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2017年9月

2017年9月30日 (土)

聖書を書き写す

 私がロンドン大学神学部(遠隔教育)に入学したのは、40代も後半になってからのことである。

 

 ロンドン大学哲学部を3年で卒業し、こんなに安く、しかも日本から一歩も外に出ることなく正規の学位が取れるのであれば、神学部でも学んでやろうという目論見であった。

 

 私はクリスチャンではなかったが、神学部には必須科目として「新約聖書入門」があり、避けては通れなかったため、新約聖書を読み始めたのであった。

 

 結果として、私は「新約聖書入門」を3年連続で履修する羽目になった。

 

 その理由は、1年目は試験勉強が不十分だったために試験を放棄し、2年目は受験したものの不合格となり、3年目でやっと合格したからである。

 

 さすがに3年も履修していると新約聖書は手垢で真っ黒になるくらいまで読むこととなった。普通の人が私の新約聖書を見れば、敬虔なクリスチャンだと思うことだろう。それくらい手垢で真っ黒だ。

 

 今や、新約聖書が私の一番の愛読書になったのある。

 

 さて、私はこれを外国語のライティング力を上げるのに利用している。

 

 新約聖書のイタリア語版、スペイン語版、フランス語版、ドイツ語版、中国語版をもっており、感銘を受けた箇所を大学ノートに書き写している。

 

 「写経」という言葉があるが、私の場合は、お経を書き写すのではなく、新訳聖書を書き写しているので、「写聖」とでもいおうか。

 

 「写聖」をするのは、1週間に1回とか2週間に1回とかという、非常にゆるやかなペースではあるが、これをやると私の心が洗われるような、すがすがしい気持ちとなる。

 

 やがてイタリア語版、スペイン語版、フランス語版、ドイツ語版、中国語版も、私の手垢で真っ黒になるまで読み込んでやろうという気持ちになる。

 

 正直、私がロンドン大学神学部で学んだ最大の収穫は、新約聖書に出会えたことだと思っている。別にクリスチャンだとかクリスチャンでないとか関係なしに、非常に価値のある書物だと思うのである。

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2017年9月29日 (金)

男は女に触れないほうがよい

 私がロンドン大学神学部に入学したのは、40代も後半だった。

 私はクリスチャンではなかったが、必須科目に「新約聖書入門」という科目があり、3年連続で履修したため、新約聖書はかなり読んだ。
 ちなみに3年連続で履修した理由は、1年目は試験勉強が間に合わずに試験放棄し、2年目は試験は受けたものの落ちてしまったからで、3年目にようやく合格したのである。
 今では新訳聖書が私の愛読書となっており、暇を見つけては読んでいる。
 もう手垢で真っ黒になっている。
 その中にこういう箇所がある。
男は女に触れない方がよい
未婚者とやもめは、ひとりでいるのがよい
 世間一般では、独身を貫いていると「負け組」とされることが多いが、新約聖書では、独身者こそが神の声がもっともよく聞けるとされている。
 舛添要一氏はあっちこっちで女性を作り、子供もたくさんいるが、そのおかげか、石原元都知事からも揶揄されてしまった。
 菊川怜氏の夫も、婚外子が4人もいるという。婚外子が4人もいたら、その養育費だけでも大変な負担だ。もう、神の声を聞こうなんてことは考えられなくなるのではないか。
 その点、異性と接しない生活をしていれば、心安らかにやりたいことに専念できるという利点がある。
 若い時は、結婚しないことは「負け組」だと思いがちだが、見方を変えれば、「勝ち組」という見方もできなくはない。新約聖書を読めば読むほど、そういう見方になってくる。
 新約聖書には「男は女に触れないほうがよい」とある。
 なるほど、異性に触れなければ、不倫にもならないし、恋愛トラブルにもならないし、ましてや子供もできやしない。恋愛のイザコザから完全に解放されるのだ。
 見方によれば、異性と付き合わないことは「さみしいこと」かもしれないが、神の仕事を持っている人にとっては、異性と付き合うことで生じるイザコザがないことほどありがたいことはない。
 

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2017年9月28日 (木)

語学に王道なし

私が痛感していることに「語学に王道なし」というものがある。

 

他の科目はともかく、外国語の実力を上げるには、本当に地道な努力が必要だと思う。

 

いくら熱意があっても、その熱意をずっと持続して学習に取り組まないことには外国語は上達しないのだ。

 

オードリーの春日氏が番組の企画で東大に挑戦するらしいが、センター試験の英語の模擬試験で200点満点のところ、57点だったという。

 

東大に入るには英語は200点満点で少なくとも170点とか180点くらいは必要なのではないか。他の科目でカバーするにしても、150点を切るようなことがあったら、まず合格は不可能だろう。というのも、2次試験にも英語があるからだ。

 

数か月の間に57点から150点以上にするのは、かなり困難に思える。マークシートで57点ということは、まぐれ当たりを除けば、ほとんど解けていないことになるからだ。

 

田村淳氏の青学一直線については先日触れたが、その後、彼は「英検4級に落ちて以来、英語の勉強を捨てた」という記事を見かけた。

 

