慶應義塾大学

2009年7月24日 (金)

私が慶應通信を3年間で卒業できたわけ

 私は慶應義塾大学の通信教育課程を3年間で卒業したのであるが、これは最も早いほうである。しかも、3年で卒業する人は、年にせいぜい4~5人くらいしかいない。実際、今年の統計でも「3年半以内」に卒業した人は私を含めて12人だった。

 では、なぜ、私は3年間で卒業できたのか? それは簡単なことなのか?

 答えはノーである。今年の統計では卒業生が卒業にかけた平均年数は10.6年である。3年で卒業しようと思えば、本当に年柄年中勉強していないと無理だ。極端な話、クリスマスも大晦日も正月もゴールデンウィークも、ずっと勉強するくらいでなければ3年での卒業は無理だろう。

 慶應大学の通信課程で勉強している学生でもブログをつけている学生が多くいるが、5年、6年と勉強を続けて来た人が、急にブログを更新しなくなって1年近く放置されたままになっていたり、10年以上続けているのに、いまだに取得単位が卒業要件の半分にも満たない人もいる。いかに単位を積み重ねていくことが大変かが分かるだろう。

 では、私を燃え立たせていたものは何か?

 ここで正直に告白しよう。それは7割は劣等感だったのだ。

 もちろん、学問への憧憬はあった。学問をしていて楽しいと思うこともあった。そしてなによりも学問をして良かったと思っている。学問の価値も分かった。

 しかし、ただ単に「学問がしたかったから」という理由で、3年で卒業できたのではない。それはせいぜい3割程度のモチベーションにしかなっていない。

 やはり、私は「なにが何でも慶應大学を卒業してみせる! もう、これで他人から学歴で小馬鹿にされることもなくしてやる!」という燃えたぎるような劣等感が大きなモチベーションになっていたのである。

 実際、「学問がしたい」という、ただそれだけの理由で、3年で卒業できるだろうか。卒業要件単位をすべて取るには、ものすごく沢山の科目を取らなければならないのである。中にはまったく不得意な科目もある。歴史哲学、科学哲学、論理学、フランス文学、イギリス文学、教育学、教育思想史…。そう、ただ単に「学問がしたい」というだけでは、なかなか、ぽんぽんと単位は取れないのだ。

 私は、人間というのは複雑な動物で、何かをするにしても、多くの動機がごちゃまぜに混ざって行動していると思っている。「100%学問が好きだから」という奇特な人などほとんどいないだろう。多くは、「慶應大学卒業という肩書きが欲しい」というエサにかられて入学したのだろう。だが、それはそれでいいと思うのだ。というより、私自身も7割はそれが目的だったのだ。

 ブログの更新がストップしている学生のブログに1つ、2つ、3つ…と遭遇するたび、つくづく、「3年で駆け抜けて良かった」と思う。

 そう、動機は何でもいい。学歴コンプレックスならそれでもいいではないか。何も100%純粋に学問がしたいからという理由だけで学問をやらなければならないという法律などないのだ。最終的に学問によって自分を磨き、その知識を世のため人のために使えるようになればいいのだ。だから、それまでは辛抱、辛抱で頑張ることである。 

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2009年3月24日 (火)

慶應義塾大学卒業式

 3月23日は、慶應義塾大学の卒業式であった。

 卒業式は日吉キャンパスにて全学部一斉に行われる。朝9時30分集合で、卒業式、学位記授与式、記念写真撮影、祝賀会と延々と続く。

 朝9時頃、日吉駅を降りると、人混みで道がふさがっている状態であった。袴姿の女子学生がたくさんいて、そういう光景を見ると、いかにも卒業式らしい。

 私は見た目はまだ若くは見られるが、見られても30代であり、どう見ても22~23才ではない。ややもすると、父兄と間違われるくらいでもある。

 これで私は4つの大学を卒業したことになるのだが、4大学のうち、一番長い卒業式であった。なんだかんだで卒業式が2時間ちょっと、学位記授与式が2時間くらい。その間、食事休憩もなにもなく、延々と続いた。それから祝賀会というものがある。

 たしか青学とシェフィールド大学のときは、祝賀会はなかったように思う。学位記を手渡したらそれで終わり、シェフィールド大学のときは、その日に個人の写真撮影をしたように覚えている。金沢工業大学大学院のときは、祝賀会があったが、卒業式自体がとても短かった。

 慶應の場合は、朝から夕方までずっとという感じである。

 実はこの卒業式の日までは、「卒業予定者」であり、「卒業者」ではないのである。だから、「卒業証明書」も発行されず、「慶應カード」の申込みもできないのである。

 だが、これで晴れて「卒業者」となり、「卒業証明書」を出してもらえることになったのである。

 さて、私の学問はこれからが本番である

 慶應大学文学部はいわば助走段階であったのだ。4月からはまた新たな気持ちで学問に打ち込みたいと思っている。

 (また、明日から、「節約」について書きます。)

 

 

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2008年8月31日 (日)

大学を出て何が残るのか?

