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2015年10月

2015年10月29日 (木)

神とは何か

 当ブログの読者の方からコメントを頂きましたので、今日は「神とは何か」というタイトルで書いてみたいと思います。

神とは何か

 哲学者アンセルムは神を「それ以上に偉大な存在が考えられないもの」と定義し、哲学者デカルトは神を「最高かつ完全な存在」と定義した。

 定義のしかたは哲学者によって異なるが、神の性質については大方の哲学者の意見は一致している。すなわち、「神は全知全能であり、かつ善良である」ということだ。

 そして古代から多くの哲学者が神の存在の証明を試みてきた。アンセルムしかり、デカルトしかり、スピノザしかり。一見、神の存在の証明に成功したと思われたものの、彼らの証明方法は完璧ではないことがのちに証明されてしまった。

 そしてカントの「純粋理性批判」が登場してからは、神の存在は人間には証明できないということで決着がついた。

 したがって、現在、学問の世界で言えることは、「神の存在は人間には証明できないのであり、人間としてできることは神を信じるか信じないかということだけ」ということだ。

 ところで宗教団体がときにトラブルを起こすことがある。宗教戦争に発展することもある。なぜ「神の御心」に沿って生きているはずの人たちがそんなことをしでかすのか。

 私が思うに、その最大の原因は、彼らは自分たちの教団の教祖こそが唯一絶対神だと盲信していることだろう。だからこそ、自分たちに都合の悪い相手を攻撃せざるを得なくなるのだ。

 しかし、自分たちに都合の悪い相手を攻撃することは、はたして「神の御心」に沿ったことなのか。理性を働かせて考えれば、すぐに分かることである。なぜなら神の性質の一つは「善良であること」であり、「善良」な神が自分に都合の悪い相手を(自分に都合が悪いというただそれだけの理由で)攻撃することを命じるはずはないことは明らかだからである。

 

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2015年10月28日 (水)

定期健診の結果

 私は今、国民健康保険に加入しており、年に1度、定期健診を受けている。

 今日、今年の結果が返ってきた。

 年齢も年齢だし、ある程度、大きな病気にかかっていることは覚悟していたが、ありがたいことに、ガンなどの大きな病気にはかかっていなかった。

 多少、数値が高いものもあったが、問題視するほどのことではない、とのことで一安心ではある。

 実は、私はガン保険に加入していない。

 そろそろガン保険に加入するか否かも検討しようとは思っているが、近藤誠氏の著書を読んでからというもの、ガンに対する考え方が変わったので、ガン保険は不要にも思えるのだ。

 まあ、とりあえず、今のところはガンにかかっている様子はないので、加入するか否かを考えるのは来年に引き延ばそう。

 

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2015年10月23日 (金)

小説執筆の学校

 私は30才頃から本を出し始め、あれよあれよという間に60冊近くの本を出した。

 半分は翻訳書で、残りの半分は著書。

 著書の大半は学習参考書や自己啓発書だ。

 小説というのは出したことがない。

 そんな私だが、小説やエッセイが書きたいと思うようになった。

 今までは、ほとんど我流で文章修業をしてきた。

 文章修業といっても、ただひたすら書きたいことを書いていただけで、誰かに習ったわけではない。

 ただ、それで小説、しかも書店に流通できる小説が書けるものか?

 ここは小説執筆の学校に通ってみるのもいいかもしれない。

 ただ、10月開講のコースはもう締め切っているだろうから、入るとしたら来年の4月か。

 まあ、それまではまたまた我流で書きまくるしかない。

 

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2015年10月17日 (土)

