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2018年2月

2018年2月27日 (火)

産業翻訳家と翻訳検定

私が産業翻訳家として企業に勤めていたとき、英日翻訳のチェックは京大卒社長が行い、日英翻訳のチェックはオーストラリア人校正者が行っていた。翻訳スタッフが一人で訳文をしあげてそれを商品として出すということはなかった。もしも誤訳があったり、不自然な表現があったら、会社の名に傷がつくからである。

 

京大卒社長のチェックは厳しかった。誤訳が見つかろうものなら、こっぴどく叱られた。社長は椅子に座ったまま叱るのだが、私たちは、社長の机の横に立たされたまま、延々と説教されるのだ。10分ていどで終わればいいが、30分40分と続くこともあった。これはかなり堪える。心身共に疲れる。

 

それに懲りた私は、自分がしあげた訳文をありとあらゆる観点から見直し、誤訳していないか十分に吟味し、日本語として不自然でないか何度も推敲して社長のチェックを受けるようにしたが、それでも毎回毎回叱られた。考えてみれば、英日翻訳など、ケチをつけようと思えば、いくらでもケチはつけられる。誤訳がなくても、「日本語として不自然だ」ともいえるのだから。

 

社長には叱られっぱなしだった私だったが、そんな私でもすでに当時、英検1級1次に合格していたし、翻訳検定の英日翻訳士3級日英翻訳士3級を持っていた。その他、ありとあらゆる英語関連の資格の一番上もしくは二番目の資格を保有していた。

 

「英日翻訳士3級」といえば、レベルが低いと思われがちだが、この試験の3級は「商品としての訳文を一人でしあげることができるレベル」であり、言い換えれば、フリーランスとしても一人でやっていけるレベルである。であるから「3級」といっても英検1級1次よりは難しいと思う。事実、長年の経験のある翻訳家が受けても、3級にすら受からないケースもあった。

 

一方、社長はどうかといえば、京大こそは出てはいるものの、大学卒業後は特に英語の勉強をしていたわけではなく、英語関連の資格はもちろん翻訳検定も受けたことがなかった。

 

しかし、それでいて、私の訳文をチェックし終えてから、自身が「お化粧直し」した訳文を評しては、満面の笑みを浮かべてよくこんなことを言っていた。

 

「これこそが英日翻訳士1級の訳だよ。どうだね、君、それが分かるかね? 君は英日翻訳士3級を持っているらしいが、私が受けたら1級だね。どんなに調子が悪くても2級は行くね」

 

しかし考えてみればわかると思うのだが、「何もない状態から訳文をしあげる作業」と「しあがった訳文をチェックし、いわゆるお化粧直しをする作業」とでは前者のほうが何倍も難しい。社長がやっているのは、いわゆるお化粧直しにすぎないのであって、それは「何もない状態から訳文をしあげる」ことと比べれば、10分の1ていどの労力で済むことである。

 

しかも翻訳検定はかなり難しい。プロの翻訳家でも3級に落ちる人もいるのに、2級はさらに難しく、1級は「合格者は出ない」とまで言われていた。それなのに社長は平気な顔で「私が受けたら1級だね」と笑いながら言うのであった。

 

そんな社長は我々翻訳スタッフに翻訳検定の資格を受けることを強くすすめていた。私はすでに3級をもってはいたが、2級以上を狙えと言われていた。

 

そんなある日、社長は私の訳文をチェックしながらいつものフレーズを口にした。

 

「私も翻訳検定受けてみたいよ。私ならまちがいなく1級だろうね。どんなに調子が悪くても2級だな、私が3級なんてありえない話だよ」

 

それに対して私はこういった。

 

「では、お受けになってはいかがでしょうか?」

 

「いや、私は老眼がひどくてね、小さい字を見ていると、目がしょぼしょぼしてくるんだ。だから実力が発揮できないと思う。拡大コピーでもして、もっと字を大きくしてくれたら、ぜがひでも受けたいんだがなぁ。残念でしかたがないよ」

 

東大大学院出身の翻訳スタッフは社長のこうした発言を聞いて「社長は、受けたい受けたいって言っているけど、受けるわけはないよ。だって、3級にも受からなかったら、大変なことになるじゃない。今まであんな偉そうなことを言っておきながら、3級にも受からなかったら、信頼が一気になくなるじゃない。社長はそれを恐れているのよ、受けるわけないよ」と言っていた。

 

当時私は翻訳検定の主催者の方と懇意にしていたこともあり、「老眼の人で受けたいと言っている人がいるのですが、問題を拡大コピーしてもらうことはできないでしょうか」と尋ねてみたところ、「おやすい御用ですよ」と快い返事をもらった。

