エッセイ

2008年11月 8日 (土)

ホームページを充実させようと思えば

 日本では2004年が「ブログ元年」と呼ばれているが、その後の4年間で、ブログの人口が急増しているらしい。なにしろ、日本全国で1000万人もいるというから驚きだ。

 なぜ、そんなに急成長したかといえば、ホームページと比べて、作成が簡単だからだ。

 というより、ブログなんて、知っている人に作ってもらったら、本人は技術的なことは何も知らなくても、作れてしまうのだ。いや、あれは「作る」というより、「設定する」ていどのことでしかない。簡単の最上級だ。

 しかし、思うのだが、いったん簡単にブログを作ってしまうと、もうホームページ作成という面倒なことはできないのではないだろうか

 「ホームページを作ってからブログを作る」という人はこれからもたくさん出てくるだろうが、「ブログを作ってからホームページを作る」という人はなかなか出てこないと思う。それくらいブログの簡単さを知ってしまうと、ホームページをまじめに勉強しようと思わなくなると思う。

 ホームページ作成も、一昔前は、オーサリングツールもなく、作成するのが非常に困難だった。言ってしまえば、命がけで取り組まなければならなかった。何しろ、HTMLを学ばなければならず、それもほんの少しのエラーがあっても表示がおかしくなるのだから。

 オーサリングツールが充実してからは、比較的作りやすくはなった。ただ、それにしても、ブログの何倍も難しいのは言うまでもないことだ。CGIなどは、設定できる人など、ごく少数の人に限られてしまうだろう。私だって、何度も何度も苦労して、覚えたのだ。

 ただ、ブログを開設し、ITに興味を覚え、将来的にはホームページを作ってみたいと思っているあなたであれば、とにかくITの勉強をコツコツとやったほうがいい

 例えば、「ドットコムマスター★」という資格があるが、ホームページを作ろうと思っている人であれば、最低限この資格は必要だろう。そのためには『.com Master 公式テキスト (2008 ★) 』で勉強するといい。また、将来は自分のホームページでお金儲けもしてみたいという人であれば「ドットコムマスター★★」を目指したほうがいいだろう。

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2008年10月18日 (土)

出版不況と印税の関係、および、IT社会の到来

 書籍や雑誌の総売上がここ10年間の間に20%も減ったという記事を読んだ。

 自分自身、10年前と今では、書籍や雑誌を買うことが少なくなった。特に雑誌に関しては、インターネットをやり始めてからはほとんど買うこともなくなった。

 10年で20%も収入減になっていては、出版業界も大変であろう。

 しかし、もっと大変なのは、文筆家である。

 なぜなら、一番削られるのは文筆家の印税だからだ(あくまで私の見る限りにおいてだが)。

  出版社も大変かも知れないが、編集者の給料が年々下がる一方だということはないのではないか。だが、翻訳家の「給料」ともいえる印税はどんどん削られているのである。

 実際、私が翻訳家デビューしたころというのは、訳者の印税は8%のところが多かった。

 初版も重版も8%。しかも、刷り部数で計算してくれた。つまり、8000部刷ったら、8000部×定価×8%だったのである。

 それだけではない。一冊の仕事を終えたら、料亭に連れて行って貰ったり、昼食に5000円はするだろうと思われる食事に誘って貰ったり…。そういうことが、たまにではあれ、あったのだ。まだ出版社も余裕があったのである。

 しかし、数年前から、印税が軒並み削られるようになった。

 8%だった出版社も7%になり、やがて6%になった。ときたま、5%でやってくれないかという相談も受けることがある。ひどい場合は、2%でお願いできないかといわれたことすらある。もちろん、その場で断ったが。

 今では、翻訳者の印税は6%がスタンダードではないだろうか。しかも、重版からは刷り部数での計算ではなく、実売部数での計算。つまり、売れた分だけ払ってあげますよ、ということだ。初版も重版も刷り部数で8%だった一昔前と比べると大違いだ。

 翻訳者の立場を尊重して8%を守り続けている出版社もあるかもしれないが、私の見る限り、できるだけ訳者印税を低くしようというスタンスの出版社のほうが多い。つまり、出版不況のあおりを一番もろに受けているのは文筆家・翻訳家だったりするのだ。

