幸せ

2013年2月22日 (金)

この世は牢獄?

 私たち人間は、いったい何のために生きているのでしょうか。

 多くの哲学者は、この世のことを「牢獄」にたとえています。

 この世が「牢獄」なら、私たち人間は「牢獄」に捕えられた「囚人」。

 実際の牢獄は身動きもできず、非常に窮屈ですよね。

 しかし、牢獄に入ってない私たちといえども、魂は身体に閉じ込められて、窮屈といえば窮屈だと思いませんか。

 身体に閉じ込められているからこそ、私たち腹が減ったら食事をしなければならないし、病気になればケアをしなければならないのですよね。

 毎日毎日毎日毎日、休む暇を与えてくれません。それが死ぬまで続くわけですよね。

 この世にいる間は、私たちの魂は身体に閉じ込められているわけで、身体が滅びるまでは「刑期」のようなものです。

 では、なぜ「刑期」を与えられているのでしょうか。

 それは「刑期」を終え、死んでいくときに、できるだけ良い人間に成長するためではないでしょうか。

 ということは、「刑期」である時期に、何を一番に考えるべきかはわかってくると思うのですよね。

 それはより良き人間に成長すること。

 良い人間になるには、大別して3つの方法があると考えます。

 その3つとは、(1)欲望を抑制すること、(2)理性を磨くこと、(3)隣人愛を実践すること。

 この3つのどれも大切で、どれも軽視できないと思っています。

 だから、私は学問は一生続けていくつもりです。

 私は、資格王・学位王を自称していますが、そんな自称の肩書きなど意味はなく、本当にたいせつなことは、理性を磨くことであり、資格や学位の取得を目指しているのは、資格や学位そのものがほしいからというより、資格や学位取得に向けて頑張ることで、理性が磨けると考えているからなんですね。

 

 

 

 

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2009年8月12日 (水)

幸せは「状態」の中にはない

 幸せは「状態」の中にはない。

 どういうことか説明しよう。

 独身者の中には、「結婚すれば幸せが訪れる」と思い、結婚を夢見ている人がいるだろう。「結婚」という状態が、自分の不幸を救ってくれる、そう期待している人もいるだろう。

 経済的に豊かでない人は、「遊んでも食べていけるような不労所得が得られたら幸せが訪れる」と思い、不労所得をほしがって、あれこれ投資物件を探しているだろう。

 しかし、「結婚」という状態があなたを永遠に幸せにすることはない。結婚すれば結婚したで、結婚後にさまざまな問題が生じるのであり、幸せの状態が永遠に続くわけではない。現に、つい先日も、某トップアイドルが夫婦で逮捕されたばかりである。その夫婦も一時期は幸せの絶頂だったかもしれないが、今では拘置所で暮らす羽目になっているだろう。この例からも分かるとおり、「結婚」という状態が幸せを永遠に保証することなどないのである。

 「不労所得で食べていける」という状態も同じである。不労所得が得られたら、金儲けという苦役からは解放される。しかし、それで幸せが続くかといえば、けっしてそんなことはないのだ。

 この点、アリストテレスは幸せの本質を実にみごとに見抜いていた。

 アリストテレスは、幸せは「状態」の中にはないとした。幸せがあるとしたら「活動」の中にあると考えたのだ。

 例えば、英語の能力に秀でている人がいるとしよう。その人にとっての幸せとは、自分の英語の能力をフルに発揮して、世のため人のためになることができたときではないか。例えば、通訳でも翻訳でもいい、他の人にマネできないような高い英語能力を発揮し、みんなに喜んでもらえることをしたとき、その人は「生き甲斐」を感じるのではないか。アリストテレスはそれをエウダイモニアという言葉で言い表したのである。

(結婚が自分を幸せにしてくれる…、金が自分を幸せにしてくれる…、名誉が自分を幸せにしてくれる…)

 多くの人は、そのように思いがちだが、この世は常に変化する世界であり、「不変の幸せの状態」など手に入ることなどないのだ。だから、そこを勘違いしてはならない。

 「私たちが目指すべき幸せとはエウダイモニアである」

 そう気づいたとき、本当の幸せに向けての第一歩が踏み出せるのではないか。 

 

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2009年7月28日 (火)

手っ取り早く金持ちになろうとするな!

