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2017年7月

2017年7月28日 (金)

金をたくさん稼ぐ人間が立派なのか?

 今の日本には、金をたくさん稼ぐ人間が見上げられる風潮がある。

 しかし、聖書には、金は諸悪の根源と書かれてある。
 先日亡くなられた聖路加国際病院の日野原重明氏の著書にこう書かれてある。
「アメリカの商社の人が日本で仕事を始めるにあたって、聖路加国際病院に挨拶にみえました。うちの社員が病気になったらどうぞよろしくということなのですが、そのとき、まだどうなるかわからないが、もしも利潤が出れば、収入の1%は病院に寄付をしますというのです。日本には多くの商社がありますが、そういう話を受けたことは絶無です。日本の商社はただ儲けるためだけに働いていて、儲けた利潤の一部を社会のために還元するという精神がどこにもありません」
 金、金、金…と金儲けのことしか頭になく、社会に貢献しようという気持ちをもたなければ、いくらお金を稼いだところで、単なる「金の奴隷」にすぎない。生き方そのものが他律的なのだ。
 聖書には、「神の奴隷になれ」と書かれてある。私たちは、神に造られ、神に生かされているのであるから、何をすることが神をもっとも喜ばせることになるかを考えて生きるべきなのだ。
 そういう心構えで生きていれば、金のことを心配しなくても、金のほうから勝手にやってくる。
 金に執着するからこそ、欲におぼれ、その結果、金が逃げていくのである。
 いかに社会に貢献できるか、それを第一に考えて生きていれば、金は自然と寄ってくるのではないか。

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2017年7月21日 (金)

中国語の名言、格言

 中国語の名言、格言を学んでいるところである。今日学んだ名言の中に次のものがあった。

 为人民服务
  これは「人の命には限りがあるが、人民のためによいことをすれば、人類の役に立ち無限の徳となる」という意味だそうだ。
 私は今、ボキャブラリーコンテストなどのイベントを主催しているが、「为人民服务」の精神で行っている。
 世の中、お金、お金、お金…とお金儲けにばかり精を出す人が多い。
 
 あたかもお金にならないことはやっても無意味といわんばかりである。
 そういう意味では、私の主催するイベントはいまのところお金儲けになっていないので、馬鹿がやることだと思う人もいることだろう。
 しかし、多くの参加者の方に楽しんでいただいているという自負はある。
 将来は、何百人、何千人が参加するようなイベントにしていきたいという夢もある。
 それはお金儲けが目的ではなく、「人類の役に立ちたい」という真心からである。
 

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2017年7月18日 (火)

私利私欲のために働くことの何が悪いか?

 「私利私欲のために働くのが何が悪いのか、私は金のために働いている、他人に迷惑がかからなければそれでいいじゃないか、ほとんどの人が働いているのも金がほしいからだろう、金のために働いているのだろう?」といった主旨の記事を見かけたことがある。