 実は、こうなることはすでに何年も前から見抜いていた。インターネットが普及するのは目に見えているのだから、出版業界が徐々に衰退していくことは明らかである。だから、私はITを学ぼうと思って工業大学に入学したわけである。

 ここで私が言いたいことは、出版業界に携わる人(出版社であれ、文筆家であれ)は、ITの威力を甘く見てはならないということである。いや、これは出版業界だけではない。あらゆる業界の人でも、ITの影響を考えておくべきだろう。

  今後はますます、社会の中にインターネットが浸透していく。その流れに乗り遅れてはならない。社会の大きな流れは、個人の力で食い止めることは不可能である。だから、社会の大きな流れの中で、自分を一番発揮できる道を探していかなければならないのである

 私は、友人にも、「ITの実力を磨いておけ」と口をすっぱくして言っているのだが、「そんなこと勉強して何になるの?」と言うだけである。何度でもいうが、後で「勉強しておけば良かった」と後悔しても、もう遅すぎるのだ。これから先、一生涯、ITとは縁を切れないことは容易に想像できることなのだから、本腰を入れて勉強すべきなのだ。

 もう一度言う。世の中は激変しているのだ。そして、それについて行くには少なくともある程度のITの力はいるのだ。だから、例えば『ドットコムマスター★』、『P検準2級』、『WEB検定リテラシー』、『CIWファンデーション』などの資格を自ら受験するくらいでなければならない。「そんなことしてお金儲けに直結するの?」などと眠たいことを言っていては、置いてけぼりになるのだ。

  私自身は、近いうちに『WEB検定Webデザイナー』に挑戦しようと思っている。どんな結果がでようが、このブログで公表しようと思っている。

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2008年8月21日 (木)

勇気が挫けない方法

 私の好きな言葉の一つに「七転八起」というのがある。

 私は、どんな分野においてもこの「七転八起」の精神こそが成功の秘訣だと思っている。

 「七転八起」を英語に訳すとなると、少し難しいのだが、意味をくみ取って、Unbelievable Level Of Persistenceと訳しておいた。これをさらに日本語に直訳すれば「信じられないレベルのねばり強さ」といったところであろうか。

  高い能力があっても、ねばり強さがなければ、成功はおぼつかない。逆に、能力は人並みであっても、ねばり強さえあれば、成功する可能性はグンと高まる。つまり、成功するか否かは、能力が高いか低いかよりも、ねばり強さがあるかないかで決まるわけである。

 いわゆる成功者と呼ばれる人たちは、みな同様に「信じられないレベルのねばり強さ」を持っているのであり、だからこそ成功者になれているのだ。「ねばり強さ」のレベルが高ければ高いほど、大きな成功を手にすることができるのだ。

 では、この「信じられないレベルのねばり強さ」を持つにはどうすればいいのか。

 方法は、自分の能力を過小評価しないことである。言い換えれば、「期待通りの結果がでないこと」を「自分の能力」と結びつけて考えないことである。

 期待通りの結果がなかなか出ないとき、多くの人は「私はいくらやってもダメなんだ。私には能力がないんだ」と思って諦めてしまう。しかし、そう思った瞬間、勇気が挫けて、次からやろうとしなくなる。だが、そんなことでは成功することはできない。

 だから、勇気が挫けそうになったとき、こう考えてみるのだ。

「たしかに、今までは期待通りの結果は出ていない。しかし、それは私に能力がないからではなく、まだ結果が出るだけのことをしていないだけの話だ。私だって、努力し続ければ、期待通りの結果はでるはずだ」

 そう信じて頑張っていれば、早晩、それなりの結果になって現れるはずなのだ。

 「期待通りの結果が出ないこと」=「自分に能力が足りない」と思いこむと、もはや、ねばろうという気持ちが消える。しかし、「期待通りの結果が出ないこと」=「単なる準備不足にすぎない」と思えば、次回はもっと頑張ろうという勇気が持続できる。