 

そんなある日、京大卒社長がまた「私が受けたら1級間違いなしだ。目さえよければ、ぜひとも受けたいんだがなぁ」といつものフレーズを口にしたので、私はこう提案した。

 

「この前、主催者の人に聞いてみたんですが、問題を拡大コピーしてくださるそうですよ。ですから、お受けになってはいかがでしょうか?」

 

すると社長は困ったような表情を浮かべながら、こういった。

 

「おおそうか、じゃあ、受けようかな。よし、じゃあ、次回受けよう」

 

当時、その検定は東京の1会場の1部屋だけで行われており、受験生の数もせいぜい40~50人しかいなかった。私は2級以上の級を狙うために受けに行ったのだが、どこを探しても社長の姿はなかった。

 

それ以降、社長が翻訳検定のことを口にすることは一切なくなったのである。

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2018年2月22日 (木)

最初の翻訳書でいくら入って来たか

出版翻訳の仕事をしていると、よく言われます。

 

「出版翻訳だけで食べていけるの? いけないですよね、いくらなんでも。そんな人聞いたことがないし」

 

「出版翻訳ほどお金にならないものはないってよく言われるけど、実際どうなの? 割に合わないですよね」

 

いやらしい話ではありますが、お金の話は避けては通れないので、ここで最初の翻訳書でいくら入ってきたか、赤裸々にお話ししましょう。

 

出版翻訳の場合、たいていは印税契約になります。つまり、たくさん売れれば売れるほど入ってくるのです。ですから万が一、大ベストセラーにでもなれば、入って来るものも青天井。

 

でも、現実は、そんな話はほとんどありません。昨今では、ほとんどは初版どまりと言われています。

 

では、私の場合、最初の翻訳書でいくら入ってきたのか。

 

印税率は、古き良き時代は8%と相場は決まっていたようですが、出版不況が続き、8%が7%に、7%が6%に、6%が5%に、5%が4%という風に、だんだんとそのしわ寄せが翻訳家にやってきているようです。特に新人翻訳家は、実績も乏しいゆえに、叩かれることが多いようです。

 

といっても、翻訳家と出版社が合意のもとに契約が結ばれるので、嫌なら最初から出版しなければいいのです。

 

しかし、大半の人は、自分の翻訳書が出ることを望んでいる。そういうわけで、出版社の言いなりにならざるを得ないという側面もあります。

 

私の場合、最初の翻訳書は、本当にふってわいたような話だったため、出版社の言いなりでした。とにかく私としては、自分の名前で翻訳書が出るという夢の夢の夢の話。断るわけがありません。

 

条件は最初にこう言われました。

 

「初版は5000部、定価は1200円、印税は5%です。それで良ければウチで出したい」

 

もちろん、断るわけもなく、すぐにOKしました。なにしろ初めての翻訳書です。

 

よく、「一冊売れればいくら入る」という風に印税を計算する人がいますが、実際に売れた部数で計算されるよりも、印刷した部数で計算されることが多いようです。私の場合も、印刷部数での計算でした。

 

私の場合、5000部を印刷しましたので、それをベースに計算されました。その計算式は以下のとおり。

 

5000部×1200円×0.05=30万円。

 

10%の源泉所得税が引かれますので、実際に振り込まれたのは27万円。

 

その後、重版となりましたが、重版部数は1500部。

 

重版も印刷部数で計算された印税をいただけました。

 

1500部×1200円×0.05=9万円。

 

10%の源泉所得税が引かれて、振り込まれたのが81000円。

 

というわけで、最初の翻訳書を出して入ってきたのは、35万1000円だったわけです。

 

約200ページを訳して、それだのお金が入ってきたわけですが、お金よりも、当時の私としては、自分が惚れ込んだ本を自分の手で訳したものが書店に並んだことの方の精神的な喜びのほうが何十倍も大きかったのは言うまでもありません。

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2018年2月20日 (火)

ひょんなことから出版翻訳家になった

「自分の翻訳書が全国の書店に出回るなんて…」

 

20歳のころ、将来、自分が訳した本が書店に出回るのを夢見始めました。

 

でも、それは夢の夢の夢の夢。

 

どうやって出版社にコネをつければいいのかもわからなかったし、そもそも翻訳の実力もなかったのですから、実現するわけはないと思っていました。

 

でも、それは30歳になったときもそうです。27歳から産業翻訳の仕事は始めていたものの、どうやって出版社にコネをつければいいのかが分からない以上、実現するとは思えなかったのです。

 