青学合格には英検2級レベルの英語力は必要だと思うが、英検3級から英検2級にあげるとしても100日では難しいだろう。なのに英検4級レベルから英検2級にあげるとしたら、もう、ほとんど不可能に近い。

 

厳しいことを言うようだが、私にはそう思えてならない。語学の上達にはコツが必要だが、コツをすでに習得した人ならともかく、まだ習得していない人がやっても、コツを覚えたころに100日が来てしまうのではないかと思う。

 

東国原氏は社会人になって以降、早稲田大学に入学し卒業したが、実は彼は現役のころに早稲田に合格している。事情があって早稲田に行かず、別の私大に入り卒業している。

 

だから、早稲田に入りなおしたときには「学士入学」だったはずだ。学士入学の場合、教養課程の単位はすべて免除になるので、最短2年で卒業できるのである。

 

田村淳氏が、本当に学歴コンプレックスを払拭したいのであれば、ただ単に青学の入試に合格するだけでなく、青学の学位を取ることが最終目的となる。「入試に合格」だけでは大卒にはならないからだ。

 

しかし学位を取得するには、彼は高卒なので、教養課程の単位も取らなければならない。つまり数学とか生物学とか歴史とかも学ばなければならなくなる。しかも、通学課程なら、そのすべての単位を授業を通して取得しなければならなくなる。いや、それだけではない。問題なのは、外国語の授業だ。英語だけでなく第二外国語もあるのだ。

 

彼には政界進出の話もあるが、ハッキリ言って、英語や第二外国語をやったとしても、政界進出に直接に役に立つということはほとんどないのではないか。もちろん教養として外国語を学ぶこと自体は意義のあることだと思うが、政界進出に役立つかと問われれば、疑問符が付く。

 

本気で学位取得を狙うのであれば、私なら、やはり通信教育課程、しかも卒論が必須となっていない大学にするだろう。例えば、日本大学だ。

 

私は断言するが、社会人で仕事を持っている人であっても、大学の通信課程であれば、がんばれば学位は取れる。自分の空いている時間にコツコツと勉強していれば、必ず卒業まで行ける。通学課程という時間に拘束される学習形態より遥かに学位取得に現実味がある。

 

春日氏の東大受験、田村氏の青学受験、今後英語をどう攻略していくのか関心がある。もし彼らが志望大学に合格したら、それは本当にすごいことだと思う。

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2017年9月24日 (日)

田村淳が青学を受ける?

 田村淳が青学を受けるらしい。

 「青学一直線」という動画が配信されるらしい。
 偏差値32の高校から100日の受験勉強で青学に通るかという企画だ。
 3科目で受けるのだろうが、国語は日本人として日本で生きていれば、年を取ればとるほど有利な側面があるといえよう。
 しかし、英語や社会(数学)はどうか。
 年を取ったというだけでは有利には働かない。数学などはむしろ不利な側面もあろう。
 第一、英語をなめてはならない。
 高校卒業後、英語を一切勉強していないのであれば、100日がんばったところで、青学に合格するレベルに到達するのは極めて困難だろう。
 そもそも、青学に合格したからといって、4年間、通学できるのだろうか。
 大学生活とタレント活動を両立させるのは、ほぼ不可能に思える。
 どうしても大学の学位がほしいというのなら、たとえば、日大の通信教育課程で取るという手もある。
 個人的な感想を述べれば、青学出身者の私から言えば、青学合格をそんなに簡単に考えてもらいたくはない。たった100日で青学の英語の合格レベルに到達するのは極めて困難に思える。ましてや多忙を極めるタレントならそれが言える。

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2017年9月21日 (木)

仕事は一体何のためにあるのか

 仕事はいったい何のためにあるのか。

 私は、仕事の本質は、ひと様に喜んでいただくことだと思っている。
 ひと様に喜んでいただいて、その対価としてお金を頂戴する、これが正常な流れだ。
 ボランティア活動なら、その対価すら受け取らないのだから、まさにひと様に喜んでいただくことそのもののためにやっていると言える高貴な活動だと思う。
 ところが、私が見る限り、世のほとんどの人は、お金を稼ぐことが第一の目的になってしまっている。
 
 金は大切だ。
 だが、仕事の本質は、金を稼ぐことではない。
 金の魔力に取りつかれてしまうと、いい仕事などできはしない。
 そもそも、仕事というのは、金を稼ぐ手段としてやるものではないのだ。あくまでひと様に喜んでもらうためにあるのだ。
 

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2017年9月13日 (水)

歯は「磨く」ものか、「洗う」ものか

日本語では「歯を磨く」と言いますよね。

 

イタリア語の作文をしているときに、はて、「歯を磨く」をイタリア語で何といえばいいかと辞書を引いてみると、

 

lavarsi i denti (歯を洗う

 

と出ていました。

 

なるほど、イタリア人にとっては「歯」は「洗う」ものなんだと新たな発見をしました。

 

日本に生まれ、日本語だけで生活していると、「歯を磨く」が当たり前と思ってしまいがちですが、イタリア人の目からすればそうでもないのですね。

 

と思いながら、インターネットで「歯を洗う」で検索してみると、日本でも地方によっては「歯を洗う」という人がいるみたいです。

 

これまた発見。今まで生きてきた人生で、そんな事実、知りませんでした!