 金持ちになるための本は多い。

 いいことを書いてある本もあれば、拝金主義的な本もある。どれを信じるかは本人しだいだ。だから、他人がどういう金儲けをしようとしているかについて、とやかくいうつもりはない。

 しかし、「手っ取り早く金持ちになる方法」は、それだけ危険であることを認識してもらいたいのだ。

 例えば、あえて書名は出さないが、あるベストセラーになった本をさらさらっと目を通してみると、そこに書かれてあったのは、だいたいこんなことだった。

「早く金持ちになりたければ、銀行からお金を借りて不動産に投資することである。投資信託は時間がかかりすぎる。レバレッジ効果をいかにうまく効かせるかが金持ちになれるかなれないかの境目だ」

 不動産投資で成功したその著者は、いかにも自慢げに金儲けのテクニックを披露しているのである。

 この本を読んだ人のうちの何割かは、「なるほど、こうやれば手っ取り早く金持ちになれるのか。よし、俺も銀行からお金を借りて不動産投資をしよう! 投資信託なんて、まどろっこしいことなんてやってらんないよ」と錯覚してしまうのではないか?

 自分の住居用に銀行に住宅ローンを組んでもらうのは仕方がないことだと思うが、不動産投資のために銀行からお金を借りてまで投資するというのは、リスクが高すぎはしないか。なにしろ、空室が何ヶ月か続いただけで、すぐに計算が狂って、取り戻しができなくなるおそれがあるのだ。

 しかも、もう一点、クビをかしげたくなることがある。不動産投資は「すぐに金持ちになれる」のか? いい物件を見つけようと思えば、半年、1年、1年半、2年…と、あれにしようか、これにしようかと迷っているうち、いつの間にか時間がかかってしまうだろう? 一見、「銀行のお金で不動産を取得して家賃収入を得る」というのは手っ取り早くお金が入りそうな感じだが、実は不動産を見つけるのに時間がかかるのだ。なんだかんだで、それなら最初から投資信託にかけておいたほうが良かったということにならないだろうか? なぜなら今なら投資信託に2年もかけていれば、投資した額の20%くらいは分配金で戻るからだ。

 私には、この本よりも『ベンジャミン・フランクリン 富を築く100万ドルのアイデア 』のほうがよっぽどいいことが書かれてあったと思う。こちらのほうは、お金儲けのテクニックというより、お金持ちになるための原理原則が書かれてある。そしてそれを一言でいえば「倹約と勤勉こそがお金持ちになるために最も大切なことであり、手っ取り早くお金もちになろうとしてはならない」ということである。

 お金持ちになりたいと思っている人には、私なら、むしろこうした本を読むことを勧めたいのだ。

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2009年7月27日 (月)

本質を理解しないうちは、金持ちになろうとするな!

 ネットサーフィンをしていると、いかに世の中の多くの人がお金をほしがっているかが分かる。もちろん、それはそれで構わない。何を望もうと本人の自由だから、とやかく言うつもりはない。

 しかし、お金儲けの本質を理解しないで、たんにテクニックだけでお金を稼ごうとするのは大きな失敗のもとだし、仮にそんなことをしてお金儲けをしても、けっして幸せにはなれないと思う。 

 よく考えてみてほしい。お金儲けの本質とは、「自分を世のため人のために役立てて、人様に喜んでもらい、その対価としてお金を貰う」ということであり、お金をたくさん稼ごうと思えば、それだけ人様に喜んでもらうことをしなければならないわけである。「お金が入ってくる」のが先ではなく後なのだ。その前に必ず「人様に喜んでもらう」がなければならないのだ。だから、お金儲けをしようと思えば、「どうすれば人様に喜んでもらえるか」と真っ先に考えなければならないわけである。