私は30歳でイギリスに留学しましたが、修士号を取得して帰国したときは32歳になっていました。

 

帰国後すぐに就職が決まると思っていましたが、なかなか就職が決まらず、朝から晩まで何もしない日々が過ぎていました。仕事がない日々を送るのは当時の私としてはとても辛かった。

 

当然、日に日に生活費はかかるもので、やがて貯金は底をつき、借金生活に入ったものの、就職も決まらないまま。

 

ですから毎日毎日やることがないのです。就職活動はしていても、それ以外には毎日毎日やることがない。

 

しかし、何もしないままだとどんどん蟻地獄にはまっていくだけなので、そうならないのためにも夜な夜な、イギリス留学中に読んで面白かった原書を1ページ、また1ぺージ、また1ページと訳し続けました。

 

もちろん訳したからといって、それが翻訳書になるとは思っていません。第一、関心をもってくれる出版社だって見つかってはいません。

 

でも、それ以外に取り立てて何もすることがないので、苦し紛れに夜な夜な翻訳に取り組んでいました。

 

そんなことを繰り返していると、数か月たったころ、50ページ程度、訳し終えていました。

 

帰国後半年たったころ、ようやく英会話講師の職を見つけました。

 

借金は膨れ上がっていましたので、返済するのも一苦労。もう毎日毎日がお金の悩みで地獄の日々でした。結局、借金を返し終えるまで1年かかりました。

 

50ページほど訳した原稿は、ある出版社に郵送していましたが、もちろん、なしのつぶて。

 

それから2年くらい経った頃だったでしょうか。とっくの昔に忘れていたその翻訳原稿が編集者の目に留まったのでした。

 

お電話をいただき、「面白そうだから、ぜひウチで出版したい。残りを大至急訳してもらえないか」と言われました。もちろん、印税も支払ってくれるとのこと。

 

私は残りの150ページを1か月で訳すと、その2週間後には、なんと書店に並んでいたのでした。

 

34歳にして初の翻訳書出版にこぎつけた瞬間でした。ありがたいことに、その本は重版になり、重版印税も入ってくるという僥倖に恵まれました。

20歳のころに夢見ていたことが、ひょんなことから15年近くの歳月を経て、実現したのでした。

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2018年2月18日 (日)

社会人に英語力は必要なのか?

ロンドンブーツの田村淳氏がabematvの「青学一直線」という番組で青学の一般入試に挑戦している。(関心のある人は無料で視聴できるので「abematv」で検索してみるといいと思う)。

 

青学出身の私は興味をもって見ていたが、全学部入試の結果は不合格だったようだ。本人の弁では英語ができなったのが敗因のようである。

 

大学で学問をやりたいというのなら、社会人入試やAO入試、あるいは青学以外の通信制の大学に入学するという手もあったはずなのに、彼は青学の一般入試を受けたのである。青学に合格するには、それなりに英語力がなければならないが、それをあえて一般入試に挑戦したわけである。

 

彼の青学挑戦にはネット上でも様々な賛否両論がある。しかし、ここではそれは論じない。ここでは、はたして社会人にとって英語力は必要なのかを考えてみたいと思う。

 

私は、日本に住む社会人で、かつ、日本国内だけで生活し、(英語力が必要とされない)仕事をし、日頃外国人と接する機会がない人であれば、英語力は必要となることはまずないと思っている。

 

もちろん英語を勉強したければすればいいし、英語を勉強する意義は途方もなく大きいとも思う。しかし本人が興味がないのであれば、英語など勉強しなくてもまったくかまないし、英語ができなくても日本語を通して学問もできるとも思う。

 

本当に大学で学問をしたいのであれば、社会人であれば、通信制の大学という手だってあるのである。というより、仕事をしている社会人が本気で卒業を考える場合、通学課程よりも通信課程のほうが現実的である。通学課程の場合、すべての科目を授業に出席して履修しなければならないし、ゼミも卒論もある。さらにゼミ合宿があるゼミもあるだろうし、通学していると人とのかかわりは避けられない。非常に負担が大きいのである。

 

私は慶應大学文学部、日本大学法学部、日本大学商学部、ロンドン大学哲学部を通信制の課程で学士号を得ている。

 

ロンドン大学の場合は英語力がなければ学位は取れないが、慶應大学や日本大学の場合は、「英語」の科目で単位が取れる程度の英語力さえあれば、学位は取れる。正直に言うが、慶應大学通信課程の「英語」の科目で単位を取るのは、慶應大学に一般入試で入る英語のレベルよりも低いレベルでも可能だ。

 

