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2016年2月

2016年2月28日 (日)

元東大名物教授のある主張

 元東大名物教授・行方昭夫氏の著書『英会話不要論』を読み返しています。

 中にこんなことが書かれています。

 「話す」「聞く」「書く」の能力を使う機会は生涯で何度あるでしょうか? (中略)「話す」「聞く」は日本在住の外国人に接したり、海外に旅行した先で買い物をしたりするときくらいでしょうか。一生でせいぜい数回ではありませんか。一方、読む機会なら、広告であれ、缶詰などの説明であれ、頻繁にあります。

 みなさんは、この箇所を読まれてどう思われるでしょうか?

 この元東大名物教授は、スピーキング、リスニングの機会が「一生でせいぜい数回ではありませんか」とおっしゃっておられるのです。

 一生でせいぜい数回? ウソでしょう? いったいいつの話なんですか? というのが私の率直な感想。

 今やインターネット時代です。ですから、YouTubeで、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどの世界の国々で放送されているテレビ番組は見放題です

 面白い番組、ためになる番組は、世界中に数えきれないくらいありますし、毎日毎日見ても見尽くすことができないくらい無限に英語の動画はあります。

 今やインターネットを利用していない人のほうが少ない時代であり、インターネットを利用している人なら、誰でも無料でYouTubeは見放題なのです。

 実際、私は、毎日のように、英語圏の国のテレビ番組をYouTubeで無料で楽しんでいます。

 しかも、今や、Courseraという、世界のトップレベルの大学の講義が無料で視聴できるシステムもあり、私自身、5つの大学の講座を無料で視聴できたのですが、それこそリスニング力が使える機会です。 

 古代哲学も、倫理学も、心理学も、数学も、経済学も、大脳生理学も、その他、価値のある講義がすべて無料で視聴できるのです。

 元東大名物教授は、「一生でせいぜい数回ではありませんか」とおっしゃっていますが、私はリスニング力を磨いておけば、その報酬は計り知れないくらい大きいと主張したいと思っています。

 ちなみに、この本、2014年10月20日発行となっています。大昔に書かれた本ではありません。

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2016年2月18日 (木)

外国語を学ぶ意義

  外国語は勉強したほうがいいのか、しなくていいのか。

  おそらく外国語を勉強しない人の多くは「勉強する必要はない」というだろう。

  日本では外国語は勉強しなくても生きて行けるし、外国語ができなくても人間的に立派な人だってたくさんいることも事実だ。

  でも私は、外国語は学んで損することはない、と言いたい。
 
  損をしないどころか、得することのほうが多いと思う。

  それはなぜか?

 「ヨーロッパ言語共通参照枠 利用者のための手引き」から引用しよう。

「自分が現在生活しているところの文化や育ったところの文化しか知らない人は、自分のやり方が普通であり、自分のやり方と違っていると普通ではないとみなしがちである」

 これでは異文化圏の人々を理解するうえで大きな障害になるだろう。

 やはり異文化を知ることで、考え方の幅が広がるのではないか。私はそれこそ、人生を豊かにしてくれるものだと思っている

 異文化を知るには外国に行ってみるのが一番だが、外国語を学び、外国語の書籍を読んだり、外国語の映画や動画を見たりすることも、異文化を知る手がかりになりうると私は思っている。

 

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2016年2月17日 (水)

英語だけでは駄目なのか?

 外国語に対して3つの考え方があります。

(1)日本語だけで十分だ。外国語はやらなくてもいい
(2)外国語は英語だけでいい。
(3)複数の外国語を学んだほうがいい。

 みなさんはどの考え方に近いですか。

 昔の私は(2)の考え方に近かったですが、今の私は(3)です。

 実はこれは『マルチ言語宣言』という本の中で扱われているテーマの一つです。

 ヨーロッパの国々では2つの外国語を習得する「複言語主義」が主流だそうです。しかも特定の一言語(つまり英語)が強要されることはないので、英語中心主義に陥ることもないようです。 

 某大学教授は、この「複言語主義」は(メリットもデメリットもあるが)英語一言語主義よりはるかに実り多いと述べておられます。

 ただ、日本は島国ですし、ヨーロッパの国々とは事情が違い過ぎますから、「複言語主義」の実り多さを唱えたところで、「日本語だけでもいいじゃん」とか「英語だけできればいいじゃん」と考える人のほうが圧倒的に多いでしょうね。