 しかし、たんにテクニック的なことだけでお金をガッポリ儲けてやろうという人は、自分を世のため人のために役立てようなんてことはちっとも考えていない。彼らが考えているとは、「とにかく手っ取り早く、できるだけ楽をしてお金を稼いでやろう」とういことだけだ。

 「どうすれば人様に喜んでもらえるか」などまったく関心がないのだ。だからこそ、彼らはリスクの高い儲け話に夢中になり、失敗しやすいのである。なぜなら、それはお金儲けの本質に反することをやっているからである。

 その点、私は「もっと金を儲けてやろう」という欲があまりないので、堅実な投資方法で地道に資産を増やしている。実に地道だが、着実に、年々、資産を増やすのに成功している。具体的には、家賃収入と投資信託の分配金であるが、余剰が出ると、すかさず投資信託に投資し、受け取る分配金を増やしている。少しづつではあるが毎月、分配金が増えており、いずれは雪だるま式に増え出すだろう。

 そういうわけで私は、リスクの高いものには一切手を出さない。株には手を出さないし、銀行から住宅ローンを借りて投資目的で不動産を取得するという「レバレッジ効果」にも関心がない。なぜなら、そういう高いリスクを負ってまで金を稼ぎたいという欲がないからである。私の身内に、銀行から莫大なローンを借りて不動産投資をした結果、大失敗に終わった女性がいるが、「金が欲しい」という欲望を満たすためだけで投資をすると、こういう失敗に陥りやすいのだ。

 もう一度いう。幸せになりたければ、幸せの本質を理解しなさい。そうすれば、たんにテクニック的なことだけを学んでお金儲けしても幸せになれないことが分かるはずだ。そしてそれが分かれば、リスクの高い投資に手を出す前に、お金儲けの本質を理解し、「自分なりの方法で世のため人のためになること」を探し始めることだろう。結局、そのほうがお金持ちになりやすいのである。

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2009年7月23日 (木)

不労所得があれば精神的にも強くなる

 私は、ラジオで人生相談をよく聞くのだが、人生相談で多いのが金銭トラブルだ。しかし、一口に金銭トラブルといっても、その根源は心理的な問題である場合が多い。

 例えば、口頭の約束だけでお金の貸し借りをした結果、相手から「返して貰ってない」という因縁をつけられて莫大なお金をゆすられたいうトラブルがよくある。ある女性は100万円を借りて、数回にわけて全額を返したにもかかわらず、その領収書を受け取っていなかったため、相手から「返してもらっていない」と因縁をつけられ、何度も上乗せで請求されているという。

 もちろん、因縁をつけているほうが悪いのである。しかし、こういう相談を聞いていて思うことは、なぜ領収書を出してもらっていないのか? なぜ口頭だけですませているのか? ということである。そういうのは、領収書をきちんと出してもらっていない方にも落ち度があるのではないか、と思ってしまうのである。

 ずるい人間は、書面にするのをいやがるものである。口頭だけですませて、都合が悪くなったら、いつでも逃げられるようにしているのである。逆に、相手をやりこめられると思ったら、書面がないことをいいことに、これでもか、これでもかと身勝手なことを言い出すのである。

 端から見れば、「なぜ口頭の約束だけで、そんな大金のやりとりを?」と思うのだが、これは心理的に弱い立場の人間は、相手に強く書面を求めることができなかったのであろう。

 その心理は私には痛いほどよく分かる。なぜなら、私自身、お金に困っていた時代は心理的にも弱かったからだ。

 例えば、出版社が本の執筆や翻訳を依頼してくる。その際、私が不労所得で食べていけるお金があれば、仕事を引き受けてもいいし、引き受けなくてもいい。しかし、貧乏であれば、なにがなんでも引き受けざるを得ないわけである。そんなとき、出版社側に対して、きつく、書面を求めることができるだろうか? それは心理的には不可能なのである。なぜなら、「そんなめんどうなこと言うのなら仕事を回さないよ」といわれやしないかと冷や冷やしているからだ。