神学部で学んで 

 私は今年5月までロンドン大学神学部で学んでいた。

 無事、サーティフィケートが取得できたので、今年で終わりにしようと思っているのだが、3年間、神学部で勉強したことは良かったと思っている。

 特に新約聖書に触れることができたのは、新たな視点が得られて良かった。

 新約聖書には「富は地上に積んではならない。富は天の国に積みなさい」という言葉がある。

 私が接してきた出版社の編集者のほとんどは、「売れる本」こそが「良い本」だという価値観が染みついていて、とにもかくにも売れる本にしようとアクセクしている。

 売れたからといって良い本とは限らないと思うのだが、そんなことを言うと、「それは売れない作家のいいわけだ」という言葉が返ってくるのがオチだろう。

 しかし、某出版社の社長は「すべては数字」と言い切っているが、やはり、数字以外のものも大切だと思う。

 売れるか売れないかにこだわり始めると、せっかく編集者と著者が二人三脚で最後まで仕上げた作品でも、「売れそうにない」ということで出版が中止になる。しかし、はたしてそんなことを出版社がやってもいいのか。

 でも、そういうことがときとしてあるのが出版業界なのである。

 私は10年前の私とは全然変わってしまった。

 10年前から大学に入り、さまざまな分野の学問に専念してきた。

 そしてたどり着いた結論が、一番大切なことは、金ではなく、だといことだ。

 神の御心に沿った生きかたをするのが一番すごい人だ。

 金をたくさん稼ぐ人ではない。

 私はますます神の声を聴くことに専念することになろう。

 金はたいして稼げないかもしれないが、それはそれでいいと思っている。

 

 

 

 

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2015年10月15日 (木)

外国語が楽しくなるとき

 思うに、外国語が楽しくなる瞬間というのは、やはり本国から出ている本を読んだり、映画を鑑賞できるようになるときではないか。

 日本では、ほとんどの人が最低6年は英語を勉強するわけだが、英米の出版社から出ている本を取り寄せて読めるくらいまで勉強する人はあまりいないだろう。だから、英語なんてやっても意味がない、という風になってしまうのではないか。

 まあ、英語ができなくても生活に支障はないわけであるから、英語を勉強したくない人はしなくても一向にかまわない。

 スキーができなくても、スケートができなくても、ピアノがひけなくても、絵が描けなくても、小説が書けなくても、一般の会社員が困ることがないように、ほとんどの人にとって英語ができなくても一向に困らないからだ。

 だが、外国語の楽しさを知れば、世界が広がるということだけは言っておきたい。

 例えば、英語一つとっても、英語ができるようになれば、英米はもちろん、その他多くの国が発行している書籍が読めるようになるし、今ではYoutubeで動画が見放題だ。

 ドイツ語やフランス語ができるようになれば、さらに世界が広がる。

 楽しみが増える。

 第二外国語をやる必要があるのか?

 と聞く人もいるだろうが、まあ、必要はないだろう。仕事で必要がない人は。

 だが、やる必要がないからといって、やっていけないというわけではない。

 やっておけば楽しみが増える、ということは言えると思う。

 特にドイツ語やフランス語は英語と兄弟のようなもので、単語さえ詰め込んでおけばだいたいのことは分かるから、3年もあれば、かなり上達すると思う。まさに本国から本を取り寄せて読めるレベルくらいにはなると思う。

 

 

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2015年10月 9日 (金)

不動産投資か投資信託か

 私が投資信託を好むわけは、放っておきさえすればよい、というスタンスが取れるからだ。

 評価額は上がったり下がったりするが、それを気にしなければ、毎月分配金が入ってくるわけだから、それを「家賃」だと思っておけばいい。

 それが延々と続く。

 基本、「家賃」が入ってこないということはないし、空室リスクもなければ、延滞もない。

 まさに「最良の物件」といえる。

 その点、不動産投資は、空室リスクはあるし、延滞もある。

 延滞などされたら、督促するのも面倒だろう?

 そういう手間暇をかけてもいいと思う人なら、不動産投資もいいとは思うが、私のように、他人とのトラブルを避けたい人間、静かに学問や執筆に専念したい人間にとっては、投資信託ほどいいものはないのだ。

 最近、投資信託の評価額は落ち込んでいるが、それも放置していれば、やがて上向くだろう。

 評価額が落ちるのを目の当たりするのと、さすがに平静ではいられなくなるので、見るのを一切やめた。

 一切やめてみると、まったく気にならなくなり、「家賃」的に分配金が入ってきているのだけを確認する日々が続いている。

 つくづく、学問や執筆に専念したい人には、投資信託をお勧めしたいと思う今日この頃である。

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2015年10月 7日 (水)