 かくいう私も偉そうなことは言えませんが、ドイツ語、フランス語、イタリア語と学んできて、電子辞書を引きながらであってもA2レベルの本が読めるようになった今から考えれば(時間的な余裕がある人は)複数の外国語を学んだほうが実り多いのではないかと思うようになりました。

 (1)か(2)か(3)かに関しては、日本人全員に共通する唯一の正解はないと思っています。結局、最終的には個々人の判断に委ねられるでしょう。

 みなさんは、どの考え方に近いでしょうか?

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2016年2月15日 (月)

英語で視聴できる無料のオンラインコース

 ここのところ3か月弱、イタリア語、イタリア語、イタリア語…できました。

 今は、イタリアの出版社が出している、A2レベルの本を読み進めています。

 3月6日に伊検がありますので、それに全力投球します。

 と同時に、英語力も維持したい私は、英語で学べる無料のオンラインコースも再開する予定です。

 以前にも、紹介しましたが、「Coursera」というのがあります。

 これは世界のトップレベルの大学の講座がインタネットで無料で視聴できるものです。(ただし、講座終了後に認定証を申請すれば5000円程度の費用がかかります。認定証の申請は任意です。私は一度も認定証を申請したことがないので、全部、無料で終了しています)。

 私もカルフォルニア大学、エジンバラ大学、バージニア大学など、5つの大学の講座を終了したことがあります。(ただし、途中でリタイアしたのもある)。

 途中でリタイアしても、何のデメリットもありませんので、ご興味のある方は「Coursera 」と検索をして、サイトに飛んでいってみてはいかがでしょうか。一応、リンクをはっておきます。

 心理学、哲学、数学、経済学、生理学、論理学…と、世界とプレベルの大学の講義が無料で視聴できるので、英語力の維持はもちろん、専門知識も習得できます。

 自宅にいながらにして、留学気分が味わえます。

 私が今回視聴しようと思っているのは、「古代哲学」(2月15日に開講)です。

 みなさん、語学学習、がんばりましょうね!

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2016年2月13日 (土)

イタリア語を3か月勉強してみて

 私は3か月前から、イタリア語の勉強をまったくのゼロから独学で開始しました。

 最初の1か月は主に基礎的な単語を詰め込むことに集中し、2か月目からは入門書や対訳本を開始し、今ではA2レベルの本を電子辞書を引きながらではありますが、読み進めて行けるようになりました。

 単語カードは48束目に突入しました。フランス語と似ているからか、驚くほど速く覚えられます。

 ただし、文法は苦手なままです。イタリア語はイタリア語独特の文法がありますので、フランス語に似ているとはいえ、正確に覚えるのは簡単ではありません。

 フランス語の場合、ゼロから開始してA2レベルの本が読み進められるようになるまで2年近くかかったように記憶しています。2年半の期間に104束の単語カードを作りました。
ただし、仏検2級1次には4点足りませんでした。また11月に2級1次に挑戦しようかなと思っています。

 伊検はまだ受けていないのでなんとも言えませんが、少なくともA2レベルの本を読み進められるようになったことや、48束目もの単語カードができたことは、フランス語のおかげだと思っています。

 イタリア映画のDVDも何作が楽しみましたし、イタリア料理もたしなむようになりました。愉しみが増えて良かったと思っています。

 伊検は3月6日に受けてきます。5級と4級を同時受験します。

 3月7日からはスペイン語の勉強を開始します。6月に西検6級と5級の受験を考えています。

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2016年2月12日 (金)

「海外の本は日本語で読んだほうがいい」ってホントなの?(3)

 おとといから検討している「海外の本は日本語で読んだほうがいいと思いますか、それとも原書が読めれば読めるようになったほうがいいと思いますか」というテーマの続きです。