 出版社側は、都合が悪くなったら、出版を停止して、「もともと出版契約などなかった」という風に逃げられるよように、出版契約書を出すのを渋るのである。私が「契約書を出してほしい」といっても、「ああ、ウチは、そういうの、いちいちやってませんから」とか、「まあ、そう固いこと言わないでよ、お互いの信頼関係でやっていきましょうよ」とか言い訳をして、出版契約書を出し渋るのである。そういうわけで、貧乏な文筆家は、口頭だけで仕事を引き受けざるを得なくなるのである。そうなると、当然、トラブルが生じやすい。

 しかし、不労所得だけで食べていけるようになるとこちらも強いものである。なにしろ、仕事を回してもらわなくても、いっこうにかまないからだ。だから出版契約書を出すのを渋るようであれば、最初の最初から仕事を引き受けなくてもいいのだ。出版契約書を求めて、「ああ、ウチは、そういうのいちいちやってませんから」と言われたら、「よろしければ、出版契約書を出していただけない理由をざっくばらんにお教えいただけませんか? 出せない理由は何でしょうか?」と強い立場で聞けるわけである。それでも出してくれなければ、仕事を引き受けないわけである。これでトラブルが未然に回避できるのである。

 トラブルを回避する鉄則をお教えしておこう。

 あなたが相手に書面を求めて、出し渋るようなら、相手の誠実さを疑いなさい。お金の貸し借りでも、きちんと借用証書なり、領収書を交わしながらやりなさい。何かの契約をするときも、必ず、書面で確認しながらやりなさい。相手にそれを強く求められないとしたら、結局、相手に都合のいいようにされてしまう可能性があることを前もって考慮しておきなさい。

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2009年7月20日 (月)

大きな夢を持て!

 私が学問は一生続けて行きたいと言えば、必ずといっていいほど、

「学問なんかやって何になるの? お金儲けにつながるの? そんなことやっても何の意味もないと思うけどなぁ。エクセル? なんで翻訳家の宮崎さんがエクセル習うの? そんなの家計簿をつけるくらいしか使い道ないんじゃないの? え? ドットコムマスター? それ取ったからといって、何かなるの? たいしたことないんじゃないの? ビジネスコンプライアンス検定? そんなの取っても何にもならないよ」

 と腐す人間がいる。彼らは、何にしても「そんなの意味がない」と否定してかかるのだ。

 では、そういう彼らは何をしているかといえば、直接お金儲けにつながることしかやっていないように思えるのである。つまり、彼らにとって「意味のあること」とは直接お金儲けにつながることであり、それ以外のこと、例えば、検定試験を受けるとか、書道に打ち込むとか、大学通信教育課程を出るとかという「自分を磨く」ことなど何も意味もないのだ。

 昨日、私の夢の一つである「宮崎伸治翻訳奨励賞」の創設についてブログで公表した。まだ具体的にいつ、どのような形で実施するかは決めていないが、告知方法はホームページとブログのみで行うつもりなので、広告費はかからないのである。新聞や雑誌に広告を出すとなると莫大な広告費がかかってしまうが、それをすべてホームページとブログで行えば広告費が不要なので、その分、賞金のほうに回せるわけである。

 しかし、いざ、こういう風に、自分だけにしかできない「世のため人のためになること」をしようと決意しても、その土台がない人間がいきなりは実行できないのである。

 例えば、ブログで告知するにしても、ある程度法的知識は必要となってくるだろう。著作権法について知っておかなければならないのはもちろんだが、ビジネスコンプライアンスの知識もある程度あったほうがいいだろう。応募者を管理するにはエクセルを習得しておいたほうがいいし、できればアクセスなどデータベースの知識があれば、なおさらいいだろう。もちろんITのことは熟知しておく必要があるので、最低限、ドットコムマスターの知識はあったほうがいいのだ。

 いざ何かやろうとしたとき、直接お金儲けにつながることしかやっていない人間は、できることが限られてしまうのだ。エクセルもできない、ITにも弱い、ホームページも作ったことがない、著作権のことも知らない、知的財産のことも知らない、外国語もできない、文章執筆能力もない…と、ないないづくしでは、何か大きな夢を実現しようとしても、できないだろう?