 ある学生から相談を受けた。彼は、今、大学に入って2年目であるが、単位取得が思うように進まないらしい。このまま大学を続けるか中退するか悩んでいるという。彼はいう。

「このまま頑張って卒業したとしても、それで何が残るのかなと思うようになった。結局、何にもならないんじゃないかなという不安が増してきた。勉強を続ける意味はあるのでしょうか?」

 一生懸命勉強したことが、いつ、どこで、どう役に立つのかは、勉強している最中には分からないものである。他人から見て、「なんでこの人、こんなこと必死になって勉強しているの? お金儲けに直接つながるの? 何のたしにもならないんじゃないの」というようなことでも一生懸命勉強していれば、それが10年後20年後に大きな差となって現れるかもしれない。もちろん、現れないかもしれないが、偉大なことを成し遂げている人の多くは、何らかの基盤を自ら築いているものだ。

 私は、勉強は一生続けるつもりである。

 勉強は、より善い人間になるためには、不可欠なものだと信じているからである。

 他人がどうこう言おうが関係はない。

 「勉強したところで何が残るの?」という疑問など生じることなどないのだ。 

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2008年8月23日 (土)

残るは卒論だけ

 7月試験の結果が返ってきた。11単位取得し、とうとう残りは卒論だけとなった。ここまで来るのにかなり大変であったが、我ながら、良く勉強したと思う。

 卒論はすでに草稿は書いており、これを仕上げて、11月末に提出することになっている。

 来年3月には、慶應大学から学士号(哲学)を取得する予定である。慶應大学から無事学位が取得できれば、5つ目の学位となる。

 ただ私は、それで満足はしない。まだまだ学問は続けていくつもりである。

 学問は自分一人でも続けていける。だが、自分一人だとどうしてもだらけがちになるので、学位を目指そうと思う。

 

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2008年8月10日 (日)

日吉キャンパスのカフェテリア

  私が昔通っていた青山学院大学では、厚木キャンパスも渋谷キャンパスも学食のメニューは同じだったように記憶している。同大学の学食は、おいしいということでマスコミでもけっこう有名で、実際、私は在学中、学食以外で昼食を取った記憶がない。学食は割と遅くまで営業していたので、夕食までそこで食べて帰ることもたまにあった。

 サービスランチ、スペシャルランチ、キャンパスランチ、ビーフシチュー…。厚木キャンパスと渋谷キャンパスで名前も内容も同じということは、きっと同じ業者がやっていたからだろう。卒業後、何度か渋谷キャンパスに行く機会があったが、やはり、だいたいは同じメニューが並んでおり、学生時代を思い出しながら、サービスランチを食べて帰っていた。

 一方、慶應大学の場合だが、三田キャンパスと日吉キャンパスでは、同じ学食といっても内容はかなり違う。入っている業者が違うのだから、当然といえば当然だろう。その中でも私のお気に入りは、日吉キャンパスのカフェテリアである。

 これは、好きなものを好きなだけ盛って、グラム単位で測ってくれるのだが、いろいろな料理を食べられるというだけでなく、それぞれの料理が実においしいのである。例えば、次のような芸当だって、だれに遠慮することなく、できるのだ。

 しゅうまい2個、春巻き1個、餃子1個、ハンバーグ1個、カレーピラフ少々、エビピラフ少々、スパゲティー少々、卵焼き1切れ、やきそば少々。サラダにキャベツ少々、レタス少々、プチトマト2個、コーン少々。

 わずか1食で、こんなにたくさんの種類の料理が食べられるのは実に楽しい。しかも、値段もリーズナブルである。普通に盛れば400円台ですむし、お腹がすいてるときにけっこう大盛りで盛っても600円台ですむのだ。

  日吉キャンパスに行く機会があるときは、まず、たいていの場合はこのカフェテリアに行く。実は、日吉に行くときの私の密かな楽しみなのである。

  

 

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