 私が、原書で読めるようになればそれに超したことはないと思う第2の理由をお話ししましょう。

 それは、原書が読めれば翻訳では伝わりにくい概念もダイレクトに理解できることです

 私は出版翻訳家として30冊近くの本を翻訳してきましたが、その経験からいっても、どんな本でも1冊の中には何か所かは日本語に訳しにくい概念はあるものです。まれに、まだ訳語が存在しない新しい単語に遭遇することもあります。そのようなときも、原文のニュアンスをできるだけ損ねないように気を遣いながら訳すわけですが、どうしても原文のニュアンスがある程度損なわれるのは避けられないことです。

 だからこそ、原書で読めるようになればそれに超したことはない、と言っているわけです(もちろん英語を勉強したくない人は翻訳書を読めばいいことです。私は、英語を勉強したくない人にまで原書で読むことを勧めたりはしません)。

 私は原書を読む愉しみを知っているので、成毛氏のように「英語はわざわざ勉強する必要はない」「英語を勉強するよりもゴルフを身につけたほうがビジネスという実践の場では役に立つ」「わざわざ洋書を読む必要はない。海外の本は日本語で読め」(いずれも『日本人の9割に英語はいらない』より抜粋)という発想にはならないのです。

 しかも驚くことに、かくいう成毛氏は同じ本の別の箇所で「翻訳書は誤訳や悪訳がきわめて多い」という意見を表明しています。成毛氏自身そう思っているのなら、なおさら原書で読む意義があるということにならないでしょうか?

 成毛氏は、一方では「日本の翻訳文化は卓越している。これだけ翻訳文化があるのだから、わざわざ洋書を読む必要はない、海外の本は日本語で読め」と言っておきながら、同じ本の別の箇所では「翻訳書は誤訳や悪訳がきわめて多い」と意見を述べているのです。私にはとても不可解に見えます。

 誤訳や悪訳を読めば、当然、読者は原著者の意図を誤解するでしょう。それはけっして望ましいことではありません。だからこそ私は、原書で読めるようになればそれに超したことはないと言いたいのです。

 みなさんは、この点についてどう思われますか?

 成毛氏に賛同して「翻訳書は誤訳や悪訳がきわめて多い」が、それでも「海外の本は翻訳で読めばそれでいいんだ」「英語よりもゴルフを身に付けたほうが役に立つんだ」と思われるでしょうか?

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2016年2月11日 (木)

「海外の本は日本語で読んだほうがいい」ってホントなの?(2)

  前回の続きです。

「海外の本は日本語で読んだほうがいいと思いますか、それとも原書が読めれば読めるようになったほうがいいと思いますか」というテーマです。

  元マイクロソフト社社長の成毛眞氏は「英語を勉強するのは無意味だ」と主張し、また「これだけ翻訳文化があるのだから、わざわざ洋書を読む必要はない、海外の本は日本語で読め」と述べておられます。

 しかし私は「原書が読めるようになることはそれなりの価値がありますよ」と主張したいのです。

 そう思う理由を述べてみたいと思います。

 第一に、翻訳で読める本の数には限りがあります

 考えてみればすぐ分かることですが、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど英語が母国語(もしくは事実上の母国語)になである国々で発行されている英語の書籍のすべてが日本語に訳されているわけではありません。翻訳出版されているのは、ごく一部の本に限られます。

 私がこういえば、成毛氏なら「価値のある本はだいていは翻訳されているはずだから、翻訳書で読めば十分」と反論するかもしれませんね。

 しかし、私はそうは思いません。

 私は数十社の出版社とのお付き合いがあるから分かるのですが、出版社はどんなに良い本であっても、「売れそうにない」と判断した場合、出版化を検討することはありません。すべての出版社がそうだとは断言できませんが、少なくとも数十人の編集者と実際に会って話した経験のある私はそのような印象を受けています。

 つまり、「読む価値のある優れた良書」でも「売れそうにないから」という理由で翻訳されていない場合が山のようにあるのです。

 分かりやすい例を挙げましょう。

 私は以前、イングランドの大学の神学部で学んでいたことがありました。

 私はまず基礎的な知識を日本語の本で詰め込もうと思って、日本語で書かれたキリスト教の本を探しました。しかし、英語で書かれたキリスト教の数に比べれば、日本語で書かれたキリスト教の本(含、翻訳書)の数は微々たるもの。