スギ花粉症用の薬

 スギ花粉症を完治させる薬、シダトレンの発売から1年がたった。

 それにともない、今まで2週間分しか出してもらえなかったのが、4週間出してもらえるようになった。

 つまり4週間に1回の通院で良くなった。

 また4週間分の薬を出してもらうと、その分、少し割安になる。

 4週間で薬代と病院代で約2000円で済むようになった。

 私の友人・知人に「シダトレン」を勧めているのだが、なかなか「やってみよう」という人が現れない。

 完治できる可能性があるのに、そんなに関心がないのか、と思うくらいなのである。

 私にどういう効果が出たかはまたこのブログで発表しようと思う。

 参考にしていただければ幸いである。

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2015年10月 6日 (火)

定期健康診断

 私は現在、国民健康保険に入っている。

 よって、毎年1回、健康診断がある。

 毎年、健康診断を受ける前に、「今年はガンが見つかるかもしれない」という不安がある。

 ガンが見つかってもおかしくない年齢であるし、普段、それほど健康に留意していないので、不安がある。

 昨年の健康診断では見つからなかったが、今年は分からない。

 10月中に受ける予定である。

 しかし、最近思うようになったことは、人間の寿命は神によって決められていて、引き延ばそうとしても、たかだか知れているのではないかということだ。

 できるだけ長く生きようと努力するよりも、一日一日を大切に生きることを考えて生きるほうがいいのかもしれない。

 

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2015年10月 5日 (月)

合意していたはずの話がひっくり返る

 合意していたはずの話がひっくり返るということがある。

 出版業界にいる私は、そういうことをゲップが出るほど経験してきた。

 印税カット、原稿料カット、支払日の延期、出版時期の延期、発行部数のカット…。

 まあ、それくらいのことなら、よくある話だ。

 最大の悲劇は、出版直前で出版が中止になることだ。

 そういうときの出版社の言い分は、きまって「出版契約は成立していなかった」である。

 だが、出版契約というのは諾成契約であり、出版社からの仕事の「依頼」と文筆家の「承諾」が合致した時点で成立するのだ。つまり、口約束でも立派に成立する。

 なのに、都合が悪くなったとたんに、出版社は「出版契約は成立していなかった」と大嘘をつく。

 私はこういうことを5回くらい経験した。

 1回目、2回目くらいならまだ耐え忍んでこれたが、さすがに5回も「堕胎」されると堪える。

 そう、出版中止は文筆家にとっては「堕胎」だ。「不同意堕胎」だ。勝手に今生まれてこようとする赤ちゃんを堕胎されるのだ。

 そういう経験を経た私は哲学や倫理学に走った。

 人間にとって本当に何が大切なのか?

 それは人間としてより良く生きることであって、効率よく金儲けをすることではないはずだ。

 金、金、金…と金儲けのことしか考えない出版社は、「売れそうにない」と判断した本は、たとえ出版社が依頼して仕上げさせた本であっても、出版中止にする。「売れそうにないからという理由で出版が中止になることはありませんか?」と事前に確認を取って開始した仕事であっても、出版中止にする。編集者と二人三脚で進めていた本であっても、なんだかんだと難癖をつけて出版中止にする。

 大手出版社であっても、それをやる。

 合意していたはずの話がひっくりかえされるのだ。

 それがどれだけこたえることかは、実際、それを経験してみなければ分からないと思うよ。

 でも、私はそのおかげで哲学を深く勉強できたので一皮むけたと思っている。

 今の私は金も名誉も地位も、そういうのを一切超えている。

 もう、そういう見せかけの目標にとらわれることはない。

 人間にとって、そういう見せかけの目標を追い求めても、幸せにはなれないと悟ったからである。

 

 

 

 

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2015年10月 2日 (金)

勉強ができるドトールを発見

 都内某所に「勉強机」が置いてあるドトールコーヒーがあった。

 普通の机ではなく、ちゃんとスタンドがあり、コンセントを差し込むところもあり、ついたてもある。まさに「勉強机」があるのだ。しかも、椅子も背もたれがあり、座りやすい。

