計検定試験」である。

 あまり専門的なことまで勉強するつもりはないが、3級レベルは狙ってみたい。

 ということで、さっそく、ネットで注文した。

 中古も出ていたので安く買えた。

 日商簿記3級をもっている人は、とっつきやすい検定だと思うし、それなりに意義のある勉強になると思う。

 

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2015年1月14日 (水)

ビジネス会計検定のセミナー受講

 今日、「ビジネス会計検定」の無料セミナーを受講してきた。

 日商簿記は、財務諸表を作成する能力をはかる検定であるが、作成する能力があっても、作成された財務諸表をどう解釈したらいいかが分からなければ、宝の持ち腐れである。

 やはりせっかくなら、財務諸表を読み解き、企業の経営状態を知る力をつけたい。

 そういう意味では、この「ビジネス会計検定」は斬新な検定だと思った。

 なかなか興味深い内容であった。

 

 

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2015年1月 6日 (火)

フランス語を勉強していて

 フランス語は、英語に次いで世界で2番目に広範囲で話されている言語である。

 私は、そこに目をつけ、約2年前からフランス語を始めた。

 幸い、フランス語は英語とかなり似ている。

 ドイツ語と英語のほうが似ているのだが、フランス語と英語もそれなりに似ている。

 言語学的に言えば、ドイツ語と英語は同性の兄弟くらい似ている。

 一方、フランス語と英語は兄弟とまではいかないものの、いとこ程度には似ている。

 英語がある程度できるようになってからドイツ語やフランス語を学ぶと、いかに勉強しやすいかが分かる。

 まったくのゼロから英語を習得する努力を10とすれば、ドイツ語の場合は1で済む。

 フランス語の場合は2で済む。

 まあ、これは私の感想にすぎないが。

 というわけで、フランス語を勉強しているわけだが、この2年足らずで、フランス映画も30本くらい見たし、フランスの対訳本も20冊くらいは読破した。

 フランス語に興味をもてば、必然的にフランス語圏の国々にも興味が湧いてくる。

 フランスの文化やフランス料理にも興味が湧いてくる。

 こうして世界が広がってくるのだ。

 そういう思いで勉強している。

 今は、ロンドン大学哲学部時代に読んだデカルトの『省察』をフランス語で読んでいる。

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2015年1月 4日 (日)

新年の祈願

 神社に行くと大勢の人がお祈りをしている。

 おそらく、ほとんどの人は、「商売が繁盛するように」とか「志望大学に合格しますように」とか「今年こそ結婚できますように」などと祈っていることであろう。

  祈ること自体が悪いわけではないが、祈っている内容が自分、自分、自分…と自分のことばかりでは、祈りが叶えられなかったらガックリ落胆するだけだろう。

 しかし、祈った後で、「私は〇〇を希望していますが、最終的には神にゆだねます。神の御心が叶えられますように」と付け加えておけば、気分が楽になる。

 自分の祈りが神の御心にかなっていれば、祈りはかなえられるし、かなっていなければ、祈りはかなえられない。それでいい。

 そういう気持ちで祈れば、結果がどうなろうが落胆しなくて済む。

 というわけで、私は、今年も、「神の御心が叶えられますように」と祈っておいた。

 つまり、私の願望は「神の御心が叶えられること」であり、それ以外のなにものでもないのである。

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