 日本は「過去に全国民の1%以上がクリスチャンだった歴史が一度もない」という国なのですから、日本語で書かれたキリスト教の本が少ないのは当然です。

 一方、アメリカはクリスチャンが8割を占めるキリスト教の国ですから、キリスト教関連の本も莫大な数あります。

 そういう事情もあり、私は英語圏の国で出版されているキリスト教関連の書籍で勉強をつづけることとなりました。その経験からも、キリスト教を勉強するとき、原書が読めるようになっておいたほうが読める本の数が遥かに多い、と言いたいのです。

 これはキリスト教関連の本だけにかぎりません。

 私はイングランドの大学の哲学部でも学んでいたことがありますが、哲学関係の本にしても、日本語に翻訳されていない優れた本は驚くほどたくさんあります。

 日本語の本しか読めない人は、そういった本は(翻訳されないかぎり)一生涯読めないままです。

 成毛氏のように「英語を勉強するのは無意味だ」とか「英語ができてもバカはバカ」とか「これだけ翻訳文化があるのだから、わざわざ洋書を読む必要はない」とかいって最初から原書を読もうとしなければ、日本語に翻訳されない本は一生涯読めないままです。

 それは考えようによっては、もったいないことだと思います。

 成毛氏は「別にもったいなくはないよ、私は翻訳書だけで十分だよ」と反論するかもしれません。

 もしそう反論されたとしたら、私は「あなたがそう思うのだったら、あなたは翻訳書だけ読んでいればいいんじゃないですか? 原書が読みたいと思っている人は原書で読ませてあげてもいいのではないですか」と逆に訊いてみたいのです。

 みなさんは、どう思われるでしょうか。

 私が、原書で読めるようになればそれに超したことはないと思う理由は実はまだあるのです。

 それは次のブログにて…。

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2016年2月10日 (水)

海外の本は翻訳で読んだほうがいいってホントなの?

 みなさんは、海外の本は日本語で読んだほうがいいと思いますか、それとも原書が読めれば読めるようになったほうがいいと思いますか。

 成毛氏は著書の中で「海外の本は日本語で読め」と主張されています。その理由は「日本の翻訳文化が優れているから」だそうです。

 そして「これだけ翻訳文化があるのだから、わざわざ洋書を読む必要はない」と断言しておられます。

 これに対して、みなさんはどう思われるでしょうか?

「なるほど、元マイクロソフトの社長がいっているのだから、そのとおりにしよう、洋書など読まずに、すべて翻訳で読もう」 とお思いになるでしょうか?

 しかし、一つひっかかるのは、そういう成毛氏自身、「私は洋書をほんと読まない」と述べておられることです。

 洋書をある程度読む方が「わざわざ洋書を読む必要がない」というであれば説得力もあると思いますが、「洋書をほとんど読まない」同氏が「わざわざ洋書を読む必要がない」と言っても、私はあまり説得力を感じません。

 たとえて言えば、書道の経験がほとんどない人が、「パソコンが使えれば、書道などやる必要などない」と断言しているようなものです。

 書道には書道の楽しみがあると思うので、その楽しみを十分に知った上で、「パソコンが使えれば、書道などやる必要などない」というのなら聞く耳を持ちますが、書道の経験がほとんどない人がいっても、ピンと来ません。

 もちろん、かくいう私とて、原書を読むことに興味のない人に「原書を読めるようになったほうがいい」というつもりは全くありません。

 しかし、原書を読むことに興味がある人に対しては、「原書を読む愉しみはありますよ、原書で読めるようになることはそれなりに価値のあるものですよ」と言いたいのです。(出版翻訳家の私が言うのも変ですが…)

 みなさんは、この点についてどう思われるでしょうか?

 翻訳書だけを読んでおけばそれで十分と考えるでしょうか?

 それとも原書が読めるようになれば読めるようになったほうがいいと考えるでしょうか?

 洋書をほとんど読まない成毛氏は「これだけ翻訳文化があるのだから、わざわざ洋書を読む必要はない」と主張されていますが、みなさんは、彼の意見に賛同されるでしょうか?

 私は原書が読めるようになれば読めるようになったほうがいいと考えています。

 私がそう考える理由は次回のブログにて・・・

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2016年2月 9日 (火)

「頭の悪い人ほど英語を勉強する」ってホント?