では、通信制の大学でどんな科目が学べるのか。例えば、日本大学法学部の場合、民法、商法、会社法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、憲法、知的財産法…と法律関係の専門科目が学べる。そして、こういう法律関係の専門科目を学ぶ際に、英語力はまったく必要とされないのである。同じように、慶應大学文学部にしても日本大学商学部にしても、専門科目を学ぶ際に英語力はまったく必要とされない。(ただし、一部の英語関連科目は除く)

 

もちろん大学教授になり、国際的なレベルで学問を究めたいという人であれば、英語力はあったほうがいいだろう。というより、英語力がなければ、ほとんどの分野で最先端の研究はできないだろう。だからそういう意思のある人は英語力が必要となってくる。

 

しかし、そういった学問を究めたいというごく少数の人を除けば、英語力などなくても学問はできるのだ。

 

もっと言えば、大学に入らなくても、独学で学問をすることもできると私は思う。例えば、経営学に興味があれば「経営学検定」を受けるのもいい。経済学に興味があれば「経済学検定」を受けるのもいい。法律に興味があれば「法学検定」や「ビジネス実務法務検定」などの法律関係の資格に挑戦するのもいい。ITに興味があればIT関連資格もたくさんある。外国語に興味があるのなら仏検、独検…とたくさん外国語の検定もある。それらのほとんどすべては英語力がなくても合格できるのである。

 

結論として、日本に住む社会人で、かつ、日本国内だけで生活し、(英語力が必要とされない)仕事をし、日頃外国人と接する機会がない人であれば、英語力は必要となることはない。しかも、(たいていの人にとっては)学問も日本語だけで十分にできる。ただし、英語を学びたい人が英語を学ぶのはいいことだし、実際、英語を学ぶ意義は途方もなく大きいと私は信じている。

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2018年2月15日 (木)

米国一流大学院卒翻訳家解雇事件

これも産業翻訳家時代の怖い怖い話。

 

京大卒社長は学歴を通して人を判断する癖があり、ある日、マサチューセッツ工科大卒ミシガン大学大学院修了の初老の男性を学歴に惚れ込んで採用してしまった。翻訳部のリーダー兼育成係を期待していたようだった。

 

彼はネイティブ並みの英語をしゃべり、翻訳の経験は数十年。自宅で1人で翻訳会社を経営してきた「一匹オオカミ」的存在だった。

 

ところがこの初老の男性、過剰に自分に自信を持ち、他人のことを小ばかにする癖があった。

 

あげればきりがないが、例えば、オーストラリア人校正者が風邪で2日休んだことがあったのだが、その翌日彼が出勤してきたら、その初老の男性は開口一番でそのオーストラリア人にこう言い放った。

 

「You' ve been lazy a couple of days(この数日、会社さぼってたな、お前)」

 

自分ことを「lazy」と言われたオーストラリア人、顔を真っ赤にして、「風を引いていたんだ」と反論。怒っていたのは誰の目に明らかだった。

 

このように、この初老の男性は、他人が不快になることをいちいち口に出すものだから、みんなから好かれるはずはない。口を開けば、自分の自慢か、他人の悪口かのいずれかだった。もちろん、私もさんざんバカにされた。

 

しかし、なんといってもマサチューセッツ工科大卒でありミシガン大学大学院修了である。エリート中のエリート。しかも翻訳会社を経営して何十年である。その学歴・経歴たるや、ピカピカである。

 

そんなある日、大手企業から大量の翻訳の依頼が来たのだが、契約を結ぶ前に日英翻訳のトライアルを課された。トライアルに合格すれば大型契約を結ぶ段取りになっていた。

 

日英翻訳を担当したのは、もちろんこの初老の男性だった。なんどでもいうが、彼は米国一流大学の卒業者であり、長年、翻訳会社を1人できりもりしてきた実績のある人なのである。彼が最も適任者だったのだ。

 

そんなある日だった。この初老の男性が、残業代をちょろまかして請求していることが発覚した。残業代は自己申告なのだが、例えば、午後6時から午後7時まで残業した場合、「1800から1900まで残業」と書いて、残業時間は60分で請求できる。

 

しかし、この初老の男性は、「1800から1900まで残業」でも85分残業をしたことにしたり、「1800から1930まで残業」でも130分残業したことにしていた。こういう風に残業した日のほぼ毎日、20分から30分くらい水増しで請求していたのだ。

 

経理担当から注意を受けていたが、懲りずに、水増し請求は続けていたようだ。こんなあからさまな水増し請求は子供でもしないだろう。それとも米国ではそういう習慣でもあったのだろうか?