 パソコンで仕事をしている人にとってはまさに「仕事場所」になりうる。

 その店には4つ、そのような机があった。

 2時間くらいならガッツリ仕事ができそうな雰囲気だった。

 売上だけを考えれば、回転率を上げようとするのが普通の考え方だろう。

 しかし、客の立場になって考えれば、「勉強机」としても使える机があり、そこに2時間くらい居座ることができるのなら、これほどありがたいことはない。

 まさに逆転の発想だ。

 「回転率を上げて儲けよう」という発想からはこういう机を置くことなどとても考えられないだろう。

 しかも、通常の喫茶店よりもコーヒーの値段も安い。

 これはきっとはやるのではないか。

 久々の感動だ。

 私の家から近ければいいのだが、少し離れているので、私はそう行くこともないが、その店の近くを通る機会でもあれば、また寄ってみようと思う。

 しっかり勉強もできそうだ。

 

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2015年10月 1日 (木)

何のために働くの?

 働く。

 「働く」といったら、みなさんは、どんなことをイメージするだろうか。

 「働く」の本質は何だろうか?

 「働く」といえば、ほとんどの人が、金儲けをすること、と答えるだろう。

 しかし、「働く」には大きくわけで3つの側面があり、一番大切な側面は、社会に貢献する(世のため人のためになることをする)ことである。

 もし「働く」=「金儲けをする」であるのなら、「オレオレ詐欺で金儲けすること」も「働く」ことになるが、社会に害をもたらす行為はとても「働いている」とは言えない。よって、「働く」と「金儲けをする」はイコールではない。

 逆にお金を稼がないで「働く」こともできる。たとえば、ボランティア活動を行うことは、金儲けにはつながらないが、立派に社会に貢献している。無償で自分の時間と労力を提供しているのだから、お金をもらって働くよりも、ある意味、尊い。

 「働く」の2番目に大切な側面は、「自分を磨く」ということである。直接社会に貢献していなくても、研究や勉強、自己鍛錬などで自分を磨くことは、ある意味「働いている」ことになる。

 そして3番目に大切なことが「お金を稼ぐ」ことである。ただし、先にボランティア活動をあげたとおり、お金を稼がなくても、立派に「働いている」ことになることもありうる。

 しかし、この世の中のほとんどの人は金儲けをするために働いている。

 金、金、金…だ。

 金が欲しくて欲しくて仕方がないのだ。

 たとえば、出版社は「売れる本」をつくろうとする。ベストセラーが出たら、すぐにそのマネをしたがる。

 逆に、「売れそうにない」と判断したら、たとえ1冊すべて仕上げていたとしても、「もともと出版契約はなかった」と大嘘をついて出版を勝手に中止する。

 有名な犯罪者が手記を書いたら、遺族が「出さないでほしい」と懇願しても、それを完全無視して本にして出す。金が欲しいからだろう。出版社は「社会的意義がある」とかなんとか言っているが、では、儲けたお金をすべて遺族に渡すという条件でも出すのかといえば、ノーだろう。結局、金が欲しいから出しているのであって、「社会的意義がある」というのは後付の理屈なのだ。

 すべては金で回っている、という印象しか受けない。

 だが、聖書にはこう書いてある。

あなたがたは地上に富を積んではならない。富は、天に積みなさい

 毎日、神の御心に沿った生き方をしようと努力していれば、お金は自然と入ってくる。お金お金お金…とお金儲けのことばかり考えなくても、神の御心に沿って生きていれば、お金は自動的に入ってくる。

 あなたはいったい何のために働くのか?

 社会に貢献したいという気持ちが第一か?

 金を儲けることが第一か?

 私は、第一に、社会に貢献するために、第二に、自分を磨くために、そして第三にお金を稼ぐために働く。

 ただ、第三番目の「お金を稼ぐ」というのは重要視していない。自分の生活が成り立たなくなるようなことはするつもりはないが、お金第一の生活はするつもりはない。

 

 

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