 だから私は言っているのである。その場その場で、すぐにお金儲けにつながるようなことだけやるのではなく、自分の好きなことに全力で取り組んでみたらどうか、と。このブログでも何度も何度も言っているように、目先のことだけしか見ずに、直接お金儲けにつながることだけしかやっていなければ、大きな成長もないし、いざ何かやろうと思っても、できることは限られてくるのだ。

 あなたは今、直接お金儲けにつながらないことで、全力で打ち込んでいるものはあるのかな? 

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2009年7月19日 (日)

一体何のためにお金が欲しいの?

 多くの人は、「お金持ちになりたい、楽して暮らしたい、不労所得がほしい…」と思っていることだろう。

 しかし、何度も何度もこのブログで言っているとおり、巨額の富を得ても、それで幸せになれるかどうかは別なのだ。実際、100億円以上稼いだという某音楽プロデューサーも、逮捕されて有罪判決をくらっただろう? また、犯罪をおかさなくても、巨額の富をもったままあの世には行けないのだ。あの世では、この世のお金などまったく何の意味ももたないのだ。

 だから、お金を人生の第一の目標にするな人生の第一の目標は善い人間になることだ善い人間になって、少しでも、世のため人のためになることをすることなんだ、ということを何度も何度も何度も何度も繰り返して言って来た。

「では、そういうあなたは、一体、何をやっているの?」

 と聞かれそうだが、私には夢がある。

 私は、私にしかできない形で「世のため人のためになること」をしたいのだ。では、それは何か。

 私は、もう少し資産を増やすことができたら、その暁には「宮崎伸治翻訳奨励賞」を創設したいと思っている。賞の受賞者には賞金を出すが、それはもちろん、全額、私が負担する。最初は賞金の額も少ないかもしれないが、ある程度のお金なら出せるだろう。

 では賞の目的は何か? それは「優秀な翻訳者になる素質がありながら、金銭的に恵まれないために、翻訳以外の仕事で時間が奪われ、翻訳の能力が埋もれたままになっている人の才能を開花させること」だ。

 実際、私は身にしみて感じていることだが、出版翻訳家になるのは大変だ。茨の道だと言ってもいい。実際、私自身が茨の道を歩んできたからよく分かるのだ。

 考えてもみてほしい。翻訳の通信教育を始めても、最後まで続く人は1割もいないだろう。しかし、その中でも出版翻訳家になれる人は1割もいないのだ。さらに、2冊、3冊…と本を出し続けていけるいわゆる職業翻訳家になれる人などそのまた1割もいないのではないか。というのも、出版翻訳というのは、労力の割にはお金にならない仕事だからである。運良くベストセラーに恵まれれば、金銭的にも潤うが、ベストセラーに恵まれるまでは悲惨そのものだ。しかし、そういう才能のある人を埋もれたままにしておくことは日本にとっても損失なのだ。だから、私はそういう人を発掘したいと思っているのだ。

 私は、お金をたくさん貯めて、そのお金で海外旅行がしたいだの、豪勢な料理が食べたいだの、豪遊したいだの、そんな自分の愉しみだけを考えているのではない。というより、そんなことをするより、やはり世のため人のためになることをしたいのだ。

「宮崎伸治翻訳奨励賞? なんだ、結局、自分の名前を売りたいだけなんじゃないか」

 そう思われるかもしれない。いや、それなら、別に私の名前を冠しなくてもいい。私は別に名をはせようなどとも思っていないし、そんな「名声」など、あの世にいったら何の価値もないことをよく知っているので、「名声」を得ることには興味がない。だから、私の名を冠さない、ごくありふれた賞の名にしてもいいと思っている。

 きっとあなたも「もっとお金がほしい」と思っていることだろう。しかし、それは何が目的なのかな? 自分さえ楽がしたいという思いでお金をほしがっているのかな? それとも、究極的には、何か世のため人のためになることをしようと思っているから、お金が必要なのかな?   