 

やがてトライアルの結果がかえってきた。

 

結果は100点満点の40点で不合格だった。もちろん、大型契約は白紙撤回となった。

 

この結果にその初老の男性は怒り爆発。

 

「こんなのは、言語道断だ!」と言い放ち、「40点/100点満点」と書かれた紙に「言語道断」の4文字を大きく書いて、なんとその企業にファックスしてしまったのである。

 

その初老の男性がこういうことをしたおかげで、その大手企業とわが社の縁は完全に切れてしまった。

 

社長は、かねてからその初老の男性が残業代を水増し請求するのを苦々しく思っており、しかも口を開けば他人の悪口しか言わないため、他人に悪影響がおよぶことを懸念していた。

 

そのうえで、トライアルで40点しか取れなかったので、その初老の男性をその時点で見限った。翻訳の実力があれば会社としても必要性を感じるが、肝心の翻訳の実力すら無いことが露呈したのだ。

 

社長はその初老の男性にこう宣告した。

 

「給料は契約期間中は満額おしはらいますので、明日からお越しいただかなくて結構です。自宅待機してください」

 

「自宅待機」とはいっても、実際にはそれ以降その初老の男性に仕事を頼むことは一切なかったのだから、実質的には解雇になったのであった。契約期間がどれくらいかは私は知らないが、きっと1年だったのだろう。会社にとってはとんだお金の無駄使いになったのである。

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2018年2月14日 (水)

オーストラリア人解雇事件

産業翻訳家時代の怖~い話。

 

我が翻訳部は、英日翻訳だけでなく、日英翻訳もやっていたので、英語のネイティブの校正者が常時1人いました。

 

最初の校正者はオーストラリア人男性でした。

 

もともとこのオーストラリア人男性はグループ企業で英会話の講師をしていたのですが、校正の仕事がしたいとの申し出があり、校正者となったのでした。

 

ところが、このオーストラリア人、日本にまったく興味がなく、日本に滞在し始めて5年以上になるというのに、まったく日本語ができないというありさま。

 

それはそうです。もともとこのオーストラリア人は、友人から「日本に行って英会話講師をすれば女性にもてもてになる」というのを聞いて、女性めあてで英会話講師になったような人だったのです。日本に興味があったのではなく、若い女性に興味があったのです。英会話講師時代は、それはそれは頻繁に「英会話を教えてあげる」といっては日本人女性をデートに誘い、青春を謳歌していたようです。そんな武勇伝をよく聞かされたものでした。

 

彼の校正の仕事は、我々翻訳スタッフが日本語から英語に訳したものを、英文として読んだときに自然になるように書き直すというお仕事。ですから日本語ができなくても全然支障がなかったのです。

 

ところがこのオーストラリア人、校正者になって2年もたつのに、一向に日本語を学ぼうとしません。社長はそんな彼にだんだん苛立ちを覚えるようになりました。

 

「力士でも日本語ペラペラだろう? なんでこいつは、翻訳部に勤務していながら2年もたつのに、日本語の一言もしゃべらないのだ? 本当だったら2年もいれば、日英翻訳くらい自分でやると言い出したっていいはずだろう? 怠け者にもほどがあるぞ」

 

社長はことあるごとに、「力士でも日本語がペラペラなのに、こいつは翻訳部にいながら日本語が一言もしゃべれない」というのを繰り返しいうようになりました。

 

彼の契約形態は1年契約で1年ごとに更新という形でしたが、社長は2年で終了にして、延長しないと言い始めました。

 

「もともとこのオーストラリア人を採ったのが大きな間違いだった。こんなのをいつまで置いていても、一生、日本語を学ばないぞ。それなら、ここでクビにして、もっと語学に興味のある人を採った方がいいだろう」

 

社長は通訳の女性を通して彼に「校正者はしばらくは使わないので、もうこれ以上、君の更新はない」と宣告したそうです。

 

これはオーストラリア人にとっては相当のショックだったようです。本人はまじめに働いているのに、なぜ自分がクビになるのかまったく理解できていないようでした。日本語を一切学ばないというのが解雇の理由になっていることなど思いもよらなかったようです。

 

ところがこれで問題が終わればいいのですが、そうはいかなかった。その後、めんどくさいことが起きたのです。

 

社長はすぐさま、新たな校正者を求めるために求人広告を打ちにかかったのです。

 

