私が慶應通信を3年間で卒業できたわけ
私は慶應義塾大学の通信教育課程を3年間で卒業したのであるが、これは最も早いほうである。しかも、3年で卒業する人は、年にせいぜい4~5人くらいしかいない。実際、今年の統計でも「3年半以内」に卒業した人は私を含めて12人だった。
では、なぜ、私は3年間で卒業できたのか? それは簡単なことなのか?
答えはノーである。今年の統計では卒業生が卒業にかけた平均年数は10.6年である。3年で卒業しようと思えば、本当に年柄年中勉強していないと無理だ。極端な話、クリスマスも大晦日も正月もゴールデンウィークも、ずっと勉強するくらいでなければ3年での卒業は無理だろう。
慶應大学の通信課程で勉強している学生でもブログをつけている学生が多くいるが、5年、6年と勉強を続けて来た人が、急にブログを更新しなくなって1年近く放置されたままになっていたり、10年以上続けているのに、いまだに取得単位が卒業要件の半分にも満たない人もいる。いかに単位を積み重ねていくことが大変かが分かるだろう。
では、私を燃え立たせていたものは何か?
ここで正直に告白しよう。それは7割は劣等感だったのだ。
もちろん、学問への憧憬はあった。学問をしていて楽しいと思うこともあった。そしてなによりも学問をして良かったと思っている。学問の価値も分かった。
しかし、ただ単に「学問がしたかったから」という理由で、3年で卒業できたのではない。それはせいぜい3割程度のモチベーションにしかなっていない。
やはり、私は「なにが何でも慶應大学を卒業してみせる! もう、これで他人から学歴で小馬鹿にされることもなくしてやる!」という燃えたぎるような劣等感が大きなモチベーションになっていたのである。
実際、「学問がしたい」という、ただそれだけの理由で、3年で卒業できるだろうか。卒業要件単位をすべて取るには、ものすごく沢山の科目を取らなければならないのである。中にはまったく不得意な科目もある。歴史哲学、科学哲学、論理学、フランス文学、イギリス文学、教育学、教育思想史…。そう、ただ単に「学問がしたい」というだけでは、なかなか、ぽんぽんと単位は取れないのだ。
私は、人間というのは複雑な動物で、何かをするにしても、多くの動機がごちゃまぜに混ざって行動していると思っている。「100%学問が好きだから」という奇特な人などほとんどいないだろう。多くは、「慶應大学卒業という肩書きが欲しい」というエサにかられて入学したのだろう。だが、それはそれでいいと思うのだ。というより、私自身も7割はそれが目的だったのだ。
ブログの更新がストップしている学生のブログに1つ、2つ、3つ…と遭遇するたび、つくづく、「3年で駆け抜けて良かった」と思う。
そう、動機は何でもいい。学歴コンプレックスならそれでもいいではないか。何も100%純粋に学問がしたいからという理由だけで学問をやらなければならないという法律などないのだ。最終的に学問によって自分を磨き、その知識を世のため人のために使えるようになればいいのだ。だから、それまでは辛抱、辛抱で頑張ることである。
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