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2009年7月11日 (土)

自ら率先してやることの難しさ

 先日、慶應大学から冊子が届いた。

 その冊子には、今年3月に卒業した人のデータがあった。 

 私は今年3月に慶應大学通信教育課程を卒業したのであるが、卒業までにかけた期間はちょうど3年間であった。これは最も早いほうであり、例外的だと言える。

 慶應大学の場合、過去のデータを見れば、中退してしまう人が9割くらいいるわけだが、冊子のデータによれば、卒業した人でも卒業までにかけた平均年数が10.6年とあった。私が在学中に知り合った人も20年近くかけて卒業に至ったようである。

 今回の冊子には、「3年間ぴったりで卒業」した人の人数のデータはなかったが、「3年半以内」に卒業した人の人数が12人であることが分かった。「3年半で卒業」よりも「3年で卒業」のほうが難しいので、おそらく「3年で卒業」は私を含めて4~5人だったのではないか。

 これはどういうことを物語っているか。

 それは「自ら率先してやること」の難しさだと思う。

 人間というものは、ものぐさなもので、「今すぐやれ!」とハッパでもかけられないかぎり、「今やってもやらなくてもまったく困らないこと」を自ら率先してやるというのは、なかなかできないものなのである。実際、「別に今日、今すぐやらなくても…」みたいなことを考えていると、1日たち、2日たち、3日たち、1週間たち…となる。通学の場合は、授業に出てさえいれば、ハッパをかけられるので、否応なしにやるだろうが、通信の場合は、だれもハッパをかけてくれないので、自ら率先してやらないかぎり、いつまで経っても、課題が滞るだけなのだ。そういうわけで、卒業する人でも、平均10年以上かかっているわけである。

 かくいう私も、偉そうなことは言えない。慶應通信の場合は、卒論は別にしても、その他の科目は課題が与えられていたから、次々とやってこれたのだと思う。

 しかし、私の「ホームページを充実させる」という夢はなかなか進捗しないままだ。なぜなら、課題そのものも、自ら探して、取り組んでいかなければならないからだ。しかも、技術力も磨かなければ充実させることができないのだから、なかなかしんどい話なのである。だが、慶應通信でも3年で卒業したわけであるから、ホームページのほうも頑張って充実させて行きたい。まずは「WEB検定(WEBデザイナー)」を狙いたい。

 だれでも、お金が貰えるとか、お金が稼げるとか、異性にもてるとか、そういう欲望を満たすためであれば、あれこれと手練手管を考えながら頑張るものだ。だが、そういった目先の報酬が得られないもの、今すぐ取り組んでも取り組まなくてもまったく困らないようなものを自ら率先して頑張っていくというのは、けっこう大変なのである。

 あなたは、今、どんな課題に取り組んでいるだろうか?

 

  

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2009年7月10日 (金)

「仮象の目標」に拘るな

 「仮象の目標」に拘ることがいかに愚かなことか、例え話で説明してみよう。あくまで例え話であるので、その点留意してほしい。私がこの例え話で言いたいのは、「仮象の目標」に拘ることがいかに愚かなことかなので、それをしっかりと見極めてほしい。

 私は2年間外国に留学していたことがある。その国にはその国でしか使えないクーポン券がある。それはお金と同じように使えるのだが、お金には換金できない。当然、日本円にも換金できない。

 その国に永住するのであれば、クーポン券をたくさん稼げば稼ぐほど、いいだろう。なにしろクーポン券といっても実質的にはお金と一緒だから、お金をたくさん持っているのと同じようなものだ。そういうわけで、クーポン券獲得に必死になっている人もいた。