「あいつはもうじきいなくなる。今度はアメリカ人かイギリス人の一流大学卒を採ろう。だいたいね、世界の大学ランキングを見ても、トップの方は英米がほとんどだろう? オーストラリアなんでいい大学ってあるのか? ないだろう? オーストラリアってのは、もともとは罪人が島流しで連れて行かれていたところだよ。だから、もともとはレベルの低い人間の血が流れているんだよ。彼も、きっとそうだろう。こんだけ怠けものだものな。やっぱりいい人材を採ろうと思えば、英米だな。オーストラリアは外そう」

 

こうして社長が書いた求人広告の内容は、「北米人または英国人の校正者を求む」というものでした。オーストラリア人がはずされていたのです。

 

社長が書いた求人広告の英訳は私が任命されました。本当だったら、東北大出身の男性が英語が一番堪能なのですが、そのときにはすでに社長と犬猿の仲になっていたため、私が英訳する羽目になりました。

 

「君、これは一字一句、正確に英語にしてくれたまえ」

 

20代の私が60歳近い社長の命令に背けるはずはありません。私は一字一句、正確に英語にしました。つまり、「北米人または英国人の校正者を求む」とオーストラリア人をはずした英語にしなければなりませんでした。オーストラリア人を外すことに同意したわけではありませんが、社長に反対すること自体、当時の私には不可能なことでしたしたので、社長の書いたものをそのまま英訳するしかなかったのです。

 

私が英訳したのは事実ですが、私が英訳したものは、一応、東北大出身の男性にも目を通してもらっていました。

 

かくして、その数日後、その求人広告はジャパンタイムズの求人広告欄に掲載されたのでした。

 

運の悪いことに、その求人広告をそのオーストラリア人が目にしたのです。彼は、朝一で私を見るや否や、私に駆け寄ってきて、大声でこう叫びました(もちろん英語でです)。

 

「私は私が辞めさせられることにまったく納得がいってない。だけど、それは会社のほうで都合があるのだろうと思って、文句も言わずに黙って去っていこうと思っていた。しかし、こんなひどい仕打ちをするのはあまりにもひどいじゃないか。オーストラリア人を馬鹿にしているのか?

 これは立派な人種差別だ! これを書いたのはお前だろう? よくもこんなひどいことをやってくれたな! 絶対に許さんぞ!」

 

今にも殴りかかってくるのかと言わんばかりの怒りようでした。

 

私はこう英語で言い返しました。

 

「もともとの原稿は社長が書いたもので、私は英訳をしただけだ。だいたい20代の私に求人広告の内容を決める決定権などない。もちろん私がオーストラリア人を外せといったわけではない。また、私がオーストラリア人を外せとか含めろとか社長に対していえるような立場にない。文句があるのなら私ではなく社長に言ってくれないか」

 

しかし、彼は社長には何も言わず、私に延々と文句を言い続けました。もっとも社長は英語がしゃべれないので、社長に言っても無駄だったでしょうけど。

 

血相を変えて怒鳴り続ける彼を見た社長は、ジェスチャーを交えながら、「もう今日は帰っていい」とオーストラリア人に伝えたのでした。そしてその数時間後には私に彼の家まで電話をかけさせ「明日から来なくてもいい。荷物は宅急便で送ってやる」と伝えさせたのでした。

 

それで済めばいいのですが、これまたやっかいなことに、東北大出身の男性が私にからんできたのです。

 

東北大出身の男性は勤務時間中だというのに私を喫茶店に呼び出し、1対1になったところで私にこう言い出しました。

 

「あの求人広告はまずいよ~。なんでオーストラリア人を外したんだね? 非常識にもほどがあるよ。あのね、私はオーストラリアに住んでいたからわかるんだけどね、オーストラリアにも優秀な人はいっぱいいるよ。なのに、なぜこんな求人広告を出したんだね?」

 

(あの原稿はもともと社長が書いたものです。私がオーストラリア人を外せといったわけではありません。しかも、私は英訳したあとにお見せしましたよね。なんで私がお見せしたときに、オーストラリア人を外すのはまずいって言わなかったんですか?)

 

と、つっぱねてやりたかったのですが、20代の私が50代半ばのこの男性に反発するのはとてもできませんでした。なにしろ彼が石頭であるのはすでに体験済なので反論しても不毛だと知っていたのです。

 

まかり間違えば殺傷事件にでも巻き込まれかねなかったものが、事件にならなかっただけでも良かったと思える、ほろ苦い思い出です。

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2018年2月13日 (火)