 

こうして外国語と格闘をしていると、言葉に対するセンスが磨かれるとおもうんですよ。

 

え? センスが「洗われる」? いやいや、センスは「磨かれる」でしょう(笑)。

 

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2017年9月12日 (火)

中国語検定HSK4級の合否発表

今日は8月12日に受けた「HSK4級」の合格発表の日だった。

 

「HSK」とは、中国政府が行っている世界規模の中国語検定で、1級から始まり、最も難しいのが6級の6段階の検定試験である。

 

私はちょうど1年前、中国語の知識がまったくない状態から完全独学で学習を開始した。知っている単語はせいぜい「ニーハオ」と「シェーシェー」くらいで、それすら漢字でどう書くのか知らなかった。

 

昨年の9月の試験で2級に余裕で合格。(1級は日本人にはあまりにも簡単なので、2級から受けた)。

 

2級は、1か月程度の勉強で合格したが、逆に言えば、日本人なら1か月がんばれば2級合格が狙えるということである。なにしろ、長年、学校で漢字を習っているアドバンテージは大きい。

 

今年の1月の試験で3級に合格。

 

気をよくした私は、今年8月に4級を受けたのだった。

 

6つある等級のうちの4級であるから、それなりに難しい。しかし、私は自分の信念を貫きとおして、絶対に受かってやるという意気込みで勉強していた。

 

HSKは、TOEICと同じように、問題用紙も解答用紙も持ち帰りができないし、正解も発表されていないので、自己採点はできない。なので、合格しているかしていないかは、合格発表の日まで、憶測する以外にない。

 

私は、受けた感触からいって、合格している可能性は40%くらいだと思っていた。

 

HSK4級は、リスニング100点満点、読解100点満点、作文100点満点の、合計300点満点の試験である。それで3つの合計点が180点以上で合格となる。個々の最低基準点はない。

 

リスニングが難しいので、私は、リスニング40点、読解85点、作文65点、合計180点での合格を目指していた。

 

しかし、リスニングの問題が非常に聞き取りにくかったという事情もあり、リスニング30点、読解85点、作文60点、合計175点くらいで、ギリギリ落ちていると思っていた。

 

おそるおそるネットで合否結果をチェックした。

 

すると、驚くことに、合格! ヤッター! 努力が実った~!

 

リスニングが56点、読解95点、作文65点、合計216点で、余裕とまではいかないが、合格基準点の180点をそれなりに上回る点で合格していた。

 

読解の95点は非常に嬉しい

 

2級のときの読解は100点満点、3級のときも100点満点、そして今回4級の読解が95点。

 

2級はA2レベル、3級はB1レベル、4級はB2レベルと言われているので、B2レベルの中国語の文章を読む実力があるというレベルまで達したのかと思うと、素直に嬉しい。

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2017年9月10日 (日)

イタリア語の魅力

私は英語、独語、仏語、伊語、西語、中国語と学んできましたが、一番好きなのはイタリア語です。

 

イタリア語の何が好きなのかというと、その発音。

 

世界の言語の中でもっとも美しい発音はフランス語だという人もいれば、中国語だという人もいます。

 

ですが、私が一番好きなのはイタリア語。これは単に個人的な好みにしかすぎません。

 

イタリア語は男性か、女性か、単数か、複数かによって語尾がコロコロ変わりますが、指示形容詞も、その変化と韻を踏むように変わるのです。

 

Questo cappotto

 

Questa cravatta

 

Questi pantaloni

 

Queste scarpe

 

このように、o、a、i、eとコロコロ変わります。

 

この韻こそ、イタリア語の美しさであり、興味深さです。

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2017年9月 7日 (木)

教養の必要性

 政務活動費の不正利用だの、不倫だの、スキャンダルが毎日のように報道されている。

 こういうニュースを見るたび、私は教養の必要性を感じる。
 とくに、哲学や倫理学、神学といった分野の教養は、「金儲けに直結しない」という点で学ぶ意義を感じない人が多い。
 しかし、人間にとって本当の幸せは何かということをとことん突き詰めて考えたことのある人間であれば、政務活動費を不正利用したり、不倫したりということがいかに馬鹿げたことかはすぐに分かるだろう。
 哲学や倫理学、神学といった学問は、たしかに金儲けに直結しがたい。その分野の大学教授にでもなれば別だが、そうでないかぎり、なかなか金儲けはできない。
 しかし、金儲けが人間の幸せにつながる保証もないということが分かれば、金儲けそのものの意義が疑わしくなる。
 人間は、究極的には幸せを求めている。
 その幸せの正体は一体何かということを考えずに、その場その場で自分の欲望のまま行動していると、幸せとは正反対の方向に進むこともなりかねない。
 そういう意味では、教養を身につけることは、とても重要に思えるのである。

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