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2017年7月18日 (火)

私利私欲のために働くことの何が悪いか?

 「私利私欲のために働くのが何が悪いのか、私は金のために働いている、他人に迷惑がかからなければそれでいいじゃないか、ほとんどの人が働いているのも金がほしいからだろう、金のために働いているのだろう?」といった主旨の記事を見かけたことがある。

 かかる主張を考える前に、まず「私利私欲」の定義を確認してみよう。
 goo辞書では「自分の利益や自分の欲求を満たすことだけを考えて行動すること」とある。
 実社会でもこの定義のニュアンスで使われることが多いものと思われる。
 「私は金のために働いている、ただその結果として、社会貢献はしている。だからその対価としてお金が入ってきているのだ、その何が悪いのか」と主張したいのは分かる。
 しかし、金を稼ぐことがその人の究極の目的だとすると、社会に貢献すること自体(あるいは他人にサービスを提供すること自体)は、単に金を稼ぐための手段に過ぎなくなる。
 金を稼ぐことがその人の究極の目的だとすると、いくら大金を稼ごうが、それによっていくら社会に貢献しようが、そこに道徳的価値は無いことになる。結局、その人が社会貢献しているのは、社会貢献がしたくてしているのではなく、金がほしいからしているからだ。
 カント信奉者の私から言わせれば、それでいくらお金を稼いだとしても、人間として尊敬には値しない。その理由は、そういう人は結局のところ私利私欲だけでしか動いていないからだ。
 一方、私利私欲のためではなく、隣人愛のために働いている人はどうか。
 そのような人は、金を稼ぐことが究極の目的ではない。社会に貢献すること自体(あるいは他人にサービスを提供すること自体)が究極の目的なのだ。
 では、私利私欲のために働くことの何が悪いのか。
 聖書にはこう書いてある。
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方を親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」
 「私利私欲のために働くのが何が悪いのか、私は金のために働いている、他人に迷惑がかからなければそれでいいじゃないか」と主張する人が、例えば、個々のクライアントから報酬を受け取る弁護士等だったらどうなるか考えてみてほしい。
 金を稼ぐことしか関心のない弁護士であれば、金になりそうにないクライアントはぞんざいな扱いをするようにならないだろうか。おそらくなるだろう。少なくとも「金になりそうにもないクライアントでも、延々と時間を割いてくれる弁護士」にはなりそうもない。 
 世の中の皆が、金、金、金…と私利私欲だけで働く世界は、とてもおぞましいものだと思う。
 私は、金の大切さは否定はしないが、「金のために働く」という人間にはなりたくはない。
そんなことをしなくても、神は生かせてくれるはずだ。聖書にもこう書いてあるではないか。
 「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
 私から言わせれば、「金のために働いている」という人は、金の奴隷だ。自分の意思で動いているように思っているかもしれないが、自分の意思ではなく、金銭欲に動かされているのである。
 

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