学歴と語学力

学歴と語学力について書いてみたいと思います。
 
産業翻訳家時代の社長は京大卒。人を判断するときの最大の基準は学歴でした。もっと正確に言えば、学校歴。
 
翻訳部員を何かの機会に他社の人に紹介する際も、
 
「彼女は東大大学院出ているんですよ。彼女は東外大。彼女は慶應。どうです、ウチの部員、つぶがそろっているでしょう」
 
などと出身大学名で紹介をし、青学卒の私の紹介を省くということをしばしばやられたのでした。
 
では、はたしてみんなは英語の資格はもっていたのでしょうか。
 
答えは、ノーです。
 
京大卒社長は大学を出て以来、特に英語の勉強をしていたわけではなく、英語の資格も持っていませんでした。学生時代に英語が得意だったことが忘れられなかったのか、英語力があると確信しているようでした。
 
東大大学院終了の女性は、大の資格嫌いでした。英検もTOEICも他の英語関連資格も受けたことがないといっていました。口癖のように「あんな反射神経をはかるようなのでは英語の実力は計れない、私はあんなのは受けない」といっていました。
 
慶大卒の女性は入社して1か月も経たないうちに無断欠席を何度も繰り返し、2か月後にはいなくなったので、英語の資格については分かりませんでした。
 
東大外出身の女性は英検準1級を持っていましたが、1級に挑戦したという話は聞いたことがありませんでしたし、TOEICも受けたことがなかったようです。
 
その一方で、私は資格でカバーしようと思っていたので、かたっぱしから英語関連資格を受けていました。英検1級1次合格(2次は不合格)、国際英検1級、旅行業英検1級、TOEIC900、英日翻訳士、日英翻訳士、オックスフォード英検上級などなど。
 
京大卒社長は何かと出身大学名で人を判断する癖があったため、英語の資格をもっていようがもっていまいが、出身大学名で、英語力を評価していました。
 
ある日、無名(というより、その人には悪いですが、かなり偏差値の低い大学)の男性が翻訳者として応募してきたことがありました。英検1級取得者でしたが、社長はこう言いました。
 
「英検1級持っているっていっても、しょせんは●●大だろ? 単なる英語バカだよ。こんな人は大学に遊びに行っているんだから、まともな翻訳などできるわけはない」
 
私は、英検1級1次までしか合格していなかったので、その人には敬意を払ってはいましたが、社長は大学名だけでバッサリ。
 
笑ってしまうのは、外国人の校正者を採用するときも、大学名にこだわっていたことです。
 
「このイギリス人、どこの大学出てるんだ? ●●大? 聞いたことないな。イギリスといえば、オックスフォードかケンブリッジだろ。それ以外はたいしたことないんじゃないのか。どうなんだ?」
 
私は、外国人の校正者の出身大学までこだわる社長を、いくらなんでもちょっと行きすぎじゃないかと思わずにはいられなかったのでした(笑)。

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2018年2月10日 (土)

「自分が絶対に正しい」と思いこんでいる人の話

産業翻訳家時代の話。

 

社長兼翻訳部部長は京大卒。

 

学歴が大好きで、飲み会になると、必ずといっていいほど学歴の話になりました。翻訳部部員は東大大学院修了、東外大卒、慶大卒、私(青学卒)でしたが、東大、京大、東外大、慶大の話を延々とされたものです。私は蚊帳の外。

 

「いや~、京大はなかなか出世しませんなぁ。やっぱり出世といえば東大ですなぁ」

「東外大は考えてみれば不思議な大学だよなぁ。外国語に特化した大学だものなぁ」

「私立はやっぱり慶應だな」

 

そして、新たに人と出会ったときは、必ず、真っ先に「どこの大学?」と聞きます。彼がいうには、出身大学でだいたいその人物のレベルは分かるのだそうです。

 

彼は翻訳そのものはしませんでしたが、翻訳された訳文のチェックはしていました。

 

そんなある日、「they」の使い方で私と社長がやりあうことになりました。

 

theyは「彼らは」という意味もありますが、「それらは」という意味もあります。

 

He is a student.  She is also a student. They are students. といった場合のthey は「彼らは」という意味。

 

This is an apple. This is also an apple. They are apples. といったときの場合のtheyは「それらは」という意味。

 

ところがその社長、「they」は人を指すときにしか使えないと言い始めたのです。

 

This is an apple. This is also an apple. ときたら、次はThese are apples.といわなければならないのであって、They are apples. ということは言えない。theyはあくまで「人」を指すものだと言い張るのです。人以外は指せないというのです。

 

私は「theyは人以外を指していうこともできる、This is an apple. This is also an apple. They are apples.といっても文法的に間違っているわけではない」と言い返しましたが、その社長は一歩も譲らず。

 

「君は何を馬鹿なことを言っているんだ。theyは「彼らは」だろう。theyは人しか指すことしかできないんだよ、そんなことが分からないとは…君はこんな中学生レベルの英語もわからないのかね。本当にがっかりだ。中学生からやり直せ!」