 「頭の悪い人ほど英語を勉強する」って主張する人がいるのですが、みなさんは、この点について、どう思いますか?

 マイクロソフトの元社長である成毛眞氏の著書『日本人の9割に英語はいらない』の第一章の最初の項目は、なんと「頭の悪い人ほど英語を勉強する」です。

 彼はこう主張しています。

 「自分の体験から、英語を勉強するのは無意味だ」

 「何の必要性もないのに懸命に英語を暗記する人は、残念ながら頭がいいとはいえない」

 学生時代に学ぶ英語は「社会人になったら、まったく役に立たない」 

 「6年間で900時間も英語に費やしておきながら、一体何が残るのか。簡単な英会話すら満足にできず、簡単な英文のビジネスメールさえ書けない英語力である」

 次から次へと、英語学習に対する批判のオンパレードといった感があります。

 しかし、肝心の「頭の悪い人ほど英語を勉強する」という命題の真偽は同書の中では吟味されていません。

 ですから、本当に「頭の悪い人ほど英語を勉強する」というのが真実なのか、それとも彼がもった印象にすぎないのか、彼がもった偏見にすぎないのかは、わからないままです。

 しかも、彼は「頭の悪い人ほど英語を勉強する」と考える根拠らしい根拠も述べていません。

 このような挑発的な文言は、一見、読者をひきつけるかもしれません。特に、英語が不得意で劣等感をもっている人だと飛びつきたくなるでしょう。

 しかし、その真偽すら判明していないのに、「英語を勉強することは頭が悪い人がすることだ」というイメージを読者に植え付けかねないと思いますね。

 英語学習者は、こういった文言にひるまずに、学習に励むのがいいと私は思います

 英語を学習して、英語の書籍を読む愉しみ、英語の動画を視聴する愉しみが味わえるようになることは、人生を豊かにすることにつながると思いますから。

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2016年2月 5日 (金)

新しい言語を学び始める際の「沈黙期間」とは

 新しい言語を学び始めるとき、スピーキング、リスニング、ライティング、リーディングの4つの技能を同時に勉強したほうがいいでしょうか? それとも4つのうち、1つか2つの技能にしぼったほうがいいでしょうか。

 みなさんは、この点についてどう思いますか?

 まず、この点について考える前に日本人が学校で学ぶ言語について考えてみましょう。

 日本人のほぼ100%が少なくとも何年かは英語を学んでいるはずですし、大学を出た人のほとんどは仏語や独語などの第二外国語も学んでいるはずです。ですから中卒以上の人ならある程度の英語の知識、大卒以上の人ならそれに加え、第二外国語の知識もあるはずです。

 学校にいる間に学んだ外国語を卒業後も引き続き勉強する場合は、スピーキング、リスニング、ライティング、リーディングの4つの技能を同時に磨くことは理想的だと考えます。というのも、その基礎がしっかりできているからです。

  ただ、まったく新しい言語をゼロから学ぶときは一定の「沈黙期間」を設けたほうが良いという立場を取る専門家が多いようです。

 「沈黙期間」とは、平たく言えば、4つの技能のうち、リーディングとリスニングのみを磨く期間のことです。最初のうちはリーディングとリスニングに絞ったほうが、なまじっか4つの技能に神経を分散するよりも理解力が向上しやすい、とういわけです。

 実は、われわれ人間は母国語を習得するときも、しばらくの間、「沈黙期間」を設けているそうです。その「沈黙期間」の間に、両親や兄弟など周りの人たちが言っている内容の理解に努めているのです。

 ですから、ある言語を初めて学ぶ際に「沈黙期間」を設けるほうが自然な流れであって、最初から4技能を磨こうとするのはむしろ不自然な流れなのです。そしてこれは母国語だけでなく外国語を学ぶときも、学習者が子供の場合も大人の場合も同じだそうです。

 以上の理由により、まったく新しい言語を学び始める場合は、しばらくの間はリーディングとリスニングのみに特化した「沈黙期間」を設けたほうが理解力の向上も早そうです。

 では、どれくらいの「沈黙期間」が最も適切なのでしょうか?

