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2018年3月

2018年3月20日 (火)

世界の名門大学の講座が無料で視聴できる

私が英語を学んで本当に良かったと思うのは、今や、インターネット上で世界の名門大学の講座が無料で視聴できることである。

 

もう一度いう。無料だ。完全に無料なのだ。それがcousera だ。

 

興味のある人はリンク先に飛んで行ってみてほしい。

 

https://www.coursera.org/

 

哲学も学んでみたい、経済学も学んでみたい、心理学も学んでみたい、大脳生理学も学んでみたい、言語学も学んでみたい、数学も学んでみたい…。

 

しかも、それを英語で学べるとしたら…

 

しかも、世界の名門大学の講座だったとしたら…。

 

私は、カリフォルニア大学、エジンバラ大学、バージニア大学、エモリー大学などの講座を修了した。すべて無料である。終了証書は有料だが、それは欲しい人だけが購入できるというだけであり、購入する義務はない。だから無料で視聴したい人は無料で視聴できる。

 

言語学の講座の1動画がyoutubeにアップされていたので、どんなものか一つ見て頂ければ分かりやすいと思う。

 

 

 

手前みそになるが、私は中学・高校と英語はずっとトップだった。そんな私に対して、英語が苦手だったある友人はこういった。

 

「英語なんて社会に出たら何の役にも立たない。第一、しゃべれなければまったく役に立たない。僕はそんなものを学ぶ意義などまったく感じない。あまりにもバカバカしいから勉強しないだけだ」

 

しかし、英語ができれば、今、このように世界のトップレベルの大学の講座が無料で視聴できるのだ。留学しなくても、世界トップレベルの学生と同じ内容の講座を視聴できるのだ。

 

couseraは、英語だけでなく、フランス語、ドイツ語、中国語など、世界の多くの言語でも講座があるようだ。

 

実は私は couseraの講座をフランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、中国語でも視聴するのを楽しみにしているのである。

 

外国語ができれば世界が広がる。まさにそれを体感させてくれるのがcouseraだ。

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2018年3月14日 (水)

赤裸々告白;私がTOEICを受けなくなった理由

若かりし頃、私はTOEICを毎回のように受けていた。TOEICの問題集はやることはほとんどなかったが、英語の実力アップを計る物差しとして使っていたのだ。

 

青学大3年のときに初めて受けたときのスコアは520点だった。当時のクラスメートには800点台レベルの人も何人かいたが、彼らは帰国子女ばかりで、純粋に日本だけで勉強していた学生の中では、それほど悪い方ではなかったと思う。

 

そこから私のTOEICのマニアっぷりが始まった。520点の次は655点に大幅アップしたことに大感激し、気をよくした私は独学で英語を学び続け、大学卒業時には685点になっていた。

 

英語とは無縁の職場に就職したが、TOEICは受け続け、やがて710点になり、730点になり、780点になり、820点になり、900点になった。900点に達するまで、なんと15回も受け続けており、26歳になっていた。「留学でもしないと無理だ」と思っていた900点台に乗せることに成功し、私は有頂天になった。

 

今、TOEICで900点といっても、たいしたことがないと思われるかもしれないが、当時の旧TOEICでは960点くらいしか出ないものと思い込んでいた。新TOEICでは990点を取る人はけっこういるみたいだが、旧TOEICでは、どの英語関連の雑誌を見ても、せいぜい950点か960点くらいの人しか見当たらなかった。だから私は「900点の大台に乗ったからもういいか」って思ってしまったのだ。つまり、「大台に乗った」ということで満足してしまったというのがTOEICを受けなくなった理由の一つだ。

 

といえば、カッコがつくが、実は、900点を超える点数を出す自信がないというのが本音である。というのも、私の900点というのは、リスニング495点(満点)、リーディング405点なのだ。これは一見、「リーディングの伸びしろがある」と思われるかもしれないが、逆にいえば、「リスニングは伸びしろはまったくない」のである。いや、もっと正確に言えば、「リスニングは落ちる可能性が極めて高い」のだ。実際、リスニングで1問なり2問なり躓いたら、その後どんなに頑張っても、リスニングの点数は落ちてしまう。そしてリスニングが落ちてしまえば、リーディングで頑張ってもトータルスコアとしてはたいして伸びない。ということで、リスニングにものすごいプレッシャーがかかってしまうのである。

 

実は、900点を出した後、3回くらい受けたことがある。しかし、リスニングで1つミスをすると、もうその時点でモチベーションが下がってしまって調子が滅茶苦茶狂った。そしてその結局、895点とか880点とか865点とか、そういうスコアで終わってしまったのである。これはリスニングでなまじっか満点(495点)を出してしまった苦悩とでもいえよう。