 

延々としかられることとなりました。

 

当時20代の私が60歳近くの社長を説得するのは不可能でした。

 

「自分が思っていることが絶対に正しい」と思い込んでいる人に真っ向から対立しても不毛であるということを学んだ瞬間でもありました(笑)。

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2018年2月 9日 (金)

東大受験

 オードリーの春日が番組の企画で東大を受けることとなり、センター試験に挑んだ。

 センター試験が448点で、足きりとなったらしい。
 これは番組の企画としてやっていたわけであるが、けっして悪い点数ではないと思う。
 私も、今センター試験を受けたとしても、どれだけ取れるか分かりやしない。
 しかし、同氏の場合は、すでに日本大学を卒業しているので、学士入学という手だってあったはずである。
 昔、東大に学士入学できないものかと思って調べたことがあるが、日本の大学を卒業している場合、大学3年生から入る「学士入学」という制度がある。
 東大の場合、英語と第二外国語と専門科目の3科目で学士入学が受けられる。
 もっとも3科目だから簡単というわけではなく、3科目だからこそ、全教科高得点を取らなければ入学は許可されないだろうが…。
 ロンドンブーツの田村淳は青学を受けたらしいが、彼の場合も社会人入試やAO入試ではなく一般入試を受けたようだ。
 青学の場合は、現代文、社会、英語の3科目なので、英語さえそこそこの点が取れれば、一般入試で合格するのも難しいわけではない。
 さあ、結果はどうなるか。青学出身者としては気になるところではある。

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2018年2月 4日 (日)

仮想通貨盗難の被害

私は手を出したことがないから詳しくはないが、今、仮想通貨が大問題になっている。

藤崎マーケット・トキは、貯金のほぼすべてを仮想通貨につぎ込んでいたため、今では貯金がほとんど無くなったという。
仮想通貨そのものは、悪いものではないと思う。世界中どこでも使える通貨であるから為替レートを気にすることなく使える。
ただし、それをシステムとして構築し、世の中に定着させていくには莫大な時間と労力がかかる。定着させようにも10年や20年、いや30年かかるかもしれない。
それを「儲かるから」という投機目的で見てしまうと、今回のようなリスクに気付かなくなる。
もともと仮想通貨は「儲ける」ために存在するのではいからだ。
人間、「金が儲かる」と味をしめれば、はまり込みやすい。しかし、金銭欲におぼれてしまう前に、そもそも仮想通貨とは何で、なぜ自分がやらなければならないのか、ということをトコトン考えていれば、そんなにたくさん買うこともなかったであろう。
例えば、私自身でいえば、海外の人とお金のやり取りをする予定がないから、仮想通貨を買う必要性を感じない。
「投資目的」で買うかといえば、それもやろうとは思わない。投資目的であれば、もっとリスクの低い商品はたくさんあるし、やる必要性を感じないからだ。
今回の事件を知り、つくづく、金銭欲に溺れてしまうと判断を誤ってしまうと思えてならない。

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2018年2月 3日 (土)

天才キッズ

 youtube動画でよく見るのですが、「東大王」とか「頭脳王」とか、ものすごくクイズに強い人がでています。

 ときに、あれは少し問題のヒントになるようなことを事前に教えてもらっているのではないか、とも疑いの目で見たくもなることがありました。
 問題そのものを事前に教えているとなると完全にまずいでしょうが、テレビ番組として成り立たせるための演出であれば、少しくらい問題のヒントになるようなことを事前に教えても、グレーゾーンに入るでしょうね。(もちろん、アウトだという厳しい意見をお持ちの人も多いでしょう)。
 
 そんな風に見ていました。
 しかし、最近、ときに見かけるのが「天才キッズ」が登場する番組。
 考えられない才能を発揮しています。
 こういう天才キッズを見てしまうと、小さいころからクイズに命がけで取り組めば、問題のヒントを教えてもらえなくても、ある程度は答えられるようになるのかなぁという感想に変わってきました。
 才能は人それぞれですし、自分の個性にぴったりあったもので才能を伸ばしていくのが最も理想的だと思います。
 私はここ数年、外国語学習に専念しており、英検1級、独検1級、仏検1級、西検1級、伊検1級、中検1級、HSK6級の「語学7冠」を目指していますが、(私が実際に達成できるか否かは別として)もしも達成できたら、それはそれで、かなり高い山を登ったことになると思います。
 「天才キッズ」の登場によって、クイズ番組で活躍している人たちへの見方もかなり変わってきました。

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