 もう一度言う。期待通りの結果が出なかったとき、それを「自分はいくらやってもダメなんだ」などと自分の能力と結びつけて考えないことだ。世の中のほとんどすべてのことは、がんばればそれなりの結果は出せるはずなのだ。 

 

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2008年8月14日 (木)

何事も極めるまでには一進一退

 実は、けさ、このブログの管理画面にて、学問についてのエッセイを書いて「下書き」状態で保存しておいたはずなのだが、夜に自宅に戻って確認してみると、「下書き」が保存されていない。

 どこをどう探してもないのだ。

 ブログは簡単だ簡単だという人は非常に多いし、実際、慣れれば簡単だとは思うのだが、「下書き」保存したはずのものが無くなっているというのは、残念無念だ。たったそれだけのことで、やる気が失せてしまった。

 そこで、けさ、学問について何を書いたのか、正確に思い出せないので、今思ったことを徒然なるままに綴ることにする。

 今思ったことは、何事も極めるまでは困難が伴うし、しかも、直線的に力が付いていくのではなく、一進一退を続けながら、まるで螺旋を描くように実力が上がっていく、ということだ。だから、後退したとき、腐ってはならない、ということだ。

 ブログ一つとってもそうなのだ。調子よく、いろいろな機能を覚えたかと思うと、今日のように、せっかく書いたエッセイの「下書き」の行方が分からずにイライラしてしまうこともある。

 問題は、後退してしまったときに、どう対処するかだ。意気消沈して努力を放棄してしまったら、もうそこで終わりだ。しかし、腐らずに再度立ち向かえば、希望がある。

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2008年8月12日 (火)

自宅に戻ってみると…

 実家で年老いた母と2人暮らしをしていたときの話である。

 あたりも真っ暗になった夜中、自宅にいるはずの母に電話をかけても出てこない。不審に思いながらも自宅に戻り、裏口から入ろうとすると、中に見知らぬ中年男性の姿が見えた。しかし、どう見ても怒り狂っている様子である。まずいことに、一瞬、彼と目があってしまった。すると、彼は何も言わずにジロっとにらみつけてくるではないか。強盗が押し入ったのか!?

 急いで玄関口に回ってみると、驚くことに、そこには、7~8人の男女がいる。しかも、不穏な雰囲気である。私の足音に気づいた彼らは一斉に私をにらみつけた。その光景を目にした私は、恐怖でおののき、そこに立ちすくんでしまった。

(母はどこにいるのだろうか。まさか、この人たち、母に何かやったのではないだろうか)

 不安に駆られながらも、私は思いきって、彼らにこう話しかけた。

「母はどこにいますか? あなたたちは、なぜここにいるのですか?」

 すると、中年男性がこう大声を張り上げてきた。

「お前の吐いた唾が俺にかかったんだよ。どうしてくれるんだよ。落とし前つけてもらおうじゃないか」

「唾? それなら、それで、外ででも話し合うことはできたはずです。何も勝手に私の家に入り込まなくてもいいでしょう? しかもこんなに大勢で押しかけてきて。そんなことより、私の母はどこなんですか?」

 すると、後ろのほうにいた若い女性が金切り声を上げた。

「ガタガタ言っているんじゃないよ。落とし前つけろってんだよ。お前が悪いんだろ」

 私は、なぜかここで勇気が出てきて、大声でこう怒鳴った。

「何を理不尽なことを言っているんだ! いいか、お前ら、今日あったことをありのまま書いて、後世の人たちに『こんなことがあったんだよ』って伝えてやるぞ! お前らの住居不法侵入の行為は、すべて後世の人たちに伝わるのだぞ、それでもいいのか!」

 すると驚くことに、彼らは皆、

「ひや~、それだけはやめてくれ~。俺たちのことは書かないでくれ~」

 と言いながら、まるで風船から空気が抜けていくかのように、みるみるうちに小さくなり、最後には消滅してしまったのである。

 そのとき、奥の方から、「助けてくれてありがとう」と言いながら、母が出て来たのだった。

 これは昨夜見た真夏の夜の悪夢である。母を助けることができて良かったのだが、あまりの恐怖で目が覚めてしまった。

 みなさん、暑さで寝苦しい夜が続きますが、変な夢を見ることはありませんか?

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