私が慶應大学で哲学の勉強をしていたとき、まわりの人から、
「そんなもの、勉強して何かの役にたつの? お金儲けにつながるの?」
ということを聞かれたことがある。彼らは、あたかも、「直接お金儲けにつながらないことに努力するのは馬鹿らしい」と言わんばかりなのである。
しかし、私はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』で人間の幸福というものをしっかりと学んでから、投資の考え方もガラリと変わったと思うし、だから、投資に欲を出さずにすんでいると思うのだ。お金に振り回されず、つねに「真の目標」を見据えていられるのだ。
多くの人は、「金持ちになりたい」とか「不労所得を得たい」という理由だけで、投資を考えるだろう?
それが幸せにつながると思っているからだろう。
しかし、それで本当に幸せになれるのか?
もちろん、お金がないよりは、あったほうが何倍もいいだろう。しかし、お金は幸せの根源にはなりえないのだ。アリストテレスに言わせれば、お金はあくまで「仮象の目標」であって、「真の目標」ではないことが分かる。だから、そんなにお金、お金、お金…とお金を人生の第一目標にすることがいかに愚かなことかが分かるのである。
では、「真の目標」とは何か?
それはやはり、「自分にしかできないことで世のため人のためになることをして、より多くの人に喜んでもらうこと」だろう。それを一言で言えば、隣人愛ということになる。
例えば、イチロー選手は、野球の才能を開花し、多くの野球ファンに夢と希望を与え続けている。彼には彼にしかできないことを精一杯やり、それによって世のため人のためになることをしているのである。彼にとっては「すばらしいプレーをすること」が幸せの源泉なのである。彼は一生遊んで暮らせるだけの財産はもっているだろう。しかし、だからといって、「もうプレーしなくてもいいよ、家で寝ててもいいよ」と言われても、「家で寝てくらすこと」に幸せを感じることなどないだろう。
あなたがお金を欲しがっているのは、いったい何のためだろうか? ただ単に「楽がしたい」とか「仕事をせずに暮らしたい」とか「世界旅行に出かけたい」というような、自分だけの楽しみにふけりたいからだろうか?
しかし、それはアリストテレスに言わせれば、幸せでもなんでもないのだ。それが幸せだと思い続けてお金儲けに奔走し、実際にお金持ちになったとしても、それが単なる幻だったということに気づくのがオチだ。「私は金持ちになれば幸せになれると思っていた。しかし、なんてこった。毎日毎日が実に退屈だ。遊ぶのにも飽きた。こんなのなら、まだ仕事をしていたときのほうが張り合いがあった」ということになりかねないのだ。
だから、金持ちになりたいというような、「仮象の目標」に惑わされるなといっているのだ。もちろん、「仮象の目標」を持つなとは言わない。だが、それはあくまで「仮象の目標」にしかすぎないことを悟ることだ。そんなものに惑わされるな。それだけを目標にして生きるな。もっと自分を磨くための目標をもちなさい!
目標にすべきは「真の目標」だ。それは「あなたにしかできないことで世のため人のためになることをし、一人でも多くの人に喜んでもらうこと」だ。
あなたはそんな「真の目標」をもっているのかな? それとも「真の目標」もないのに、ただ単に「金がほしい」という「仮象の目標」だけで動いているのかな?
最近のコメント