 しかし、いずれ日本に帰国することが分かっている人間にとって、使い切れないほどクーポン券を獲得することに何か意味があるだろうか? 例えば、あと1ヶ月で日本に帰国するとしよう。となると、その1ヶ月以内にクーポン券をすべて使い切ってしまわないと、ただの紙切れ同然となる。他人に譲ることもできず、換金することもできないのだから、まったくただの紙切れになるのだ。

 では、逆に日本に帰国して役に立つものとは何か? 英語力を磨いておけば、転職に役立つだろう。だれにも負けない英語力を備えておけば、通訳だろうが翻訳家であろうが、難なくなれるだろう。

 こういうことが分かれば、時間の使い方が変わってくるだろう。アクセクアクセクとクーポン券の獲得に時間を割くのが馬鹿らしくなって、そんなことをしているくらいなら、少しでも英語力を磨いておこうと思うだろう? 

 これで「真の目標」と「仮象の目標」の違いがお分かりいただけたのではないか。

 人間界ではお金をたくさん稼ぐことは意味があるように思えるかもしれないが、人間界を去って霊界に行けば、お金なんて何の意味ももたなくなるからだ。一方、人間界を去って霊界に行ったときに役にたつもののといえば、隣人愛である。言い換えれば、「他人に対する思いやり」といってもいい。それこそが霊界で役に立つのだ。

 どうだろうか。これでお金を稼ぐことよりも、「他人に対する思いやり」をもつことが何倍も大切であることが分かっていただけだろうか。

 お金を稼ぐことを目標にするなとは言わない。しかし、それは、例えて言えば、留学している人間がその国でしか使えないクーポン券を獲得しようとアクセクするのと同じようなものだと言っているのである。留学している人にとって「真の目標」は少しでも英語力を磨いて日本に帰国することであるならば、人間界に生きている我々にとっての「真の目標」とは「他人に対する思いやり」を持つことだと言えよう。その「真の目標」に比べれば、お金を稼ぐことはちっぽけなちっぽけな「仮象の目標」にしかすぎないのだ。

 お分かりいただけただろうか? 

 あなたはその「真の目標」のために日々努力しているだろうか? それとも「仮象の目標」だけしか見ていないだろうか? 

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2009年7月 2日 (木)

急な出費は止まらない

 急な出費というのがある。

 まったく予想外な出費である。

 面白いように、なんだかんだで毎月のようにあるのである。こういう急な出費がなくなってくれれば、その分投資に回せるのだが…と思うのだが、なんだかんだで面白いように毎月急な出費がつきまとう。

 たとえば、金額が大きいものでいえば、デスクトップパソコンの修理代約5万、ノートパソコンの修理代約5万、インターフォンの買い替え約5万、DVDの大型モニターの修理代約5万、電動自転車のバッテリーの交換約4万などは、かなり痛い。

 少し痛いというのもある。自転車の部品の修理約1万、四十肩で通院約1万、歯科通院約1万、ガスコンロ買い替え約1万などである。こういうのも、ないに越したことはないが、まったくゼロになるものではない。

 「今月こそは、何もないように…」と願っていたのだが、なんと今日、風呂の中にCDレコーダーを落としてしまった。

 ドイツ語の検定試験日が近いので、時間の節約のために、CDレコーダーを風呂にもちこみ、ドイツ語を聞きながら風呂に入っていたのだが、ちょっとした不注意でCDレコーダーを風呂の中に落とした。

 その結果、うんともすんとも言わなくなり、新しいの買わざるを得なくなった。というのも、今が一番大切なときであり、試験日までの数日間でどれだけ耳を「ドイツ語耳」にするかにかかっているのだ。

 ううむ。買わないわけにはいかないだろう。今からすぐ電気店に飛んでいこう。

 こういう風に、急な出費はつきものなのであり、経済計画を立てるときには、あらかじめて想定して入れておくべきものなのだ。

 

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