  期間は人によって変わってくるでしょう。ある人は数週間かもしれませんし、ある人は数か月、数年間かもしれません。理想的な「沈黙期間」が具体的に示されているのを見たことはありません。

 個人的な感想を言えば、たとえばフランス語の場合なら少なくとも仏検4級から3級レベルまでとか、ドイツ語の場合なら独検3級レベルまでくらいまでは「沈黙期間」でもいいのかなという感じがします。それくらいまではスピーキングもライティングも開始せずに、ひたすらリーディングとリスニングに集中するのです。

 もっとも、一刻でも早くスピーキングを練習したいという人もおられると思います。たとえば、海外出張が決まったとか、外国人観光客がよく訪れる職場に就職したとか、外国人の恋人ができたとか。そういう人であれば、悠長なことは言っていられませんね。

 言語習得に関しては個人差も大きく、絶対的に正しい一つの方法が存在するわけではないので、自分が気に入った方法で勉強するのが一番かもしれませんね。

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2016年2月 4日 (木)

理性と欲望

 昨年末から年始にかけて芸能界が賑わしい。

 昨年末に日本一のコント王、キングオブコントを獲得したキングオブコメディの高橋容疑者が女子高生の制服を盗んだ容疑で逮捕された。

 今年に入ると、好感度ナンバーワンと言われるベッキーの不倫疑惑がもちあがり、CMをすべて降板させられた。

 そして昨日は野球界のスーパースター清原容疑者が覚せい剤所持の容疑で逮捕された。

 3人とも各界で頂点を極めて人間だ。

 そのまま普通に暮らしていくだけでも、だれもが羨む幸せな人生を歩めていただろう。

 ところが、各々、窃盗、不倫、覚醒剤という欲望にはまってしまい、転落することとなった。

 おそらく3人が3人とも、「自分のやっていることは悪いことだ」という自覚はあったのだろうが、その欲望を理性でコントロールできなくなってしまったのだろう。

 引き返せるときに引き返さずに、欲望に赴くままに流されると、どんなに栄光をつかんだ人であっても、取り返しのつかないあやまちに発展してしまう。

 人間にとって本当の幸せとは何か?

 とことん突き詰めて考えれば、やはり理性の声に耳を傾け、理性的に生きることと言えまいか。

 私はそう思っている。

 だから、お金儲けよりも、理性を磨くことのほうに関心があるのである。

 欲望は完全に捨てきることはできないし、完全に捨てきる必要すらない。しかし、幸せに生きるには、欲望をうまくコントロールできるようにならなければならない。

 そのためにも理性を磨く必要がある。

 私は、それは人間としての義務の一つでもあると考える。

 

 

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2016年2月 3日 (水)

きれいな英語の発音を目指すべきか?

 みなさんは、英語のネイティブみたいな発音になりたいと思っておられるでしょうか?

 私は、中学、高校と英語が得意科目だったこともあり、ネイティブみたいな綺麗な発音でペラペラ英語がしゃべれるようになればいいなぁ、という夢はありました。

 ただ、私は純粋な日本人ですし、ネイティブなど見たことがないという田舎出身で、高校の授業でももちろんスピーキングのトレーニングなどありませんから、話せるわけはありませんでした。いや、その前に、英語を聞いてもわからなかった。

 そんな私が英会話学校に通い始めたのは、23歳のとき。

 当時は大学1年から受け続けていた英検1級が何度も何度も落ち続け、だれかに頼りたいという一心で、ボーナスをドカンと全額はたいて英会話学校に入学したのでした。

 その後も、ボーナスをもらっては英会話学校に全額投資し、またボーナスをもらっては全額投資し…ということを繰り返していました。

 お世辞だろうと思いますが、私の発音がきれいだといってくれる人もいましたが、それはまさにお世辞で、実際、自分が話す英語をテープに録音して聞いたときのショックはなかった!