 

「なんだよ! 弱音を吐くなよ! 不撓不屈の精神で990点を狙えよ!」とハッパをかけられるかもしれない。

 

しかし、私がTOEICを受けなくなった理由はもう一つある。それは、TOEICのスコアにこだわるより、もっと大切なものがあるということである。TOEICは優れた試験だと思うし、スコアアップを目指して頑張るのもいいと思う。事実、私は900点達成まで15回もお世話になったのだ。

 

しかし、TOEICは万能な試験ではない。例えば、TOEICで翻訳の実力は計れないし、語彙力だってどれだけ正確に計れるか分かったものではない。会話能力を計る物差しとしても十分ではない。だからこそ、私は別の側面に目を向けるようになったのである。カッコを付けた言い方になるが、TOEICのスコアアップ以外にも重要なことはたくさんあるのだ。

 

ということで、赤裸々告白をまとめれば、

(1)「900点という大台に乗った」ということで満足してしまった

(2)なまじっかリスニングで満点を出してしまったこともあり、もうこれ以上の点数を出すのは難しいと思うようになった

(3)TOIECのスコアアップ以外にも重要なことがたくさんあると思うようになった

という3つの理由が、私がTOEICの受験をやめた理由である。

 

ただそうは言っても、990点とか980点とか970点とか実際にとっている人をうらやましいと思うことがないわけではないというのが本音中の本音でもある。

 

まあ、でも、今の私には仏検1級1次とか伊検1級1次、中検1級1次、西検1級1次、独検1級1次といった別の外国語の目標のほうの重きが大きいのでTOEICは受けないだろうが…。

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2018年3月 8日 (木)

英語・イタリア語ボキャブラリーコンテスト

英語学習者とイタリア語学習者に朗報!

 

2018年4月15日(日曜日)に、東京の月島で「英語ボキャブラリーコンテスト」および「伊語ボキャブラリーコンテスト」が開催されます。

 

キャンペーン中につき、参加費は無料、しかも優勝者にはクオカードの賞品が贈呈されます。

 

語学学習でボキャブラリーを磨くことは大切ですよね。

 

この機会をご自身のボキャブラリーを磨くモチベーションにされてはいかがでしょうか。

 

詳しいことは以下のサイトに記載されています。

 

http://w-sophia.com/news/201837/

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2018年3月 1日 (木)

言葉使いに気を付けよう

翻訳家という職業柄、言葉の使い方には非常にこだわりがある。

 

思えば、世の中の人々の間で繰り広げられる口論も、その多くは誤った言葉使いが原因ではないだろうか。

 

桂春蝶氏が、次のような文をツイッターにあげて大炎上し、テレビでも取り上げられていた。彼の文章は以下の通り。

 

「この国では、どうしたって生きていける。働けないなら生活保護もある。我が貧困を政府にせいにしている暇があるなら、どうかまともな一歩を踏み出してほしい。この国での貧困は絶対的に「自分のせい」なのだ

 

最後の「この国での貧困は絶対的に「自分のせい」なのだ」という表現が読者の反発を買って、ツイッターが大炎上したという。

 

本人はテレビに登場して、このツイッターの文の意味を解説していたが、こんなことを言っていた。

 

「もしも私が「この国での貧困は絶対的に「自分だけのせい」なのだ」と書いていたのなら、すぐに撤回して謝罪していたと思う。私は、この国では、100%社会のせいという貧困や、100%政治のせいという貧困はないと思っているのだ」

 

もしそうなのであれば、最初の最初から、「この国での貧困は絶対的に「自分のせい」なのだ」などと書かないで、「この国では、100%社会のせいという貧困や、100%政治のせいという貧困はないと思っている」と書いておけば大炎上など起きなかったのではないか。

 

どうしても「自分の責任もある」ということを伝えたかったのであれば、「この国での貧困は、その原因の何割かは自分に責任があるように、今の私には思える」とでも書いておくこともできたのではないか。

 

ここで下のAとBを比較をしてみてほしい。

 

(A)「この国での貧困は絶対的に「自分のせい」なのだ

 

(B)、「この国での貧困は、その原因の何割かは自分の責任があるように、今の私には思える」

 

ここで読者の方に検討していただきたいのは、上記AとBとでは、どちらが真実に近いかということである。

 

真実からかけ離れればかけ離れるほど、それはその発言者の「偏見」ということになろう。そして、その「偏見」の度合いが大きければ大きいほど反発は出てくると思う。

 

言葉使いに気を付けるようにすれば、口論の多くはもともと起こらずに済むもののように私には思えるのである。

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