 かかる主張を考える前に、まず「私利私欲」の定義を確認してみよう。
 goo辞書では「自分の利益や自分の欲求を満たすことだけを考えて行動すること」とある。
 実社会でもこの定義のニュアンスで使われることが多いものと思われる。
 「私は金のために働いている、ただその結果として、社会貢献はしている。だからその対価としてお金が入ってきているのだ、その何が悪いのか」と主張したいのは分かる。
 しかし、金を稼ぐことがその人の究極の目的だとすると、社会に貢献すること自体(あるいは他人にサービスを提供すること自体)は、単に金を稼ぐための手段に過ぎなくなる。
 金を稼ぐことがその人の究極の目的だとすると、いくら大金を稼ごうが、それによっていくら社会に貢献しようが、そこに道徳的価値は無いことになる。結局、その人が社会貢献しているのは、社会貢献がしたくてしているのではなく、金がほしいからしているからだ。
 カント信奉者の私から言わせれば、それでいくらお金を稼いだとしても、人間として尊敬には値しない。その理由は、そういう人は結局のところ私利私欲だけでしか動いていないからだ。
 一方、私利私欲のためではなく、隣人愛のために働いている人はどうか。
 そのような人は、金を稼ぐことが究極の目的ではない。社会に貢献すること自体(あるいは他人にサービスを提供すること自体)が究極の目的なのだ。
 では、私利私欲のために働くことの何が悪いのか。
 聖書にはこう書いてある。
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方を親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」
 「私利私欲のために働くのが何が悪いのか、私は金のために働いている、他人に迷惑がかからなければそれでいいじゃないか」と主張する人が、例えば、個々のクライアントから報酬を受け取る弁護士等だったらどうなるか考えてみてほしい。
 金を稼ぐことしか関心のない弁護士であれば、金になりそうにないクライアントはぞんざいな扱いをするようにならないだろうか。おそらくなるだろう。少なくとも「金になりそうにもないクライアントでも、延々と時間を割いてくれる弁護士」にはなりそうもない。 
 世の中の皆が、金、金、金…と私利私欲だけで働く世界は、とてもおぞましいものだと思う。
 私は、金の大切さは否定はしないが、「金のために働く」という人間にはなりたくはない。
そんなことをしなくても、神は生かせてくれるはずだ。聖書にもこう書いてあるではないか。
 「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
 私から言わせれば、「金のために働いている」という人は、金の奴隷だ。自分の意思で動いているように思っているかもしれないが、自分の意思ではなく、金銭欲に動かされているのである。
 

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2017年7月13日 (木)

言葉の威力

 「このハゲ~~」と男性秘書に叫んだ女性議員がマスコミをにぎわしている。

 

 聞いているだけでも不快になるものだが、昨夜はとうとう夢の中にこの議員が出てきた。

 

 恐怖のあまり飛び起きた。

 

 ちょうどトイレに行きたかったこともあって、用を足して眠りについたが、驚くことにまた同じ議員が夢の中に出てきて、「このハゲ~~」と叫び、びっくりして飛び起きた。

 

 まだ深夜だったので、もう一度眠りに入ったのだが、驚くことに、またまた同じ議員が夢の中に出てきて、今度は、私が不倫をしているとののしった。

 

 恐怖のあまり飛び起きたが、まだ4時頃だった。

 

 すると、またまた同じ議員が夢の中に出てきて、ありとあらゆる罵声を私に浴びせかけた。

 

 総じていえば、昨夜の私の夢は、ほぼその議員に占領されていた。

 

 私はハゲではないし、不倫もしていない。なのに、ここまで不快にさせられた夢は初めてた。マスコミに流れるその議員の声色の衝撃がよっぽど強かったのだろう。

 

 思い返してみれば、私の人生において、あそこまでひどい罵声を浴びせられたことはなかった。私がもしあんな罵声を浴びせられたら、怖くてその日のうちに仕事をやめるのではないかと思う。

 

 それからまた思い返してみた。

 

 私は、一時期親友だったのに、ひどい悪口を言われたために、疎遠になった人が数人いる。

 

 例の議員の罵詈雑言から比べれば、全然たいしたものではないが、それでも私は彼らの悪口が許せなかったのだ。明らかに悪意があるし、明らかに私を軽んじていたからだ。

 

 言葉は使い方が大切だ。

 

 言葉によって愛が生まれることもあれば、憎悪が生まれることもある。

 

 聖書にこう書いてある。

 

「人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる」

 

「あなたは自分の言葉によって義とされ、また自分の言葉によって罪ある者とされる」

 

 言葉使いには気をつけるべきだ、という認識がさらに高まった日であった。

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2017年7月 6日 (木)

無料で受けられる科学検定

 ここ数年、フランス語、イタリア語、スペイン語、中国語といった外国語の検定試験にチャレンジし続けているので、それ以外の検定試験はあまり受けていない。

 ネットで無料で受けられる「科学検定」というのがあったので軽い気持ちで7級を受けてみた。(興味のある人は「科学検定」で検索すると出てくると思う)。
 結果は合格。
 7級は小学生レベルなので受かって当然といえば当然だが、正解率は83%だった。
 上の級になると有料になるようだ。
 

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