 その後、私は30才の手前でイギリスに留学。

 留学前の私は、2年間、イギリスで全力で英語に磨きをかければ、ネイティブに近い発音になれると信じていました。

 が、が、が…。

 留学前よりは流暢に話せるようになったとは思いますが、やはり発音は、どうしても日本語のアクセント(なまり)は残りました。

 お世辞にもネイティブとはほど遠い。

 いや、もちろん、イギリス在住の2年間は、必死に英語をしゃべり、必死に英語を聞き…ということを繰り返したのですよ。

 でも、それでもアクセントは消えませんでした。

 言語学の専門書にある実験結果が載っていました。

 ネイティブと見分けがつかないを1点、強いなまりがあるを5点として、発音を5段階評価で点数をつけます。

 6歳から10歳の間にアメリカに移住した子供の平均点は、1.27

11歳から15歳の間にアメリカに移住した子供の平均点は、2.27

16歳から20歳の間にアメリカに移住した子供の平均点は、3.72

(いずれも移住してから12年以上経ったあとでの実験です)。

「7歳から12歳のときにアメリカに移住し、5年以上アメリカに滞在した場合、ネイティブに近い発音になる可能性は50%」らしいです。

 となると…、私は30歳でイギリスに留学し、2年間だけしか滞在していませんでしたから、そりゃ、日本語なまりはそう簡単には取れませんよね。

 大人になってからでも、ネイティブに近い発音を獲得する人もいるらしいですが、それはあくまで例外だそうです。

 ただし、母国語とターゲットの言語の発音がどれくらい似ているかという点も考慮しなければならないと思いますね。

 例えば、日本語とスペイン語は発音が非常に似通っているので、成人した日本人であっても、スペイン語はネイティブに近い発音を獲得できる可能性は高いのではないかと思います。

 ただ、英語はやっぱり難しい…。私自身が体験したことなので、重々、その困難さは身にしみてわかっているつもりです。

 それでもきれいな発音を目指したいという人は、私なら、ネイティブとのマンツーマンのレッスンをお勧めします。グループレッスンでは、発音を矯正してもらうといっても、効率が悪いですからね。しかも、複数の生徒がいれば、先生だって矯正しにくいと思いますし・・・。

 私個人としては、20代のころに莫大なお金を英会話学校に投資したこともあり、今後はできるだけお金をかけずにできることをやっていこうかなと思っています。発音以外にもやることはたくさんありますのでね。

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2016年2月 2日 (火)

カフェでの勉強

 カフェで外国語の勉強をしている人、けっこういますよね。

 実は、私もカフェで外国語の勉強をよくします。

 英語の(内容のかたい本)のリーディングだけの場合は、図書館に行きますが、その他の言語(独語、仏語、伊語)の場合は、リスニング強化のためCDをかけますので、カフェで勉強することがほとんどです。

 図書館でもCDをかけても大丈夫だとは思うのですが、万が一、隣の人に迷惑になってもいけないと思うので、カフェでやっています。

 カフェの場合、たまに、騒音がうるさかったり、咳こんでいる人がちょうど隣に座ってしまったり・・・失敗してしまうこともありますが、そうならないように、カフェに入るときに、ざっと店内を見回してから、「勉強できそうだ」と確認をしてから入るようにしています。

 昔は、コーヒー一杯600円という値段の高いカフェでもよく入っていましたが、今では、お金を節約するために、マクドナルド、ドトールコーヒー、モスバーガー、カフェドクリエなども利用しています。

 週のうち、何曜日の何時頃は、このカフェは空いているとかもある程度把握できるようになったので、たとえば、そのカフェに行くのに自転車で40~50分かかるという場合でも、自転車でわざわざ遠征してい行きます。

 自宅だとどうしてもだらけてしまって、ついつい勉強以外のことに時間を費やしてしまいますが、カフェに行きさえすれば、外国語の勉強をする以外できなくなるので、その点がいいのです。そのため、わざわざ遠征までするのですね。

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2016年2月 1日 (月)

ペンシルバニア大学の「古代哲学」受講

 英語を勉強していて良かったと思うことの一つに、Courseraが無料で受講できることがある。

 Courseraとは、世界のトップの大学が講義を無料で提供しているものである。

 今までにも複数の講座を受講し、終了しているが、とても興味深いし、ためになるものばかりである。しかも英語力も磨かれる。

 あらたに今月からペンシルバニア大学の「古代哲学」の受講を開始することにした。

 楽しみにしている。

 英語学習者でCourseraに興味のあるし人は、Courseraと入力して検索してみてほしい。

 無料なので安心して勉強できる。

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