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2016年8月26日 (金)

ホリエモンの大学不要論

 ホリエモンこと堀江貴文氏は「大学は要らない」と主張している。

 その根拠の一つとして挙げているのは、「大学教授は自分が出している本をただ読んでいるだけだから行く意味が全くない」である。

 かくいう堀江氏は大学を卒業しているわけではない。おそらく卒論すら書いていないだろう。そんな彼が「行く意味が全くない」と断じて良いのだろうか。

 もちろん、「大学に行く意味がない」と思う人がいれば、私はその人に反論しようとは思わない。 「大学に行く意味がない」と思う人は、行かなければいいだけの話である。

 ただ、その人が「大学に行く意味がない」と思うことと、他の人にとって「大学に行く意味があるかないか」は全く別のものであるということは言っておきたい。
 

 「大学に行って大いに意味があった」という人も大勢いるだろう。そういう人にとっては「大学に行く意味があった」のであり、「大学に行く意味」を全否定するのはいかがなものかと思う。

 では、大学は行く意味があるのかないのか。

 私の結論を言おう。

 大学に行く意味があると感じている人にとっては行く意味があり、大学に行く意味がないと感じている人にとっては意味はない、ということになる。

 意味というものは、最初からあるかないかが決まっているものではなく、あくまで本人が意味を感じるか感じないかによって決まるものなのである。

 例えば、登山に意味を感じる人にとっては登山は意味があるものだが、登山に意味を感じない人にとっては登山は意味がないのと同じである。

 登山そのものに意味があるかないかは最初から決まっているのではなく、登山に意味を見出すか見出さないかによって決まってくるのである。
 
 そういう意味で「大学に行く意味が全くない」と主張している堀江氏は「大学に行く意味を感じなかった人」なのだろう。かくいう堀江氏にとっては「大学は行く意味が全くない」のだろうが、だからといって万人にとっても「大学は行く意味がない」ということにはならない。

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