7月5日(日)に「オーストリア政府公認ドイツ語検定(B1)」を初受験した。
感想を一言で言えば、問題自体は「ドイツ語検定2級」よりもはるかに難しく感じた。特に、私自身の得点源だと思っていたリスニングはチンプンカンプンという感じだった。
この試験は等級が6つあり、日本では上の5つの等級が受験できるようだ。私が受けたのは上から4つ目の等級であるB1レベルだが、B1レベルであっても合格すれば、ドイツの一部の音楽大学などでは入学許可レベルなのだから、簡単ではない。
試験は神奈川県のたまプラーザにある國學院大學のキャンパスであった。「ドイツ語検定」と比べると認知度が低いためか、私の等級の東京の受験生は私を含めて6名であった。
まずは90分の筆記試験があったが、得意であるはずの読解でいきなり躓いた。「ドイツ語検定2級」では読解問題はほぼ満点のできだったので、すこし油断していたのかもしれないが、それにしても難しかった。読解でつまづいた挙げ句に文法ではさらに躓いた。この時点で、今回の合格はほぼ不可能に近いのではないかという思いが出てきた。しかし、せっかく高い受験料を払って受けているのだから、途中で諦めるのはよくない。そう思って奮闘した。
5分の休憩を挟んで、リスニングに入った。「ドイツ語検定2級」のリスニングではほぼ満点だったので、リスニングは得意だと思っていたのだが、やはり本場オーストリアの試験はレベルが違う。もう、まったくわけの分からないことを延々としゃべりまくっており、途中で聞く気が失せてしまうほどだった。ただし、すべて○×問題なので、まったく当てずっぽうで回答しても確率から言えば、5割は正解になるのだ。そういう事情を考慮すれば、そうとう難しい問題にせざるを得ないのかもしれない。
リスニングが終わると、15分の休憩を挟んで、作文の試験に入った。これは通信添削講座があるので、受験する人は、事前に受けておいたほうがいいだろう。お金はかかってしまうが、いきなり作文の問題をやれといわれても、ドイツ語作文に慣れていなければ、なかなかドイツ語で書けるものではないからだ。私はどれくらいの点数がもらえたか全く分からないが、とにかく書いたことは書いた。これも添削講座を受講していたおかげである。
リスニングが終わると、後は個別に面接試験に入った。私の場合は、待ち時間が約1時間あり、ずっと待合室で待機することになった。日本語がまったく使えず、ドイツ語だけの面接となると、普通の人なら、ドキドキするだろうが、ありとあらゆる試験を受けてきた私は特に焦ることもなければ、ドキドキもしなかった。今までありとあらゆる修羅場を経験しているので、ドイツ語で会話をせよ、と言われたくらいではビクともしないのだ。
面接試験の部屋に呼ばれると、2人の中年女性が座って待っていた。2人ともオーストラリア人だ。私はイギリス留学中に多くのドイツ人やオーストリア人と話したことがあるが、彼らとは英語で話したのであって、ドイツ語で話したことは一度もない。だが、もうどうにでもなれ、という感じで、私は好き勝手なことを好き勝手にドイツ語でどんどんしゃべりはじめた。
ただし、途中でいろいろと質問されると、やはり、言葉につまってしまった。「ドイツ語は何年勉強してきたのか?」という質問に対し、「大学時代2年間勉強しました」と答えると、「ドイツ語が専攻だったのか?」と聞かれた。「いいえ、私の専攻は経済学と言語学と工学と哲学でした」と答えると、怪訝そうな顔をされ、「そんなに沢山、専攻したの?」と聞かれて困った。そうだ、私はたしかに4つの大学を出て4つも専攻があったが、そんなに沢山の大学を出ている人など想定していなかったのだろう。あるいは、「専攻」の意味が分かっていなかったのかと思われたかもしれない。余計なことは言わずに「専攻は哲学です」とだけ言ってすませておけば良かったのだが、後の祭りだ。しかも、私は「経済学(Wirtshaftswissenschaften)」のことを「経済(Okonomie)」と言い間違えて言ったので、それも減点の対象となるだろう。
その他、ドイツ語の単語が出てこないときは、適当に英語で答えたりしていたら、面接官は苦笑いをして、「ドイツ語でいう○○のことですね」と訂正されたりした。もう、なんだか必死にやりとりしたのだが、私としては生まれて初めてオーストリア人とドイツ語で会話をしたわけであるから、いい経験をさせてもらったと思っている。こういう試験でも受けない限り、一生涯、私はオーストリア人とドイツ語で会話をするということもなかったかもしれないからだ。
合格の自信はない。得点源だと思っていた読解とリスニングがあのていたらくでは、まず合格していないだろう。ただ、合格に向けて頑張ってきたことは無駄になっていないと思う。私の友人に、「試験というものは合格がすべてだ。合格しなければ何の意味もない」という人がいるが、私にとっては今回、こうして必死に勉強して受験したことは、合否にかかわらず意味があったと思っている。なぜなら、私はこうして勉強したおかげでカントの作品も深く読めるようになったし、グリム兄弟の『グリム童話』も愉しめるようになったからである。また、喩え15分間という短い間であっても、オーストリア人とドイツ語で会話をしたことは私の人生に彩りを与えてくれ、いい意味で刺激になった。
仮に不合格であったとしても、私はいずれまた再挑戦したいと思っているし、「ドイツ語検定準1級」も秋に初挑戦するときの土台がこれでできたとも思っている。
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